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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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18 渦 その1

18 渦 その1



 井戸から拾われた矢尻を睨みながら、しかし真は何かが腑に落ちなかった。

 ――戰様が郡王として赴任しておられるというのに……?


 此れまでも、祭国の流儀と衝突はしながらも、禍国絡みの事案については戰は祭国側に口を挟ませなかったし、学も国王としてそれを認め、補佐してくれた。

 もしも使節団に紛れ込んだ者の手とするなら此処までの事実から、潰された井戸の探索をされぬかと案ぜぬ方がどうかしいる。

 自分も指摘したことながら、克の言う通り実に阿呆な手段と言わざるを得ない。


 ならば何故。

 ――何故、このような。

 敵は、余りにも稚拙な手段をとったのでしょうか。

 芙の言うように、見つけて欲しかったとしか思えない。

 では何故。

 見つけて貰わねばならなかったのか。

 ――何なのでしょうか……この違和感は。

 違和感?

 いや、違和感とも違う。

 何かを、重大な何かを見落としているように真には思えてならない。

 だが何を見落としているというのかが、判らない。

 すると、じっと矢尻を見据えて考えに沈み込む真の頭上を通りた芙の鋭い視線が、克を射抜いた。



「克殿、一つ聞きたい事があるのだが」

「俺に?」

 話題を振られるとは思ってもいなかったのだろう。矢尻に夢中な真に呆れつつも、克が顰面を解いて珍妙な顔付きになる。

「俺になんぞ何を聞きたいって言うんだ? 何の意見も出てこないぞ?」

「後主の最後についてだ」

 妙に必死な態度の芙に克は、ああそれなら、と少し気の抜けた声を出す。

「陛下が仰られた以上の事は、俺には言えないぞ?」

 克は黒目を寄せた。

 元々、言葉で表現する事が苦手と言うよりも、頭を動かすより先に身体を反射的に動かした方が得意なだ。状況から動向を読み解く、など期待されても困ると言いたげに寄せた黒目をぐるりと回転させる。


 ――後主殿下の最後……。

 しかし真はその言葉に、分厚い煙に巻かれて読み取れなかった自分の中で渦を巻く謎が、ちかり、と光ったように思えた。

 そうだった。

 後主・順の哀れで悲惨な、そして今際の際まで面倒事を押し付けての厄介過ぎる最後であった話を聞いた時。

 その時自分は、兄である右丞・ようが口にした悍ましい言葉――そうあの呪いの掛かった言葉。

 椿姫の産んだ皇子が戰との間の御子ではない、とするあの言葉にばかり気を取られていた。

 他には?

 後主・順の最後に、まだ何か事態を打開する重大な事実が隠されているのではないのか?


「克殿、俺が聞きたい事は一つだけだ。虚海殿が後主の診察をされた時、どんな様子だったんだ?」

「いや、どんな……と言われてもだな。その時俺は、珊にこの頭の傷を診て貰っていた最中でな……。実際にどんな治療をされたのか、つぶさに見ていた訳ではないんだ……」

 まあ、見ていた処で……何がされているのか俺の頭で解る訳がないし……、邪魔にしかならんだろうし……、と克の口の中でごにょごにょと言い訳めいた言葉が尻窄んでいく。

「だが、最後に陛下と妃殿下が対面された時の後主の姿を克殿も見たのだろう? 後主の姿がどんなものであったのか位、説明はできるだろう?」

 珍しい必死さを見せる芙に気圧されながら、お、おぅ、と克が頷く。克の説明に、勢いを得て芙は胸倉を掴まんばかりになった。


「毒に侵された……と言うのだろうがな、身体が弛緩した状態でな。いや、酷かったぞ。舌が飛び出して言葉は真面に出ない、目玉はぎょろ目に剥いたまま、しかも尿いばりまで垂れ流しでな……」

 とうとう、本気で芙は克を締め上げだした。

「それで!? それで、虚海殿は何と仰っていたんだ!? その症状を診て何と!?」

「え!? いや、その……もう助からない、助けられない……と、いう意味でだろうがな、そう……」

「何と言われたんだ、虚海殿は!?」

「陛下にだな、その、恨まれるかもしれない……とかなんとか、こう、呟いておられたのだが……」

「……なん……だと……?」


 漸く克が絞り出した言葉に、やっと手の力を抜く。

 首の根元を抑えて、ごほ、と軽く嘔吐えづく克を見ようともしない。

 克の言葉に、自分の中の不思議が確信に変わり微かにを光らせた真だったが、芙の異変に気がついた。


「芙? どうしたのですか?」


 真の声も、聞こえないのか。

 芙は、呆然としていた。



 ★★★



 自失する芙を前に、真と克は顔を見合わせる。

「……芙……殿? おい……芙殿……?」

 訝しんで芙の腕を掴んだ克に、此れを、と芙は懐に手を突っ込んで小さな箱を取り出してきた。

 差し出された小さな箱は、爪に紅を差す為に花の汁を採る道具である小さな石が収まる位のものだ。克は首を傾げながら蓋を開け、無造作に中身を手に取る。小さな黒い丸薬状のものは、生薬だろうと素人目にも分かった。


「何だこりゃ?」

蟾酥せんそという薬だ」

「ほう、蟾酥……?」

 馴染みのない名を言われても何が何やら、と言いたげに克は掌に丸薬を取って転がし出す。鼻に近付けてふんふんと臭いを嗅いでみたり、寄り目になってじっと見据えたりと忙しない。

「薬として扱われる物は、反面、量を変えれば毒薬として作用するものも多い。一般的なものは附子ぶしだが」

「ああ、其れは流石に俺も知っている。附子ぶすの事だろう? 有名だからな」

「此れも同じだ。薬として使われる場合は蟾酥と呼ばれるが、毒としては蝦蟇がまの油という」

 舐めてみようと舌を突き出しかけていた克の動きが止まる。

「――其れを先に言ってくれ!」

 次の瞬間、悲鳴に近い叫び声を上げて、克は掌の丸薬を放るように箱に戻した。ぜいぜいと肩で息をしながら、やめてくれ、頼むからやめてくれ、と言いたげに恨みがましく芙を睨む克を無視して、真は身を乗り出した。


「それで、芙。この蟾酥が、どうしたというのですか?」

「今も言ったが、薬として使われれば蟾酥。だが、毒として使われれば」

「……まさか……」

 ごくり、と真と克はの生唾を音も高く飲み下した。

 芙が、しつこく食い下がって後主・順の最後を聞いてきたのを思い出したのだ。草として生きる蔦の一座の手の者である芙は、影働きに長けている。

 その彼が目をつけた、と言う事は……。

「こいつを……? こいつで、後主は……?」

「毒殺はこの蟾酥で、と、芙は云うのですか……?」

 思わず声を上ずらせる真と克とは裏腹に、しかし冷淡、とも言える程淡々とした平坦な感情の篭らぬ声音で芙は答えた。

「確証はない。が、使われた毒は蟾酥だと俺は思う」

「……芙は、そう見立てるのですね?」

「後主の最後の症状と毒としての働きは一致している」

 ですが、と真は訝しげに首を傾げる。


「どうして、蟾酥にたどり着いたのですか?」

 そりゃ確かに、と克も眉を寄せる。

 幾ら芙が秘密裏に動く草として毒薬に詳しいとはいえ、どうして症状を聞き、其処から一般的でない蟾酥だという答えに到達したのか。

「……俺が炎の中で刺客と思しき女とやりあったと克殿には話してあるが」

 箱の蓋を、芙は静かに閉める。

 小さな丸薬は姿を消した。


「対峙した時、その女は土蜘蛛、と名乗った」

「土蜘蛛?」

 到底、女に相応しからぬ不気味な名に真と克は顔を見合わせた。


「土蜘蛛と名乗る前に、ひき(・・)、という名を口にした」

「――何ぃ!? おい、それを先に言ってくれ!」

 克が大仰に叫んで身を乗り出した。




 ★★★



「しかし、此れと井戸に沈められた矢尻と、どう繋がるんだ?」

 克が矢尻を持ち上げて睨みつける。


 誰が、何に、どんな目的で?

 其れこそ、祭国では成る程、水も豊かな国柄であるし何よりも祭事国家だ。

 不浄不吉の存在となった井戸は再び生き返らせる事はしないのだろう。底に沈めてしまえば、見付からないのかもしれない。

 だが何度も指摘したように、郡王として戰が赴任しているのだ。潰された井戸の探索を命じないと予見しない方がどうかしている。

 そしてこの毒――蟾酥だ。

 症状を詳しく述べられれば、附子のそれではないと何れ誰かが気付くとは思わなかったのか? 何しろ施薬院があるのだ。医薬に従事し知識の深い者は国の規模に反して多い。禍国よりも、充実している位なのは赤斑瘡あかもがさの流行を見事押さえ込んだ事からも判るだろうに。

 なのに――何故なのか?


「何方も、見付けて欲しかったのだと思います。毒も、矢尻も」

「何ぃ?」

 真の答えに、いちいち叫びつつ克が眉根を寄せる。

「態々、芙に聞き取れるように『ひき』と呟いたのは、毒が何たるかを導き出す為にだと思います」

「何故だ? 明らかにまずいだろう? 毒薬も確定され、その上、兵部尚書様の矢を持ち込んでいると確実に知れたら……」

「そうです。ですから知って欲しい、いえ白日の元に晒されねばならないのです」

「――それは、大司徒が兵部尚書様を陥れようとしていると知らしめて牽制する為に、か?」

「いいえ、大司徒様の仕業であると思い込んで貰わねば都合が悪いからです」

 ……んっ? と克は顔を歪めた。

「と、云う事は、だ。今大令の兆か、それともせん大令の中か?」

「いえ、そのお二方でもないと思います」

「何ぃぃ!? それじゃあ一体、誰だと言いたいんだ、真殿は!?」

 がりがりと頭を引っ掻いて克は騒ぐ。

 しかし真は飽くまでも静かだ。



 ★★★



「この、蟾酥ですが」

 芙の手の平の上で鎮座している小箱の蓋を、真は指さした。芙が、頷く。

「何故、態々この施薬院で使われているものと同じ毒を用いたのだと思われますか?」


「――えっ……?」

 突然質問を振られて克が固まる。

 そんな事、俺が分かる訳がないだろう! と叫びかけるが、ぐ、と堪えて唯一、誰にでも考えつく答えを口にする。

「其れは……うむ、この施薬院の者の中に……だ、誰か、あ~……内通者がいると思わせて……だな、う~……我々を……その、何だ……え~……疑心暗鬼に陥らせ、た、い、と……か……?」

「いいせんだが、真当過ぎるな」

 からからと手の内にある小箱を振りながら、芙が短く嘆息する。

「ですね、難しく考え過ぎだと思います」

「ん?」

「つまり、後主様を毒殺した相手にとって最も手に入り易かったのは、この施薬院にある毒素ともなる生薬だったという、至極簡単な話なのです」

「――は?」

「俺たちの流派の中の一つには、あし(・・)が付かぬよう毒殺の場合は徹底して現場にあるものを使ううからが居ると聞く。小刀や帛で殺した場合は幾らでも細工ができるが、毒の場合は入手先を特定されかねないからな」

 な、成る程? と話が見えてこないながらも克はこくこくと頷いた。

 其れは流石に克でも分かる道理だ。

「と、云う事は賊はこの蟾酥を盗み出して……」

 いいえ、と真は頭を振った。


「誰が、外部の手によるものだと言いましたか?」

「――はっ!?」

「この施薬院にどんな生薬が揃えられているのか。相手がもしも外部からのものであれば、確実に掴んでいる事の方が稀、というより可笑しな話でしょう。其れならば確実な致死量を簡単に入手でき、且つどのような薬坊でも必ず用意してあるものを選択する筈です。そして薬草を取り扱う薬坊において最も手に入り易く確実性のある即効性の毒草と云えば」

附子ぶす、を選ぶ」

 克に代わって芙が答えると、はい、と真が頷いた。


「しかし、使われたのがこの蟾酥であるとすると話は変わってきます。この毒素を選んだ人物は相当に薬について精通しておらねばならない上に、この施薬院にも通じておらねばならないのです」

「お、おぅ……そうか、そうだな……。いや、まて、まて、真殿、と、云う事は、だ。それは、その、つまり……」

 そうです、と真は小さく頷く。

 そして、口元に立てた指を当てて声を殺すように示して見せた。


 後主・順が襲われた時。

 確かに毒が使われ。

 しかし、それは襲撃者が本来使用しようとしてた毒とは別物だったのだ。

 後主・順の死を確実のものとした毒、それは蟾酥とするのであれば、この施薬院から持ち出されたものとなる。

 とするならば。

 それは、つまり。

 ――後主・順を毒殺した毒を持ち出し服用させたのは――


「儂、もしかしたらお姫さんと皇子さんに、恨まれるかもしれへんわ……」


 虚海の呟きを唯一耳にしている克が、だらりと腕を落として驚愕に目を見張った。


「まさか……」

「その、まさか、です」


 呆然とするしかない克に真が小さな声で答えた。



 ★★★



 克は、ごくり、と音を鳴らして喉仏を上下させる。

「そんなまさか……この施薬院の薬を使って、虚海殿が……」

「いえ、違います」


 冷や汗に塗れつつ唸った克に、真はすらりと答えた。途端に克は肩透かしを喰らって前のめりになる。

「えぇ!? い、いや、ちょっと待ってくれ! い、今、真殿が言ったんじゃないか!? そ、そ、そ、その、まさか、だと」

「はい。使われた毒は恐らく蟾酥で間違いないでしょう。ですが手を下したのは虚海殿ではありません」

 は? と克は目を剥く。

「つまり、そう思わせたい、とした、相手の思惑にはまってしまった、という悔恨の意味だな?」

 芙の解答に、ご明察です、と真は答える。

 驚かせないでくれよ、と克が盛大に脱力してその場に、へたり、と座り込んだ。


「先に芙が言ったではありませんか。戰様の身内である我々の誰かの仕業とするのは読みすぎだ、と。そもそも、医師である事に己の技に絶対の尊厳と重きを置く虚海様が、その医術を用いて人を殺める様な事は絶対に有り得ませんから」

「……ぬ」

 それは確かにそうだ、と同意する克の横で、今尚、鴻臚館の怪我人たちの治療に当たっている那谷を思い出しつつ芙も頷く。

 彼と彼が禍国から率いていきた施薬院の医師や薬師たちは、『施薬』の深く意味する処の実行者だ。

 ――その那谷殿の師である虚海殿が道を外れる、とは、とても思えない。

 芙も克も、それは共通した認識だ。

「なら、どういう事なんだ?」

「私も、ずっと引っかかって居たのです。が、その引っかかりが何なのかが自分でも分からずに居たのですが」

 胡坐をかいた膝の上に腕を置いて、ふんふんと克は頷く。こうなったら余計な口を挟まず聞きに徹しよう、という戦法らしい。

 先ずは、順に説明していきましょう、と真は肩を大きく上下させて一息ついた。


「矢尻の毒は、この施薬院にある薬が使われていた。とすると、真っ先に疑われるのは虚海様と那谷です。何しろ、お二方とも熟知されておられますから」

 ふんふん、と克は更に頷く。

「しかし、どうやって施薬院に、秘密裏に出入りする事が出来たのでしょうか? 使節団が来て直ぐに赤斑瘡あかもがさの流行が発覚し、鴻臚館は完全に封鎖されました。厳戒態勢が敷かれている、そんな中でどうやって?」

「それは……。矢張、わざと病気に羅患して盗み出した、とか? あの仕人の子供がどかん(・・・)を盗み出した事を考え合わせれば……」

 いや……だが、ちょっと待て待て、と自分の答えのまずさ(・・・)に気がついた克が、眉間に拳を当てて、ぐぅ、と呻いた。

「死ぬかもしれぬ赤斑瘡あかもがささに羅患してまでいるんだぞ? そんな事が可能か?」

 かなりの荒技だぞ? と呻きつつ自分の答えの阿呆さ加減に口をへの字に曲げる克に、はい、と真が笑う。

「うむ、それに確実に手に入ると言っても、だ。赤斑瘡あかもがさに感染していた間はずっとこの鴻臚館の一室に隔離されていたんだぞ? 薬湯を煎じてくれていたのは、この鴻臚館に仕えている下男や娘たちの仕事だ。そもそも、手出しができるものかどうかも怪しいではないか? 無理だ、そりゃ無理だ」

 考えを述べる事にのって(・・・)きた克に、芙が横から口を挟む。

「一つ言っておくが、俺たちのように草として生きる者は逆にわざと流行病には羅患しておくものだ。そうする事で身体を強くし任務に対して支障が来さぬようにする。奴も同様なら、今回、赤斑瘡あかもがさに羅患できる身体であるとは考えられん」

 そうか、道理だな、と克が納得する。

 聞きに回ろうとしても許して貰えず、う~、と克は威嚇中の仔犬のように唸る。


「駄目だ。さっぱり分からんよ。真殿、説明する、と言うのなら意地悪しないで、すぱっと解り易く教えてくれ」

 腕を組んで、う~ぬ、とまだ唸り続ける克に、くす、と小さく真は笑った。

「ですから、もっと簡単に考えれば良いのです。難しく考えすぎずに」

「ん?」

「わざと病気に羅患して、というのは近い処まで行っていますよ」

 真の言葉に、そうか、そういう事か、と芙が漏らすと、んん? と克は目を剥いた。

 二人の顔を忙しなく見比べ、そして深い溜息を吐いては唸り続ける。

 押し黙ってしまった克に、くすり、と笑いながら真が助け舟を出した。


「確かに赤斑瘡あかもがさに羅患した方はこの鴻臚館に助けを求めてやってきました。皆、この鴻臚館で世話になり快癒されました。そして薬は確かに、鴻臚館に務めている者以外には手出しが為難いものでした。が、仕人の少年がどかん(・・・)を盗み出せたのは、何時、何故だったのでしょう? と言うよりも克殿は、西宮に虚海様を連れて行かれる前、何をなさっておいででしたか?」

 バチ、と両手を合わせて克が得心がいったとばかりに顔を輝かせる。


「そうか! 分かったぞ! 鴻臚館の奴ら、帰国する前に、と虚海殿に診察を受けていたじゃないか!」

 そう言われれば忘れていた。

 西宮の騒ぎが起こる前に、禍国に戻るにあたり使節団の者は全員、特に羅患した者には厳しく最後の診察を順々に受けさせていたのだ。

 その時に山と薬が処方されているし、どさくさ紛れにどかん(・・・)が盗み出されたのもこの時ではないか。

 やっと腑に落ちた克は、情けなさそうに顔をへしゃげさせた。

 ――現場を見守っていたのは、俺と俺の仲間だったのに……な。

 しばし落ち込んだ様子を見せていた克だが、毛皮に着いた水を跳ねさせる為に身を震わせる仔犬のように、ぶる、と顔を震わせて気持ちを入れ替えると、姿勢を正して真に向き直った。


「帰国前の診察の時に処方された薬から蟾酥を抜き取っていた、という事だな、真殿」

 どうだ、と言わんばかりに答える克に、はい、と真は笑顔を向ける。

 一人一人に処方される分量は極々僅かなものだ。

 だが、塵とても降り積もれば山の形を成すのだ。

 微々たる量であったとしても、鴻臚館に逗留している者全てに処方された薬から抜き取れば、致死量に達するまでになるだろう。


「祭国で確実に手に入る毒を、西宮における後主を襲う一団が用意した毒とすり替える。それが芙殿がであった刺客の女とやらの一番の目的だった、という事だな?」

「はい。順番が逆だったのです。私も読み違えて居たのです。椿姫様に万が一の事があれば戰様がどうでるか。それを考えれば、仕込まれたのは痺れ薬程度のものだったのです」

「しかしそれでは都合が悪い、後主には死んでもらわねばと考えるやからが放った土蜘蛛が、毒を使う、となってから初めて、もう一つ仕組んでやろう、と考えたのだな」

 芙の言葉に、はい、と真は応じる。

「戰様の性格であれば、毒が何であるかを特定しようとなされます。その時、使われた毒が蟾酥であると判明すれば自然と虚海殿にたどり着く、という風に仕向けたのです」

 しかし折角明るくなった克が、また渋柿を一気に十も百も頬張ったかのような厳つい顔付きになった。


「……だがなあ……何故、虚海殿は自分が恨まれるかもしれないなどと? 陛下が虚海殿を疑ったりわけがないだろう? それを一番知っているのは師匠である虚海殿だろう? なのに何をそんなに気にしておられたのだ?」

 恐らく、と言葉を切ると真は目を伏せた。

「処置をされている間に、何か、とても重大な事柄を知られたのでしょう。その事柄を揉み消す為に毒を用いたと、禍国側に戰様への攻撃の糸口を与えてしまったと思われたのでしょう」

 戰と椿姫の間に授かった皇子・しゅんの胤を疑しいとする兄・右丞の言葉を真は思い出していた。


 ――まさか、虚海様も……。

 確かめねば、と焦れる真の横で、分かったような分からないような、と言いつつ、う~む、と克が唸っている。


「禍国の奴らにも付け入らせる訳が無い……と思うんだが。なあ真殿、そうなるとこの蟾酥を土蜘蛛とやらに盗み出させたのは、三人のうちの誰だと考えているんだ?」

 先にも言いましたが、と改めて真は、克と芙に向き直った。

「全てを繋げて考え過ぎてしまったのが間違いだったのです。西宮での騒ぎと、鴻臚館でのこの大火。根は別物なのです」

「な、何だとぅ!? だ、だが、だが真殿は陛下の敵を、今大令・兆、せんの大令・中、大司徒・充と予測し定めたではないか!?」


「はい。後主殿を襲わせたのは確かに私が指摘したお三方です。ですがそのお三方とはまた別に、まだもうひとり、居るのです」


 克と芙が顔を見合わせる。


「私たちは、赤斑瘡あかもがさの蔓延から後主様が襲われたこの事実と、直接の死因、そして火事に至るまでを全て一本の糸道で括って考えすぎていたのです」


 三人の心の中には、巨大な、黒々とした沁みがじわじわと広がり始めていた。





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