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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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16 骨肉相食

16 骨肉相食



「兵部尚書のもの、だと……?」

 はい、と真は頷き、戰は掌の内側に収まる小さな矢尻に目を落として、呆然とする。三角錐型をした矢尻が鈍く光る。


「杢、それに克」

「はい」

「は」

「何故、兵部尚書のものだと、一目で知れたのだ?」

「型です」

 短く答える杢に、型? と戰は首を捻る。

「はい、この矢尻の型は、兵部尚書様が考案された独自のものに御座います」

「兵部に仕える者は、見間違える事など御座いません」

 杢に続き、克も言葉を後押しする。

 ふむ、と首を捻り、戰はもう一度矢尻に目を向ける。


 戦場においての武勲というものは、武人にとっては別の意味で生死を分ける死活問題だ。

 己の打ち立てた戦功を他者に横取りされぬように、古来より知恵が絞られてきた。戦旗で目立たせるのも、部隊により身に付ける衣装を揃えるのも、勝利を得た際に営妓を呼び、派手に知らしめるのもその一貫だ。

 武器、武具においてもそうだ。

 討ち取った証をたてるには、止めを刺した武器が己のもであると立証せねばならない。

 集団戦法が主流であり、その主軸である戦車部隊による一気撃破の突撃が得意であった禍国においては、矢尻はそういう意味でも大切な武具だ。戦車部隊が戦場における勝敗を決定付ける主役の座を奪われても、歩兵による弓矢の潜伏部隊は戦術戦略になくてはならない存在だ。

 故に、万騎長たちは己の部隊が戦を決定付けたのだと一目で分かるように、矢尻は各々独特の形態をとったり文様などを刻んだりと工夫を凝らした。鋳型で一気に大量生産される矢尻にはそれが可能であったし、特に優が兵部尚書の座に就いてからは、武勲に準じた恩賞を正しく配されるようになった。その為、各部隊の弓の形から矢尻の型から剣の厚み、幅、長さに至るまで、百人隊長以上の者は頭に叩き込んである。

 杢と克を真が呼んだのは、彼らの鑑識眼を買っての事だったのである。


「そうか……そんな仕組みになっていたのか」

 戰も、流石に兵部のそんな細部にまでは明るくはなかった。

 真とても、父・優が兵部尚書の地位になければ、いや、11年前の那国を助けての河国との戦の折、商人・時が武器の仕入れを行っていると知り、武器の型に興味を持とうともしなかっただろう。



 ★★★



 怒りに燃え盛る杢と克を尻目に、真は、殿侍に向かって座り直す。正面から話をしないと、声が聞き取りにくいのだ。


「お聞きしたいのですが」

「は、なんなりと」

 真の耳のことを聞き及んでいる殿侍は、ゆっくりと答える。

「椿姫様と後主殿下が襲われた時の模様を、出来るだけ詳しく」

 は、と一度平伏すると殿侍は、では、と語りだした。


 先ずは、親子で久方振りの再会を喜んでいた。

 其処までは良かった。

「次いで、後主順殿が妃殿下に何かを耳打ちされました。途端に妃殿下は色を無くされ、弱くなられておられる血の道に誘われるように、気を失われました」

「そこで、矢が?」

「は、後主殿が妃殿下を抱き上げられておられたのですが、その背に矢を受けられまして。そして後主殿の背に幾筋もの矢が打ち込まれ、恐慌を来され……」

「直ぐに、身罷られはしなかったのですね、後主殿下は」

「は? はい」

 真の確かめるような問いかけに、殿侍は言葉を詰まらせる。

 自分たちは、後主にはとことんうんざりしていた。

 後主が矢に討たれた際、これで死ぬ、という素直な喜びと、関わりが遂に絶たれるのだ、という開放感を覚えたものだ。だが、よく考えずとも、相当な不敬罪にあたる考えだ。

 もしや咎められるのか、と青くなる殿侍に真は苦笑しながら、違いますよ、と首を振った。

「矢で射たれて、直ぐには(・・・・)死ななかった(・・・・・・)のですよね?」

「は? は、はい、それはその……」

「分かりました、其れだけ確かめられた充分過ぎる程です」

 有難うございます、と真が目蓋を伏せると、何が何やら、と言いたげにしつつも殿侍はそそくさと立ち去った。



 殿侍が下がると、克が焦がれるように真に食ってかかった。

「真殿、何を気にしている?」 

 克の様子に、真は何とも言えぬ表情を浮かべた。

 当初の矢尻に毒がなかった事とそして台獄で耳にした兄の言葉が、真の中では繋がってしまった。手にしていた矢尻を包に戻すと、知らず、左腕を擦り出していた。


「おかしいとは思われませんか、戰様」

「何をだい?」

「もしも後主殿を本当に亡き者とするつもりなのであれば、烏頭うずでも空木うつぎでも馬酔木あしびでもいい、何でもいい、即効性で確実性のある毒を用いれば良いのです。しかし、彼らは其れを行わなかった」

 戰は言葉を失い、身体を反らせた。

 一番聞きたそうに身を乗り出していた克と静かに耳を傾けていた杢が、互いに顔を見合わせる。

「直ぐに殺すつもりはなかった、と?」

「では、敵の目的は一体何だと?」

「椿姫様を傷付けられる事、だったのです」

「椿を、だと?」

 戰のが、ぎらり、と危険な光を孕む。

「どういう事だ、真」

「椿姫様の身内思い、特に父親である後主殿への度を越した身内愛は既に偏愛とも呼べますが、禍国でも一部の方々には知れ渡っている事実です」

「つまり、後主を狙えば妃殿下は自ら矢面に立ちに来られる、其れこそが目的であった、と?」

 遠慮がちに仮説を口にする芙に、真は頷いてみせた。


「数度矢を受けても後主殿はお倒れにならなかった。という事は、最初の数本には毒は塗られていなかった事になります。敵は、椿姫様が後主殿を庇おうと、御自らの身体を盾にしてくると踏んでいたからでしょう」

 拳を固めて怒りに震える戰に、ちらりと視線を投げかけて真は続ける。

「この襲撃を目論んだのは、恐らく大令殿でしょう。椿姫様と後主殿は直ぐに死ぬ程ではないが重症を負って頂かねば、それも口がきける程度の傷を負って貰わねばならなかった。しかし椿姫様が失神なされているのも戰様がおいでになるのも、計算外だったのでしょう」

「何故、そのような廻りくどい事をせねばならない?」

「後主殿の口から、言わせたい、言わせねばならない重要な言葉があったのでしょう。それに対する椿姫様の言葉をもまた、皆に聞かせねばならない、と」

「それはなんだ? 大令が、そうまでして聞かせねばならないとした言葉は、一体何だ!?」

「……分かりません」 


 語気を強める戰に、真は答えない。

 いや、答えられなかった。

 小さく、申し訳ありません……、と答える。


 後主殿と椿姫様の間に、兄が口にした悍ましい言葉を含めた会話があったのか。

 それともなかったのか。

 まだ、確かめていない。

 である以上、まだ、自分の胸の内にしまっておくべきだろう。

 深く息を吸い込んで、真は決意を胸の奥に仕舞った。



 ★★★



「瀕死の重傷を負った人間は嘘を口にしない、とは世間で言われる事です。椿姫様に何か禍事を言い漏らさせ、戰様の動揺を誘おうという魂胆、だったのでしょう」

「では、この、兵部省書様の矢尻は?」

 呆けたように、矢尻に視線を落とす克に真は、分かりませんか? と微笑んだ。


「見た目そのもの、ずばり、ですよ。敵は、父に罪を被せたいのです」

 かなり大上段にぶった斬って断言する真に、克は眉根を寄せた。

「大令が、か?」

「いえ、違います」

 真の即答い、何ぃ!? と克が頓狂な声を上げた。天井を睨み、頭をがしがしと引っ掻く。

「大令ではない!? 俺の頭では全く分からん! えぇい、頭がおかしくなりそうだ! 真殿。勿体ぶらんで教えてくれ。一体、誰だ!?」


「禍国における、最も高い位に就いている方々を思い浮かべれば簡単な事です」

「ん?」

「現在、禍国の家臣団の中で最も高い地位を示すは三公、及び三槐さんかいです。そして三公には大司徒だいしとにはじゅう殿、三槐さんかいには大保たいほじゅ殿が、そしてそれと同等の地位に大令だいれいじょう殿が就いていますが」

「ああ、そ、そうだな」

 尤もらしく克は頷き、腕を組む。

「では、克殿。何故、禍国の重鎮となる重臣たる地位は、彼らに占められているのですか?」

「それは、だな、その、禍帝国建国の折の功労者の一党、その血筋を引き継ぐ名門中の名門、勲一等の家門のうからであるから、だな」

 難しい言葉を口にしすぎて痒い、とでも言いたげに克はべろり、と舌を出す。場違いな、しかし克らしい子供っぽさに思わず苦笑いしつつ、真はそうです、と頷いた。


「しかし、ここ十数年に限って言えば違います。続く大戦に全て勝利を収めた父こそ最も栄誉を与えられても良い、と考える向きもあります。ですが、父は兵部尚書の地位に甘んじております」

「うむ、確かに。我々兵部の者は、何時も其処を歯痒く思っていた」

 固く組んだ腕に顔を埋めるように、克はうんうん、と深く頷く。

 初めて真と出会った時。

 克はまだ、百人隊長の地位だった。

 その彼を祭国行きの騎手として抜擢したのは、優だ。豪腕の持ち主でもあり馬術に抜きん出ているとはいえ、たかだか百人隊長の克を、だ。部下を完全に掌握していなければ到底出来うる事ではない。そして克もまた、優に心酔していなければ、あの様な命懸けの強行軍に、一騎にて賭けよう、などと思うまい。

 現在のこの兵部の一枚岩は、優が自ら陣頭に立ち、築き上げた連戦連勝による。

 この功績なくして、尊敬の念と人心は得られまい。

 それだけではない。

 部下を見抜く力、そして彼らを身分差なく力量のみを念頭において抜擢する、優なればこそ、だ。


「宰相の地位も得ておりますが、禍国において宰相とは、品官は大司馬と同等でありながらも、その実、実権がありません」

 つまり意味のない名誉職。

 真が先帝・景より賜った『目付』と同様と考えて良い。

「禍国建国より50年余りの長きに渡り、三公、即ち大司徒・大司馬・大司空、そして三槐さんかい、太師・太傅・太保をもの一門の者が全て占め、牛耳ってきました。そんな中で三公の一役職である大司馬に、充殿と同等の地位に父が任ぜられる事はありません」

「つまり兵部尚書様がそれを恨んで、と、そう、思わせたいと?」

 西宮へと押し入り問答無理で乱暴狼藉を尽くして立ち去った者は、右丞・鷹が率いた使節団の中にいた。

 そして、後主・順と椿姫を儚くせんとした証拠として、兵部尚書のみが持つことを許された矢尻を残した。

 これ以上の物的証拠はない。

 兵部尚書にして宰相・優。

 彼は、積年の恨みを晴らすべく立ち上がった。

 先ずは、己の立場を悪くした者から。

 つまり、側妾腹の我が子を介して己を奴婢の如くに扱う者を。

 郡王・戰を討とうとした。

 禍国側は右丞・鷹が優の長子であるという事実からそう取る。

 いや、そのように歪めるだろう。


「ちょ、ちょっと待て。それでは右丞が此度の全てを仕切っていたとは、俺には思えん」

 杢が言い終わらぬうちに、克が勢い込んで言葉を被せてくる。

 家門のおさである父をそのように追い落としては、右丞であるようも諸共に連座責任を負わされる可能性が高い。

 と言うよりも、確実にそうなるのは目に見えている。

 幾ら右丞が考えなしといえど、己を破滅に追い込む策に乗る馬鹿ではあるまい。

 そもそも大令・兆が、何故こんな大胆な策に打って出たのか?

 此れまでも大令は、何かと戰に対して仕掛けてはきた。

 此度も同じでは? と思いつつも頭の片隅で、そうなのか? という疑念が、誰の胸にも沸いているらしい。


「幾ら大令の命令だとしても……右丞が喜々として鴻臚館より西宮に兵を出したとは思えん。という事は……」

「右丞は何も知らん。大令の命令を知る者に、人形のように利用されているだけ、と?」

「だが――では、背後の黒い奴は誰になると真殿は見ているのだ?」



 ★★★



「誰なのか、まだ分かりませんか?」

「ああ、皆目……と云うよりも、何と言うのか、こう……」

 どう表現したものかと顰め面になる克に、杢が助け船を出してきた。

「釈然としないというか、腑に落ちない部分があるのだ」

 そう、それだ! と克は手を打ち、流石だな、と杢の背中を盛大に引っぱたく。珊に似てきたな、と芙がぷ、と小さく吹き出した。背中を叩かれて少々迷惑そうにしながらも、杢は真に答えを欲して視線を流してきた。

 禍国の王宮内での権力争いは図式的に頭に入っており、一番理論的に考えられるのは杢だ。

 が、それでもどの式の糸を引っ張れば答えが出るのかまでは、見えてこないらしい。

 真は、短く微笑んだ。


「皆さんが釈然としないのは、今回のこの動きが余りにも明白で直情的に過ぎるからでしょう」

「ん?」

「此れまでの大令殿からの戰様の攻撃は、陰に篭る印象がありました」

 そう、精神的に追い詰めるような。

 だがそれでいて、何処か抜け道があった。

 完全に立ち行かなるまで追い詰める事は、しなかった。

 何処かに、相手との交渉の余地を残していた。


「だが、此度は違う」

 杢の言葉に、はい、と真は頷く。

「後主殿と椿姫様を亡き者とし、その罪を父に擦り付け、連座しての責を戰様に背負わせ、更に後々、襲撃の罪を大令殿に問う、という目論見です」

 言葉に出されると、何と言う卑劣さなのか。

 皆が言葉を失う中、さらに真は続ける。

「戰様にとって皇帝の座への道筋を磐石なものとする軍事基盤を徹底して根刮ぎ奪う、何よりも戰様をも破滅の道へと導かんとする、強固な意思を感じます。此れが、皆さんが感じておられる違和感でしょう」

 それだ、と克はパシッ! と膝を打ち、真を指さした。

「相手は大令ではない、とまでは足りん頭の俺も流石に分かった。だが、此れまでと違い徹底した意思を感じるからこそ、黒幕の見当がつかんのだ」

 くすり、と笑いつつ、ふと、落とした視線の先には微かな痺れと痛みを訴える左腕がある。

「何度も言いますが、禍国の実質的な軍事最高位は父です。然し乍ら父は兵部尚書に甘んじており、大司馬の任に就けません。それは、父の出世を阻めるだけの高位の者の手が伸びているからです」



 兵部尚書直属部隊のみが携える矢を、優を飛び越えて手に入れる事が出来る程の高い地位を有する者は?

 その優の上の地位にあり、自身の持つ権威の牙城を食い散らかされては困る輩は?

 兵部尚書である優が所持する具足品の蔵を、疑いも持たせず、また有無を言わせず、開け放てるだけの地位にある者は?

 優が兵部尚書以上の役職に就けぬ、就かせぬように裏から手を回せるだけの地位にある者は?


 それをなし得る事が出来る人物。

 それは誰だ?


 大保・受か?

 いや、大保・受は、皇女・染を正室とした身だ。

 最早、政治の表舞台に立てぬ。

 それを覆す為に動いたのか?

 だが、大保の役目は、基本は皇太子の教育、長じての補佐役だ。

 それも父親に一つ上の頭を押さえ付けられていたが為、彼は皇太子・天が保有する軍にすら、全くの未介入のままだ。昨年の句国との戦の折の大敗の時、彼に全く責の矛先が向かわなかった程、大保・受は、王宮内に勢力地盤が出来上がっていない。

 その彼にかように動きがとれるとは、到底思われない。


 ではやはり、大令・兆か?

 それは有り得ないと先に真が断言したが、彼の出自は複雑だ。

 実父である大司徒・充より溢れ者(・・・)として体良く利用されて大令・中に養子に出されていた。

 その為、父である大司徒からは軽んじられ冷遇されており、養父である大令からは密かに蔑視されてきた。

 その兆が、代帝・安の采配により養父を蹴落とすのに成功した。

 更にこの追い風を捕まえんと利用し実兄そしてと実父を追い落とさんとした、とみるのは実にわかり良い。

 しかも今現在、彼が統括する郡省は、各尚書の統括する上に、典礼などの勅令を采配する役を担っている。

 その為、兵部とは基本的に反目し合っている礼部との結びつきが深い。

 兵部と対抗する為に礼部を抱き込み、動いたとみてもおかしくはない。


 だが。

 大令をさらに押さえつける上官が存在する。

 その地位は、三公のうちにある。


 兵部と刑部を治めるのは、繰り返すが、大司馬。

 吏部と工部を治めるのは、大司空。

 そして、戸部と礼部を治めるのは。



「――大司徒・充」

「そうです」


 皆が戦慄し、言葉を失う中。

 戰の漏らした答えに、真は静かに頷いた。



 ★★★



 軍事の最高品位は大司馬だいしば

 優は何故、大司馬に就けぬままなのか?

 地道に励み、見出されれば何れ出世ができる、己の努力が正当に認められ報われる、優が打ち出した政策こそが、彼を政治的に兵部筆頭の尚書と成さしめた。

 その優自身が、最も報われていないのは何故か?

 文官、内官、とくに門閥による序列と血の根幹こそが人を測るものとする貴族たち、そう、禍国成立初年から歴代皇帝と共にこの国と歩んできた家臣団の徹底した妨害が、大司徒・充の手が伸びているからだ。


 その大司徒・充が、優を政治的に完全抹殺する構えを見せてきた。

 それが――此度の、この矢尻だ。



「ですが、戰様、見誤ってはいけません」

「……それは、どういうことだい、真」

 はい、と左腕を擦りながら真は続ける。

「大司徒という三公の主である位に目が眩んではいけません。そもそも禍国側からの戰様への要求の多くは、大令・兆殿を通さねば出来ぬものばかりです。先程も申しましたが、大令殿は確かに戰様を追い詰めようとなさっておられます。しかし、追い詰める事が目的です。戰様の破滅が目的ではありません」

「うん、それは感じている」

「それに兄は、この命令に大令殿とは別の者の手が加わっているなどと夢にも思ってはいないでしょう。でなくては決行できません」

「だろうね」

 真の断じ方に戰は苦笑し、芙は僅かに眉を顰める。

 確かに、最後のあの喚きたてた言葉を思い出すと、そうとしか思えない。

 ――右丞の奴は、命令が本当に大令の口から出ているものかどうかなど、確かめる頭は持ち合わせていない。

 それにもし、大令以上の地位である大司徒からの声掛かりであれば、権力に簡単に靡く右丞の事だ。

 ――その気配を、素振りに出さずにはおられまい。

 しかし、右丞はあくまでも、大令・兆の命であると頑なに信じている。


「先程も申し上げましたが、兄である右丞に齎された命とは後主殿を焚きつけて椿姫様を動揺なさしめ、その動きを封じ隠蔽ようとした戰様の行いを専横ととらえ、禍国にて罪に問う事でしょう。恐らく兄は、西宮で騒ぎを起こしただけの事、としか思っていないでしょう。後主殿と椿姫様が毒矢による襲撃を受けたとは知らぬ筈です」

 確かに、右丞の性格からすれば今のこの現状を打破できればよいのだ。

 影から影に伝わった命令は、大令からのものであると疑いもせず、喜々として従順に、素直に、実行に移したのだ。

「うん……真殿、すまん、その、何を言いたいのか、また分からなくなってきた……」

 折角、黒幕が大司徒・充であると定まったのに、また降り出しの右丞の話になった為、克は大いに混乱し始めていた。腕を組んだまま、細くなりそうな目を必死でこじ開けている克に、真は吹き出しそうになるのを何とか堪える。


「大令殿は、自らの地位を利用して戰様を貶めようとしております。それを大司徒殿は礼部からの密告なりを受け、お知りになられたのでしょう」

 そして大司徒は即断したのだ。

 大令の実の父でありながら、利用しつくすと。

 優を完全失脚させ、戰を徹底的に皇帝継承権争いから追い落とす策の為に、だ。

 其れは何故か?

 自身の娘である徳妃・寧の腹出の皇太子・天を皇帝の座につけ、大保に跡を継がせんとしてか?

 確かに有り得る。


「しかし、大保・受殿の御元に皇女・染姫様が嫁下され、直系の血筋である長子に三公の跡目を継がせる事が叶わなくなりました。御息女であらせられる徳妃様が出の皇太子・天殿下は、自身の失態もありその地位が急速に揺らぎ始めておられます」

 大保が他の門閥貴族より側室を娶ったとて意味がない。

 天が皇帝として立たねば意味がない。

 家門の栄光を築く基盤となってきた皇帝の外戚として三公に就くという不文律が、二重の意味で成り立たない。

 だが、一門は、禍国家臣の頂点に立たねばならない。

 これは絶大不可侵の国法と同等だ。

 守られねばならない。

 しかし守りようがない。

 では、どうすれば良いのか?


「しかし大司徒殿にとっては幸いに、代帝・安陛下は未だに次代の皇帝を決められずに己の権勢を保持しようをされ始めております。この間に皇太子・天殿ではなく、別の皇帝候補を上げればよいのです。では、一体誰を玉座に据え、背後に君臨するが良いのか? 尤も近い道に立つ御人は誰か?」


「乱兄上だな」

 戰の即答に真は、はい、と答えた。



 ★★★



「しかし、二位の君であらせられる乱殿下に長らく仕えてきたのは、人質同様に元大令殿に押し付けた当時左僕射であった兆殿でした」


 大司徒程の気位の高き男が、長子である大保が跡目を継げなくなったからといって、放逐同様に家門から出した三男坊の兆を一門を継ぐ者と認められるであろうか?

 大令の地位を得ているからと、認められるだろうか?

「……難しい処だな。何が何でも、己の子に継がせるのだという気構えであれば、大令を望むだろうが……」

「はい。しかしそうであるならば、此度、父を追い落とす計画をせんから大令殿と手を組んで仕組まれるでしょう」

 何も、大令の策の隙間を啄いて上塗りするなど、手を弄する事はない。


「つまり……」

 大司徒・充にとっては、吃であった長子である大保・受も、弟である元大令・中は勿論の事、中を抱え抑え込む為だけに質同様に捩じ込んだ大令・兆も、家門繁栄を託するに足りる人物ではなかった、という事だ。

 いや、大司徒・充にとって同族家門一党の栄耀栄華とは、則ち己の栄達にであったのだろう。

 でなくては、長子である受が皇女・染を娶るとした時に抵抗したであろうし、弟である中から大令の地位を奪った功労のある兆をも、このように利用しつくし貶めようなどとはすまい。


 そもそも、大司徒・充と元大令・中の確執は根強く深い。

「元大令・中殿は大司徒殿の弟君であるが故に、お二人の主導権を握らんとする政争はこの禍国の歴史に等しいのですが」

 結局は、先の大司空の長子であるという立場を利用しての、中を大令に押し込めて三公の地位に上げぬようにした充の勝利で終わった。

 が、事はそう簡単ではない。

 二位の君とよばれる皇子・乱は、元大令・中殿の娘である貴妃・めいの腹出だ。

 その皇子・乱が、此れまでの政敵であった大司徒に素直に従うであろうか?

 それに徳妃・寧と大司徒・充がそうであったように、元大令・中と貴妃・明が己の政治的基盤となりうる味方を育てていない筈がない。

 となれば、それはどの部署か?

 大令という立場上、尤も動かしやすい部署はやはり礼部となる。


「この礼部、という部署ですが。もう一度尋ねますが、元々総括していたのは誰なのでしょうか?」

 真の突然の質問に、うん? と克は細めた目を寄せる。

「大司徒殿、だな」

 克の正答に、はい、と真は満足気に答える。


 礼部は国の根幹である儀礼や祭礼を司る。

 彼らはまた特殊な気質を持つが故に、他の尚書とは一線を画す存在である。

 皇帝ですら時に縋り、利用せねばならぬ程の部署が礼部だ。

 霊廟を奉るのは、礼部と宗正寺との重複した共同任務となる。

 皇女・染姫の婚礼を早めるなど、幾ら大令となった兆が命じたとて礼部の協力なくては成し得ない。

 そもそも礼部の後ろ盾なくして、皇子・乱が父帝・景の陵墓を奉るえきに就き、りょう国に人頭狩りに入る(・・)事など出来なかっただろう。

 気位の高く扱い辛い尚書、故に味方にした時にこそ独特の強さを発揮する。

 それが礼部だ。

 それ故に、充は大司徒という立場にありながら、大令と結んだ礼部を掌握する事を断念した。

 いや、尚書にこだわりを捨てた。

 充は三省六部の長として大司徒に甘んずるのではなく、より国の政務の実権全てを我が物とする為に、中枢執行機関である九寺を己がものする事を選択したのだ。



 ★★★



「2年前、戰様の御母君であらせられる麗美人の祖国である楼国が蒙国皇帝・雷の強襲により撫で斬りとされました。その責の押し問答の末に、杢殿は父を庇う為に兵部を去られた訳ですが」


 ふ、と杢は口元を緩めた。

 たった2年前の事であるのに、懐かしい、という気持ちにさせられているのかもしれない。

 あの時は、兵部は勿論の事、刑部と吏部が呼応した。関係性が最も薄い工部が動かなかったのは当然であるが、軍備の為の城塞建築に携わる以上、いざとなれば優の陣営についただろう。

 そして戸部までもが、兵部尚書である優に味方した。

 戸部が優に味方したのは、充が六部ではなく九寺よりの政治を行っていたからに他ならない。

 六部と九寺は、仕事が重複しあっている部分で反発衝突することが多い。

 それを抑えてきたのが、尚書の頂点にたつ三公だ。

 だが大司徒は六部尚書を蔑ろにし、九寺を贔屓・・にした。

 礼部が先の大司空の二男であった大令・中を受け入れたのは、大司徒となった充が九寺とよしみを通じたからだ。

 六部を、礼部を、蔑ろにしたからだ。


 だが、中の跡目を継いだ兆は、大令の嫡男ですらなく、養子だ。

 大司徒自身の三男坊である男、左僕射如きに甘んじていた男だ。

 二位の君と揶揄される立場であった乱に仕えていた兆であるが、礼部を軽んじた大司徒の一門であり、大保・受が跡目を継げぬとなった今、新たな後継者と目されている。

 新たな大令・兆に、国の尊厳と根幹を握ると自負する礼部が。

 大司徒・充に煮え湯を飲まされ続けきた彼らが。

 果たして素直に従うであろうか?


「つまり……礼部は今、元大令である中と繋がっている……?」

 戰が真に誘導されて導き出した答えを呟く。

「まだ、憶測の域を超えませんが」

 恐らく、と真は強く頷いた。


「大令の地位を追われた中殿が礼部との強い繋がりを使い、実の兄である大司徒・充殿を陥れ、失脚させようと目論んでいるのです」



 ★★★


 

 戰を手中にせんと、椿姫と後主、そして右丞を使い、追い詰める手を打つ大令・兆。


 息子である大令・兆を利用して、戰の実質的な後見である兵部尚書の翼を折り、双方の失脚を目論む大司徒・充。


 弟であるが故に三公に就けず、更に大令の任を解かれた恨みを晴らさんが為、養子に跡目を浚われた恥辱を濯がんが為、礼部を使い兄である大司徒・充をけしかける元大令・中。



 敵の敵もまた敵同士。


 ――しかも、実の親兄弟による骨肉相争の。



「敵は、一つではない」

 戰の言葉に真は、はい、と答える。



 その場が、水をうった様に、しん……と静まり返った。




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