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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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14 後主・順 その4

14 後主・順 その4



 産屋に到着すると、杢の命令の元、学は直様、産屋の一角に身を潜める。

「よいか、決して気を抜くな」

 低い声で命じる杢に、兵仗たちは緊張の面持ちで頷く。

 産屋に着くまでも、身を潜めつつ悟られぬように、であった。この産屋に学が潜伏しているのだと、知られてはならないからだ。

 それは、敵だけでなく味方こそだった。

 ふと漏らした一言で、いつ、誰がどの様に狙われるか分からないからだ。



 なにか切迫した緊急時であると悟った苑は、緊張した面持ちで別室に姿を隠す学を見送った。ちらり、と交わした視線で、母上、ご心配なく、と学は語りかけてくる。

 我が子の成長を感じ胸が濡れる思いをしつつも、苑は杢に説明を求めた。

「杢殿、一体何があったのでしょう? 妃殿下ではなく何故、陛下が此方に?」

准后じゅこう殿下、先ずは、神聖なる場を騒がせ、且つ汚れある身でありながらしゅん殿下の御座おわします産屋に寄りし我が身の大罪を、何卒お許し下さい」


 丁寧にこうべを垂れる杢に、しゅんをあやしていた苑は、乳母の一人に大切な皇子を託した。抱かれている腕が代わっても、満足感あふれる笑みを浮かべて寝入っている様子は、何処か威張っているようにも見える。自然、微笑まさしから和んだ空気が皇子の周りに流れた。

 星が奥へと姿を消すと、苑は自ら手を伸ばして未だ伏した礼の姿勢を崩さずにいる杢を起こす手助けをする。

 高貴なる身分の方が、と咎めようとする杢を、苑が首を振って制した。良いですから訳を早く、とらしくなく急かしてくる苑に克が戸惑っていると、畳み掛けてきた。

「赤子というものは、大人が思うほど無知でも無感情でもありません。場の空気を直ぐに感じ取ります」

「――はい」

「皇子様に緊張を強いてはいけません」

 目もあかぬ赤ん坊になど、何程の事も分からないだろうと高を括るな、と己の経験から戒めてくる苑に、杢は素直に謝罪の意を示して目を伏せた。



 ★★★



 数少なくでがあるが確実に伝わる言葉で、杢は苑に経緯を説明した。

 まだ脚の悪い杢に、と気を効かせて椅子を持って来たでんが、話を共に聞きたそうに見上げてきた。

 が、杢は厳しい顔付きになって視線を左右に振る。少女の身分からすれば出過ぎであるし、何よりもこういう時、頑是無い者の善意からの無茶は恐ろしいものだ。

「有難う。だが、お前はもう下がっていなさい」

「でもぉ……」

 鈿は頬を膨らませて、明白に異議不服の申し立てをする。すると、先輩株の宮女に、これ、と窘められ、渋々ながら礼をしつつ下がっていった。

 しかし、騒がし屋の鈿は、一瞬ではあるが緊迫した場を和ませて呉れた。お陰で、苑も感情の昂ぶりのままに杢を責める事なく、落ち着きを取り戻して次の言葉を待つことができた。


「椿は、無事でしょうか?」

「郡王陛下が向かわれておりますので」

 下手に西宮へと人を送れば、事が大きくなる。

 相手の姿が見えぬ今、此方も出来うる限り行動を狭めた方が良い。


「国王陛下と准后殿下の御身は、この私が命に代えましてもお守り申し上げます。どうぞ、御心を休んじられますよう」

 杖に身体の体重を預けるようにして、杢は立ち上がった。大きく揺らぐ杢の上体を、苑は細い腕を伸ばして支える。

 勿体無い事を、と恐縮しかける杢に、苑は俯いたまま、ぽつりと呟いた。


「……そんな事を、言わないで下さい……」

「……は?」

「命に代えても……なんて、言わないで……」


 言葉を失い、立ち尽くす杢を残して、苑はさっと踵を返す。

 目の端に、光るものが浮かんでいる苑の姿を、杢は戸惑いながらも黙って見送るしかなかった。



 ★★★



 脂汗に塗れながら、男たちは未だに平伏を解かない。

 だがしかし、話は至極簡単なものだった。


 ――自分たちは、禍国出立の折に祭国にて疫病を流行らせるよう、密命を受けた。

 首尾よく、病が蔓延すればそれで良し。

 もしも、失敗なり、しくじる(・・・・)なりしたのであれば。

 その時は密かに入る連絡に従い、互いに協力せよ、と命じられた。


 普段、頭が割れる、と辟易する程に真の饒舌すぎる細かい指示や説明にやり込められている克は、逆に拍子抜けして肩をかくり、と落とす。

「そ、それだけか?」

「は、はぁ。いえ、その……は、はい、然様です」

「それで? 互いに協力せよ、とはどういう事だ?」

 鴻臚館の男たちに、ずい、と真剣な表情で疑問を投げ掛ける克に、珊は呆れて肩を竦めた。

「克ぅ、あんた、ほんっとに頭かったいねえ。ほんっとに分っかんないの?」

「ああ、全く分からん」

 キリ、と引き締まったいい顔で、全身全霊を込めて誠実に答えられた珊は、もお~、と頭を振る。

「だからさぁ、全員に、ぜ~んぶの情報渡しちゃったとしたらさ。此奴みたいに、とっ捕まった時に命惜しくて、べらべら何もかも喋っちゃったらどうすんの? みーんな、ばれちゃうじゃない?」

「お、おぉ!? そうか、そうだな。難しいことを伝えれば、逆に身体が硬くなり失敗を呼び寄せる場合もあるだろうしな」

「……そんな克みたいな奴ばっかりだったら、逆に不安すぎるんだけど。まあ、頭良さそうでまとめ役出来そうな信頼のある奴、っての? うんそう、杢みたいな奴にだけ、細かく指示だしてんだよ。そいつが、まあ、時と場合を選んであれやこれや、臨機応変っての? 命令してんだよ、きっと」

「……悪かったな、どうせ俺ぁ、能足りんで頼りないよ」

「こんな時に拗ねないでよ、馬鹿。で、こうして雁首ガンクビ揃えてたって、こいつら後の事なんて何も知らない、自分に課せられた事だけを果たせばいい、って言い含められてるから、自分たちの先が見えなくてビクビクしてんのさ。主様ぬしさまや芙なんか、あたいたち下っ端使う時にはそうしてるよ?」

 珊の言葉に、うんうん、と男たちは必死で頷きまくって同意の意を示している。


「ちょっと待て……。と、すると、右丞も知らないという事か?」

「何も知らない、って事はないだろうけどさ。肝心なことは、逆に知らないかもね。惑乱させる、と言うよりも音頭とってる頭の奴が全て仕切ってると思い込んでるのを利用してる、ってのが正しいかも。真の馬鹿兄貴に罪を擦り付けたいなら、尚更だね」

 な、成程、と克は腕を組んで呻いた。

「それに深く情報を得ていないとあらば、簡単に放逐される事はなくとも命を奪われるまではいかないだろう、という配慮もあるだろうしな」

「そんないいもんじゃないよ。本気で知らないのに、知らないわけがあるか、ってんで長く拷問にでもかけられりゃその分、別動で動く奴への目が逸らせる。その程度だよ」

 克はいい奴だね、そんな風に考えられて、と珊は逆に呆れている。

 しかし珊の言葉は、事実であるがゆえに、より辛辣である。

 使い捨て、とまではっきり言い切る事は流石にしなかったのが、せめてもの気遣いだろう。だが、彼ら自身がそれは深く自覚している処なのだろう。一様に顔色を無くして項垂れ、膿んだ息を吐きあっている。


「此奴らは、親だの家族だの為に身体を売っただけ、か」

「まーね、多分ね」

 腰に手を当てて、珊は、大仰に溜息をついた。ほら、立ちなよ、と促すと縋る様に男たちは珊を見上げてきた。殆ど拝み倒さんばかりの勢いに、やめてよぉ、と唇を尖らせる。

 命を救う為に散々ばら世話してきた見知った顔ばかりだ。

 手を尽くしている間の交流で知った彼らは、誰も見な純朴というか素朴というか、素直なだけの男たちだったし、本質はあの時見てきたままだと思いたい、という気持ちがある。

「で、お前たちに指示を出した奴は何処にいる?」

 克の質問に、男たちは項垂れつつ顔を見合わせた。

「それが、その」

「何だ? はっきりと言え。お前たちが口を割ったとしても害が及ばんように配慮はするぞ」

 些か、むっ、とした調子で克が答えを促す。頼りない奴であるとの自覚はあるが、彼らにまでそう思われるのはかなり心外だった。

「は、その、実は……」

「実は、何だ? はっきりしろ、はっきり」

「は、その、我々も、指示を出してくるのが誰であるのか、実は、分からない、のです……」

「何ぃ!?」

 そんな馬鹿な話があるか! と克が大喝すると、男たちは縮み上がった。

「誰が指示しているのか分かりもせずに、従っているというのか?」

 脳天にまで滾らせた血を登らせている克の肩を、背中から、克・克ぅ、と名を呼びながらぽんぽんと珊が叩く。


「もう、ほんっとのほんっとに、血の巡りが悪いね。だからさ、主様と芙とあたいたちと一緒なんだって、何度言えばわかるの?」

「ん? どういう事だ?」

「此奴を動かしてた奴はさ、見えないまま人を動かすのが上手い奴、なんだよ」

「ん?」

「つまり、芙さんやらみたいに人を使うのんが上手い奴が向こうさんにもおる、ちゅうこっちゃな」

「そ。芙なんかに言わせれば、人を此方の意のままに躍らせるなんて至極簡単な事、なんだってさ」

 珊と虚海に畳み込まれて、やっと克も納得がいった。

 言われてみれば、この男たちも、この期に及んで嘘は言わないだろう。本当に、何処から命じられているのか分からないのだ。

 だが、従わねばどうなるかその恐ろしさは身にしみているが故に、従っている。

 芙の言葉を聞かされれば、尚の事。より、差し迫って彼らの心情が実感出来た。


 うぬ、と克は腕を組んで唸った。

 今、火急に考えねばならないのはそれではない、と克にもわかる。

 目の前で項垂れる男たちを操ったのは、右丞・鷹なのか?

 それともその上で反り返っている大令・兆なのか?

 それとも。

 また別の誰かなのか?

 ――郡王陛下の敵が、また増えるのか?

 考えても、纏まらぬ自分の頭の中は、霧中の中で佇むようだ。

「どないする気ぃや、かっさん」

 虚海に声をかけられて、克はハッとなった。

 ――駄目だ、裏の裏まで考える仕事は、やっぱり俺にはむかん。

 仮想の敵に身構えるのは当然だが、目下、下さねばならないのは彼らの処遇をどのようにするか、だ。深く考えるのが苦手なのであれば、出来る事だけは誠実にこなしていくしかない。

 ――というよりも、自分にはそれしかないのだしな。

 心配そうに見上げてくるのは、男たちだけでなく、珊もだった。何だかんだ手厳しい事を明け透けに言い放ちつつも、情の細かいこの娘は、本気で男たちの処遇を心配しているのだ。


「どうするもこうするも。深い事情を知らないのであれば、再び鴻臚館で大人しくしていてもらうしかないだろう」

「それじゃ、此奴ら、助けてあげられんの!?」

 それまでの曇り空のような珊の顔ばせが、一気に雲を払った青空に輝く陽光のように、ぱあ、と輝く。

「助けるも糞も。やってもいない、知りもしない罪をおっ被せて、罪を問うことはできんだろ? このまま此処に居られたんじゃ、虚海殿の診察を受けたい領民たちの邪魔になるだけだ。鴻臚館に戻ってしょんぼりしてろ、と云うくらいしか思いつかんだろう」

「やだ、克、格好いい!」

「ふ、ふぉおおおお!?」

 珊は叫びざま、思わず克の首に抱きつく。大きく柔らかな丸みを胸板に感じて、克は奇妙な叫び声を上げた。全身を一気に真っ赤に染めた克を、虚海はにやにやしながら眺めるばかりだ。

「お、おい、さ、珊、離れろ、離れろって」

 ばたばたと暴れる克に、もお、と唇を尖らせつつ渋々と珊が従うのと、青白い顔をした殿侍が駆け込んでくるのは同時だった。


「どうした?」

「虚海殿、丁度良かった。申し上げます、実は……」

 伝令役の殿侍の言葉に、克と虚海の表情が厳しいものとなる。

「克さん、施薬院の診察は那谷坊に任しとこ。お姫さんの親父さんとこにゃ、儂がいったる」

「分かった。虚海殿は俺が背負おう。直ぐに西宮に行く。珊は道具を用意してくれ」

「うん、分かった、任せてよ」

 いつもの調子で飛び上がるように手を打ちながら、珊は早速、診療に必要と思われる道具をくるくると手際よく纏めだした。珊の背後で、克は周到に周辺に気を配る兵仗たちに目配せをする。

「お前たちのうち、3分の2は此処に残って守れ。注意を怠るな、特に那谷殿の護衛を怠るな。残りはこの者と共に、此奴らを鴻臚館にまで送ってやってくれ。人員の選抜は任せる」

「はい、克様」

「克さまぁ(・・・)!?」

「鴻臚館で暫く待てば、恐らく芙殿が子供を一人連れてくる筈だ。その後お前は、今私たちに話した事を芙殿に全て報告しろ。鴻臚館の警備守護する者は芙殿の命令に従い、お前は殿侍の部署に戻れ」


 的確な命令を一気に下す克に、部下たちは、はい、と小気味良く答え、輪になる。彼らは、一言二言言葉を交わし合うだけで、人選を終えたらしい。あっという間に大小二つの塊に別れる。施薬院に残る者は其々散っていくし、鴻臚館に向かう者は診察にきた男たちを囲むようにして守り、隊列を組んで去っていく。

 其処までを見守り終え、克はくるりと虚海と珊に向き直った。


「待たせたな。行こう、虚海殿、珊」

 へ~え? と目を丸くするばかりで用意などすっかり忘れている珊を、虚海は、にやにやしながら瓢箪型の徳利を傾けつつ見詰めていた。



 ★★★



 虚海を背負った克と、手荷物を抱えた珊が西宮を目指して走り出す。

 大慌てで騒がしいその塊から自分が見えなくなる角度まで消えるのを見届けてから、小さな影が、そろり、と足音を忍ばせて施薬院へと近づいてきた。

 その小さな影を目に留めた克の部下が、親しげに話しかけてくる。


「お、お前は、鴻臚館で最初に赤斑瘡あかもがさに感染した坊主だな」

「はい、あの……」

 まさか、声をかけられるとは思わなかったのだろう。

 ビク、と肩を震わせながら小さな影は振り返った。長く患って居着いてしまった間に、顔見知りとなった兵仗の一人であると分かると、幾らか身体の硬さが解れる。しかし手にした槍が陽光をきらりと反射するのをみると、再びビク! と身体を縮こまらせる。

 おどおどとした様子に、苦笑しながら男は前屈みになりつつ謝った。

 克から命令は受けているが、こんな小さな子供まで巻き込まれているとは思えないし、今までのこの子の態度から、大それた行為が出来るとも思えない。


「済まんな、怖らがらせてしまったか? 診察を受けに来たんだろうが、間が悪かったなあ、虚海様はちょうど今、出てゆかれた処だ。那谷様ならおられるから、診てもらうのなら此処からなら裏方から入ったほうが近いぞ」

「……はい、有難う、御座いました……」


 声を掛けられた影は、ぴょこり、と飛び跳ねるようにして頭を深く下げる。そして、教えられた通りに裏方の方へと走っていった。



 ★★★



 虚海を背負った克と、まとめた診療道具を持った珊とが西宮に到着すると、想像以上の惨劇の爪痕に、三者三様にたじろいだ。

 珊などは、一瞬、ひっ、と息を吸い込んだまま固まってしまう。


「虚海様、此方に」

 待っていたとばかりに袖を引く殿侍に促されて別室に入ると、其処に、文字通りにのたうち回る後主・順がいた。

 余りにも暴れまわり、初期処置すらできぬ有様であった為、縄で縛り上げられられており、その縄から、抜け出ようと更にもがいているのだ。

「胸糞の悪いやっちゃ。本当ほんま、小無ない御人ごじんやで」

 けっ、と吐き捨てつつ、虚海は簾のような傷痕を歪めて呟く。

 虚海の口の悪さは今に始まった訳ではない為、珊や克が顔を顰めたのは多かれ少なかれ、気持ちを同調させているという意思表示に他ならない。

 やれやれ、と言いつつ克は虚海を椅子に座らせると、今度は寝台に寝そべる順の後ろに回った。縄を外し、そしてこの背中に刺さった矢を抜かねば、処置も糞もへったくれもない。


「失礼する」

 全く失礼とも何とも思っていない口調で、克は順に、俯せ寝の無理矢理姿勢をとらせた。つまり、押し倒し様に腰のあたりに乗って腕を後ろ手にとり、完全に動きを封じ込めたのである。

「さて、ほんなら診せてもらおうかいな」

 出来るならしたくない、と言いたげに虚海はコキコキ音をたてて首をまわしだした。


 その音を聞いて、順は新たに衣を裂くような悲鳴を上げた。

「や、やめへっ! ち、ちにらくらい! ちにらく!」

「死にたくないのであれば、大人しく虚海殿の診察を受け――どわっ!?」

 火事場の糞力、というものであろうか。

 腰の辺りにのり動きを封じていた筈の順が、下半身全体を捻ってきた。

 僅かにだが、克の身体の均衡が崩れる。その隙を見逃さなかった順は、実は怪我など負ってはいないのでは、と穿ってみたくなるほど素早い動きで克を突き飛ばした。

「――がっ!?」

「克ぅ!?」

 克の方も不意打ちが過ぎたのと、後は不運が重なったのか。

 突き飛ばされた勢いで寝台の飾りとして魅せてあった支柱に頭を強か打ち付けた。ぐじゅ、と何か瓜のようなものが潰れた時に似た音が、克の後頭部辺りから聞こえてくる。

 珊が悲鳴をあげて駆け寄ろうとすると、順は、彼女も克のいる方へと突き飛ばした。

「きゃん!」

「うおっ!? とぉっ!」

 奇妙な叫び声をあげながら顔面から柱に向かって突っ込んできた珊を、克はよろけつつも身体を張って受け止める。

 何とか珊と柱との衝突は、身を呈して阻止した。

 が、脳震盪を起こしているのか、克は珊を腕に抱いたまま、ずどん、と転がり床に落ちてしまった。しかしそれでも無意識のうちに珊を庇って自分が下敷きになるのは、見上げた根性と言えた。


 克と珊を突き飛ばして寝台から逃れようとした後主・順は、と言えば裾を踏んでよろけた処に虚海が脚を伸ばしてきた。

「ほれ」

「にょ!?」

 呂律の回らぬまま、間の抜けた叫び声をあげて、順はべたり、と床に倒れこむ。足が縺れたまま起き上がれない順を、駆け付けた殿侍が押さえ付けた。

「早よ、背中の矢尻抜いたるで、大人しゅうしとかんか!」

「や、やら! ひちゃちのやら!」

「うだうだ煩いやっちゃの!」

 両手を合わせて懇願してくる順の脳天を、虚海は瓢箪型の徳利で情け容赦なくぶっ叩いて気絶させた。唖然とする殿侍たちに、悪戯っぽく片目を閉じてみせると酒臭い吃逆を一つし、キリ、と表情を引き締めた。



「糞ったらが! こんだけ暴れられたら、どもならんやないか! 無理矢理でええわい! 首根っこ押さえ付けといたれ!」

「はっ!?」


「矢尻を何時までも体内に残しとく訳にいかんのや! 早いとこ抜いたらんと、肉が巻き付いて抜けんくなる! そうなると小刀で切開してかないいかんくなるのや! それは避けたいのや!」

「はっ!」


猿轡さるぐつわ噛ませてまえ! この勢いで暴れ続けて舌でもかまたら、面倒がまぁ一つ増えてまうわい!」

「はっ!」


 虚海の命令に、殿侍たちも頷いて寄りかかり、いや飛び掛った。

 順の帯を解いて手際よく丸め、猿轡として口に突っ込む者。

 腕を捻りつつ抑える者。

 腰に乗って抑えつける者

 膝裏に枕をあてて抑える者。

 足首を抑えるもの、肩を抑える者。

 何も言わずとも役割を割り振って、順の全身をあっという間に押さえ付けた。


「ほな、やるで」


 突き立った矢の一つの根元を握り締め、虚海は矢を抜きにかかる。

 いざ、という時の為に反対の手に握りしめた小刀が、ぎらり、と鋭い光を反射した。




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