2 宵 その1
2 宵 その1
苛々は収まるどころか、悪増幅の一路を激しく辿るばかりだ。
それを表すかのように、苦々しい腹の中を隠そうともしない渋面で、皇太子・天は盃を傾けている。
――何が、祭国郡王だ。美人如きの腹出のくせに。
座った目は、濁りきっている。彼の視線の先には、異腹弟である皇子・戰が座っていた。
いや、天は戰をたとえ異腹とはいえ、『弟』としてなど認めていない。
否。
皇室の一員として、認めていない。
彼の母親である麗美人は、この禍国が攻め落とした楼国の王女だった。本来であれば、妾でも充分すぎるほどの下品も下品の身分。
それを父親は事もあろうに四品上位である美人の位に据えた。それは、彼女から生まれた御子を『皇』と呼ばせる為の措置であり、それ程過分に遇するまで、かの麗美人を愛していたのだ。
廃朝亡国の王女が、この由緒ある禍国の王宮へと持ち込まれ汚された。だけなく、一室をも与えられるという暴挙。尚且つ、皇帝の胤を孕むに至り、御位まで下賜された。
その時の、母親である徳妃・寧の深い嘆きを、天は元服したばかりの幼い身に刻み込んだ。
以来、忘れたことはない。
何が皇子だ。
あまつさえ、此度は、祭国郡王だと?
笑わせる。貴様など、御位を父上より授かることすら、片腹痛いというのに。
宴の間中、麗美人譲りの美しい顔ばせが笑顔に綻び、異腹弟・戰の視線は常に、隣席に嫋かに佇む姫君に注がれていた。また受ける姫君も同様に笑顔を向けていた事実が、天の苛立ちをより一層深める原因となっていた。
直に、祭国の新たなる女王として即位する椿姫。白い椿の造花の簪を差し飾る姫は、まさに白椿の妖精たるやかくや・と言わんばかりの、繊細可憐さを醸し、居並ぶ文官武官の色欲の熱を含んだ溜息を誘っていた。
ふん……と、濁った眸で、天は椿姫の姿を嬲るかのように思い出す。
3年前。
戰が彼女を此処に連れてきた時に、とっとと召し抱えて味わっておくべきだった。それを、何が何やら分からぬ間に、すっかり戰の良いように事を運ばれ、手にする機会を逃してしまった。
しかも此度、祭国の女王として即位し帰国するとなれば、ますます彼女を己の女にする機会を逸してしまう。幾ら属国扱いとはいえ、仮にも一国の王を手篭にする訳にはゆかぬからだ。
いや、そんな事よりも。
此度の仕儀だ。何が郡王だ。
貴様など、下品の女から産まれた奴如きが! 生きている事すらも分不相応であろうに!
天は苛立ちのままに盃を投げ、壁にぶち当てた。
★★★
皇帝である父に報告を告げる前に、祭国よりの要請を受けたとして、兵部尚書が相談を持ちかけてきたのは、2ヶ月ほど前の事だ。
国境線の不確かな祭国・剛国・露国・楼国……西域の国々を監視する目的でも、祭国を守る重要性は高いと滔々と説く兵部尚書・優の口車に、すっかりと乗せられた。
「此れを重大事と目して扱い皇太子殿下の御名の元に宣下を下して頂きますれば、皆、殿下の先見識目の高さに刮目致します事でしょう」
「では祭国を要所としてどのように固めれば良いのか」
膝を乗り出して持ちかければ、兵部尚書はこほんと咳払いを一つして厳かに申し上げたものだ。
「簡単な事に御座います、彼の地に我が国の屯田兵を囲えば宜しいのです」
「屯田兵か……確かに、有効な手段ではあるな。実際に、我が国の兵は増えすぎておる。此処で、どうにか片付けねばならぬとは思っておったところだ」
それは、叔父である大司徒・充が常日頃から申し立てていた事柄だ。 軍事大国である禍国が無敵であるのは、それは騎兵ばかりでなく歩兵ですら、農民からの徴収兵ではなく生粋の軍人で揃えているからこそであった。
しかし毎年毎年年がら年中、戦をしている訳ではない。そうなると、無駄に飼い殺ろし状態の兵を養う為の下扶持金が足りなくなり、国庫を圧迫し始める。
「此れをなんとか解決せねばとなりませぬ、皇太子殿下が解決してこそ皇帝陛下の跡目を継ぐのは益々もって殿下であると名実一体知れ渡るのです」
充に怒鳴りたてられていたが、そうそう、良い案件など思い浮かぶものではない。そこまで言うのであれば、貴様こそ代わりの妙案を提示してみよと怒鳴り返しつつも、頭痛の種にしていた。
そこに、この提案だ。
この兵部尚書・優の申し出に、天は飛びついた。
「これに託けて、皇子・戰様を任命なさいますれば、祭国という遠方に飛ばしたまうことになりますぞ」
「お、おお! そ、そうか、そうだな」
「政治の中央から戰皇子様を爪弾けば、皇太子殿下の悩みの種も、一つは捻り潰すことが叶いますぞ」
喜々として兵部尚書の言を受け入れ、弟を祭国に送る旨を承諾する宣下を父に代わって下した。
後に、戰が祭国王女・椿姫を伴い、父である皇帝・景に謁見を願い出ており、王女が俎上を上げ、女王となる為の証を求め、更により深い親和と服従の証だてとして領地を割譲する旨を申し出た。
領地割譲と言っても、国境の定かではない地域ばかりであり、紛争の火種を抱える地帯だ。そのような地域をと暗愚化したとはいえ、流石に皇帝も難色を示したが、其処で戰が横から嘴を挟んだ。
「皇太子殿下が、彼の割譲地の適任者として私をと推薦して下さいました。どうぞ、皇帝陛下におかれましては、皇太子殿下の意向をご参考の上に熟考の程を」
適任者と言われれば、皇帝・景としては戰の身分からして、郡王に任命することを皇太子たる息子・天皇子も認めたのだと思わざるをえない。
政治の某かを既に天に担わせ、その安居さに胡座をかき始めていた皇帝・景は、何をも不思議と思わずに、戰に祭国郡王となる印綬を授けてしまったのだ。
全てが、戰と兵部尚書そして椿姫の思惑の上に成り立っており、踊らされていたのだと知った時には、何もかもが手遅れとなっていた。
★★★
戰の爵位は、郡王に定められた。
つまり、己の後ろ盾である、大司徒・充と同じ正一品・従一位の御位に封じられたのだ。
今思えば、武辺一等のがちがちの武骨者である兵部尚書が、あのように雄弁に語ることを不思議に思わねばならなかったのだ。しかも、彼の側妾腹の息子とやらは、戰の義理妹である薔姫を娶っている。
最初から、自分は利用されたのだ。
弟とも皇子とも呼べぬ戰と、兵部尚書・優、そして、祭国の王女・椿姫に。
「おのれ……」
舌打ちしつつ、芸妓に酒の酌をさせる。盃を唇に寄せながら、どろどろとした眸で、虚空を睨めつけ続ける。その先には、麗蘭可憐な椿姫の幻が浮かんでいた。
だがどのように取り繕ったところで、あの女も、戰の母親と同じく、躰を使って取り入る淫らな妓と何処も変わらぬ下品な女ではないか。
一度そう思うと、むらむらと欲望は膨らむばかりだった。
そうだ、あの女は『何れ女王となる』身の上。つまり『今はまだ王女』の身分だ。祭国という属国の、一王女に過ぎない。隷属国家の王女を、己の自由にしてならぬという法はない。
ぬらり……と皇太子・天は盃だけでなく更に酒を満たした土瓶を手にして、立ち上がった。
★★★
結い上げた髪を解いて、椿姫は櫛を入れた。
鏡の中の自分を見据えながら、何度も丁寧にその動作を繰り返す内に、髪には更に緑の艶が生まれてくる。長い時間を結い上げて板にも関わらず、結癖など、一切見せずに真直ぐに腰を超えるまで伸びている。月
光を爪弾く髪の艶の豊かさに、手伝う侍女が、ほぅ……と蕩けるような溜息をついた。同じく女性の目から見ても、王女の髪は羨望となるべくして存在している。
「もういいわ、有難う。貴女も、もうお休みなさい」
少しの照れを含んで椿姫が命じると、同じ年頃の侍女は物も言わずに静かに腰を折りながら下がっていった。
ふぅ……と小さく溜息をつくと、再び鏡の中の自分を見詰める。
未だに人に命じる事すらに慣れていない自分は、何処か変わっただろうか?
ほんの、二ヶ月前には想像もしていなかった、自分が其処に映し出されている。
鏡の中で佇むのは、間もなく祭国の久方ぶりの女王として即位を待つ、王女・椿姫が揺らぐ瞳で、此方を見つめ返していた。
父王の要請のままに、祖国に帰り剛国王のもとに嫁いでいたならば、このように鏡を見詰めているなど考えなれない。そう思うと、ぞっとすると同時に、今の幸せが夢のように感じられて、ふわふわと身も心も浮き立つようになってしまい、頬を赤らめるしかない。
もう直ぐ、皇子様と共に、祭国に帰るのね……。
そう思うだけで、胸がとくとくと波打つのが分かり、頬が更に赤く色付いてしまう。
無論の事、女王となるのは不安が大きい。
否、それしかないと言えよう。
戰と真とが、祭国の為にと考え出してくれる政策のそれに、自分は全くついていけないでいる日々が続いていた。
「真、どうだろう? 祭国で裏作は可能だろうか?」
「はい、可能だと思います。大麦が育てば、食料増強にこれほどこころ強いものはありませんし」
「そうだな、良い種を時に見繕わせ、撒き比べを行うべきだな」
「それが良ろしいですね、それよりもあの豊かな山々をこのまま放置するのは惜しい事です」
「栗や栃の木を植えて整えよと?」
「それは当然ですが、一番手っ取り早いのは薯を植えることですね」
「甘藷かい? 確かに貯蔵も楽だし、痩せた土地でも育つが」
「いえ、薯は薯でも自然薯ですよ。祭国の気候的に、甘藷は上手くいく年とそうでない年と差が表れるでしょう」
「うん、そうだな。痩せた土地柄でも作付出来るとはいえ、甘藷は畑が必要になる。今はその人手は別に使いたいな」
「はい、甘藷ほどの大収穫は望めないかもしれませんが、自然薯ならば育つことが解りきっている作物ですし、山の中で、ほっておけば宜しいのですから。手をかけずとも良い作物は、正直助かります」
「なる程。手を掛けずにというのであれば、百合根はどうだ? あれも山で育つし、漢方薬として引く手は多いだろう」
「宜しいですね。百合根を漢方薬として名産として推挙願えれば、高値で取引できます。税として収める事が叶う作物だけでなく、金と直接交換が叶う品を得るのは急務です」
「金か、確かに欲しいな。取り扱う商人は、専売にした方がよいのか?」
「その辺りは、時に任せておけば宜しいでしょう。目を輝かせて、絶対に損をせぬように計らってくれますよ」
話の最後に、戰に「姫、どうだろうか?」と尋ねられても、曖昧な笑みを浮べるくらいしか出来ない自分が常にいる。それが悔しくて仕方が無かった。
本当に、戰がいつだったか言ったとおりだった。
自分は何も知らない。
一体、国の何を見てきたのだろう? 祖国を思う、祖国の為と言いながらも、祖国の実情を何一つ、塵ほども知らないままで過ごしてきた。
こんな事で、良くも継治の御子などと臆面もなく言えたものだと、顔から火が出るほど恥ずかしい。
祭国を守ってくれると申し出てくれた時、心の底から嬉しかった。
屯田兵を戰が率いると言われ、彼が自分と祭国をその逞しい腕に守ってくれる実感を得て、どれほど心強かったことか。
けれど、兵を率いて祭国に居着いてくれると言っても、彼らを養わねばならない。祭国にというよりも祭国の国庫に迷惑をかけぬ為に、戰と真は短い時間の間に、凄まじい勢いでありとあらゆる事態に備えて考えを巡らし、周到に手を掛けてゆく。
国を支えるとは、国を保つとは、こういう事をいうのか。
椿姫は嘗ての、無知故の幼い考え方に、恥じ入るばかりだ。
自分は祭国について何も知らなかった。逆に教えられる事ばかりだ。
そして同時に、父である順王は此れまで一体何を『統治』してきたのかと青ざめる。
自分は、父・順王が戰のように真剣に眉を吊り上げて、唾を飛ばさんばかりに臣下と国の為に議論している姿など見た事がない。
寝る間を惜しんで、最善たれと知恵を絞る姿を見た事がない。
最善を探る為に、人を得ようと駆けずり回る姿を見た事がない。
五年前の内乱が収まった折、叔父の妃あった方は自分と従姉妹にあたる姫君たちを連れて、とっとと母国である蒙国へと下がられてしまった。
今思えば当然と言えた。このような国など、見限られても当然だと思った。
同時に、親子ほど年の離れた兄を思った。
妃を娶る事もせず一途に国に尽くしていた兄だったが、亡くなる数年前から母とは折り合いが悪かった。落ち着いて思い出すと、あれは兄が目を掛けた女性を母が気に入らず、王宮入りを認めなかった故の諍いだったのだと理解できる。
内乱が収まった後、溺愛した頼もしい兄を失った母は『こんな事になるのであれば、認めてやれば良かった。許してたもれ、許してたもれ』と泣き濡れながら、心を衰弱させて儚い存在となった。
此度、国帰ったならば、母の言葉の全容を調べさせて兄との間に何があったのか、兄に何を謝りたかったのか知りたいと思っていた。兄が愛した女性が本当にいたのであれば、探し出してあげたい。今更と罵られるかもしれない。けれど、せめて罪の無い兄の御霊を安んじる為にも、兄の霊廟の前に彼女をと願っていた。
★★★
ふと椿姫は、庭で戯れていた虫の音が、突然ぱたりと止んだ事に気がついた。
肌が透けそうな夜着の上に上着を肩にかけ、椿姫は立ち上がった。
何か、人の気配を感じたのだ。思わず自然に、眉根が寄る。
この様な夜半過ぎに誰か人が訪れるとは思われない。
そのような無礼を許した覚えはない。
「何事なのですか?」
部屋の奥に声をかけると、先程下がった侍女が青ざめて駆け込んできた。
「申し訳ございません。皇太子殿下が、姫君様に是非にと」
「皇太子殿下が? ――そ、そんな……」
身体を強ばらせ動けなくなった椿姫に、侍女の方が慌ててその背中を押した。
「どうぞ、お隠れ下さい」
「え? で、でも何処に……」
「何処でも宜しゅう御座います。兎も角、部屋からお逃れ下さりませ」
「逃れてると言っても、本当に、何処に?」
「――あぁもう、面倒くさい姫様だよぅ! いいから兎に角、此処からとっとと逃げなって言ってるんだよぅ!」
突然、口の悪くなった侍女に、椿姫は驚き目を丸くした。
廊下の向こうで、酒臭い気配がはっきりと騒めくのを感じ取り、椿姫は顔だけでなく身体中から血の気を引かせた。真の計らいで、蓮才人に付いて男女の仲についても流石に学び始めている。この様な宵闇に紛れて、男が女の元を訪れるとなれば、求めていることなど決まりきっている、位の事までは理解していた。
「早く姫様、ぼけっとしてないで遠くに離れなって! 後はあたいが誤魔化すから!」
「分かりました、珊、貴女も気をつけて」
肩に掛けた上着を抑えつつ、椿姫は室内用の靴を履き替える暇も惜しんで、気配とは反対方向の闇の奥へと姿を消した。
珊と呼ばれた侍女は、椿姫が姿を闇の中に消し去るのを見届けると、ふう、と大袈裟に溜息をついた。
そして、騒めく廊下の向こうを睨みつけた。
★★★
蔦が率いる芸能一座の中で培った、早変わりと物まねの技を駆使して、珊は椿姫に見事に化けた。一見したところでは、誰も見破られる事はないだろう。椿姫の夜着の一つに袖を通せば、全く彼女本人だった。
しかし、この夜着と言うものは、美しいが身動きが取りにくい。大体、何だってもう寝るだけだと言う時に、態々別の着物を用意するのだろうかと不思議になる。何か事があった時に、反撃の手を出し辛い事この上ない。良くもまあ、お偉い身分の姫様はこんな窮屈な格好が出来るものだと、珊は妙に感心してしまう。
――ああ、なんて面倒くさい着物なんだよぅ。動きにくいったらありゃしないよぅ。
珊は、蔦の一座の中では、軽業舞を披露する遊女だった。
その身のこなしを見込まれて、真から椿姫の護衛兼任として侍女に付けられないだろうかと、蔦に申し込まれた時、珊は胸を高鳴らせた。
一座の中でも年の若い彼女は、味噌滓だと、誂い混じりに一人前扱いされぬ事が多かった。とは言えそれが、相当に歪んではいるが愛情からくるものだと知ってはいたし、捨子だった自分を拾い上げて育ててくれた一座には恩義を感じてもいたから特に騒ぐつもりはなかった。食うためとは言え、無償で芸を仕込んでくれた主である蔦も、尊敬しているし一座の長としても慕っている。
しかし、拙い芸であるが故に埋没してしまう自分の存在を、見付けてくれた人物が現れた。その自分を見出してくれた人物が、自分とさほど年端も変わらぬ青年だと知り、こっそり覗き見て、ますます胸が踊った。
真、あんたはあたいを見つけてくれた。
よくよく彼を知れば、兵部尚書であり宰相・優の側妾腹の出なのだという。
ああ・そっか、と珊は合点が行った。
自分と彼は、同じなのだ。居場所があるようで居場所がない。根のない草が風に吹かれて揺れている。そんな足元の覺束ぬ、不確かさ来る不安を抱える日々。
彼の中に自分と同じものを、珊の心は鋭敏に見破った。
一座の中では出来が悪いと弄られるばかりの技だった物真似の技は、しかし宮女に化ける位のことは朝飯前だった。
馬子にも衣裳だと囃し立てる一座の者を横に、真だけが「似合いますよ、立派な宮女様ですね」と褒めてくれた。
当面、王宮に出入りの叶わない真の為に、珊が宮女に化けて椿姫を護り、かつまた、緊急時の取次や何やら全てを担うのが仕事だ。
引き合わされた椿姫は、自分よりも年下なのに優しくて可愛くて、姫様なのにちっとも『偉そう』じゃなくて、直ぐに大好きになった。こりゃ何が何でも、あたいが守ってあげなくちゃ、という気分にさせられる素敵な姫様で、珊はこの仕事がいたく気に入っている。
でも、それとは別に、自分の力を『買って』くれた人に、もっと認められたいと心底思うのだ。
他の誰の為でもないよ。真、あたい、あんたの為に働きたいんだよぅ。
それは恋衣を纏った心からくるものだと気がつかずに、珊は全身を興奮で燃え上がらせていた。
★★★
珊が椿に化けて幾許もなく、皇太子・天が千鳥足で部屋に押し入ってきた。酒気を帯びたどろどろとした気を吐きながら、手には盃と酒瓶を抱えている。それだけならまだしも、夜着がはだけて、毛深い下半身が顕になっているのだ。
チッ・と、珊は密かに舌打ちした。
気色悪い一物を、だらんだらんと見せてんじゃないよぅ、この糞変態皇子。
心の内で悪態をつきつつ、珊が吐き気を堪えて俯いていると、天は恥じ入っていると勘違いしてか、にたりと薄気味悪い笑みをこぼしながら、ふらふらと近寄ってきた。
「姫、この様な宵深き時間に、まだ起きておられたとは? 何か心配事でもあられるのか?」
「……」
慎ましやかに袖口で顔を覆い隠して俯きながらも、僅かに身体を震わせている椿に化けた珊の肩に、天はだらりと腕を回してきた。
「……きゃっ……!」
珊は椿のようにしおらしく叫び声をあげ、逃れ出ようとする。
しかし、天はそのまま、半ば背後から力尽くで羽交い締めにしてきた。ぬらぬらした酒気帯びた生温い息が、胸の谷間に降りかかり、珊はぞっと身震いする。
「なにか心配事があるのなら、私に相談されるが良い。幾らでも相談にのって差し上げる」
「そ、そのような……」
「ああ、それとも、女王に即位する重圧に押しつぶされておいでか? それならば、女王になどならずに済む、良い手立てを講じて進ぜよう」
「――え……?」
「我がものとなれ。さすれば、女王などに為らずとも済む。元はと言えば」
今度は、ねばねばと纏わりつく吐息を、ふぅ・と耳朶に吐きかけてくる。
「――ひっ……!」
「3年前、其方は我がものとなる筈であったのだ。それを、戰なぞが横槍を入れよった為に、あの様な下品の女の腹出の娘の介添えになどに」
「わ、私……」
「むさ苦しい武辺武骨の宰相の屋敷から出られず、さぞ辛く寂しい日々を送っておったことであろう。私ならば、其方の祖国・祭なぞよりも、より煌びやかで雅で綺羅々しくも優美な暮らしを味あわせてやれる、どうだ……?」
言い募りながら、天の吐く息は荒くれて熱を帯びていく。盃と酒瓶を放り出した為、床に落ちたそれらが甲高い悲鳴に似た音をあげて割れ砕けた。一気に、むせ返るような強い酒の臭気が、部屋に満ちる。
構わずに、天は抱き竦めにかかる。抵抗らしい抵抗をみせず、身動ぎ程度の抗いしかしてみせない少女に、興奮の鼻息も荒く、天は担ぎ上げるように抱き上げた。脚をばたつかせる少女を、そのまま次の間にある寝台へと運び、放り投げる。
「ひゃっ!?」
「おぅ、その白い喉を裂く悲鳴を聴いてみたいと願っていたが、ふふふ……叫び声までもが可愛らしいな、姫よ」
そのまま天は、自らの夜着を開けた。それなりに鍛えてはいるようだが、酒が入ってだらしなく赤みを帯びた肌には強い汗の臭気が酷い。後退りする少女の上に、天は飛び掛るように伸してきた。
「姫、3年も待たされたのだ、今宵は離さぬぞ」
「……ぃ……」
「ふふ……もう感じておられるか? 可愛いところがあるではないか」
「――いい加減にしなよぅっ! この変態色慾気狂っ!」
叫ぶなり、椿姫に化けた珊は脚を振り上げた。
そして天の急所を思い切り、遠慮も力の加減もなしに、ぐしゃりと蹴り潰した。
妾
「愛人」という意味合いでの「めかけ」ではなく、敗戦国の女性が入墨を施されて貴人等に仕える奴隷となる事を指します。多くは性的な奉仕の為。
裏作
所謂、二毛作の二回目に作付けする作物のこと。
覇王の走狗では基本的に主食を米作としているので、表作=米 裏作=大麦や小麦とザックリと捉えてください。




