15 弔鐘 その1-1
15 弔鐘 その1-1
順のくぐもった叫び声が不気味に轟き響き渡る中。
後頭部を抱えるようにして、克は呻いていた。
流石に同じ部屋では憚りがあると、殿侍たちが引き摺るようにして隣室へと克を引っ張っていってくれたので、珊は大っぴらに診療道具を広げている。広げているというより散らかしている、という方が正しいかもしれない。混乱しきって、何をどうすれば良いのか分からなくなっているのだ。
しかし、当の怪我人である克の方が平静を保っていた。
当然だ。
大体、この程度の傷を負うなど、一度戦場に出れば当然で、何の不思議もない。更に責任のある立場になれば、矢面の正面に立たねばならないのだからその確率は格段に高くなる。
先の堤切りの策のを実行に移した際、投石機の指揮統轄したのは克だったが、あの時、特に何事もなく済んだのは実は奇跡に近い。句国との戦の時には真が、河国との戦の時には杢が大怪我を負った。それが当たり前の世界に生きているのだ。
と、格好の良いことをつらつら並べ立てた処で、痛いものは痛い。
「あぁ、くそ、畜生め、いってぇなあ……」
「克、ねぇちょっと、あんた大丈夫!?」
「あ? あぁまあ、ちょっと斬れた感じはするかな……ま、大丈夫だろう、晒をくれないか?」
「へ?」
「いや、この程度の傷なんか、晒で押さえて血止めしとけば大丈夫だよ」
「やだ、ちょっと、なんかじゃないでしょ!? 頭の後ろで、ぶし、っていってたじゃない、ぶし、って!」
「いやまあ、そりゃ……」
「いいから診せなよ、ほら早く!」
克の適当な自己申告に、珊は慌てて首筋のやや上辺りに手を回した。
すると、生暖かく絖りと粘りと帯びたものが手の平と指にぬちゃり、と絡んでくる。妙に凝った飾り彫りの支柱で角が幾重にもかさなるようにして尖っていた為に、皮膚がささくれたようになり出血したのだが、未だに血が止まらずにいる証拠だった。
糊のように、べたり、と珊の手の平を濡らしている自分の血を、ほら! と眼前に突き付けられては、克も平気だと虚勢を張るのは難しい。とは言うものの、珊に心配はかけられない、と克は殊更に笑顔を作る。
「いや、本当に大丈夫だ。この程度の出血なら、心配する事はない。大体、頭を打って血が出てないとまずいが、目に見えてちゃんと出たんなら止血するだけです……」
「馬鹿言ってんじゃないよ! このすっとこどっこい! 痕が禿げになって残ったらどうすんの!?」
「はげ、って、お前……心配のしどころって、其処か?」
「そうだよ悪い!? いいから早く見せなって!」
ほら、後ろ向いて! と肩をどん! と強く叩かれた克は、此れが怪我人に対する仕打ちか? とぶつぶつぼやきながらも素直に珊に背を向けた。これ以上何を言っても、食って掛かられるだけなのは明白だ。しかも、珊に口でかなうわけがないときているのならか、大人しく言う事を聞いておいた方がまだ実害は少ない、と踏んだのだ。
腹を括った克は処置がし易いように、と少々前のめり気味に俯き加減の姿勢をとった。その克の後頭部を覗き込んだ珊は、ぎょ、と目を剥いた。
克がさらりと口にしていた程、生易しい傷ではない。
剣や小刀などで怜悧な刃物で斬れた傷ではない為、ぱっくりと幾筋も裂けた肌から、どろりぬらり、と滲み滴る血は、目にはより一層生々しい。
「あぁ、あぁ、もうほんっとに馬鹿なんだから!」
「……怪我人に、そう何度も、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿言うなよ」
「馬鹿だから、何度馬鹿って言っても効かないんじゃん! ほら、処置するよ!」
湿った声で異議不服を申し立ててくる克を完全に無視し、珊は手際よく傷の周りの髪を小刀で切って短くしていく。ざく、ざく、と柴を刈るような音が続き、その度に血で湿った髪が束になって、ぼさ、と落ちていく。
髪を切り終えると、珊は投げる様に小刀を置いた。そして今度は、傷に効く薬をがちゃがちゃと探し回る。
一番手っ取り早く処置ができるのは、紫根と当帰、大黄などを胡麻油と蜜蝋で混ぜた練り薬で、此れは虚海の特製品だった。それまで胡麻油が中心だった練り薬だが、蜜蝋が練り薬に有効に使えるものというこの発見は、実に大きな、そして画期的な発明だった。
蕎麦の栽培と共に養蜂にも力を入れた副産物と言えようか。
結果、薬にも利用と応用が効く量が生産されるようになってきたのだ。胡麻油と違い、蜜蝋は練り薬の硬さを調節する事ができる。薬が晒にばかり染み込んだり、垂れてしまったり、此れまでの外用の練り薬は薬効が薄れてしまう弊害が多かった。その為に高価な薬を無駄にしてしまい、更に取り合う形になっていたのだが、この発明により無駄がぐっと減り、少量で効果が抜群に現れるようになっていた。
虚海印の怪我の特効薬の中でも人気一番の薬を手に、珊は克に向かって唇を尖らせた。
「動かないでよ?」
おう、と克は殊勝に答えてじっとしている。
小さな壺を取り出し蓋を開けると、箆で目にも鮮やかな紫色の軟膏を乳鉢に取って練る。綺麗に混ぜ合わせ直した後、紫色の薬を盛るように晒に塗り付けた。それを、傷に押し付けて宛てがう。
「薬つけてから、変に痛んだりしない? 人によってはぴりぴりするって言うんだけど」
「そうなのか? いや、俺はそんなふうには感じないが」
そっか、なら良かったよう、と言いながら珊は立て膝たちになる。克の頭の上に覆い被さる格好になって、手際よく包帯で晒を固定していった。
薬による痛みはなくとも、怪我の具合は想像以上に悪かった為、ちらちらと様子を伺ってくる珊に、克は俯いたまま声を出して笑った。この程度の怪我で、と言いたげだ。
「有難うな、珊」
頭を上げずに、いつもの調子で明るく礼をいう克に、珊はうん、と小さく答える。
何故か、胸がきゅぅ、と締め付けられる感じがして、最後の最後の仕上げである、包帯の先が上手く結べない。ああ、ほんっとにもう、と自分でも不思議に思いながらもたもたとしていると、克が済まさなそうな声を出してきた。
「……珊」
「なに?」
「いや、その……」
「何よ?」
「早く離れてくれんと、その……」
「だからぁ。何なんだよう、もう、はっきり言いなよ」
「その、その……、む、む、む……をだな、見る訳にいかんから……その、頭……が、だな、上げられん……わけ、なんだ、が……」
「え? 何見るって? む・む・む?」
「た、頼む……こ、これ以上、言わせないでくれ……」
「え?」
克は顔を真っ赤にして、しどろもどろだ。
立て膝の姿勢を取って克に覆いかぶさっていた珊は、やっと気がついた。
克の目の前で、頭に包帯を巻く度に自分の胸が、上下左右に、ふるんふるんたぷんたぷん、と景気よく震えていた事に。
★★★
ぼこぼこに殴られた克と、彼をぼこぼこにした張本人である珊が、やっと後主・順が虚海の処置を受けている部屋に戻ると、其処は修羅の場と化していた。
ひぃひぃぜいぜいと肩を怒らせながら、虚海が全身を返り血で染め上げて血の海に沈んでいる。
顔に刻まれた簾のような傷痕にまで、がっちりと喰い込むように入り込んだ血糊は、虚海を悪鬼の類かと見誤らせるに充分な恐ろしさをたたえていた。
ごく、と克ですら喉を鳴らして唾を飲み込む。珊は、ひっ、と小さく叫んでその克の背中に飛び込むようにして隠れた。
「虚海殿、どうなった?」
「おお、克さんか……どうもこうもあらへんわ……」
ふへ、と虚海は唸り身を捻ると、べちゃ、と血の海に手が浸り絖った音が響いた。ひゃ! と珊が奇妙な悲鳴をあげて身を竦ませる。しかし克が虚海を抱き上げて寝台に横にさせると、やっと珊もやらねばならない事を思い出したらしい。
「あ、あたい、お湯もらってくるよ! 待ってて!」
おう、頼む、と声をかける克とは裏腹に、虚海はうっそりとした視線を天井に向けるばかりだ。
「虚海殿……?」
「なあ、克さんや……」
「なんだ?」
「儂、もしかしたらお姫さんと皇子さんに、恨まれるかもしれへんわ……」
「――は?」
ふう、と深く息を吐いた虚海は、血に塗れた手を伸ばして彷徨わせ、愛用の瓢箪型の徳利を探した。
★★★
栗少年がやって来た、と舎人より伝え聞いた右丞・鷹は、にさり、と笑いながら寝台に横たえていた身体を物憂げに持ち上げた。
途中よろけ、脇に添えてある机に手を付く。ガタ、と不平の音をたてて置いてあった酒杯替わりの碗が横倒しになったが、鷹は構わなかった。
垢滲みた臭いを発する襟首や袖口、無精髭と崩れた髷が目にみずぼらしい。台獄されてよりの不摂生、特にここ数日の深酒に浸る生活を如実に物語っている。
「入れ」
命じられて、おずおずと栗少年が入室してきた。
鷹は、少年の恥じ入るような様子を舐めるように眺めつつ、寝台の横にあった机の上に置いてあった瓶子に手を伸ばす。口を摘んでぶらぶらとさせながら、鷹は栗少年に饐えた目付きを向ける。
「首尾はどうだ?」
ちっ、と舌打ちしつつ瓶子の影からジロリと栗少年を睨む。震え上がりながら、は、はい! と少年は答えた。
「は、はい、あ、あの、右丞様の御命令通りに……」
ふん、とぞんざいに鼻先で答えると、鷹は瓶子を抱え込む。
「あ、あの……」
「何だ?」
「ほ、本当に、此れが薔姫様の御為になるのでしょうか……?」
ほお、と鷹は片眉を跳ね上げつつ、瓶子を口元に運んだ。
父・優が囲う不埒な女の腹から出た『所有物』の嫁となった姫君の名を、久方ぶりに耳にした。
思い出す姿は、椿姫の淑やかで嫋かな、これぞ正しく『姫君』と讃えられるそれではない。快活で闊達な、といえば聞こえは良いが、凡そ姫とは思えぬ、庶人顔負けのお転婆ぶりを発揮している姿だ。一度など、『所有物』と木登りをしていた。
――何処が、姫君だ。
呆れ果てる、とは此の事だ。
折に付け母屋に届けられる季節の品や法要や宴に伴う品が、唯一、彼女の実家の存在を匂わせはするが、身に纏っている錦を変えれば其処らの女童に紛れ込んでいても分からないだろう。
母親である蓮才人の出自とて王族ではあるらしい。が、其れも禍国に併呑された亡国の、だ。宗主国である禍国に尻尾を振る事で生きながらえる事を選んだ、浅ましい戌の国ではないか。
――戌。
という言葉を思い浮かべて、鷹はククク、と喉の奥を鳴らした。
戌、とは『犬』という意もあるが、滅に通じるとされる。全ての草木が枯れ果てる様を表すのだ。根幹である楼国の現状の姿を、此れ程如実に言い表している言葉はあるまい。
――鵟の嫁になった、野良犬の姫だな。
相応しい、全く似合いの夫婦ではないか。
喉の奥を、ククク、と鳴らして笑いつつ、ふと、仕人の少年に目をやる。少年は、自らが口にした姫の名に頬を赤らめている。
へっ、と鷹は目を細めながら直接瓶子に口をつけた。
――身分卑しい小僧が。我が国に尻を振る、戌の国の野良犬姫に色気づいておるのか。
それもまた似合いではないか、汚れた身分同士惹かれあうとはな、と蔑みながら、瓶子を傾けて中身を喉に流し込もうとする。が、ちょろりとしか残されていない事に気付く。喉を癒すには程遠い、逆に乾きをいや増すか細い滴りに、鷹は明白に苛立ちの目を向ける。
少年は、自分が何か不興を買ったのだと勘違いしたのだろう。
動かしかけた手を、びく、と縮こめつつ引っ込めた。
「あ、あの……」
「気にするな。良いから出せ」
少年は、おずおずと懐の中に手を入れ、そして何かを握り締めつつ出してきた。
竹簡と、何かを包んだ布切れだ。
「あの、本当に私が右丞様の資人として、その、お仕えなどしても、宜しいのでしょうか……?」
「あ? なんだぁ貴様、右丞である私の資人では不服と云うのかぁ? あ~ん?」
「い、いえ、とんでも御座いません! そ、そのような! む、寧ろ私のような身分卑しき者が、右丞様にお仕えする栄誉ある職に抜擢されるなど、あの、ゆ、夢のようです!」
資人とは、4品以上の品位の官職者に付けられる、所謂従者のような者だ。禍国においては、多くの高官が私設に構えている。
「お前は年と身分の割には、聡敏で役に立つ。功を積んでゆけば、何れかの尚書に取り立ててやれるよう、内々に計らってやる。さすれば、文官への道も見えてくる」
「は、はい!」
栗少年の顔ばせが、希望に輝く。
文官として王宮内に出仕する事が叶えば、まさに一族郎党きっての誉となるのだ。
竹簡に手を伸ばし、書かれている文字に目を走らせながら、にやり、と鷹は口角を持ち上げた。そのまま、懐の奥深くへと仕舞い込む。ちらり、と包にも目を走らせると、ふふん、と何処か勝ち誇ったように笑った。
少年は、自分の明るい未来に思いを馳せているのか、何処かとろんと夢見心地でいる。
――捕らぬ狸の皮算用、だな。出世にも色気づきおって。
此れだから下賤の者は、扱い易くていい。
「それはお前が持っていろ」
「えっ!? あ、あの、でも……」
驚き、戸惑う栗少年の肩を、ぽんと鷹は軽く叩く。
「私が持っているよりも、お前が持っている方が見付かりにくい。子供のお前を疑うなど、先ずしないであろうからな」
「で、でも……」
「もしも見付かりそうになったのであれば、無くしてしまい、知らぬ存ぜぬを押し通せば良いだけの事だ」
分かったな、と覆い被せる様に命じてくる鷹に、栗少年は、はい……としか答えられない身分だ。
今度は、自分は此れからどうなるのか、という心配が首を擡げてきたのだろう。仕人の少年は、視線をうろうろと指せ始めた。
鷹はそんな少年の姿を見て、うっそりと侮蔑の笑みを口角に刻む。
せいぜい、私の為に尽くせ。
失敗なぞ、恐るな。
――何しろ、捨てるにも、後腐れがないのがお前たち下賤の出の最大の利用価値なのだからな。
★★★
部下を引き連れて、芙は疾風の如くに走った。
無論、目的は命じられた仕人の少年の身柄の確保である。
自分を含め片手の指の数しかいない仲間であるが、襁褓で尻を膨らませている頃から、ずっと共に育っている間柄だ。芙としては、彼らは部下というよりも、これ以上望めない大切な分身と言えた。
不意に、脚を止めると同時に芙たちは、さっと物陰に散って気配を隠した。
王城内であるから、理由を知らぬ殿侍たちが見回りにきているのだ。が、彼らが裏切っていないとも限らないし、よしんば裏切っていないとして、純粋な厚意から助太刀を申し出られても、この場合は足手纏いにしかならない。
また、実情を彼らに漏らした処を勘付かれ、知られたと敵に目をつけられないとも限らない。自分たちが注目を引き付けるのであれば良いが、彼らのようなど素人には、害にしかなるまい。
――早くこの場を立ち去ってくれ。
様子を伺っていると、交代の定刻であったらしく、何やら引継ぎらしいやり取りを始めてしまった。
無駄な時間を費やす訳にはいかない、と判断した芙は、面体を覆面で覆ったまま、ひゅ、と口笛を吹いた。独特の音は、慣れていなければ隙間風のようにも聞こえることだろうし、そもそも聞き取れるか否か、といったか細いものだ。しかし、仲間のうち半分は其れだけで、さっ、と二手に別れた。
芙は、眸に力を込める。
――行け。
視線で命じられると、部下たちは頷きを返す暇すら惜しんで、さっと爪先の向く先をそれぞれ変えた。命じる芙の眼光を、待っていたとばかりに男たちは旋風が場所を変えるより鮮やかに方向転換を遂げて走っていく。
少年を保護する為に、鴻臚館方面へと。
――しかし、鴻臚館に居るとは限らない。
ひゅ、という短い口笛をもう一度吹くと、残りの半分が更に周囲へと散っていく。
既に、右丞・鷹は少年を手駒として動かし出している。
と、なれば大人しくしている確率の方が低い。
杢の依頼もあり、仲間の内で鴻臚館にいる仕人の少年を見張らせてはいたが、泳がせるように指示を出してしまっている。
少年仕人が大人しく鴻臚館の中に留まっていて呉れれば良いが、そうとも限らない可能性の方が、今は大きい。
部下たちの背が消えるのを見届ける事なく、芙は風を感じる天を仰ぐ。
託された少年仕人を守らねばならないが、さりとて、その命じた真の命を軽んじるなど、芙には到底出来ない。
――早々に、仕人の少年の身柄を保護して真殿の元に駆けつけねば。
芙には、真が右丞に対して、口攻撃で撃破する姿なら兎も角も直接手だしでの死合の手の中で、己の命を守りきる、という想像が出来ない。
――口先勝負で済むのであれば、右丞なぞ、真殿では勿体無さ過ぎるというものだが。
右丞のような輩は、口や頭で何ともならぬとなれば考えるより先に手が出る。
真は、そのいざという時において、磐石に己が身を守りきれるという信用のある人物ではない。
今の自分たちの心情には全くそぐわぬ、清らかな秋の空が広がっているのが、芙には滑稽に思えた。
天宙を統べる天帝が、地を這いずり回り、悩み迷うしか能のない自分たちを哀れんでいるかのようにも思える。
無事であってくれれば良いが。
ならば、泳がせるのではなかったのか?
無理矢理にでも攫うようにしてでも、少年を守るべきだったのか?
真殿の采配を受けていれば、悩まずに済んだのか?
矢張、自分たちだけでは足りないのか?
焦る芙の元に、鴻臚館へと先んじた部下たちが引き返してきた。
芙の前で面体を覆っていた布をずらすのは、敵に入れ替わられた愚を犯していないという証を見せる為、本人確認だ。
殿侍たちが交代を済ませて姿を消したのを確かめてから、声をかける。
「どうだ?」
「はい、右丞に呼び出されたようで、鴻臚館にはおりません」
ご苦労、と労う芙の声を聞きながら、部下たちは再び面体を覆い隠す。
「鴻臚館は、克殿が完全に封鎖するだろう。なれば、今居る手の者だけで間に合う。私は真殿を守る為、右丞の元に向かう。お前たちは何としても仕人の子供を探し出せ。見つけ次第、鴻臚館へと連れて行け」
は、と答えつつ部下たちが姿勢を低くする。
「やれる事をやりきるのみ、だ」
今更悔やんでも仕方が無いのであれば、目の前の最善を尽くすのみ。
芙が再び唇を窄める。
ひゅっ、と風を切る口笛が男たちの耳朶を叩く。
音を合図に、芙は台獄に、部下たちは三三五五と散っていく。
芙たちの足元に、一陣の風が生まれる。
だが微かな音も、塵すら、巻き起こらない。
正しく風そのものだ。
秋の空は、風をも吸いあげて、突き抜けていた。




