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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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13 少年仕人・栗(りつ) その2

13 少年仕人・りつ その2



 施薬院から鴻臚館の自室に戻されて、栗少年はやっと一息ついた。

 とは言え、赤斑瘡あかもがさが快癒してから此の方、真実に気の休まった日はない。


 自分の世話をしてくれた『姫』と呼ばれていた少女がどうなったのか。

 赤斑瘡あかもがさが治り鴻臚館に戻された栗少年は、早速、上官にあたる拾遺しゅういに話を聞こうとして鼻先でせせら嗤われた。

「お前、えらく悠長というか何と言うか。のんびりしてるな、その余裕は何処からきてるんだ? 羨ましいこった」

「……え?」

「だからな、今回の事だよ。何をどう酷く罵られようとも、全ては己の咎であると受け入れる覚悟は今からしておけ、って言ってるのさ。これは兄貴分としての最後の忠告だ」

「えっ? えっ?」

「なんだ、本当に知らんのか?」

 栗少年の反応が余りにも間が抜けている為、拾遺の男はそれまでの棘のある誂い口調を、心底気の毒そうなものに改めた。

「お前が疫を感染うつした御姫君様はな、郡王陛下の義理の妹姫、薔姫様であらせられるのだぞ?」

「えっ!?」

「しかも御姫君様の御夫君であらせられる御方はな、兵部尚書にして宰相様の御子息にして、右丞様の異腹弟おとうと御であらせられる御方なのだぞ?」

「えっ、えええ!?」

「だけではない。陛下が初陣を大勝利で飾られてより此の方ずっと、片時も離れる事なく傍に添っておられる、最も古い御忠臣なのだ」

「そ、そんなご立派な御方なのですか!?」

「ああ、今や郡王陛下のお身内の方として知らぬ者はおらぬ。郡王陛下がどのような不利な戦に出られたとしても常に負け知らずでおられるのは、かの御方が必勝の策を奏上されておられるからだ、という専らの話だ」

「そ、そんなすごい御方……」

「しかも、この虚弱な辺境の鄙の国でしかなかった祭国を、僅か2年余りの間に此処まで豊かに変貌させた政策の殆ども、彼の御方が陛下へ奏上されたものが中心だそうだ」

「……そ、そんな……」

「陛下が郡王としてこの祭国に下る際に、その人選の選抜と推薦にもあたられたそうだ。陛下はその進言をそのまま採用されたというぞ? それだけ、陛下の信望の厚い御方であらせられるのだよ」

「……」

「郡王陛下が、特別な御心と恩情をお寄せになっておられるお身内の御方だ。御姫君様は、郡王陛下の傅育者であらせられる蓮才人様の腹。その大切な義理妹いもうと姫様を、妻せておられるのだ。親しい間柄をより一層深めようとなされて、娶らせておいでなのだろうよ。だからお前は、どんな怒りを不思議はないものとして覚悟を深くしておかねばならん、という事だ」

 全身の血の気を無くしてがたがたと震え上がっている栗少年をみて、流石に言い過ぎた、と思ったのだろう。最後に救いにもならない一言を残して、上官の拾遺は去っていった。

「ま、殺される事はないだろうが、既に怒りは買ってしまっているんだ、じたばたしても始まらん。出世は出来ぬもの、とくらいは覚悟しておくんだな」


 気が動転しすぎていて、誰に聞いたのかすら、もう記憶はあやふやだ。

 だが、自分がどれだけとんでもない事をしでかしたのか、という事実は重く栗少年の心に伸し掛った。

 ――郡王陛下の御寵愛の深い妹姫様を嫁下されるほどのご忠臣で、しかも奥方様を大切にされておられた……。

 知らぬとはいえ、なんと言う大罪を犯してしまったのだろうか。

 殺される事はないだろう、という慰めも虚しくしか聞こえない。

 どの様な咎に問われても仕方がない。

 とはいえ、いつ『死ね』と、宣告されるのか。

 栗少年は、ずっと怯えて暮らしていた。

 


 ★★★



 自分は熱だけに侵されただけで、特別酷く他の症状に悩まされる事はなかった。時間はかかったが、それだけだ。

 しかし順調に快方の道を辿った自分と違い、御姫君様は症状が重かったと噂を耳にした。閉じ込められている筈なのに、こうした噂は何処からどうして漏れるのか、全くもって謎である。それは置いておくとして、噂では、医師たちをはじめ周囲は緊張の毎日を強いられた、と聞き及んでいる。

 そして今日、施薬院で帰国に向けて憂いをなくす為の診察を受けに行き、当の姫君に偶然見える機会を得られ、ますます落ち込んでしまった。

 ――僕、本当に、このままでいいのかな……。

 何しろ、この祭国の統治者である郡王・戰陛下の御義理妹いもうと姫様に己の死病を伝染うつさせてしまったのだ。幾ら疫がよくなりだしたからといって、直接声をかけて親しい態度をして頂けたとしても、いやだからこそ、へらへら安穏になどしていられないではないか。


 施薬院から戻る道すがら、何とか捕まえた院務めの下男に話を聞く事にした。

 その御姫君様が、御使である右丞・鷹の弟君の御元に正婦人として嫁下されている、とも知ってしまってから、『御姫君様の御夫君』という人物がどのような方であるものなのか、気になって気になって仕方が無くなってしまったからだ。

「あの時、姫君様を攫うように連れて行かれた方が、御夫君で御座いますよ」

「あ、あの御方が?」

 栗少年は驚愕し、文字通りに飛び上がった。

 ――随分、年が離れている御夫婦なんだなあ……。

 親子、とまでは言わないが、それにしても夫婦です、と言われて、はいそうですか、と納得して頷ける年齢差ではない。

 といっても、姫君ご自身が自分よりも年少と思しき年の頃だ。誰のもとに嫁そうと年齢が離れていて当然だ、と思い直す。


 ――お寂しい、のかな……?

 僕なんかに、あんなに話しかけられて。

 年が離れていらっしゃるから、御家族としても余りお話ができないとか、御夫君が姫君様を構われていらっしゃらないとか……?

 膝の上に、手の平を上にして広げてみる。

 ――こんな、仕人如きの汚れた手を、御姫君様は。

 小さな手で、お友達になりたい、と言って進んで握ってくれた。

 同時に、姫君の明るい笑い声と輝かんばかりの笑顔が浮かび、ぽっ、と胸の中心と頬が熱くなる。

 いつ、罵倒されるか怒りのままに扇で打ち据えられるのかとびくびくしていたのに、でも姫君は出会った時と変わらない明るさで接してくれた。身分卑しい自分に、帝室の血を嫁下したとはいえ姫君が安易に話しかけるなど、到底、考えられない。

 考えられるとすれば、きっと御姫君様は御夫君に大切にされておられないのだ。

 大事にされておられれば、仕人風情などに構おう、などと思われないだろう。まるで、身分など自分たちの間にはないのだ、とでも言わんばかりに必死な様子であらせられた。

 祖国である禍国の出である者であれば何でも良いから少しでも話をしたい、きっと、そんな切ない気持ちでいらっしゃったに違いない。 

 ――だから、姫君様は、僕をお叱りもしなかったんだ、きっと、そうだ。


 それにしても。

 ――随分、痩せてしまわれていた。

 小柄だが、はちきれんばかりの快活さと朗らかさの印象ばかりが強かった姫君は、如何にも病み上がりと言わんばかりに、儚く哀れに線が細くなっていた。

 ずっと臥せっていた施薬院から自宅に戻られての療養に入られたとはいえ、全快した訳ではないのだ、と思い知らされた。

 ――いっそ、僕が悪いって罵って下されば、気持ちも楽なのに……。

 施薬院の医師の人も、世話になった人たちも、皆、優しくて気持ちのいい人ばかりだ。

 元気になって禍国くにに帰ることが叶い良かったと、我がことのように喜んでくれた。


「こんな大変な病気に打ち勝ったのですから、貴方は逆に機運の良い方となりましたよ。この上はお国の為に尽くせる御人となるよう努められ、どうか出世なさって下さい」


 最後に診てくれた医師の言葉が嬉しくて、泣いてしまった。

 だからこそ、誰にも罪を問われないのは、心苦しかった。


「僕……本当の本当に、このままで、良いのかな……」

 ぽつり、と呟く栗少年の耳に、呼び出しの声が届いた。



 ★★★



 慌てて居住いを正して、部屋を飛び出す。

 礼節通りに礼拝を捧げつつ指示を待つと、上官である舎人は如何にも哀れなものを見るような目付きで肩を竦めた。

 何だろう、と首を捻りたくなるのを必死で堪えて指示を待つ栗少年の耳に、舎人の無表情な声が響いた。

「此度の我らが使節における御使長であらせられる、右丞様がお前をお呼び出しになられた。粗相のないように行ってくるがよい」

 此度の使節団の最高責任者である右丞・鷹に呼び出され、未だ仕人つこうどの身分の少年・りつは震え上がった。


 常識から言って、直接声をかけらよう筈もない。

 また、此方の存在を、そんな立派な身分の方が知る必要もない。

 なのに名指しで呼び出される。

 という事は……。


「えっ、あの、でも、右丞様は、まだ……」

「そうだ、台獄におられる。つまり我ら鴻臚館に逗留中の者が右丞様にお会いしたと郡王陛下に知れればどうなるか」

 言わずともわかるだろう、とばかりに目を細める舎人に、ごくり、と栗少年は生唾を飲み込んだ。

「気を付けよ」

 栗の身を案じているのか、それとも、彼のような少年に自分たちの行く末がかかっている事を嘆いているのか、諦めているのか。舎人の口調は、全く感情が感じられない薄ぺらなものだった。栗少年へ、一瞥すらくれずに去っていく。


 栗少年も呆けたようになり、返答もそこそこに部屋に下がった。

 そして。

 世界が暗転するのを感じながら、まんじりともせず夜の帳が落ちるのを待ち、栗少年は、右丞・鷹が拘留されている台獄へと忍んでいった。



 ★★★



 台獄に拘留されてから、一体何日が過ぎ去ったのか。

 ようは数えるのを既にやめていた。


 ――何時であろうと、私のこの状況が変わるわけではない。

 ぐい、と顎を上げると、瓶子を傾けて酒を直に飲み下す。

 口から溢れた酒が、滝のように喉を伝い、胸元へと流れて濡らしていく。相当に強い酒であるのか、臭気がひどい。しかも、既に何度も同じ行為を繰り返しているのだろう。ツンとした耐え難いすえた発酵臭が、鷹の周辺に漂っている。

 鷹の醜態に、入口で見張っている兵仗ひょうじょうたちは明白に蔑みの目を向けている。だが、鷹は構わない。へっ、と嘲笑いながら、瓶子を傾け続ける。


 此処の処、祝い事が続いている。

 大雨を幾日も降らせた凄まじい台風も、爪痕を残しつつも過ぎ去った。

 死病である赤斑瘡あかもがさが無事に終焉をみせ、閉鎖されていた関という関、王都へ入る南大門の大扉すら、開け放たれた。


 何よりも。

 郡王である皇子・戰とその妃である椿姫の間に、無事、御子が誕生した。

 そしてその御子は、皇子であるという。

 禍国帝室と祭国王室の血を引く、これ以上はない血縁の綺羅を纏った皇子の誕生だ。

 七日夜の命名の儀も、滞りなく行われた。

 皇子は、しゅんと名付けられた。

 天宙の主人あるじであり、数多の宿星を統る天涯の帝、天帝への言挙げもなされた。

 此処に皇子・星は両国の血を正しく引く皇子であると認められたというわけだ。

 でなくては、こうして台獄に居を構える状態の自分に、瓶子に満たした酒が振舞われよう筈がない。


 ――悦ばしい事よな。

 だらしなく目尻を下げ、口角を緩ませ、けへへ、と酒気塗れの重い吐息を吐く。だが次の瞬間、悪鬼の形相となって腕を振るった。

 ――だが、何故!

 その言挙げの主である大役を、この私が勤め上げる誉れを、得られんのだ!


 病人の肌の色ににた瓶子が床に飛び、ガシャン、という悲鳴と共に僅かに残った中身共々に散らばっていく。

 ――私は、私は、禍国帝国の右丞だぞ!

 それを、それを、それなのに!

 床を這う酒の臭気が、もわり、と埃と垢の臭いと共に広がっていく。

 当初は、父親の部下であった――杢とかいう男がその栄誉を担うのかと思っていた。

 が、あの男は鴻臚館にやって来た。

 カツン、カツン、と杖の先で床を叩けば、大の男たちが揃って肝を縮み上がらせる程の眼光と気を纏って現れた。しかしそれでも、抵抗の色を見せる健気な者も、居るにはいた。

「喩え上軍大将軍であらせられようとも。それは武官の間のみの地位、まして貴方様は禍国帝室に正式に認められし武人ではない。郡王陛下が与えられし地位と、代帝陛下が授けられし地位と。何方が尊く、且つまた貴いものであるか、自明でありましょうぞ」

 だが。

 あの男――杢の一言で簡単に屈服した。

「ほう、右丞が寂しかろうと気を遣い、共に拘囚の身になろうと申し出るとは。上官思いだな、右丞もさぞ鼻が高いだろう。冥利に尽きるとはこの事だろうな、羨ましい限りだ。では、私に嫉妬心を抱かせる、天晴れな男は一体誰だ?」

 軽口風に言われたのであれば、まだ救いがある。

 へらへらと追従のおべっか笑いを浮かべておけば、己の身くらいは安んじる事が出来ると思えた事だろう。

 しかし生来が仏頂面で厳しい面構えである上に、且つ鋭い眼光に重々しい口調で放たれた言葉は、額面通りの意味合いでしかない、と物語っていた。鴻臚館にて杢の言葉を受けた途端、使節団の者は皆、慎ましく口を噤み、借りてきた猫もかくやと云う程に大人しくなった。

 只一人いちにんにて乗り込んできて、一声発しただけで、杢は、鴻臚館に抑留されている使節団全ての心を掌握してしまったのだ。

 逆らえば、今、こうして右丞である自分を抑えて乗り込んできたように、郡王陛下は簡単に首を挿げ替えに来るぞ――と。

 一蹴するとは此の事だろう。

 皇子が誕生し、その恩赦があろうと一縷の望みを託していた鷹は、そんなものは見果てぬ夢ですらなかったのだと、この打ち砕かれ地面に叩き付けられた瓶子と飛び散った酒のようなものであったのだと、骨の髄まで思い知らされた。


「おのれ……!」

 ――何奴も此奴も! 私の事をなんだと思っているのだ!

 酒そのものの唾を吐きつつ、鷹はよろめいた。

 だが、こんな鬱屈した生活ももう終わる。

 どう足掻いても、郡王・戰は、御使であった自分の言葉に答える為に、禍国に戻らねばならない。そしてその時、自分も共に禍国に帰るのだ。

「大令様に、言いつけてやる……!」

 自分を引き立てて下さった大令・じょう様なれば、今のこの状況を打開し思い知らせて下さるに違いない。

 ――そうだとも! 必ず思い知らせてやる!

 私に恥をかかせ、こんな処に押し込めおった杢という男も! 

 私を守らなかった椿姫も!

 そして『所有物もの』如きの癖に、郡王の傍にしたり顔で侍り続ける、異腹弟にも!

 全員にだ!


「見ていろ……禍国に私が帰りつけばどうなるか……! ……そう、そうだ、その時にこそ私の実力を思い知れ……! そうとも、せいぜいそれまでの数十日間の事だ……存分に、悦びに酔いしれているがいいさ……!」

 ――それまでの辛抱だ。

 どろりとした目付きで、新たな酒を所望しようとた鷹の耳に、未だに声変わりを果たしていない少年の声を捉えていた。

「失礼……致し、ます……右丞様……あの……お返事、を……頂いて、参りました……」

 自分には、まだ切り札があるのだ。

 そうとも、何ものにも変えがたく、そして決定的なものとなる筈だ……。

「入れ」

 にやり、と口角を持ち上げながら、鷹はまだ顔や腕に赤茶色の滲みを微かに残した仕人の少年を招き入れた。



 ★★★



 杢が休む部屋に、殿侍に化けたふうの密かに忍び入った。

「どうした、芙殿」

 既に横になって数刻経つというのに、気配で直様目を覚ました。

 杢が起きているかどうかと躊躇仕掛けていた芙は、流石、と言いたげに目を細めた。こそり、と音も立てずに杢の休む寝台に近づくと、そっと耳打ちをする。

「右丞の奴が、後主こうしゅ殿下の元に、か……」

 首を捻りつつ、杢は唸った。

「矢張、動いたか……」

「は、杢殿が仰られた通りでしたな」

「此方の読み通りにならねば良かったのだがな」

 何処か誇らしげな芙に、杢は苦笑いする。

 鬱屈が貯まりに貯まれば、爆発する。

 それは、前回のあの暴挙を見ていれば誰にでも想像出来る範疇内の事だ。

 問題は、右丞・鷹は今更、後主・じゅんの元に出した使いに、何を言い含めたか――だ。


「以前、抜け出した時と同じ理由だろうか?」

「は、私には、そう思われますが」

 以前抜け出した、とは、そう、椿姫に執り成して貰わんと、准后じゅこうである苑を人質とした例の騒ぎ、台獄の理由となった事件のことだ。

 ――浅ましくもまだ、妃殿下に間に入って頂き、郡王陛下に命乞いするつもりでいるのか?

 ふむ、と口元に手を当てて当惑しつつ考え込む。しかし、答える芙も困惑仕切っている。

 ――だが本当に、それだけなのか、どうなのだ?


「それで、その少年仕人は、右丞殿の元に戻ったのだな?」

「は、しかし……」

「何を話していたか、までは掴めていない、と?」

「は、何方も筆談でしたので。しかもその仕人の子供は、直様、竹簡を燃してしまったので……」

 うむ、ともう一度、杢は唸る。

 祭国に来て2年。

 後主・順の無能ぶりは目にも心にも記憶にも焼き付いている。

 徹底した、暗愚のひとと言える。

 血筋が幾ら正しかろうと、あれでは、女王として輝きを放った椿姫の父親であるという功績以外に、何も誇る所がない。椿姫の、肉親への献身的かつ盲目的な愛情故に許されて生かされているだけの男だ。

 有ろう事か、父親でありながらもこの男、その椿姫の心根に付け入った事がある。以前、大上王として僅かばかりの尊号を残したばかりに、騒動を起こしたのだ。そう、露国王・せいと勝手によしみを通じようとしたのである。

 国家転覆の通款つうかん者として、大罪人と即、断罪されても可笑しくはない。それでも椿姫は父親の罪を一等軽くし、後主として西宮に蟄居閉門させる事で命を救ったのだ。

 そんな後主・順は、今や政治的にも、全くの無価値な存在として、すっかりと忘れ去られた存在だ。

 それ故に、その男に目を付けて再び表舞台に引っ張り出そうとしている輩は、気にせねばならない。


 ――何の目的がある?

「だが、何方もどうしようない御方ではあるな」

「……はい」

 ――背後関係を探る目的でなければ、何方も、誰が泳がせるものか。

 そもそも、鴻臚館の者は禁固状態を定められているし、台獄中の身で動きを見せること自体が即刻、断罪されても異を唱えられぬ大罪だ。郡王・戰の独断で首を跳ねられたとて当然である、と何故、心得ないのか。


「西宮への使いの少年が誰であるのか、芙殿は掴んでいるのか?」

「は、鴻臚館にて、初めて赤斑瘡あかもがさを発症した仕人の少年ですが」

「そうか……」

 うぬ、と杢は三度唸った。

 此度、戰の怒りを買った要因である祭国を襲った赤斑瘡あかもがさに、鷹は未だに羅患していない。

 鷹の為人ひととなりからして、恐怖心から赤斑瘡あかもがさから快癒したばかりの者を傍に置くことで、安心を買おうとしているのだろう。

 そういう、胆の小さい男だ。

 ――あの御方は本当に、兵部尚書様の御子息であらせられるのか?

 豪胆無比な武人で知られる優の息子であるとも、そして知略縦横でその存在を示しつつある真の兄であるとも、到底思われない。

 一体、誰に似られたのやら、と杢は嘆息する。


「どの様に致しますか? その少年、捉えよと申されるのであれば、直ぐにでも」

 芙の言葉は静かだが、暗に命じろ、と杢に勧めている。だからだろう、杢は、いや、済まないがもういい、と軽く手を振った。明白に、杢は不満そうに眉を寄せる。

「泳がせる、と?」

「それもあるが……仕人の子供を啄いた処で、何も出はしないだろう」

「しかし右丞殿が何を命じたのか、後主殿が竹簡に何を認めたのか、お二方の思惑は奈辺にあるのか、と証言させる事は出来ましょう」

「だが、下手にそれをさせては、真殿に咎が及ぶかもしれん。右丞などは正直どうなろうと構う気はない。が、真殿と、そして禍国に戻った際において兵部尚書様の動きの妨げになってはならない」

 杢の指摘に、ちっ、と芙が舌打ちをする。

 遠慮のない反応に、杢は苦笑した。

「我々が、真殿と兵部尚書様に遠慮申し上げておると知って、好き勝手しておりませんか、かの御仁は」

「さて、其処まで頭の回転の良い御方でもないがな。鷹殿にとって、兵部尚書様は兎も角、真殿は並び立つ政敵にすら成りえておらぬ存在だ」

 寝台を降りようとしてか、身体ごと向きを変えて、杢は脚を寝台の外に下ろした。ギシ、と寝台が軋む。杢が何も言わずに手で支えつつ杖を差し出すと、杢は芙に向かって軽く顎を引いて礼を示した。

 杖を頼りに立ち上がると、右丞・鷹が居る台獄のある方向へと視線を巡らせた。


「今は、注意して動向を見守るしかないだろう。下手に動けば右丞と、何よりも禍国にいる大令殿に付け入る隙を与えてしまう。それは得策ではない。向こうが確実な尾っぽを出すまで、此処は堪え処だろう」

「まだ、我慢せよ、と?」

 芙からすれば、杢の泰然自若ぶりがいっそ憎らしい。

 右丞・鷹などを生かして置いたところで、結局は真の足を引っ張る存在でしかないと誰もが思っているのだ。

 消してしまえ、と一言命じてさえ呉れれば、泥は幾らでも被る。誰かに罪を擦り付けろと言われれば、どの様にも演じてみせる。存在しない方が世の為人の為になる命というものが確かにあるのだと、芙は嫌になるほど実感していた。


「仕方あるまい」

「……では。せめて郡王陛下と、真殿にはお伝えすべきでは」

 いいや、と杢は頭をふる。


「お二方共、今は何かとお忙しい。煩わしい思いをさせるべきではないだろう。我々で、今暫し見張ろう」

「――は」

「しかし、蔦殿には伝えておいて欲しい。妃殿下と准后じゅこう殿下を守護されておられる立場だ。右丞がどう動くか分からんが、あの御仁は何かとねちこい(・・・・)。逆恨みして、お二方に仇なそうとする可能性がある」

「はい」

 芙は硬い表情で頷いた。

 確かに、右丞・鷹にはそういう処が多分にある。

 しかし、彼が動かぬまま禍国に去ってくれるのであれば、その方がよいに決まっている。

 妃殿下も准后じゅこう殿下も、要らぬ人間にこれ以上関わって可憐な胸を痛める必要などない――というのが、杢と芙の共通した認識であり想いだ。


「しかし、我々だけで動いて、良いものでしょうか?」

「……分からん。後になってみれば、話しておけば良かったと後悔するばかりとなるかもしれん。だが、何が最善であるかなど誰にも分からん。である以上、せめて直面しているその時その時くらいは、最善であると信じて動くしかあるまい」


 珍しく笑みを零しつつ饒舌な杢を前にして、そうですな、と芙も自分を無理矢理納得させる。神妙な面持ちで頷くしかない。

 結局の処。

 右丞・鷹が真の異腹兄である、という事実が杢と芙の追求を深めるのを阻んでいる。

 右丞がせめて、真と同門でなければ。

 とうの昔に遠慮なく、地位剥奪の上に罪を問い、放逐への流れへと持っていくだろう。


「ともあれ、引き続き、右丞の動きを注視していて欲しい。もしも、奴が動くつもりであるならば、郡王陛下と真殿の目が禍国に帰国後へと集中していると油断しきりの、今。そして日を於かず禍国に帰国する、今、だ。焦燥感から尻尾を出すまで待つのだ」

「は」

 杢の命令に、芙は不満たらたらながらも深々とこうべを垂れる。


「最も」

「――は?」

「この時をおいてない、と右丞が気付けるであれば、の話だが」


 杢の重々しい言葉に、芙は微かに笑い声をたてた。



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