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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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17 泪 その2-2

17 泪 その2-2



 腕に抱く少年の身体が脈打つのに合わせて、どくりどくりと血が溢れる。

 赤いうしおが起こる度に、芙の腕が濡れそぼつ。

 しかし熱い血は直様冷えて塊となりつつある事が、少年の生命いのちが刻々と削り取られていくのだ、と無情にも知らせてくる。


 それでも健気に動く少年の心の臓の鼓動を絡め取らんと、炎は淫らな触手を伸ばしてくる。避けつつ、出口を目指す芙の衿が不意に、微かに引かれた。

 視線を落とすと、覆面を施された少年の唇のある辺りが、何かを訴えたげにもぞもぞと芋虫のように蠢いていた。脚を止め、耳を寄せる。乱れた呼吸音混じりの、悲痛な声が漏れた。

「…………と…………だ……ち…………」

「友達?」

「……た………………け………………て……………………」

 耳を寄せたまま、視線を左右に振る。空いた耳に全神経を集中させると、何処かで泣き声と咳き込み嘔吐えずく声が上がる。子供のものだ。

 芙は、迷わずに声のする部屋へと飛び込んで行った。



 部屋の隅にひと塊になって、5人の少年が灰と煙に巻かれて床に俯せに倒れていた。 

 芙が声を掛けると、全員が一斉に顔を上げた。誰の双眸からも、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出しているのは煙のせいでなかった。自分たちの生命が助かるかもしれない可能性が眼前にぶら下がってきたのだ、当然だろう。

 正体不明の男が突如助けに現れた不思議よりも、仲間であった栗少年の瀕死の状態よりも、何としても生きたい、という生命への執着心の方が強いのだ。

 薄情、と言う言葉を今のこの少年たちに投げかける事は、芙には出来なかった。見た処、彼らの上官である筈の随身や内舎人うねどりたちの姿がない。

 ――見捨てられたか。

 それとも、仕人如きの粗末な身分如きと当初から助ける事など念頭になかったのか。

 何れにせよ、今この場で助けねば、この少年たちの命は芙が踵を返した途端に儚くなる事だろう。そんな哀れな子らをどうして見捨てておけようか。


「俺の声が聞こえるか?」

「……う、うん……」

「お前たちの他にこの辺りに誰も残ってはいないか?」

 げほげほと激しく咳き込んだ後、空嘔吐からえずきを繰り返しながら子供たちは何度も頷く。

「一度しか言わんからよく聞け。縄を渡すから連なって歩ける程度の間をあけて互いの腰に結び付けろ」

「……え……?」

「結びつけたら俺がしているように袖を裂いて顔に巻き付けて、熱い煙を吸い込まないようにしろ」

「そ、そんな事したら、息ができなくなっちゃう……よ……?」

「助かりたいなら云う事を聞け」


 死の恐怖に過敏に反応を示し、狂乱寸前の震える声で疑問を口にする子供たちに、芙は有無を言わさぬ強い声音で命じた。

 腰に巻いていた帯を解くと歯を当てて一気に裂き、紙縒りを作る要領で縒りを作って紐状にする。苦もなく人数分を作り上げると、端を子供たちの方に放り投げる。子供たちは目を擦りながら覚束無い手つきで、それでも必死に紐を腰に巻き付けた。

 次いで互いの袖に歯をたてて裂きあい、目元だけを残して顔面を深く覆う。見様見真似ながらも、何とか覆面らしき状態になった。

 見届けると、芙は手にした端を己の腰に改めて巻きつける。栗少年を片腕抱きにし直し、紐の結び目をまとめて握り締めて、ぐ、と力を込めて引っ張る。小さな悲鳴が上がり、子供たちの身体が引き摺られて持ち上がる。まるで沼地の罠に掛かった雛鳥のようだ。


「いいか。生き延びたいなら見も知らん神など信じて縋るな。目の前の俺を信じて従え。俺が走り続ける限りはお前たちも走れ。誰か一人が転んだら紐を引いて俺がしたように引きずり上げろ。意地でも脚を動かし続けろ。外の空気を吸うまで倒れるな」

 子供たちの顔の中で唯一残されたが、真っ直ぐに芙を見詰めて頷き返す。


「行くぞ」

 芙は紐を引きながら、再び出口を目指した。



 ★★★



 芙が行ってしまうと、真は膝に手を当てて立ち上がろうとした。

 が、耳鳴りからくるふらつきと頭痛が酷く、ぶるぶると肩が怒って震えるばかりでそれ以上身体を起こせない。

 視界がぐるぐると渦を巻く、と一言で現してしまえば簡単な事だ。だが、この定まらぬ世界が何という恐怖を呼び起こすのか。それに無理に動けば、腹の奥に溜まっている物が全て逆流を起こそうと目論んでいる。その証に、胸の奥からせり上がる嘔吐感は、頭痛の波と呼応している。容赦なく胃からせり上がってくる酸味のある異臭を、必死で堪える。

 たった一歩、いや半歩分に満たぬ動きであるのに、身が竦んで出来ない。


 ――こんな……。

 こんな世界の中に、いたのですか、姫は……。

 たった独りで、戦っていたのですか……。

 頑張れない、と寂しそうに言った幼いさいを思いやりもせず、自分の気持ちを押し付けて感情的に怒鳴りつけた事を思い出し、真は恥じた。

 しかし、今は自分の身体の事だ。何とか意地を奮い立たせるしかない。

 だが今更ながらに、兄である鷹に殴られ蹴られした箇所からの、膿むようなねっとりとした熱が全身に回ってきた。粘りのある縄のように、じわじわと熱は身体を締め上げてくる。


 長く息を吐き出し片膝立ちの姿勢を崩して、一旦楽な体勢をとる。

 それだけでも、頭の奥の高い音と雑音が混じり合った不快な耳鳴りは、こだまを激しくさせた。

「我が君」

 薔姫が、真の腕の隙間から、すぽ、と頭を潜らせて出してきた。仔犬が飼い主に甘える時によくやる仕草に似ていて、それだけ見れば愛らしい。が、覗かせてきた薔姫の顔付きは甘えとは程遠い厳しくこわいものだった。

「……姫?」

 しかしこれ以上喋ると、耳鳴りと目眩と吐き気でどうにかなりそうだと真は口を噤む。

 すると険しい表情をしていた薔姫は、今度は、にこ、といつもの日溜まりのような笑顔を向けてきた。訝しむ真の頬を、薔姫は笑顔のまま両手で包むようにして撫でてくる。ひんやりとした小さな手の平が心地よく、真はこの時、打撲や打ち身からくる熱は自分で思っている以上に上がっているのだと漸く気が付いた。

「こんなにお熱があるのに、行きたいの?」

「……はい?」

 何時ものように大声で叱り飛ばしつつ止められるかと思っていたのに、確かめるように薔姫は聞いてくる。戸惑う真を他所に薔姫は良人おっとの腕をとり、自分の細く小さな撫で下がった肩に回した。


「ひ、姫?」

「何処に行きたいの、我が君」

「……先ずは、虚海様にお会いしたいのです。其れから、鴻臚館へ」

「分かったわ。那谷の処でお薬を塗っていらっしゃらないか、見に行きましょう?」


 見上げてくる薔姫の真剣な眼差しを受け、真は、お願いします、と反射的に答えていた。



 ★★★



 薔姫の手を借りて、普段、診察が行われている大広間へと真は出向いた。

 其処は既に、鴻臚館からの要請を受けて怪我人を介抱する為の準備に追われており、正しく戦場と化していた。

「那谷」

「真殿!?」

 右へ左へと物と人が動き回る中、真が揺れる那谷の長い髪を見付けて声を掛けると、当人の方が驚いて此方に駆けてきた。虚海から、耳や打撲の怪我の様子を聞いていたのだ。

「無茶しい(・・)の真さんのこっちゃ。何為出かすか分からへんで、那谷坊、気ぃ付けとき」

 気を付けろと言われても、と眉を寄せる那谷に、ほんなら寝てくるわ、と虚海は引っ込んでしまった。だが、虚海の軽い口調から、那谷は、まさか真が本気で起き出してくるとは思っていなかった。施薬院で働く薬師や下男たちも同様の思いなのだろう。気小忙しくしながらも、ちらちらと横目で此方を見ている。


「私も鴻臚館へ参ります」

 起き出してきたのだから当然予測出来る言葉とはいえ、えっ!? と那谷は息を呑み、糸のように細い目を大きく見開いた。

 その隣で福が、あら、若先生、お目があったのね? と呑気な声をあげる。

 場違いな程のんびりとした声に、汲汲忙忙、多事多端な局面に草々としている薬房が、一瞬和んだ。名前の通りにふくよかな娘である福は、気持ちの持ちようも大らかでふっくらとしており、一事が万事こんな調子だった。しかし、常に緊張を強いられる施薬院の仕事に従事する者たちは、福のこの大らかさに助けられてもいた。

 今回もまた、頭に血が上ったまま声を荒らげかけた那谷は、福のお陰でひと呼吸おいて冷静に答える事が出来た。


「真殿。無理を仰られても私は到底、許しを与える事など出来ません」

 だが真の方も、しかし、と食い下がる姿勢を見せた。そんな真を、那谷が珍しく厳しい咎め口調で更に封じに来る。

「目の動きを拝見するだけで、まだかなり酷い目眩を残しておられますよね? それに、その顔色と汗、打撲による熱が上がってこられておりますね?」

 的確に真の症状を言い当てた那谷は、いけません、と細い目尻を釣り上げて首を左右に振った。

「お願いします、那谷。鴻臚館には例の少年もおります。それ以前に、何が起こるのか分かりません。確かに怪我人の私がいたのでは邪魔にしかならないでしょう。ですが、それでも私は」

「駄目です」

 それまではらはらした面持ちで真と那谷のやり取りを腕の下から見上げていた薔姫が、堪らない、と言った様子で懇願してきた。

「那谷、私からもお願い。我が君も一緒に連れて行ってあげて」

「薔姫様、喩え薔姫様のお願いであっても、医師として薬師として、首を縦に振るわけにはまいりません。それに姫様、姫様は赤斑瘡あかもがさに羅患しておられた間、酷い吐き気をもよおす目眩を経験されておられますね? 今の真殿は正しくその時の薔姫様と同じ状態なのですよ?」

 自分の症例を引き合いに出されては流石の薔姫も、ぐ、と二の句を継げなくなってしまう。

「真殿も。薔姫様が苦しんでおられた間、傍で見ている者の辛さを一番知っているのではありませんか? 自分と同じ思いを、薔姫様に更に負わせようとなさるのですか?」

 いつになく畳み掛けるように説き伏せにかかる那谷に、真は言葉に詰まりつつも何とか食い下がろうとする。

「しかし……。しかし那谷、私は……」

「真殿、幾ら真殿が願われても、あのような場所に言って良いなどと、私は言えません」

 きっぱりと言い放つ那谷の背に、酒の色を帯びた声がかかった。

「ほんなら、儂が許したる。真さん、行ってこい」



 ★★★



「虚海様」

「お師匠様」

 真と那谷が同時に声の主を振り返ると下男に背負われた虚海が、ぷは、と酒臭い吐息を吐き出す処だった。


「行ってきたらええ」

「お師匠様! 私は反対です! 医師として許しを与える事など出来ません!」

「おお、那谷坊。儂かて出来へん。医師としての誇りと自尊の気構えが、それを許したれへん」

「ならば!」

「やけどな、那谷坊。儂ゃ、確かに医師やけど、その前に人間や。血の通った、心持った、人間なんや」

「……」

「真さんが人間として居てもたってもおられへん、云うて頭下げとんのに、あかん、とは儂ゃ、人間として言えへんのや」

 再び瓢箪型の徳利を傾けた虚海の喉が、ぐび、と鳴る。

 暫く、喉仏が上下運動を繰り返す。再び、ぷは、と深い酒色の息を盛大に吐き出すと、ぽん、と徳利を後ろに投げ捨てた。からんからから、と乾いた音が床を転がっていく。

 ふぅ、と深い溜息をつき肩を落とす那谷の背中を、若先生、と発破をかけるように福が、バン! と勢いよく引っぱたいた。痛みに小さな悲鳴を上げて肩を窄めつつ、那谷は不承不承、といった体で深い溜息を吐いた。

「……分かりました。では、私の云う事を必ずお守り下される、という条件付きです」

「那谷!」

「那谷、本当!?」

 二人して、探るように那谷の顔を窺っていた真と薔姫は、同時に叫ぶ。喜色満面の二人に、ただし! と那谷は釘を刺す。

「もう一度言わせて頂きますが、私がこれ以上はいけません、と言ったら必ずお下がりになり、お休みになられる事。宜しいですね? 真殿こそ、重症の怪我を負われているのですからね?」

 はい、と真の代わりに明るい声をあげる薔姫に、那谷はやれやれですね、と真の口真似をしてみせた。



 鴻臚館に行く用意が着々と整えられる間に、虚海に脈を診てもらいながら真はこそりと声をかけた。

「虚海様」

「何やいな」

「鴻臚館からの、音をお聞きになられおられますか?」

「……聞いとる。聞こえとる」

「あれが、どかん(・・・)の音です」

「……ほうか」

 らしくなく、何でもないふうを装っているせいで、虚海の声音は逆に白々しく映る。

 真のが鋭くなった。

 どかん(・・・)による堤切りの成功は重ねて耳にしていても、実際にその凄まじいばかりの威力を身に沁みて感じ取れるのは、目の当たりにしたものだけだ。

 聞いただけでは、夢物語に近い。

 それが、夢ではなく現実のものであると知らしめるあの爆音に、これだけ薄い反応の方がどうかしている。

 何かある。

 と逆に思わせてしまう愚かな行動だ。

 しかも、虚海程の人物がそれを忘れてしまう程の、何か――があるのだ。


「虚海様」

「何やいな」

「虚海様は、あの後も――もしかして?」

 細いが故に錐のように鋭い真の疑念の言葉に、虚海は一度大きく息を吸い込み、そして全てを吐き出す。

「……ほうや、儂がどかん(・・・)を作っといたんや」


 何故、とは真は聞かなかった。

 堤切りの成功の話は、風の噂となって鴻臚館にも入り込んでいる、と虚海は続けた。診察にきていた鴻臚館の下働きの者ほど、詳しく話をしていったという。上に立つ人間はともかく、身分の低い者同士は、垣根を越えてそれなりに友情を温めていたという事らしい。

 もしも、その噂を右丞に近い身分の者の耳に入れば。

 右丞に近い思考法で考推察すれば、鴻臚館が城に仕掛けてくる可能性も充分に有り得る。

「噂避けにな、一つ、作っといたんや。紛いもんをな」

「紛い物?」

 ほうや、と虚海は酒臭い溜息混じりにしょんぼりとした声を零す。

「真さんが契国からもろうてきた、どかん(・・・)の製法とは、ちぃとばかし違うもん混ぜたんや。やでな、威力もなんもない、鼻糞程度の役にも立たへんもんや、てな、思うとったんや」


 こっそりと持ち出されて此方に向けて威力を試されたとて、失笑噴飯を誘う威力もない紛い物。

 そういうつもりで敢えて作りおいておいた紛いもんや、と虚海は溜息混じりに零した。

「紛いもんのつもりで作ったんや。それやなのに、どうも、儂が思っとったより威力があったらしいわ……」

「それを、鴻臚館の誰かが持ち出した、と?」

「そういうこっちゃ。真さん……頼むわ。儂の作ったもんで、禍国の阿呆んだらならともかくや、なんも罪もあらへん子ぉやら、祭国の御人らまで傷付けてまったら、儂、わし……」

 虚海の酒臭い声が、涙の塩気で薄まっていく。

「……虚海様……」

「真さん……わし……儂な、嘘言うたわ。人として許したる、んやない。許して欲しいんや。やで、やでな、頼む真さん。儂の代わりに鴻臚館へ行ったってくれ、頼むわ」

「はい。大丈夫です、虚海様。その様な事にはさせません、断じて」

 縋る虚海の腕をそっと外し、真は薬房にいる力自慢の下男たちの手を借りて立ち上がった。



 足にはさほど怪我を負っていないので、耳鳴りからくる目眩のふらつきと打撲による発熱の影響さえなければ、歩くことは苦ではない。縁側から一気に外に出て行きかける那谷のたち一行について行こうと、下男に目配せする真の背中に、薔姫の心配そうな声が飛んだ。


「我が君」

「はい?」

「気を……つけてね」

「はい」


 急に心細げに弱々しくなった声の主である、幼いさいに真は笑顔で手を伸ばした。

 何時ものように、額にかかる長く豊かな前髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。

 顕になった額に唇を寄せるようにしてと、行ってきます、と言い残すと、手を借りて立ち上がる。

 右へ左へと、傾ぎながら那谷の後に続く真の背中に、薔姫は、いってらっしゃい、とは言えなかった。


 袂に手を入れながら、潤むで見送る。

 お手玉と文鎮用の座布が、袂の中で、ぎゅ、と小さな手に握り締められていた。



 ★★★



 今や鴻臚館は、狂気に満ちた火焔の館と化していた。

 白煙と黒炎とが混じり合い、爆発的な勢いで鴻臚館全体を包みだしたのは芙が中へと飛び込んでいった直後だから、かなりの時間が経過している。


「施薬院へ使いは出したのか!?」

「とっくの昔に出しております!」

「避難状況は!?」

「当初よりは、幾分まし(・・)です!」

「避難者の怪我の状況は!?」

「この人数では全てを捌くには……難航しております!」


 確かに人や物が動き出したは良いが、この混乱を収拾するには全てが足りない事が露呈し始めていた。

 皆が一人で何役もこなしている。

 無理は言えないのは、責任を背負って此処に立っている克が一番身にしみている。

「人も何も足りん事は分かっている! 無理はするな! だが努力はしてくれ! 良い結果を報告しあえるよう、皆、尽くしてくれ!」

 怒号さながらの命令を発しながら、克も自ら避難してきた者を担ぎ上げて別棟に誘導する。同時に、逃げ遅れたものがいないか、直に聞き取り調べるのに余念がない。

 芙から授かった真の助言を口にしてみた処、あっさりと禍国の者たちは自分に従った。手の平を返すというが、余りの見事さに何処でその舞を習った? と問い質したくなる程だった。だがお陰で、禍国側の動きが滑らかになり扱いやすくなった。一人でも多くの者を助け出さんと、皆が力を合わせていた。


 鴻臚館の建家の奥へ行くのは、芙の部下たちが買って出てくれていた。

 彼らは童たちなどの子供や下男や端人、奴婢といった普段ならば見向きもされない人々を救い出し克たちに託すと、再び鴻臚館に飛び込んでいく。時間が経てば経つほど危険になるのを顧みず、繰り返してくれているのだ。

 ――これで殆ど救い出して貰えたのか?

 正直な話、こればかりは芙と彼の仲間を頼るしかすべがない。

 自分や自分の部下が動けば藪蛇もいい処で、同じように煙に巻かれて身動きがとれなくなってしまうだろう。

 再び見知った人影が、次々と分厚い煙の層から飛び出してきた。

 最後に僅かばかり遅れて飛び出してきた男は、公奴婢と思しき男と女たちを誘導しながら此方に駆けてくる。煙が目と喉に滲みて痛むのだろう、皆、煤まみれの顔に涙の筋を流しながら激しく咳き込んでいた。


「此れで最後か!?」

「まだ芙殿が!」

 駆けつけつつ怒鳴る克に、部下が怒鳴り返す。

「何ぃ!?」

 現場は、助かったは良いが拾った命故に怪我に怯え、そして見てきた現実に恐怖して錯乱しだした者が更に恐慌を呼び寄せ、騒然とし始めていた。

 克が率いる兵士たちの指揮系統が崩れていない方が、いっそ奇跡といって良い。

 立ち込める雲に遮られ、鴻臚館自体の姿が最早直視で確かめられない程になっている。


「くっそぅ!」

 克の苛々が頂点に達した。

 それまで歯軋りをしながら鴻臚館を睨んでいたが、突然、傍にあった水瓶を引っ掴むと頭から中身を被った。ざば、と水は滝のように克の頭を肩を打つ。全身水浸しとなった克は、鴻臚館目指して駆け出した。

 気が付いた部下が、ぎょ! と目をひん剥いて数人掛かりで背後から飛び掛り、羽交い締めにして止める。

「克殿!? 何をなされるおつもりで!?」

「決まっているだろうが! 芙殿を助けに行く!」

「ええ!? ほ、本気ですか!?」

「当たり前だ!」

「冗談は止めて下さい! 指揮をとる方が現場に飛び込んでどうするってんですか!?」

「そうです、此処は芙殿を信頼して待ちましょう!」

「喧しい! 俺が素直に待っていられる程、頭がいいと思うか!」

「えっ……いや、それは……」

「分かってるなら諦めろ! 其処をどかんかぁっ!」


 克は、阿呆な問答に一瞬気を抜いた部下を怒鳴り散らして吹き飛ばし、鴻臚館に突撃を仕掛ける。しかし、吹き飛ばされた部下も流石に克に仕えて長い。直ぐに体制を立て直して、克の前に立ちはだかった。

「どけぇ!」

「どけ! と命じられて素直に、はいそうですか! と従える程、俺たちも上官に似て賢くありません!」

 羽交い締めしにして止めにかかる部下を、再び投げ飛ばし始めた克の眼前で、灰色の煙が、ごう、と地滑りの如くに蠢いた。鴻臚館の奥部で火災により炭化した建家が崩壊を初めた証拠だった。


「芙殿!」

 ――もう駄目か!?

 ――助からないのか!?


 誰もが思った瞬間。

 煙が四方へ千切れ飛ぶ。

 芙が、腕に何かを抱きしめ、そして腰に紐を巻き付けた姿で雲のような煙の塊を突っ切ってきたのだ。


「おお! 芙殿!」

「芙殿!」

 喜色を隠しもせずに、克と部下たちは芙の元に駆け寄る。

 安全圏だと確かめてから芙が脚を踏ん張る。そして腰に巻いた紐を引くと、わらわら、といった様子で同じように腰に紐を巻き付けた子供が5人、煙を引き千切りながら姿を現した。

 芙に無理矢理引っ張られる事で漸く身体を前へ前へと動かしていた子供たちは、外の空気に触れた途端に安心したのだろうか。つんのめるようにして地面に次々に倒れ込み、そして動かなくなった。


「早くこの子等を安全な処へ!」

 血塗れの少年を抱いた芙に駆け寄った克の怒号が、生還してきたという喜びと興奮と、そして子供たちを死なせてたまるかという意地から、掠れ気味になっている。


「早く施薬院から医師たちを連れて来い! いや、こうなったら掻っ攫って来い!」

 おう! と叫び返す仲間の声も、涙の雨に霞んでいた。

 

 

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