表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

155/369

17 泪 その3-3

17 泪 その3―3



 神殿。

 真の答えに、戰は立ち尽くした。


 ――考えてもみなかった。

 確かに、此処から最短の直線距離で結ぶ王城の離れの建家である産屋と、その直ぐ奥にある神域たる神殿の御印に、泉がある。

 椿姫の血を引くが故に、皇子であるしゅんの産湯もこの泉のものを使用した。

 どんな日照りの時で他の泉の源泉が地中深くに姿を消すことない。

 河の流れが枯渇し、井戸が干上がろうとも、この泉だけは渾渾と水を湧き出しているのだという。

 まるで、天帝からの無償の愛、慈悲そのものだと皆が讃える。

 仁徳深きものとして、泉を守護するのが祭国王家の役目の一つと神殿も認めている。

 それだけ王家との縁が深く、且つ又、天涯の主たる天帝への崇敬すうけい推尊すいそん瞻仰せんぎょうの念を結びつけるけている聖なる泉からの水を使えば。


 ――今の、この浮き足立っている状況を一転させられるかもしれない。

 いや。

 出来る。

 してみせる。


 しかし。


「神職にある者たちが、許すだろうか……」

 問題は其処に行き着く。

 祭国において神事は何よりも大切にされている。この重大事の難事に直面しても、態度を崩そうとしない。

 根幹、骨の髄まで染込んだ、などと生易しいものではない。

 彼らにとって、祭事まつりごととは天帝が統べ給う天涯とことわりを同じくする政事まつりごとなのだ。祭事さいじを束ねる神職に就きし者は、天帝の威光を遍く伝える者としての矜持を持ち合わせており、其れ故に理を踏み外す事を極度に畏れるのだ。

 そんな神職にある彼らを蔑ろにする行為と捉えられでもしたら、泉の使用は出来なくなるのは、火を見るより明らかだ。


「一つだけ、手立てがあります」

「真、それは?」

「学陛下に、御身を自ら捧げて説得して頂くのです」

 戰は一瞬、望みを見付けたと希望にを輝かせたが、真の返答に顔ばせを曇らせた。

「学に、か」

 言葉を濁しがちの戰と違い、はい、と真は語気を強める。

 確かに祭国において、国王とは国の神官たちの長でもある。

 ――だが、学が命じれば本当に大丈夫なのか?

 祭国をその起源より支え続けた精神的な拠り所である、神聖な泉だ。

 学が決定したからといって、すんなりと云う事を聞くとは、我が子が誕生した折の仕来りを何があろうと曲げようとしなかった彼らの態度からどうしても思えなかった。

 しかし先の堤切りにおいて、学は祭国の国王として領民たちにだけでなく、克を始めとした禍国からの屯田兵たちからもやっと認められたばかりだ。

 鴻臚館の火を鎮めねきれねば、せっかく広まった学の威厳が損なわれる。

 虞は当然有り避けねばならない。

 ――両の意味でも、学に説得を頼むしかないのか。

 

「戰様、迷っている場合ではありません。時間もないのです。学様の元に行かれ、どうかご説得にお力添えを」

「……分かった」

「それと、神殿を説き伏せる為にどうしても欲しい物があります。蔦殿を私の元に寄越し願えませんか?」

「分かった。真がそう言うのなら、産屋に着いたら直ぐに向かわせる」

 真の再三の促しに力を得たのだろう。

 応じる戰の表情は、何時もの彼のもに戻っていた。


「戰様」

「……何だい、真」

「護りましょう」

「……」

「いえ、護りきるのです。私たちには出来ます」

「ああ――無論だとも」

 戰は、真の肩に大きな手を当てた。

 戰の手の甲に、真は自らの手を重ねる。


「真」

「はい、戰様」

「私が学と戻るまでの間、この場の全権を君に託したい」

「はい」

 

 大きな渦を巻いて轟音を奏でる鴻臚館からの熱とは、違う。

 戰と真は、互いの体温を手の平を通して感じあった。


「真。身体が辛いだろうが、頼む」

「私は大丈夫です。戰様、どうか、お急ぎを」

 戰が踵を返しざまに、地を蹴って駆け出す。

 その大きな背に、真は叫んだ。


「戰様」

「――真?」

「必ずこの事態! 私たちならば乗り越えられます! 必ず!」

 ああ勿論だ! と言葉を残して戰は産屋へと去って行った。



 ★★★



 戰が行ってしまうと、鴻臚館の周辺が騒がしくなった。

 兵仗たちが、動き出したらしい。

 其処彼処そこかしこで植木を根元から断つ音が聞こえてくる。


 ――四季を伝える、優しい庭だったのに……。

 いや、祭国の王城の敷地そのものが、花紅柳緑の地と言えた。

 綻んだ花が届ける香りや蜜の輝き、葉に宿る艶やかさと陽光の暖かさ。

 学の即位戴冠の準備で忙しなくしていた時、一人暇を持て余していた戰が施薬院や王城で働く者らの預り子の相手をして遊んでいた風景を思い出して、真は胸が痛んだ。

 明るい笑い声と陽光の瞬きは、轟々と唸る爆炎と濛々とした煙にとって変わられた。

 子供たちが戰と仔犬のように戯れあっていた木々や草花の萌えが、根から絶たれ行く。


 ――炎は、一体何処まで奪い去ろうというのでしょうか。

 人々が愛してやまぬ木々が草花が与える安らぎや微笑みを、自らの手で無くしてゆかねばならないとは。

 だからこれ以上は何ものをも奪わせはしない。


 決意を固めて、炎の円舞を睨む真の背後に火炎が生む熱波ではない風がふわり、と舞い降りた。

「真様」

「蔦、良い処に」

 振り向けば蔦が、まるではやて妖精せいのようにこうべを垂れて跪いていた。

 どうして都合良く此処に、とは真は思わなかった。


 ――椿姫様ですね。

 戰様の助けとなるように、自らの護衛の手を弱めてまで……。

 分かっているからこそ、その願いと期待に応えねばならない。

「城の霊廟へと赴き、取ってきて頂きたいものがあるのです」

「城の霊廟へ?」

 蔦が、つぃ、と優雅に裾を捌きながらこうべを垂れる。

「あい、分かりました。真様、何をお望みなのでありましょうや?」

 この事態を打開する策を秘しているのか、蔦は静かな面持ちで


七曜七支刀しちようななささえのたちと七子銅鏡を」


 真の言葉に、それまで空の気と同化したかのように存在を無くしていた蔦の顔ばせに、驚愕の色が浮かんだ。

 大きく瞳が見開かれる。


 七曜七支刀と七子銅鏡。


 戰の郡王と椿姫の祭国の女王としての戴冠式の折に、露国王・せいより贈られた品だ。

 贈り主は確かに他国の王であるが、しかし祭国において親しい根幹、由来を同じくする露国からの此等の神技を注がれた品は、古くから神聖な儀式に欠かせぬものとして尊ばれてきた。だからこそ露国王・静はこの二品を女王となった椿姫に献上したのだ。


「お願い出来ますか?」

「――おお、真様」

 思わず知らず、意識もなく蔦は真に礼拝を捧げていた。

 成る程、この二品があれば、神殿の者は学と戰の言い分を聞かざるを得なくなる。

 そして密かに手にして二人にこの二品を届ける役目は、自分にしか出来ない。

「2年前の即位戴冠式を、と言葉を添えて下さい」

 お二人ならば、其れでおわかりになられる筈です、と真は蔦に頭を下げる。


「それと、産屋にいる女性の方々に頼みたい事があるのですが」

「あい、何なりと御命じを」

 一段と大きく爆ぜる柱や調度類の爆音に声が掻き消されそうになる。真は、蔦の耳元でゆっくりと欲しい品を伝えた。


「お任せくだしゃりませ」

 姿を消しつつ真の手元に残された蔦の声音が、静かに濡れて滲んでいた。



 ★★★



 蔦と入れ替わるようにして、今度は克の部下が梢子棍しょうしこんを戦車に積んで戻ってきた。


「真殿! 梢子棍しょうしこんを持ってまいりました!」

「有難う御座います」

 車が止まるや否や、男たちは手に手に梢子棍を担ぎ上げて真の元へと駆け寄ってくる。


「郡王陛下は水を調達するために、学陛下と共にあらんと戻られました。その郡王陛下が戻られるまでの間、私がこの場を託されました。命を皆さんに伝えます。先ずは二手に分かれてください」

 おう! という掛け声と共に男たちの腕が天を突く。


「真殿、先ずは何処から?」

「聖殿である大極殿等と同じく、瓦で葺き上げられている建家はまだ少しばかり猶予があります。手を出すには及びません。しかし、檜皮ひわだで葺かれている古い建家や回廊はそうはいきません」

 真の説明に、ゴクリ、と喉を鳴らして男たちは答える。

 鴻臚館と王城の間にある建築物の中でも、古い歴史故に讃えられているものはかなりの数に及ぶ。


「歴史のある建造物です。我々の手で壊す事は確かに大罪と言えます。しかしこの災禍により祭国独自の格式に則った美しい王城が、学国王陛下の威光を伝える大極殿までもが類焼により燃え落ちるなど、あってはなりません」

 汗に濡れた手で梢子棍の柄を握り直す動作が、彼方此方で起こる。


「一方は鴻臚館より王城への回廊を尽く打ち壊し、火路となるのを防いで下さい。もう一方は、建家の方を。兵仗の方々には、引き続き鴻臚館の火消しを引き続きお願い致します。ただ、幾ら近付けるようになった箇所があるとはいえ、燃えて炭状になった柱や梁、框などを極力壊さぬようにして砂や砂利で火を消して下さい」

「何故、残さねばならないのだ? この際だ。鴻臚館もこの梢子棍で全てぶっ壊してしまえば早いのではないか?」

「既に炭化し、焼け落ちたと思われても材木の奥にてまだ火が燻っている場合があるのです。下手に砕いて火の粉を飛び散らせては、再び炎が蔓延する恐れがあります」


 兵仗たちが不思議そうに顔を見合わせる。

 完全に消えた火が材木の奥から再び勢力を盛り返してくるなど、見たことも聞いたこともない。

 そんな不思議がこの世に有り得るのだろうか?

 解らない。が、判る事、確かな事は揺ぎ無く、一つだけ彼らの前にある。


 真。

 この青年が、郡王である戰の5年前の初陣の折に共にこの祭国に入った時以来。

彼の口から出た言葉に従って、失敗を見た事は未だかつてない。

 未曾有の危機の筈であった河川の氾濫すらも、彼の知恵が鎮めたではないか。

 だから今回も大丈夫だ。


「水が届けば、克殿が用意をして下さっている投石器で一気に鎮火作業に入れます! 長くはかかりません! 暫くの間です! 持ちこたえて下さい! どうか皆さん、お願い致します!」

「おぉっしゃあ!」

「一丁、やったるかあ!」

「燃えた瓦や、石に気を付けて下さい。幾ら火災に強いとはいえ、この熱波で割れ砕ける恐れがあります」

「い、石が割れる!?」


 そんな事が!? と目を剥いて飛び上がりかける克の部下や兵仗たちに、はい、と真は続ける。

 古来より、巨大な石碑などを建てる時、岩盤から切り出さねばならない。

 その際、固い木杭を打ち込んだ上でその杭に水をかけ、膨張力を利用して砕く場合がある。石の性質にも依るが、このように切り出される質のもと同様であれば、この火炎の熱による膨張した後、鎮火して冷たい空気に触れたならば同じように割れる可能性は無論ある。


「皆さん、新たな怪我を負わぬよう、注意を怠らないで下さい」

「よっしゃ、分かった!」

 克がするように手を振りながら、男たちは去って行く。

「任せておけ!」

「行ってくるぞ、真殿!」

 男たちは掛け声を掛け合って、自然に分かたれる。

 一方は回廊へ。

 一方は鴻臚館へ。


 見守っていた真は、彼らの背中が作業に没入するのを見届けると、視線を台獄のある方角へと向けた。


 ――兄上。

 貴方はこの大災に、何処まで関わっているのですか。


 全く知らぬのか。

 それとも。


 顳を流れていく汗は、熱波によるものだけではなかった。



 ★★★



 産屋の前の広間に、我が子であるしゅんを抱いて妃である椿姫が居た。


 ただ、居るのではない。

 彼女なりに、学と戰を後押ししようと考えた結果なのだろう。

 大琴を据えさせ、片腕で弦を爪弾いていた。

 古来より、琴の音は退魔破邪の美音とされている。元は弓を弾いていたものであり、鳴弦はその名残の儀式だ。


 椿姫とて母となりはしたものの、未だ少女の、なよやかな身だ。

 星を抱いているが故に、片手のみの爪弾きとなり、音は一層か細く、弱々しいものとなっている。

 しかしそれが逆に人々の心に染み入り、不安を祓っていた。

 文字通り、神へのみてぐら(・・・・)、美音による幣帛へいはくと言えた。

 産屋の屋根にも、狂乱した風にのり火の粉が舞い落ち始めている中、祭国を守る祈願として、屋越蟇目と鳴弦の儀をも、椿姫の命により行われていた。

 天地あめつちの四方より襲う妖魔と魔障の退散と祓いを祈念祈祷する蟇目と鳴弦の音と、椿姫が心のままに奏でる大琴の音は、心地よく、そして心強い。

 此れまでの、彼女の敬天愛民の生き様そのものと言えた。

 決死の覚悟から蒼い顔色で固い表情をしているかと思いきや、椿姫はまるで星に子守唄を聴かせる為とでもいうように、慈しみ溢れる愛念の表情に頬をほの赤く染めていた。

 椿姫の表情に、逆に妻として妃としての固い決心を感じた戰は、何も言わずに息子ごと抱きしめる。


 ――椿。

 声を掛けようとするが、言葉が思い浮かばない。

 何といえば良いのだろうか。

 迷っていると、母親の腕の中で大きな目をくるくるとさせながら音色に聞き入っている息子と目があった。途端に、息子はむずがるように顔を顰める。我が子は、母を思いやるならば、早くこの危機を終息させろ、と父を叱責しているようにも思えた。


 ――そうだ。

 椿は、ほんの数刻前に父親を亡くしたばかりなのだ。

 産褥も終えていない妃が、気持ちを張り詰め続けている。

 それでなくとも、懐妊中から出産まで、無理をさせ続けていたのだ。

 椿姫をまこと心から愛しているのであれば。

 半瞬でも早く、この難局を終焉に導かねば。

「そうだな、星」

 戰は立ち上がり、星の柔らかな前髪に包まれた額を撫でた。

 椿姫が、微かに微笑んだのを確かめてから、戰は産屋の中に入った。



 産屋内に戰が戻ると、学と共に苑が我が子を抱いて静かに佇んでいた。

 椿姫の大琴の音色に、二人共、感化されているのだろう。瞳が潤んでいる。

「学」

「はい、郡王殿」

「鴻臚館の主だった井戸が潰されていた。鎮火の為の水が決定的に足りない」

「はい」

 学の返答は、ああやはり、という色合いが濃く滲んでいる。

「郡王殿、私は祭国の国王です。そして祭国の祭神を支える者の長、沙庭さにわでもあります。神の御言葉を承り人として、命を下せばきっと」


 学のには、迷いも曇りもない。

 己の信念は、容易く受け入れて貰えるものという期待は、何時しか根拠のない確信へとすり替わっていた。

 此れまで上手く行っていたのは、学の真摯な態度を裏打ちし影から力添えする者が居たからだが、神職という誉れある立場に就く彼らが総一筋縄でいくとは思われない。

 何しろ、どの様な時にあっても、郡王という身分である自分にも仕来りを盾にしてがんとして譲るところのなかったのだ。

 顰面にならぬように堪える戰は、ふと、自分も同意見だ、と言わんばかりの杢の苦渋に満ちた渋面と目があった。

 こうしている間にも、椿姫が爪弾く大琴の音は揺蕩っている。


 戰のには、既に椿姫の琴の音に神職に就く者たちの心は感動に揺らいでいるようにも見えた。

 ――しかし、それだけはまだ足りない。

 もっと決定的な。

『何か』が、必要なのだ。

 だが戰にも、何を持って『何か』とすべきであるのか判らない。

 椿姫も解らないからこそ、せめてと大琴を奏でているのだろう。

 祭国の根幹に最も明るい筈の椿姫でさえそうであるのだから、自分の考えが及ぶはずもない。


「学、気持ちは判るが……」

 導いてやれないもどかしさに言葉を濁すしかない戰の前に、ふわ、と音もなく蔦が現れた。

 現れると当時に跪きつつ翳された手には、黄金の錦を纏った大振りの長い棒状のものがある。

「蔦、其れは?」

「真様が知恵を授けて下さいました。どうぞ」

 訝しみながら戰は手を伸ばし、錦をゆっくりと掴む。ずしり、とした重みと持ち上げた際に錦が揺らめいて中身が何であるのかが分かった。


七曜七支刀しちようななささえのたちと七子銅鏡か」

 あい、とを伏せて蔦が誇らしげに答える。

「真様より、お言付けに御座いまする」

「真は、なんと?」

「2年前の即位戴冠式を、と」


 戰は、真が何を伝えようとしているのか、瞬時悟った。

 2年前の即位戴冠式を、今一度いまひとたび

「成る程、言われてみれば」


 ――あの時は無我夢中だが。

 祭国に戻り、椿姫が御幸みゆきを行うと決めたのも、それが発端といえばそうだ。

 続く異常事態に気持ちが高ぶり過ぎて、足元を見る、という至極簡単な事を忘れていた。


「学」

「はい、郡王殿」

「此れから先は、君の力如何に掛かっている」

「はい」

 ごくり、と決意を飲み込むように、少年は喉を鳴らした。

「苑殿」

「……は、はい」

 声を掛けられると思ってもいなかったのだろう。苑が驚きのままに目を見開いている。

「貴女にも、是非、頼みたい」

「わ……私、など……どの様な力にも……」

 小さくなりながら、学の背後から逃れるように去りかける苑の前に、いいえ、と杢が立ちはだかった。


准后じゅこう殿下、殿下はご立派です。妃殿下ご出産の折にも、そして王城にて右丞を跳ね除けのも。立派な王族の長者、准后じゅこうの尊号に違わぬお人であらせられるからです」

「……杢様……」

「杢様の仰られる通りに御座いまする。大宮おおいみや様に、是非とも命じて欲しいものがあるのです」

 蔦が、つ、と苑の前に腰を折りつつ進み出る。

「わ、わたくし、に?」

「あい、真様より頼まれまして御座いまする。水を弾く煤黑油に浸せし帆布を使いて巨大な袋を作り、以て甕の代わりとするように、と」

「――そうか、甕も数に限りがある。間に合えばよいが、あの炎の勢いをみれば足りぬと考えるのが妥当だな」

「あい、布の方は既に此方に持ってこさせておりまする。後はこさえる(・・・・)ばかりにて」

 椿姫としゅんの世話をする為に、産屋には女官たちも多く詰めている。

 其れに神殿で針は使えない。

 一番近い位置で縫仕事が出来る者が揃っている処、と言えば此処しかない。


 不意に、産屋の外の空気が変わった。

 椿姫の指の動きが変わり、琴の音が更に柔和なものに変調したのだ。

 ほぅっ……と誰の口からも溜息が漏れる。

 未だ産褥期にある身でありながら、そして父である後主を亡くしたばかりでありながら。

 それでも自分に出来る事を誠意を込めて行おうとする椿姫の魂が込められた音色だ。

 人々を感孚風動かんぷふうどうなさしめる威力の大なるは、これ以上のものはない。


 暫し、苑は伏せ目がちにして、胸元に手を合わせて考え込む様子を見せた。

 そんな母を、学はじ、と見上げている。

 気配を感じて視線を巡らせると、こっそりと珊やでん、豊たちが自分を伺っていた。

 皆に、不安の色はない。

 信心一色の澄んだ瞳だ。

 苑のたった一言を待ち望んでいる幾つもの輝きと曇りのない音響が、彼女の心何かを押した。

 目蓋を閉じ、深く深呼吸をしてから表を上げた苑の顔ばせには、迷いはありつつも決意が満ちていた。


「分かりました。私に出来る事であれば、なんなりとお申し付け下さい」

 母上! と叫びながら、学が苑に抱きついた。



 ★★★



 産屋の前で大琴を奏でる椿姫の背後に、突然、後光が射した。

 鳴弦と蟇目の役を担う者以外は、無礼無作法と知りつつも、吸い寄せられるように見入いらずにいられなかった。

 戸口が大きく開け放たれ、大琴の音色に反響するように、水晶の如き光りを放つ七子銅鏡を天に掲げて苑が現れたのだ。

 おお、と何処からともなく感嘆の声が上がる。


「天涯を統る天帝の意思を呼び込む聖なる日辰の輝きを宿せし鏡の導きにより、国王陛下が御成りあそばしました」

 苑の宣言と共に、光り満ちる一筋のみちに、少年王が七曜七支刀を捧げつつ姿を見せる。

 刃は、学の姿と椿姫の姿を背中合わせに写し込んでなお、輝きを放ち続けている。

 恐懼感激に、皆の心に巣食っていた恐怖による恐慌が一気に吹き飛ばされる。


 苑が静かに椿姫の傍に歩み寄る。

 そして、泉の方角に向けて七子銅鏡を掲げ直した。

 光のみちにより、聖なる泉が指し示された。


「天地を支える七支えの枝葉、七曜。その至高の姿を写せし大刀を持って、あれは此処に宣言する! 未曾有の国難未だ去り難し! 此処に生せし大過、縹渺びょうびょうたる遥かよりこの祭国を護りし神泉をもって祓うものなり!」

 学の前に跪いた戰の肩に、大刀たちがひたり、据え置かれる。


 感銘の衝撃のままに、皆は呆けたようになりながら、次々と、波に打たれるように跪いて平伏していく。


「此れより神泉を開放する! 郡王・戰陛下の下知に従い全ての者は鴻臚館の鎮火に努めよ!」

沙庭さにわたる国王の御言葉、しかと承った」


 戰がすっくと立ち上がり、行くぞ! と気炎万丈、咆哮するように声を張る。

 それを受けて学は、両手でしっかと柄を握り大刀をくるりと反転させ、切先を、ざくり、と地に突き立てた。


 二人の威風偉容の英姿に、皆、平伏したまま、ハハッ、と一斉に返答を返した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ