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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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17 泪 その4-2

17 泪 その4-2



 甕から巨大な袋に切り替わっても、放たれる水の勢いは弱まる事はなかった。

 寧ろ運ぶ際に此方の方が甕よりも容易である為、放たれる間隔は格段に早くなった。


「放てぇー!」

「おっしゃあ!」

 杢の指揮で汲み出された水は、克の号令の元、投石機で次々と放たれる。

「放て!」

「はい!」

 戰の命と共に、番える構えから弓隊が一斉に袋を目掛けて矢を放つ。

 まるで猛禽類が狩りの合図をする時の鳴き声に似た音を上げて、矢尻は袋に次々に突き立つ。

 そして矢尻により弾くように開いた袋から、傘状に広がって水が鴻臚館に降り注ぎ続けた。


 今や、完全に炎よりも水の勢いが優勢となっていた。

 徐々に徐々に。

 竜の気炎の如きの大火が、あれほどの焔が。

 目に見えてか細くなっていく。

 そして煙も。

 大蛇が腹を見せてのたうつようであったあの煙の渦が。

 帛が秋風絵に棚引くように、頼りないものへと変貌していく。

 そして。

 とうとう、その瞬間がやってきた。



 ★★★



 鴻臚館へと距離を詰めて確認し合っていた者が、次々と戰と真の前にやってきては叫ぶ。


「此処の火は消えたぞぉー!」

「此処も消えているぞ!」

「こっちもだ!」

「中央はどうだ!?」

「確かめたか!? どうだ!?」

「確認した! 消えている!」


 最後に克が滑り込むようにしてやってきて、這い蹲る。

「陛下……!」

 それ以上、克は言葉を発しない。

 感極まって声にならないのだ。


「真」

「戰様」

 お互いに顔を見合わせる。


 二人とも、何方からともなく克に向かって手を差し出した。

 地上に落ちた影と気配で、自分に手が差し伸べられていると知った克は、一瞬、ぽかんと口を開けて呆けたように二人の手の平を見詰めた。次の瞬間、ぶわ、とその両眼から滝のような涙が溢れかえる。

 感奮興起の人である克の激しい心の振れ幅に、皆が感化されたのか。

 克の部下だけでなく、祭国の兵たちもまた、感涙に咽んでいる。


「皆、良くやってくれた! 今、此処に郡王・戰として宣言する! 鴻臚館の炎は我らの手により鎮まった! 再びの未曾有の災より国と国王、そして王城を良くぞ護り通してくれた! 礼を言う!」


 戰の言葉に、歓び声が雷動する。

 意味の無い叫び声が彼方此方であがる。

 正に歓天喜地の大喝采だ。

 もうこうなると身分の上下なく、抱き合ったり小突きあったりと押し合いへし合いが彼方此方で巻き起こった。

 薄汚れた顔のまま、男たちはただ、揉みくちゃになりながら成し遂げた喜びを噛み締めて思うままに暴れていた。



 ★★★



「杢様、荷台が満杯となりました!」

「よし、行け!」


 しみずに浸かりながら指示を出し続ける杢の鬼気迫る姿は、水を汲み出す禰宜やほうりたちといった平静な心持を常とせよというおしえに生きる者すら鼓舞していた。

「袋は足りるか!?」

「大丈夫です!」

 さばさばと音をたてながら水を掻き分け岸に寄った杢の耳に、千歓万悦せんきばんえつに彩られた怒号のような歓声が届いた。


 ――鴻臚館からか!?

 方角的にはそうだ。

 もしや、と杢は手を止めて空を睨む。

 彼を同じく、歓喜の号砲を耳にした者は痺れたように立ち尽くしていた。

 気がつかないうちに、空は、眩しい茜色の輝きを放っていた。

 其処には、禍々しい緋い炎もおどろおどろしい黒紅くろべに色の灰煙もない。


「……火が……」

 ――火が見えぬ……!

 ポツリと呟いた杢の視線の先に、ふわ、と音もなくきぬが降りた。

「蔦殿、新たな袋を持ってきてくれたのか」

 杢が喉から絞り出した声は、掠れていた。ふ、と口元を和ませた蔦が、いいえ、と首を左右に振りながら膝をつく。

「袋は最早、必要ありませぬ故」

「蔦殿……それは、つまり……」

 あい、と答えつつ濡れて芯まで冷えた杢の手を取ると、蔦はこの細い身体の何処から、と目を剥く声音で告げた。

「皆様! 鴻臚館の方角をご覧下しゃりませ! 皆様のご尽力により、大火は見事! 消し止められて御座いまする!」


 水が湧く音しか聞こえぬ静寂が、泉を包む。

 しかし半瞬の後には、爆発的な喧騒が水面を叩いて支配した。


「やった……のか?」

 腰が砕けたように、ずぶずぶと水に沈みかける杢の腕を掴んで、蔦が笑う。

「あい。さあ杢様、早う泉よりお出になられませ」

 ああ、済まぬ、と蔦の手を借りて泉から上がった杢は、濡鼠の姿を晒して座り込んだ。

 ぼたぼたと滴る水は地面に染み込むより多く、小さな水溜りを作り上げた。


「護国の勇者たる御方のお一人が、いつまでも作用に情けない顔ばせをなさっておらるるものではありませぬ。さあ、お立ちに遊ばされませ」

 蔦に促されて照れながら肩を借りて立ち上がった杢に、歓呼が降り注いだ。



 ★★★



 珊は感動をもって茜色の空を見上げていた。

 炎が乗り移ったが故の空の色ではなく、夕刻を告ぐる故の茜色だ。

 煙すらも薄らいで、本来の天然自然てんねんじねんの色が戻ったのだ。


 蔦に命じられて豊たちと大急ぎで帆布を袋状に縫い上げていた珊は、産屋の外の抗いがたい高貴な気配に負けて、縫い物途中の品を小脇に抱えて出てきてしまった。

 様々な物が燻される猛烈な臭気が、此処まで漂って来て吐き気と目眩がする。

 が、其れらを渺茫びょうぼうとした彼方へと運び去る不思議が、嫋々とした琴の音には宿っている。

 堪えなくては、と思っても知らず流れる熱い涙が頬を濡らしてしまう。

 ――あたい……恥ずかしいよ、姫様ぁ……。

 そう思ってしまうのは遊女あそびめとしての自分が舞ったとしても、到底敵わない、と珊が感じてしまったからだ。

 ――凄いよ姫様……。

 あたいじゃ、出来ない、こんな事、出来ないよ。

 姫様は、やっぱり生まれながらの姫様なんだよ。

 椿姫が奏でる大琴の音に珊は帆布を握り締めながら、感激に魂ごと震えていた。



 七曜七支刀しちようななささえのたちを手にして凛然と立ち続け、長姉あねと慕う椿姫を支えながら指揮を取り続ける学の元に、兵仗が息せき切って駆け込んできた。

「陛下! 申し上げます!」

 最早誰も、仕来りがなんだのと口にする者はいない。

 学の目の前で最礼拝を捧げてもなお足らず、兵仗は平伏叩頭する。

 期待感を込めた視線が兵仗に集中する。が、それを逆に心地好く感じながら兵仗は歓喜の涙を流しつつ叫ぶ。


「鴻臚館の炎が鎮まりました」

「本当ですか!?」

 珍しく、興奮に上擦った声で学が一歩進み出る。

「はい! 陛下の御言葉を賜りし神泉がこの大過より祭国を御護り下されたのです!」


 誰かが、国王陛下万歳! 祭国万歳! を叫ぶ。

 波濤のように、万歳の声が一気に広まった。


「やったよう! 姫様あぁ!」

 堪らず、珊は帆布を放り投げて駆け出して椿姫を抱きしめた。

 まあ、と微笑みつつ、椿姫が漸く大琴を爪弾き続けていた指を止めると、彼女の片腕に抱かれていた星が、ふあ、と大きな欠伸と伸びをする。珊の喚き声の方が余程迷惑だ、とでも言いたげだ。

「ああっ、皇子様、ごめんよぅ! でも、我慢してよ!」

 椿姫の首筋に齧り付いて揺さぶり、大声で叫ぶ珊に肉置き豊かな腰をふりふり、あれあれまあまあ、と窘めにかかる豊も涙声だ。

 しかし、珊は構わない。

 歓喜のままに靭やかな柳の如き身体を躍動させ、椿姫の奏でる大琴の音に合わせて抃舞べんぶする。

 手を打ち鳴らし、脚を踏み、手首を捻りながら身体を反らせ、くるりくるりと舞ったかと思えばふわりと跳んで、椿姫としゅんの周りを巡り続ける。

 溢れる椿姫の笑顔に珊の唇から即興の唄が添いだせば、ほうりおかんなぎめかんなぎたちも耐え切れず、わっと彼女の元にはせ参じた。

 自然と輪が出来上がり、波紋のように幾重にも重なった。

 慶びの讃歌が、口から口に伝わっていく。

 喜躍は手舞足踏しゅぶそくとうとなり、やがて乱舞となる。

 まことの魂の喜びが呼び覚ました踊躍の情が、学と椿姫を中心に高まっていく。

 其処にあるのは、取澄ましたお仕着せの仕来りなどでは、なかった。

 


大宮様おおいみやさまぁ!」

 手に着物の一揃えを抱えたままの姿で、ただ感動の涙を流すばかりの苑にでんが飛び付いてきた。

 泣き吃逆を繰り返しつつ、苑の胸で泣きじゃくるでんの艶やかな髪にも、煙の臭気が宿っていることに気がついた苑は、胸が潰されそうになる。

「……でん。貴女のような子にまで、こんなに心配をかけてしまって……。……力のない私を、許してね……」

 いいえ、いいえ! と激しく首を左右に振って、でんは苑の腕から飛び出す。

「そんな事ないです! 大宮様の抱かれる銅鏡の揺ぎ無い輝きと妃殿下の奏でられる大琴の音との神様への共奉が、その、あんまりにも美しくて、あの、私、わたし、その、あの、それで、えぇっとぉ……」

 感動で言葉が詰まっているうちに、何を言いたかったのかを忘れてしまったのだろう。語尾がもごもごと尻すぼみになっていく。今度は恥ずかしさから顔を伏せて、誤魔化す為に苑の胸に飛び込むでんに、あらあら、と思わず苑も笑顔になる。


「さあ、此処からがわたくしたちの頑張り処ですよ? 皆、気を張り詰めて休みをとる暇すらなかったのですから。支度を急ぎましょう」

 両拳の甲でぐいぐいと涙を千切るように拭き取ると、はい! とでんは明るく大きな声で返事をする。


「先ずは、皇子様のご機嫌をとってさしあげねばなりませんね」

 笑顔の苑の視線の先には、腹を空かせて元気一杯の鳴き声を張り上げだした戰と椿姫の御子であるしゅんが居た。

「さあ、椿。和子わこ様に乳を差し上げましょう」

「……はい、お義理姉上様ねえさま

 この騒ぎの中、肝の据わった姿を見せ続けたこの小さな皇子の雄姿を誇らしげに抱く椿姫は、豊に支えられて立ち上がる。


 珊を中心に盛り上がり続ける円舞に見送られながら、椿姫は笑顔で部屋へと下がっていった。

 


 ★★★



 屋外から上がった悲鳴に近い叫び声に、治療に奔走している施薬院の皆の手が、一斉に止まった。

 次の瞬間、顔を見合わせる間も惜しんで動ける者は駆け出した。

 まるで、越冬を終えた渡り鳥たちが故郷を目指して飛び立つが如きに、一目散に飛び出していく。

 動けない者も、身体を起こしたり手を挙げたり呻き声を上げたりと、それぞれに自分の思いを吐き出してくる。


 那谷も、その一人だった。

 診ていた患者と思わず手を取り合って立ち上がり、戸口どころから壁まで壊して解放されている棟の端へと急ぐ。

 既に押し合いになっていたが、叫んだと思しき男が指差す先、鴻臚館の空は確かに禍々しい紅みは消えさえり、替わって、夕暮れ刻が最後に落とす一条の明るみが走る茜色の空となっている。

 秋空に棚引く筋状の雲と違わぬ、幽き煙が幾筋か、上がってはいる。

 しかし、炎はどこにも見えない。

 あれ程の、猛る波濤の如き炎は、何処にも。


「消えた……? 火が……火が消えた……!?」

「火事が、火事はおさまった……のか?」

「鎮火したんだ……おい、鎮火したんだぞ!」

「皆! 火が消えた! 火は消えたぞー!」


 わっ! と津波のように歓びの声が上がる。

 熱波に嬲られ、心の臓の内側にある襞や空気を溜め込む肺の腑までもが縮み上がっていた人々は、漸く安堵を覚えて大きく呼吸を繰り返し、そして歓びのままに訳の分からぬ声を上げて喚き散らす。

 那谷も、患者に肩を貸しながら泣いていた。

 ――喜んで泣いているのですから、お師匠様に叱られる謂れはないでしょう。

 真っ赤にした丸い小鼻をぐじぐじと鳴らしつつ、那谷の背後で福も大きな腹を揺らしながら涙を流している。


「さあ! 気を抜いてはいけません! 我々の仕事は此れからが更に忙しくなります! まだまだ踏ん張らねば!」

「はい!」

「此処にいる皆さんがもうこれ以上誰ひとりとして欠ける事なく、この夜を超え、明日の朝日を拝めるよう! 力を合わせて頑張りましょう!」

「はい!」


 気合を入れ直した那谷が福と共に男を寝かせようとしていると、背後に、す、と芙が寄ってきた。

「頼まれた薬は竈の方へ回しておいた。晒と着替えは娘達に渡してある」

「芙殿、何度も施薬院との間の往復をして頂いて……有難う御座います」

 いや、と芙は頭を振る。

 少年を抱いて悲嘆のままに涙を流していた彼はもう何処にもいない。

 普段と変わらぬ、芙だ。

 だがその心の奥底に何が流れているのか。そう思うと、那谷は逆に普段通りに接するしかできなかった。

「俺は一旦、鴻臚館へ戻るが、何か陛下や真殿に用はないか?」

「では、申し訳ないのですが……自分で動ける程度の軽い怪我で済んでいる兵の皆様は、施薬院の方へ回るよう、陛下に」

「分かった、頼んでこよう」

「そうして下さると、此方も助かります」

 現状、現場は重症患者ばかりがすし詰め状態で、これ以上受け入れる余地はない。

 何より、医師たちも薬師たちも、手伝いの娘たちも薬の煎じ役の下男たちも、皆限界寸前にまで働き詰めている。今、此方に派遣されている人数での診察や看護を続けるのは、此れが限界も限界だった。

 診る方も看られる方も、何時倒れもおかしくないような状態の異様な空気が漂っている。

 そんな中にあって、芙とその部下たちだけは平常と変わらぬ動きをしていた。

 施薬院との間を、彼らの動きを足せば、一体ぜんたい、何十往復しているか分からない。それでも息切れ一つせず疲れを見せないのは、どういう身体のつくり(・・・)をしているのか、と那谷は医師というよりも先ず人として不思議でならなかった。


「芙殿、あと一つ頼みたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」

「何だ?」

「私はまだ手が離せません。と言うよりも、いつ施薬院に戻れるか見当もつきません。真殿には先に施薬院に戻ってお師匠様に今一度診てもらい休むように、言ってもらえないでしょうか?」

「……分かった」


 一つ返事を残して去って行く芙の姿に気が付けていたのは、話をしていた那谷のみだった。



 ★★★



 鴻臚館に芙が戻ると、克の部下たちが総出で出張っていた。

 燻っている処から再び出火しないか、探っているのだ。まだ熱を大量に含んだ焼け跡は、ぶすぶすと厭らしい臭気を上げている。


 嗅いでいると嫌でも、腕の中で次第に動きをなくしていった仕人だった少年を思い出す。

 次第にか細くなっていく息。

 溢れ出す血は、其のくせ、心の臓が止まっても勢いは落なかった。

 冷えていく身体は徐々に徐々に、しかし確実に、頼りと張りがなくなっていく。

 やがて、ある刻を境として、急速に冷たく、固くなっていった。


 ――あんな風に、死なねばならなかったのか。

 年端も行かない子供だった。

 何か夢を抱いてこの使節団に加わったのかもしれない。

 それが。

 ――どう考えてもおかしい。

 暗くなりかける思いを頭の片隅に思いを押し込んで周辺を探ってみるが、戰どころか、克も、そして動けない筈の真の姿すらない。

 何処へ? と思っていると、疎らな人影の一つが芙に向けて大声を張り上げてきた。


「芙殿! 良い処に来てくれた! 此方だ! 此方へ来てくれ!」

 克の声だ。

 走り寄ってみると、克が真を背負っており、傍に戰もいた。

 どうりで見付からない筈だ、と思いながら三人の元に行く。

「芙……。例の、仕人の子は……」

 開口一番、真が心配そうに訊ねてくる。

 芙は僅かに頬を動かしたのみで、無言を貫いた。

 それを見て、……そうか、と戰は唇を噛み締め、真も目を伏せる。

 最悪の、最も考えたくもない未来が少年のものとなってしまったのだと悟り、三人とも暗い表情となる。

 芙には辛いだろうと知りつつも真は、遺体は、と声を振り絞った。

 果たして芙は、ぎゅ、と下唇を噛む。

「陛下、お願いが御座います」

「……何だい?」

「せめて、ちゃんと弔った上で墓を作ってやりたいのです。どうか」

 御許可を、という言葉が出る前に、戰は手を振った。

「当然だ。芙が一番良いと思う事をあの子にしてやってくれないか?」

「……有難う、御座います……」

 

 それ以上、誰も。

 何も。

 何も言えなかった。



 ★★★



 しかし、無言のまま時間を消費している場合でもない。

 胸臆に赤々と燃える、耐え難く、赦しがたい思い堪えて戰は顔を上げた。

「真。やはり最初のあの揺れはどかん(・・・)なのか?」

 契国でばつどかん(・・・)を示されたままの威力であったとしても、至近距離で放たれたのであれば、無事で済むはずがない事は、その場にいて共に威力を見ていた戰と真にも分かる。

「……はい。虚海様が密かに偽物を作り上げておられたそうなのです」

「偽物を?」

 戰が眉を顰めた。

 己の師匠でありながらも、初耳だったのだろう。真の説明を、血の気が引いた面持ちで聞き入っている。

 

 ――偽物で禍国側を欺くつもであった筈であるのに、本物以上の思わぬ威力を発揮してしまった。

 虚海の告白を真より聞いた克と芙は、溜息すら零せなかった。


 虚海が悪いのではない。

 盗み出した少年が悪い。

 確かにそうだ。

 だが。

 ……この言葉に出来ぬ、何とも言いようのない気分の悪さはなんなのだろうか。


 本当に少年が悪いのか?

 いや違う。

 断じて違う。

 命じた者がいる。

 命じた者を影で操る者がいる。

 立場が弱く、従うしか術を知らぬ頑是無い世間知らずの子を利用する者こそ、罪が帰せられるべきなのだ。


 ――だが、その罪を背負わねばならぬのは、誰なのか。

 言葉を無くして立ち尽くす青年たちの間に、足元で何かが熱波に釣られて転がり落ちる音がした。

 それを契機にして、戰たちは再び焼け跡を動き出した。

「例の、仕人の子供らの部屋がどの辺りになるのか、芙殿には解るか?」

「はい、それは無論」

「では、誘導してくれんか? こうも綺麗に焼け落ちてしまうと、何処が何処やらさっぱり分からん」

 憮然としつつ頭を下げてくる克を、此方です、と無表情で芙は誘う。真を背負っているのに、大儀そうな様子も見せず、克はその後をついて行く。


「この辺りです」

 芙が脚を止めると、克がおう、と声を上げて走り寄る。

「どうだ、真殿」

「そうですね……」

 彼方へ行ってもらえますか? と何か目標らしき物を見つけた真が指差すと、よし、と克は脚を大仰に持ち上げて炭化した柱や壁などを避けて進んだ。中腰状態になり、背中にいる真の目線を下げてやりつつも、克は珍妙な顔付きでいる。

 真が何をしたいのか、さっぱり分からないらしい。

「芙、その……仕人の子が、倒れていたのは……どの辺りでしょうか?」

 荒い呼気を堪えた真の質問に、無言のまま芙は動いた。

 数歩進んで、脚を止める。

 有難う御座います、と頭を下げた真は芙の傍には寄らず、一度目星を付けた辺りを指差して克をうろうろさせている。


「どうしたと?」

「鴻臚館の調度がどの様なものか知りませんが、禍国における鴻臚寺と同じようなものとすると、例の仕人の少年は寝室にある燭台の灯火にどかん(・・・)を投げ込んだのだと思うのです」

 真の言葉を受けて、芙は眉を潜めた。

「子供が倒れていた場所は、燭台を置いてある文机から離れた部屋の隅だったが」

「だとすると……虚海殿の作られたどかん(・・・)が何処までの威力なのか知れないが、この距離を吹き飛ぶものなのか?」

 克が前屈みになりつつ周囲をぐるりと見渡し、疑問を投げかけた。

 その横で戰は胸元に手をいれて仕舞ってあったきぬを取り出すと、足元に転がる何かに覆い被せて拾い上げた。

「戰様?」

「真が探していたのは此れだろう?」

 差し出された手の平の上には、になった燭台、らしきものがあった。

「そのようですね。この辺りの炭は、木端になった文机のようです」

 思わず走り寄りかける芙に、動かないで下さい、と真は声をかける。


「本当に……この距離を、吹き飛ばされたというのか……?」

 よく見れば崩れた壁、砕かれた柱、粉々になった文机と思しきものが周辺に散らばっている。

 半ば呆然と戰は呟き、克に至っては言葉もない。

 しかし、芙は首を縦に振るう。

 仕人の少年の怪我の状態、欠損部位を思い出せば納得せざるを得ない。

「しかし、戰様」

「何だい、真」

「矢張、何者かが別に火を放ったのものと思われます」

「……何故、そう言い切れるのだ?」

 戰の疑問に真は答えず、克に頼んで机から一番近い入口にある柱に寄るように頼んだ。

 訝しげな顔付きながら、克は素直に真に従う。その様子を、戰と芙は押し黙ったまま見入っている。


「此処をご覧下さい」

 真が指差す柱を、戰は目を眇めて見詰める。

 燃え盛る炎に焼かれて真っ黒になった柱は表面がでこぼこと波打っていた。

「其れが、何だと?」

「此れだけは分かりにくいかもしれません。戰様、この柱を斬って貰えますか?」

 戰は腰に帯びた剣の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。閃光がきらりと瞬いたと思われた瞬間、柱は横になぐ様に斬られていた。

「切り口をご覧下さい」

 真に促されて、戰と克は切り口を覗き込む。

 外面は真っ黒になっているが、太い柱ゆえに中央に行くほど元の木の色を取り戻していく。

「何だ……?」

 戰が眉根を寄せた。克も顔を顰める。思わず走り寄った芙も切り口を覗き込んだ。

 年輪のように刻まれた黒々とした熱の痕は、確かに深い。

 しかし、その深さのある方が問題だった。

 少年が部屋で叩いたどかん(・・・)が出火の原因であるなら、部屋の文机に近い奥の部屋側の方がより炭化していなければおかしい。

 どかん(・・・)により、奥の部屋側が酷く毛羽立つようにささくれてはいる。

 しかし柱は、少年たちの平素の部屋側から均一に強く燃えた形跡を示しているのだ。


 つまり。

どかん(・・・)が爆裂したのを幸いに、近場の部屋で大火事になるように火を出した奴がいる、という事か?」

 克が憤怒の表情で切り口を睨みつけている。

「そういう事です。柱の波打がより細かく深いもの、其処が出火した部屋になるかと思われます。此処からそう遠くはないでしょう」

 戰と芙、そして真を背負ったままの克が、周辺を具に調べていく。

 正に虱潰しだ。

 ざくざくと、新雪を踏む音に似た脚音が暫らく彼らの間に満ちる。


「――真殿」

 不意に、芙の脚が止まった。

 おう! と叫びながら、ガシガシと炭となった柱や壁を踏みつけて克が駆け寄る。背中で真の身体が激しく上下左右に揺すぶられているが、お構いなしだ。

 戰も寄り、芙が指差す先を3人で額を合わせて覗き込む。

 一段と燻りの臭いと焦げの波打が深い、文字通りの消炭けしずみ色の柱がある。

 見渡せば、抜けた部屋の床から剥き出しになった土すら、脂色やにいろに変色している。

 芙が屈んで土を掘り返す。

 暫し、作業を続けると、土は更に色を変えた。

 焦香こがれこう色のそれは、油が染み込んでいる層だと静かに訴えている。


「此処か」

 戰が背を伸ばして、周辺を見渡す。

 仕人の子らの部屋からごく近い。

「克、どの様な身分の者たちが使用していた部屋か、分かるか?」

「――は、いえその……申し訳ありません、私では……」

 頭を掻きたい処だが、生憎と真を背負っていて出来ない。決まり悪そうに言葉を切る克の背後から、芙の声が飛んだ。


「下女たちの部屋だ」

「間違いありませんか?」

「間違いない。克殿、保護した使節団の名簿があるならば見せて欲しい」

「名簿?」


 確かに下女たちの部屋であるならば程度の目星にはなるだろうが、しかし、名簿を欲するとは。

 そんなものをどうする気だ? と明白あからさまに鼻の頭に疑問符を乗せて仰け反る克に、芙が溜息を零しつつ答える。



「あの仕人の子供を助け出す時に、刺客の女とやりあった」

 それを先に言ってくれ! と克は声を張り上げた。





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