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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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15 弔鐘 その3-2

15 弔鐘 3-2



 じわじわと迫る弔鐘の音に、戰は苛立ちを覚えていた。

 それでなくとも、囚獄ひとやが呼ばれてくるのを独り待つのは苦行に等しい。


 足元に幾つか転がっている、赤い血に塗れた白い粒が視界に入る。

 その時になってやっと戰は、空気が微かに流れる程度であっても、ひり、と拳が痛んでいるのだと覚えた。歯で指を傷付ける程、右丞・鷹を容赦なく打ち抜くように殴り付けていたのだ。


 我を忘れて怒りのままに人を殴りつけるなど、これが初めてだった。

 ――真。

 右丞・鷹の嘲笑が耳に蘇る。

「……真」

 自分も、幼い頃から差別されてきた。

 母親が属国に堕ちた国の出でありながら過ぎた身分を与えられたのは、偏に、父親である皇帝・景をその魔性の魅力で惑わせたからであると、その腹から出た子である自分は生まれながらにして魔障であると、声にならぬ声で背中をつつかれてきた。

 悔しければ強くなれば良い、笑っていても諂っていると思われぬほど強くなれば良いだけの事だ、と師となった虚海は言った。

 悍ましい言葉を撥ね付けるだけの存在となれば良い、簡単なことだと言った。

 教えを、守ったつもりだ。

 体格に恵まれた事もあるが、身体しんたいを鍛える事も怠らなかった。

 勉学にも励んだ。

 虚海だけでなく、師匠となった者全ての知識を素直に身につけたつもりだ。


 だが。

 ――私には、お師匠が居た。だからこそ、耐えて邁進する事が出来た。

 しかし。

 ――真は?

 真は、一人きりだった。

 ひとりで全てを見、聴き、考え、己の道程を導き出すだけの知識すら、自ら手繰り寄せねばならないとは。

 考えるだけで、気がおかしくそうだ。

 足元の赤い粘りが黒くなり始めた歯を、戰は無性に、踵を使って踏み砕いてやりたくなった。呼ばれていた囚獄ひとやが駆けつけて来なければ、本当に砕いていたかもしれない。


「お呼び出しに御座いますか?」

 伏せ目勝ちにし、囚獄ひとやは跪きつつ戰に礼拝を捧げてきた。

 刑部に属する中では、監獄を直接見張るえきに就く者はその激務と責任の割に品官位は低い。拘囚人は穢れに堕ちた存在であるという考えから、捕縛する任に就く彼らは、自然地位が低く抑えられていたのだ。だから監獄を統括する実質の最高責任者である囚獄ひとやであっても、品位は7品7位でしかない。退官まで勤め上げて漸く、従5品5品下の雲上人として認められて去れるのだ。

 囚人に関わる者は喩い官司であろうとも蛇蝎の如きに蔑まれる。しかも完全なる世襲性であった為、彼らは、生まれながらに報われぬ立場にあった。さりながら背負った血の重い責務に耐えに耐えて、務めを全うしているのだ。それもこれも、己の穢れた務めが国を影から支えているのだ、という誇りがあればこそ、だった。


 やってきた囚獄ひとやは、ごま塩の髭を手入れもせず髷もろくに結わずに鳥の巣のように髪すら伸び放題にした、深い皺が刻み込まれた面体の、50絡みの男だった。小柄な方だが、巌のような体躯をしている。厳しい面構えとあいまわり、まさに岩石が動いているようだった。

「名は? 時間が惜しい。許す、答えよ」

「は。それでは恐れながらお答え致しまする。てつ、と申しまする、陛下」

 そうか、と戰は笑顔を向けた。

 てつ、と名乗った囚獄ひとやが僅かに首を捻った。

「拘囚人、右丞を其方の手に委ねる」

「は」

「其方の仕事など、暇であるにこしたことはないのだろうが……。済まないが、人を待たせている。右丞が何を喚こうとも、耳を貸さず、だが一言も聞き漏らす事無く、そして言葉を決して広める事なく捉えておくのだ」

「は」

 深くこうべを垂れる撤に、うん、と戰は満足気に頷く。

 しかし、真の体調を案ずるが故に、直ぐにも足は出口へと向かう。


 再び礼拝を捧げつつ拝命する撤に、戰は頼む、と言いながら跪く撤の肩をぽん、と叩いた。

 出口から消えていく戰のその背中を、囚獄ひとやとしての礼節を忘れた撤が、こうべをあげ目を剥いて見送っていた。



 ★★★



 処置をし終えて、全員が肩を大きく上下させて息をした。

 実際に、克などは殆ど息を止めて治療する手の動きを追っていたので、おっしゃ、仕舞いや、という虚海の一声と共に、どっと床に倒れこんで大の字になる。

「もぉ! ちょっと、克!」

「ああ、すまん、いや安心して気が抜けたら……」

「なんもやってないのに、あんたがそんなに疲れてどうすんの」

 ぷりぷりしながら珊は寝っ転がった克の腕を引っ張り、ほら起きて! しゃんとする! と唇を尖らせる。小無ないやっちゃな、と虚海は克を笑い、二人のいつもの調子に真も目を細めて笑う。

 しかし、す、と姿勢を正して笑いを収めると、虚海に向き直った。


「虚海、様」

「何やいな、真さん」

「耳鳴りは、まだ、収まっておりませんが、やっと、聞き取れるように、なってきました」

「ほうか? そういや、ちょぉ、真面に、話せるように、なってきたか?」

 はい、と真は頷き、ほうかほうか、ほら良かったわ、と虚海は嬉しそうに頷き返した。


「虚海様」

「何やな?」

「あの弔鐘は、一体、何方のものであるのか」


 笑顔で愛用の瓢箪型の徳利を引き寄せようとしていた虚海の動きが、ひた、ととまる。

 珊は、自分でも知らないうちに、離しかけていた手で助けを求めるように隣に座っていた克の袖をたぐり寄せるようにし、縋っていた。克が、自分の手に手を重ねてくれていたのにも、気が付かない。


「虚海様、お教え願えますか?」

 真の声が、鐘の音より低く響いた。



 ★★★

 


 確かにまだ、真の耳は風鐸の音を上手く拾えない。

 だが、その風鐸の軽やかな音を掻き消す力は無いくせに、腹に轟き神経に刺さる弔鐘の音を聞き取れるくらいには、真は耳の状態に慣れてきていた。

 聞こえない、と気を緩めていた事に臍を噛みつつ、虚海は瓢箪型の徳利を手の内で転がして場を誤魔化そうとしてくる。しかし、真は引き下がらない。

「虚海様」

 重ねて強く出る真に、むぅ、と虚海は唸るばかりだ。

 口篭る虚海では埒が明かない、とみたのか、真は克に視線を移した。


「克殿。何方のもの、なのですか?」

「……後主殿のものだ」

「後主殿……!?」

 以外な人物の名に、真は絶句する。そして、何故? と膝を詰めて克に迫る。

 本当は、伝えたくなどない、と云うよりも克としては、名を口にするのも嫌のだろう。克は、盛大に口をへの字曲げてそっぽを向いた。頬の高い位置に出来る笑窪が、歪んでいる。その凹み具合が、忌々しい、と言っているようだった。

 だが、珊につんつんと袖を引かれて、この場においての適任者は自分を置いていない、と腹を据えたのか。克は大仰に嘆息しつつ、膝を整えて座り直した。

 そして、ゆっくりと真に西宮での出来事を話して聞かせる。克の語りで足りない部分は、虚海が横から上手く補足してくれた。

 痛みから、蒼白だった真の顔色が、聞くほどに赤く、黒く、悪い血の道が通っていく。そして話しが後主・順の最後を迎える辺りになると、再び蒼白になっていく。克が話し終える頃には、真こそが鬼籍に入るのでは、と心配になるほどに顔色をなくしていた。


「珊、其れで、椿姫様は?」

「う、うん、今んとこ、落ち着いて寝てるよ? でも、あたいがこっち来たのは、起きた時にさ、気持ちが沈み過ぎちゃって身体壊さないようにって、向こうじゃ作れない薬湯を作る為だったんだ」

「そう……だったのですか……」

 私の為に大切な時間を使わせてしまって申し訳ありません、と真は珊に頭を下げると、もお、やめてよぉ! と珊はぷりぷりした口調で怒った。

「珊、直ぐに、産屋に戻って下さい。私も、椿姫様が、心配ですから」

「う、うん、そりゃ、あたいだって……。で、でも、でも!」

「……はい?」

「し、真……は、大丈夫……?」

「はい、有難う御座います。でも、此処は、施薬院ですよ? 虚海様も那谷も、居ますから。私の心配は、いりません。珊は、どうか椿姫様の傍に、ついていて差し上げて下さい」

 まだ耳鳴りでふらつくのか、頭を下げる事が出来ない真は、代わって目蓋をゆっくりと閉じてみせる。大丈夫だ、と少しでも示したいのだろう。

 珊は後ろ髪を引かれる面持ちながらも、真の気持ちを組んで、ん、分かったよ、と素直に座を立った。真も心配であるが、椿姫も心配であるのは確かだ。それに今の椿姫には、少しでも多く女手の助けがあった方が良いに決まっていた。



 珊が姿を消すと、克が顔付きを武人のそれに改めた。

 今回の禍国への帰国には、克も同行する。

 少しでも真の意向を自分のものとしておきたい、という気持ちの表れだった。其れは芙も同様だった。す、と音もなく合間を詰めてきた。

「此度の、西宮における、この後主殿の騒動、だが」

「はい」

「真殿は、後主殿に、右丞が命令を、下したのだと、思っているか?」

 まだ気を使って言葉を切りつつの克の問いかけに、いえ、と真は答える。

けしかけたのは、確かに兄で、間違いはないでしょう。ですが、恐らく、双方共に、踊らされての事、でしょうね」

「むう……?」

 克が腕を組んで唸り、芙が半歩分、身を乗り出してきた。

「では、右丞の背後に居る、大令の?」

「うむ、大令殿を経由しての、右丞の仕業、と捉えて良いのか?」

 芙と克が当然のように口にした答えに、さて、どうでしょうか、と真は目を伏せる。伏せながら、真は知らぬ間に左腕を摩っていた。

「そんな、単純に捉えては、いけないと思います。今の禍国の王城は、魑魅魍魎が跋扈する、蠱毒の窟と、なっておりますから」

「大令殿の仕業、と見せかけての、別の手が及んでいる場合を、想定しておくべき、と云う事ですか?」

 芙の意見に、はい、と真は答える。

「そ、そうか……」

 ぐ、と顎を上げて克は天井を睨んだ。確かに、芙の云う事は至極真っ当だ。


 ――大令・兆を利用し、且つ、右丞・鷹に罪を被せようとしている者。

 

 と一言で言い表したとして、誰も彼もが怪しすぎる上に、目星となる人物ばかりだ。

 正直、見当もつかない。

 瞬く間に集中力を欠いて、眠そうな目つきで唸りだした克に、くす、と真は笑い声を零した。芙もつられて、唇が僅かに歪む。

 見咎めた克と芙が言い争い出した横で、真は、密かに表情を引き締め直していた。



 『椿姫の子は郡王の胤でない』


 克の話の中には、この言葉は出てこなかった。

 虚海も、何も口を挟んではこなかった。

 と言う事は、後主・順は、この言葉に踊らされたのではなかったのか?


 ――椿姫は耳にされなかったのでしょうか?

 ならばますます、兄のこの呪いの言葉を誰にも教える訳にはいかない。

 この言葉の出処は、奈辺にあるのか。

 それを突き止めねば。


 ――明らかにせねばなりません。

 そう、必ず。

 己の決意すら、耳鳴りの雑音に反響するなか、それでも真は固く誓った。



 ★★★



 流石に疲れを覚えたのだろう。瓢箪型の徳利から口を離した虚海が、辛そうに顔を顰めた。

「ちょぉ、横にならせてもらうわ。薬も塗らな、あかんでな」

「はい、長々とお引き止めして、申し訳ありませんでした」

 虚海は克に背負われて、奥の自室へと引っ込んでいった。肩か頭か触れたのか、その先で軒下に吊るされていた風鎮が、カロン、と鳴いた。

 認めたがらないだろうが、普段幾ら軽快に減らず口を叩いて明るくしていようとも、寄る年波には勝てない、と言う奴だ。あっちこっちに引きずり回されたのが効いているのだろうし、何よりもまだ、一月近い赤斑瘡あかもがさ撲滅の為の働きの疲れも残ってもいたのだろう。

  芙もいつの間にか、姿を消していた。真に請われる前に、蔦に此れまでの此方の様子を伝えに行ったのだろう。


 皆がいなくなると、真も同様に異様な身体の重さを感じ始めていた。此処に来て急激に痛みを訴えだしたのは、安堵のせいだろうか。

 横になってしまえば、起き上がる事は困難……というよりも億劫・・になってしまうとわかりきっている為、無理やり姿勢を正していた。

 ――何とか、戰様と話をするまでは、起きていないと……。

 そして意地でも家に帰らねば。

 また、幼いさいが心配する。

 今朝は、あんなにも機嫌が良かったのだ。

 出立前に、笑顔を曇らせる事は極力したくない。

 しかし、この成りでは何をどう言い繕っても『何か非常事態だ』と言い触らしているようなものだ。

 ――どうした、ものでしょうか。

 どうやら、虚海が宣告した言葉に従って熱が出だしたらしい頭は、何時ものように回転してくれない。盛大に溜息を吐くと、ゆら、と空気が動いたような気がした。

 いや、確実に動いた。

 聞き慣れた薫香がする。

 耳が聞こえない分、鼻の感覚が鋭くなってきているようだった。


「戰様?」

 視線を上げると、果たして、戰が部屋の入口付近に佇んでいた。

 直ぐに声をかけても聞き取れない、と分かっている為、真の正面に座るまで話しかけようとしなかった戰は、心底驚いた表情をしてみせた。

「私だと、どうして分かった?」

「椿姫様が、戰様の為に、と、特別に薫物合たきものあわせをなさいました、香が匂いましたので」

 そうか、と戰は微笑んだ。

 戰が身に纏う衣服には、椿姫が戰の為にと選んだ薫香が染みこませてある。

 香りには、仇なす汚穢おわいを除き、魔と邪からの障りより遠ざけ、気力を鋭く満ち足りさせ、心身を清浄に保つ力がある、とも信じられている。が、禍国においては香道は既に教養の一部分で、其処まで深い意味を求めてはいない。だが、祭国においての香道は祭祀の一部としての考えが、未だに息づいているらしい。お香を纏うのは一種の護符のようなもの、として決して疎かにはしないのだ。


「真」

「戰様」


 二人同時に話しかけて、思わず仰け反るようにして、互いを見る。

 一瞬、言葉を失くすが、また同時に、ぷ、と短く吹き出した。

「戰様から、どうぞ」

 ああ、と言いつつ、戰は真の真正面に向かい合い、丁寧に膝を折って座った。

「あの弔鐘だが」

「はい」

あるじは誰か、聞いているかい?」

 はい、と頷く真に、そうか、と戰は嘆息した。

「此度のこの仕儀、禍国によいように利用されるわけにはいかない。学は、葬儀は執り行わぬと定めたが、せめてと」

 既に国王として身内を切り捨てる果断さと、そしてそれでも心を添わせずにはいられない繊細さを併せ持つ少年王の心情を思い、真は天井を仰いで目を伏せた。


「……椿姫様は? 珊から、聞きましたが……お心を、乱されては、おられませんか? 戰様が、お傍に付いていて、差し上げた方が、宜しいのでは?」

「うん……しゅんに乳をやった後にね、流石に疲れがきたのか、寝入ってしまって……そのままなんだ。今は、苑殿が、ついてくれているよ」

「そう、ですか……」

 それから、と戰は一旦言葉を切った。

「椿の、産屋を出る日取りだけれどね」

「……はい」

「次の吉日良辰へと、振り替える事にしたよ」

 そうですか、と真は今度は俯いて目を伏せた。

 喪に服する事すら許さないと、学が、国王として決めたのだ。

 椿姫は、それに準じねばならない。

 ただ、哀悼の意を示すな、とは言ってはないない。

 だから、他火の火を落とす日を遠のかせる事で表そうとしているのだ――この、弔鐘と同じように。


 しかしそれだと、戰が禍国へと出立する日に、椿姫は見送りに出られない。

 すれ違ってばかりだ、と戰は自ら口にした。

 だがまさかまた、出立に合わせてこのような仕儀に相成ろうとは。


 ――私と椿は、非情な時こそ共に、と恋い慕い想い合う素直な心のままにすら、過ごせない定めなのだろうか。

 遣る瀬無い、としか言い表しようがない、と戰は目を瞑った。



 ★★★



 懐に手を入れた戰が、直ぐに何か包を掴んで出してきた。

 広げると現れたのは、台獄に転がっていた例の木簡だ。

 戰から木簡を手渡された真は、素早くその内容に目を通す。

 そして、無言のまま戰に向かって差し出し返してきた。

 戰も、静かに受け取ると元通り包み直し、そして懐深くに仕舞いこんだ。

 暫く、摩るような格好で木簡を仕舞った処に手を当てていた戰だったが、ゆっくりと口を開いた。


「真」

「はい、戰様」

「敵は、誰だろう」

「……」

「何処にいて、どうして私ではなく、椿と後主殿を狙ったのか、分かるか?」


 兄・鷹の言葉が胸に谺する。

 戰の言葉尻からは、あの言葉を耳にしていない者だと感じ取れ、真は表情には出さぬように、しかし心底ほっとした。

「それについては、戰様、敵が放った矢尻を、見せて頂きたいのですが」

「うん?」

「確かめたい事が、あるのです。戰様、杢殿も克殿も、芙も、呼んで頂けますか?」

「分かった。城にいる、類や通には、まだ、知らせなくていいのか?」

「はい、彼らは文官ですから。此方の話が纏、まってから話をした方が、良いと思います。それと、椿姫様をお守りしていた、殿侍たちの中から、誰でも良いので一人、此方に、呼び出せないでしょうか?」

「うん? それは、構わないと思うが……」

 お願いします、と目を伏せる真に何かを感じ取った戰は、分かった、と素直に応じた。


「他には、もう何も無いかい?」

「後は……」

「後は?」

「あの、仕人の少年が心配です。鴻臚館にて、更に厳重に守らせるよう、お願いします」

 わかった、と戰は立ち上がる。

 ふわり、と椿姫の分身のような香りも、共に立ち上がった。



 ★★★



 最初に、克が虚海の元から戻ってきた。

 続いて、杢がやって来て、克の隣に座る。

 杖を付いてのこれらの動きは、例え痛みがなくとも大変なものだ。しかし、杢は既に流れるような所作の一つに変えてしまっている。身体の動かし方を心得ている者の強みだろう。その杢に、密かに、何時でも手を貸すように添っている処は、仲間思いの克ならではだろう。しかし幾ら克の気遣いがあろうと、今の杢では真と同様、施薬院までの移動距離すら辛いだろうに、おくびにも出さない。此れも、武人の中でも勇名を馳せた彼ならでは、だろう。

 いつの間にか戻ってきていた芙は、最初壁の隅に身体を隠すようにし、気配を消して佇んでいた。が、そこにいられては会話が成り立ちませんよ、と真が苦笑交じりに手招きしたので、不承不承ながら側に寄ってきて膝を揃えた。


「真殿、大変だったな」

「はあ……こればかりは、父の武門の誉れの血筋を汚す、と貶されても、口答えできません」

 あらましを聞いた杢の気遣いの言葉に、真はいつもの調子で答えた。其れだけ言えれば安心だ、と杢は珍しく白い歯をみせて笑い声をたてる。そして、改めて克の包帯にも視線を向けた。

「克殿も、傷の具合はどうだ? 痛まないのか?」

「ああ、珊が手当してくれたからな。まあ、禿げにはならんだろうよ」

 照れたように、克が包帯を巻かれた後頭部を一頻り撫でる。

「……禿げ……?」

「え……と、克殿の、心配の為所しどころは、その、そこ……なの、ですか?」

 真と杢は、珍妙な顔付き合戦をするかのように目を見合わせた。



 笑い声が上がる中、遅れて戰もやってきた。

「杢、克も。芙も来たか」

 彼に従う殿侍の手には、分厚い包がある。

 礼を捧げようとする杢と克に手を払って、よい、と示した戰に杢は早速尋ねてくる。

「陛下、それは?」

「矢だ」

「奴らの、ですか?」


 そうだ、と答える戰の傍らで、殿侍は包を床の上においた。

 真が手を伸ばして包を解くと、矢尻が数本、姿を現した。

 流石に付着した血肉は綺麗に落とされていたが、隠しきれない腐臭に変質しだした悪気が漂っている。


 これは、と呻くように呟きながら杢は矢尻の一つを手に取り、まじまじと舐めるように見詰めた。そして克に無理矢理、手渡した。いつも憮然とした杢の面持ちが、別種の強張りをみせている。

 矢尻を押し付けられた格好の克も、手にした途端に表情を強ばらせる。かと思うと半瞬後には二人は強張りを解き、揃って憤怒の表情へと変化していた。


 ――克殿は兎も角、杢殿までが?

 芙は、大の男が少年の様に嚇怒に身を焼いている姿に、僅かばかり凝視する。その傍らで、自らも手を伸ばして一本を改めながら、真が二人の口元に注視していた。


「杢殿、克殿、どうでしょうか?」

「杢? それに克も。どうしたというのだ? この矢尻に何かあるのか?」

 戰が、杢と克の怒髪天を衝く怒りの凄まじさに、逆に何が何か分からないと言いたげに眉を顰めている。


「陛下、この矢尻は、兵部の最高位の任に就かれた方が率いる部のみが所持する事を許された矢、です」

「この矢尻、此れは兵部尚書様が直接率いる部隊のみが携える誉れを許された矢です、陛下」



 怒り心頭、正しく心火に身を焦がしながら、杢と克は同時に答える。


 今度は、戰が顔を強ばらせた。




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