17 泪 その4-3
17 泪 その4-3
「どういう事だ!? ああ、畜生! さっぱり分からん! 俺の頭にも理解できるように話してくれ!」
真を背負ったままどやしつけてくる克に、芙は淡々と炎の中での出来事を話して聞かせる。
土蜘蛛と名乗った『草』の存在を知り、戰は顔を僅かに顰めた。
よくよく考えてみれば、偶然の出会いとはいえ、自分も蔦を始めとした一座の者をを囲っているのだ。
――禍国に居る異腹兄上たちの何れかか。
それとも、真が指摘した3人の内の誰か、の手の内の者なのか。
新たな事実に、ぐぬ、と口をへの字に曲げている克の背中の上で、唐突に、真の身体がぐらり、と傾いた。
と思うと、額が克の肩口辺りに押し付けられてきた。押し付ける、というには甘い表現だろうか、ごす、と鈍い音が響く程であるから激突に近い。
「いっ!? 痛っ!?」
図らずも真の石頭の頭突きを喰らった形になった克は、盛大な悲鳴を上げる。
えっ!? とその場にいた全員が大いに焦りながら目を剥き、克は慌てて何度も背中の真を揺すり上げる。
「し、真殿? 真殿!? おい、どうした!?」
叫ぶ克を、しっ、と微かに微笑んだ戰の手が止めた。
「陛下?」
「寝ている」
再び真に、今度は落ち着いて眼を向けた克は、自分の背中に降り注ぐ真の息が意識のない者のそれであると感じ取った。よく耳をすましてみれば、くぅくぅと仔犬のような寝息も聞こえる。
話の途中で、活力の途切れた赤ん坊のように突然寝入った真に、一同は呆れてぽかんとするしかない。
「……そう言えば、真殿も重症の怪我人だったな……」
熱を孕んだ真の息に、克は身体を小さくする。
寝ている、と戰は言ったが、正しくは『ぐったりと伸びている』と言った方がよかった。
それでなくとも足場の悪い焼跡を、克の背中でぐらぐらと揺られながらの彼方此方の探索をしつつの移動だ。此れまで気を張っていたからまだ良かったものの、真は生来が酔い易い気質だ。気持ちをぷつり、と断ち切るのに充分だったのだろう。
「そうか……済まなかったな、真殿、俺が気遣いないの脳足りん過ぎた……」
「私も迂闊だった。もっと早くに施薬院に戻らせるべきだったよ」
焦げ臭いを染みこませた真の背中をさすりながら、戰もしょげかえって呟く。
「陛下、どうなされますか?」
「真がこうならなくとも、日が沈めば我々だけでなく相手も動きは取れない。一応の見張りをたて不穏分子の侵入を防いでおけば良いだろう。私たちも一旦退いて休息をとった方がいい。まだ、先は長い」
「……はい」
芙も、すっかり那谷の言伝を忘れてしまっていた自分にバツの悪さを覚えてか、何も言わずに口元を歪めている。
「出火した部屋の者の特定や事後処理は、明朝から始めるとしよう。私と杢がいればなんとかなるだろう。克は真を施薬院まで連れて行ってやったあしで、鎮火作業に当たった者の面倒をみてくれないか?」
「は、お任せ下さい」
夜の帳が密やかに近付きつつある空の下、克は答えながら、ずり落ちかける真を慎重に揺すって背負い直す。
「陛下、その、鎮火作業中の怪我人なのですが。那谷殿からの言伝があります。鴻臚館の怪我人を診るのもさえも限界に近く、軽傷の者は施薬院にて受け入れの整えて下さるように、と」
「そうか……そうだな、那谷たちも限界だろうね。それはお師匠とても同様だろうが……克、指揮した部下たちの中の怪我人は施薬院に回るように指示しておいてくれ」
「はい」
「芙、すまないが、那谷の頼まれ事が片付いたら潰された井戸だけは先に調べておいてくれないか? 何か解るかも知れないし、真も落ち着いたら真っ先に知りたがるだろう」
「分かりました」
言う間に、芙は施薬院に向かって影のみを残して走り去っていた。
それでは、と頭を下げる克の頭上を鎮火を伝える半鐘の音が通り過ぎていった。
★★★
半鐘が忙しなく鳴り響く。
晒を細く裂いて巻き付けやすい帯状のものに仕上げていた薔姫は、思わず立ち上がって縁側へと出てきた。
薔姫だけでなく、手の空いた者や動ける者は、誘われるようにふらふらと外に出てくる。
空が平静の時を告げて輝いている。
そう、もう夕刻だった。
一体何時辰の間萌えていたのか。
それとも其処まで費やさなかったのか、誰にも分からない。
分かるのは、一つだけだ。
「火が……消えた!?」
半鐘の音と共に、鴻臚館の方角に向けて歓びの声がどっと上がる。
「鎮火したんだ!」
「火が消えたぞ!」
知らぬ間に、ぺたり、と腰が砕けたように座り込んでいた薔姫の腕が掴まれた。
「我が君!?」
喜び勇んで表を上げたが其処にはあったのは思っていた人の姿ではなく、何時も屋敷を守っていてくれる蔦の一座の仲間の顔、だった。
「……何だ、芙……」
真殿でなくて申し訳ありません、と苦笑しつつ答える芙に、慌てて薔姫は手を振った。考えなくともかなり酷い事を言ってしまっている。しかし芙は気にした様子も見せずに、薔姫を立たせて呉れた。
「薔姫様、真殿は直ぐに戻っていらっしゃいます。どうか、床の用意を」
「……えっ?」
「気を張り詰め続けて、疲れが一気に噴出されたでしょう。糸が切れるように……」
「な、何!? 芙、我が君、どうしたの!?」
今度は薔姫の方から芙の腕を掴んで食ってかかる。
其処へ、お、姫様、と呑気な声で手を振り振り、克が現れた。背中に背負ったぐったりした人影が真だと気付き、薔姫は短い悲鳴を上げて裸足のまま縁側から飛び降りる。
「我が君!? いや、やだ、我が君? ねえ我が君!」
焦げ臭い真の背中を掴んでガクガクと揺さぶりつつ、背伸びをして顔色を伺おうとする薔姫に、芙が決まりが悪そうに呟いた。
「寝てしまわれまして……」
え!? と勢い良く振り向いた薔姫の、長く豊かな髪に頬を叩く様に撫でられても、真は起きなかった。
★★★
ぷりぷりと頬を膨らませながらも、薔姫は以前自分が使っていた虚海の部屋を借りに行く、と言い残して奥へと消える。
その後を、よっこらせ、と言いながら上がってきた克が続いた。
背中の真が揺れないように気を遣いながら奥へと克が消えていくと、芙は診療室へと向かった。
常の病人の診察は、流石に虚海が診てはいなかったが、診療室に床をのべて横になっている。肩肘を付いて腕枕にしながら外の様子を睨んでいる処をみると、虚海とても身体に鞭打ちながら鴻臚館の行く末を気にかけていたのだろう。
「虚海様」
「ほ、芙さんか」
からからと瓢箪型の徳利を鳴らして、芙を手元に呼び込む。
脚音も立てずに近寄り、虚海の手元に転がる徳利の傍に膝をついた。
「陛下より、ご伝言です。鎮火作業中に怪我を負われた方々は、此方で面倒をみて頂きたいと」
「ほうか。ま、当然そうせなあかんわな。ええで連れて来」
「それと、真殿が気を失われました。これ以上動かすわけにはまいりませんので、以前のように、虚海殿の部屋を暫しお貸し願いたく」
「ほうか。ま、小無ないわな。お姫さんに貸したって真さんに貸さへんちゅうわけにゃ、いかへんしな。好きに使うたったらええ、云うて伝えといてくれんか?」
「……はい」
虚海の返事は、何処か虚ろというか上の空な、他人事のような口調だ。
芙は首を傾げた。
虚海は戰の師匠というだけあり、年齢の割に熱い狭義の心を持ち続けている人物だ。
普段は愉しげにふざける事も多いが、事が起これば真剣に気を集中させる処は、流石、と皆に感じ入らせる姿を見せ付けてくる。
堤切りの時にあれだけ、虚心坦懐、直情の赴くままに皆を支えていたではないか。であるのにこの、何処か他人事というか、正に対岸の火事と言える余所余所しさは何なのか。
――何か抱えているものがおありなのか?
掌で、飲み口を弄りながら虚海が鼻を鳴らす。
普段であれば此処で一口酒を含む処だろうが、しないという事は呑みきってしまったのかと視線を落とす。しかし、微かにだが中身が残っている証拠の、ちゃぷちゃぷという音が聞こえてくる。虚海らしからぬ様子に訝しげに窺いみようとするが、横になったまま何も言わない。
暫らく飲口を弄んだ後、虚海はゆっくりと口を開いた。
呼気には、酒の成分は感じられない。
「済まんなあ、芙さん。此処と那谷坊との間を何度も行き来して、えらいやろ?」
「……それが私の役目ですので」
寧ろ、其れしか自分にはない。
それに今更、と思う。
蔦に従ってこの祭国に入ってよりこの方、句国、契国、河国と続く戦に全て従ったのは、真を除けば自分しか居ないのは誰もがしる事実だ。それに対して誰かが特別視する事もなければ変に労う事もなかった。
――一体、何を仰りたいのか。
戸惑う芙を前に、ほうか、と呟く虚海は矢張、喪失感というか虚しさを抱えているように思える。
「では、此れにて。那谷殿に頼まれた薬湯や軟膏を幾つか頂戴していきます」
ほうか、と答えながら、のっそりと上体を起こした虚海は、何時もよりも一回り以上、小さく見えた。
★★★
薬湯を片付けてある局に、芙は入った。
ぽつぽつと、灯が点され始めている処だった。
特に、薬の調合は僅かな誤差も許されない。慎重に慎重を重ねる大事な部署故に、光源は惜しみなく回されていた。
「済まんが、那谷殿からだ。紫根の入った軟膏と、蘆薈の入った軟膏、それぞれ別に用意して欲しい。後は、桂皮と芍薬を主にした痛み止めと、気付用の牛黄と鹿茸が欲しいそうだ」
「分かりました」
今すぐに、と薬師は天井まで届く棚に向かう。
既に勝手知ったる場ではあるが、余り居たいとは今は思えない。芙は落ち着かない心を無にする為に、薬師たちの動きを視線で細かく目で追った。
深い引き出し式になっている薬草入れは、反対側の薬草を乾燥したりする部屋からも引き出しが使える。
此方の局で使った分を常に補充していけるようになっている仕組みなのだ。
取手には薬草名が彫り込んであり、間違う事はない。
いい加減の代名詞のように散々に言われる琢だが、大工仕事に関しては完璧な仕上がりをみせている。
ぶつぶつと口の中で薬草の名を呟きながら整えるのは、癖なのだろう。周囲を眺め尽くしてしまった芙は、腕を組んで壁側にたちながら静かに待つ事にした。
「……桂皮と芍薬……。後は蒼朮、生姜に甘草に大棗……それと、附子……」
附子、という毒に使う耳に馴染んだ言葉を捉えた芙は、視線を上げた。
――そうか、附子は薬に使うか。
毒にも薬にもなる薬草は多い。
附子は、鳥兜の球根を乾燥させて作られる生薬だ。
部位によって烏頭と呼ばれたり天雄と呼ばれたりもするが、激性の強い毒として知られている。過ぎたるは猶及ばざるが如しだが適量を正しく処方すれば、附子は消炎効果がある良薬なのだ。
薬として使われる場合は附子と呼ばれるが、一舐めでころりと死ぬ、という意味合いで毒の場合は附子という。
「さあ、此方は痛み止めとなります。気付は此れより用意いたしますので」
一抱えもある大きな袋をどさり、と芙に手渡すと、薬師は再び引き出しに向かう。
「……牛黄と鹿茸……。あと、は、番紅花……碇草……それから蟾酥、と……」
今度は、聞き慣れない言葉に芙は顔を上げた。
「蟾酥……?」
さあ、此方も出来ました、と務めて明るく袋を手にしてやってきた薬師は芙の呟きに、ああ、と頷いた。
「一般の方には、伝わりにくいですね。簡単に言えば、蝦蟇の油から作った生薬の事ですよ」
「蝦蟇……」
蝦蟇も附子と同じく猛毒の一つに数えられ、そのものずばり、蝦蟇からの抽出物である。
蔦の一座では蝦蟇の油は使わないので、その作用の程は詳しくは知らない。
が『ある』という事実は草として動く以上、知識として誰も皆、得ている。
無論、芙もだ。
どうぞ、と袋を手渡された芙は、炎の中で対峙したあの女、土蜘蛛と名乗ったあの女の事を思い出していた。
――彼奴……。
土蜘蛛は最初、何と名乗った?
ひき。
確かにそう言った。
ひき。
つまり蝦蟇の別称だ。
「――おい!」
思わず、薬師を呼び止める。
普段から気配を消している芙は、もういないものと思っていたのだろう。薬師は飛び上がらんばかりに驚く。
「な、ななな、何で、しょう!? な、何か、不具合でも!?」
「そうだ。いや違う。聞きたい事がある。蟾酥とは、どういう薬効がある?」
「……は、はい? あ、はい、その蟾酥はですね、血が固まるのを防いだりですとか、痛みを除く麻酔作用ですとかに使用致します。……後は……」
「後は?」
「最も多い使用目的は、強心作用としての、気付です」
――強心作用……だと!?
芙は薬師を跳ね飛ばすと、生薬の入った引き出しに向かう。
まるで克さながらの猪突に、薬師は尻餅をつきながら目を回していた。
蟾酥、と札のついた引き出しは、小さい。
其れだけ高価であり、尚、虚海が仕入れるという事はそれに見合う効果がある、ということだ。
思い切り、引き出しを引く。
其処には、小さな黒い丸薬が眠っていた。
★★★
下男が用意してくれた布団に下ろすと、真は本格的な寝息をたて始めた。
掛布団をかけると、もう何時もの、左腕を上にした横向きで丸くなる姿勢をとって、ごそごそと布団の下に潜っていく。
布団の端を腕に抱えて、憎らしくなる位、実に幸せそうな顔つきで寝入っている。
「……もうっ……」
切って整えても何故か直ぐに伸びてしまう真の前髪を、薔姫は小さな細い指でかき分ける。
隠れていた目蓋が出てきた。
閉じられた其処を彩る睫毛は意外と長い。
呼吸に合わせて時折、ぴくり、と反射的な動きを見せている。
――我が君……。
お耳……大丈夫、なの……?
自分から背中を押して送り出したとはいえ、いや、だからこそ心配している自分の存在を気に掛けて欲しかったとも思うのに。
確かめたい。
確かめたくて堪らない。
が、自分の満足の為だけに疲れて寝入ってしまった真を無理矢理起こしたくもない。
――こんなに、気持ち良さそうに寝ているんだもの。
……きっと、大丈夫……よね?
しかし、結局、というか、無茶をするなという方が、どだい真には無理難題であるのだ、と薔姫は今度こそ深く深く思い知らされた。
けれども、いい加減で中途半端で適当になあなあで済ます真、など薔姫は想像もできないし、したくもない。
――酷くなんて、なっていないわよね……?
腰に手を当てて、心配ばっかりかけるんだから、と小さな溜息をつく薔姫の一人前の奥方ぶりに、克がぷっ、と小さく吹き出した。
「なあに?」
「いえ! 何でもありません」
慌てて背筋を伸ばしつつも余所見をして視線を外す克を、ふ~ん……と薔姫は睨めつける。
身長差を利用して逆に顎の下に入り込んで、じりじりと近付いてくる。容赦なく、じろりと見上げてくる薔姫に、克はますます慌てた。
「我が君に葛湯を作ってあげるついでに、克の分も作ってあげようと思っていたんだけど……やめようかしら?」
「は!? い、いえ! そ、そ、そのような勿体無い事を姫様にさせるなど! と、と、とんでもありません」
克は一気に顔を赤くして、両手を差し出してぶんぶんと振る。手を口元に当てて、くす、と薔姫は小さく笑った。
「気にしないで。一人分も二人分も一緒だもの。あ、芙の分も作っておくから、来たら待っていてくれるように言っておいて?」
はあ、と仰け反ったまま間の抜けた返事をする克の顎の下からするり、と逃れると今度は真の方をみてくす、と笑う。
口を半開きにして寝息を立てている寝顔は年齢よりもずっと子供っぽくて、そんな顔を見ていると、普段何かと子供扱いされてる事に溜飲が下がるような気がして、薔姫は自然と笑みが溢れた。
★★★
厨へと去って行くぱたぱたという脚音が聞こえなくなると、克は真の枕元にやれやれ、と腰を下ろした。
すると、待っていましたとばかりに、ぽか、と真の目が開いた。
「う、うおおおぉ!? し、真殿!? お、起きて!?」
「克殿の声に起こされたのですよ……」
「あ、う、そ、そうか……そりゃ、すまなかった……」
「……いえ……」
「体調はどうだ? 耳は? 熱は? 薔姫様が心配されていたぞ?」
目に入りそうな長い前髪を手で払いながら、のっそりとした声で、はあ、と真は続けた。
「先程は気を張っていたので、然程苦にはならなかったのですが……。耳鳴りは……かなり、酷いです……ですが、聞き取れない言葉はありますが、何とか会話は出来ますので、ご心配には及びません」
「そ、そうなのか? なら……良かった。いやいやいや、良くないのか。いや、まて、やはり良いのか……」
気にしてくれている結果とはいえ、ぐるぐる目を回しながら答えを巡らせる克に、真は苦笑せざるを得ない。
「……全く聞こえない、という訳ではありませんので……そんなに気を使わないで下さい……」
「そう……。か? ……いや、だが本当に済まんなあ、無茶ばかりさせてしまって」
「いえ……。今は本当に、大丈夫ですので……」
「陛下は今後の事は自分たちで、と仰られたが、俺は真殿に相談したい。……駄目か? 無理そうならば強いはしないが」
「……はい、それは是非、私の方こそ……」
いや本当に済まん、と後頭部を掻こうとして、ぶつけて血を出した痕を思い切り触ってしまった克は悲鳴を上げて飛び上がった。笑いながら身悶えしている克を気遣いつつ、おや、と真は目を細めた。
「どうやら、芙も話があるようですよ?」
振り返った克は、膝を揃えて座っている芙と目が合い、おわ!? と叫んで飛び退く。
苦笑しながら起き上がろうとした真を其れでも、こら、と制して克は横に居る芙の様子に、何だ? と眉を寄せる。普段あまり表情を見せない芙が、堪えきれぬ怒りを発散させている。
「井戸を調べて来た」
短く答える芙に伸し掛るように、それで!? と克が迫る。
鼻息も荒い克を無視して、ごそごそと胸元を探った芙は小さな包を取り出した。
「それは?」
「探し求めていたものだ」
言いながら包の端を摘んで開く。
今度は、克だけでなく真も勢い込んで芙の手元にかじり付きにきた。
急激な動きに耳鳴りが強まり、目眩を起こしたのか。真が前のめりになりかける。慌てて肩を掴んで支える克と二人して芙の手の内を覗くと、其処には黒光りする矢尻が鎮座していた。
矢尻は勿論、その独特の形状は真の父親である兵部尚書・優が自ら率いる部隊のみが持つ事を許されているもの。
誉れある、克と杢が証言したものと同様の型の矢尻だった。
「矢張……か」
克が真に代わって布ごと武器を摘まみ上げる。
後主・順の暗殺に暗躍した者たちが使節団の一員として、当初から組み込まれていたのであればあの矢尻も荷の一つとして持込まれていた筈だ。
それを探ろうと鴻臚館に入らんとする前に、あの大火災に見舞われた。
少年仕人である栗のどかん発火という偶然の産物が引金となっているとはいえ、隠蔽する為に大火に乗っかった、と見る方が正しいかもしれない。
「どの井戸から見付かったのですか?」
「公奴婢と下女のみ使うことが出来る井戸からだ。奴婢も下女も、禍国にて身元を遡って行けば、恐らく大司徒か先大令に当たるだろう」
「しかし……。あれだけの大火となれば、熱で溶かしてしまった方が手っ取り早かったのではないのか?」
「祭国の兵仗たちに聞いた処、この国では一度潰した井戸は二度と復活はさせぬそうだ」
ぬう、と克は顰面をする。
忌を細分化して忌避している祭国では充分過ぎる程に、有り得る事だ。
「二度と井戸をさらわれる事ないから、安心して捨てた、というのか……?」
しかしなあ、とぼやきながら、克は矢尻を睨む。
「これは少々、間抜けな手段ではないか?」
「ですね。完全に溶けてしまうという保証はどこにもありません。そして我々によって井戸が掘り起こされる可能性を考えなかったとすれば、寧ろおかし過ぎる話です」
真の指摘に芙が賛同の意を込めて大きく頷くと、克も、うむ、と呻く。
相変わらずの克に笑いを誘われつつも、真は矢尻に視線を落とす。
「では。では、何故――使節団に紛れ込んだ奴は、こんな阿呆な手段を使ったのだ?」
真や軽く握った拳を口元に当てた。身体に染み付いた、火事の臭気が鼻腔の奥を刺激する。
「簡単に考えれば良いのですよ?」
「ん?」
「私には、見付けて欲しかったとしか思えませんが……」
芙の答えに、真は頷いた。
【 注意1 】
今回の覇王の走狗内で薬にもなる毒にもなる生薬が登場します。
現代の薬にも実際に使用されているものですが、今現在のものは薬剤師等厳重な管理のもとに毒素を抜かれており安全なものとなっております
※ 注意2 ※
痛み止め 現代にもある桂枝加朮附湯を参考にしました
気付薬 現代にもある六神丸を参考にしました
番紅花 = サフラン




