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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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12 男と女 その1

12 男と女 その1



 椿姫の余った乳を吸ってくれた赤子を抱いて、苑はゆっくりと廊下を歩いていた。王城の一室で待たせてある、両親の元に連れて行くのだ。恐らくあまりの栄誉に恐縮しきり、畏まりながらも、誉れを授かった我が子の帰還をそわそわとしながら待っているであろう。


 苑の腕に抱かれながら、赤子は満足そうに欠伸をした。思わず、同じ時分の頃の学が思い出されて、頬が緩む。

 ――赤子は本当に、心和むこと。

 入れ替わりで椿姫の乳を吸って呉れる赤子は、だいたい3人に絞られた。特にこの子は、皇子・しゅんと並んでも遜色が無いくらいに骨格がしっかりとしている。長じて、皇子・星の為に仕える武者勇士となってくれるのでは、と期待感を抱かせてしまう。

 ――なんて、良い縁なのでしょう。皇子様の御元にはもう、こんな出会いがあるなんて。本当に、宿星に恵まれていらして、素晴らしい事ですわ。

 ついて歩いてくる女官たちも同じ思いなのだろう。赤子を覗き見る彼女たちの表情はみな、和らいであたたかい。


 気持ちよい秋風に包まれながら行く途中、ふと、諍いあう声が苑の耳に届いた。

 男と女、というよりは少女ものだ。

 一方的に、少女の方が詰め寄っている感じがある。

 しかし、それにしても場違い過ぎる喧騒だ。椿姫と苑、そして何よりも蔦の指導が良いためか、女官たちの立ち振る舞いや作法は、禍国王城に仕えている者と比べたとて決して遜色があるわけではない。なのに、この遠慮会釈のない騒ぎは一体誰が起こしているのだろうか?

 ――蔦様のご指導が行き届いていないなんて……まだ、女官位を授かっていない娘、なのかしら?

 不思議に思いながら、声に誘われるままに、そちらに爪先を向ける。

 こっそりと伺ってみれば、視線の先には杢と、何時だったかの女童がいた。何やら、杢が女童に、窘められている処だった。

「さあ、杢様、早く横になって下さい」

「いや、いいと言っているだろう、今、そんなに痛みはないのだよ、本当に」

「とっちめられたいのですか、杢様? さあさあ!」

「いや、とっちめるとは……尋常でないな、いや本当に良いから……」

「駄目です!」

 興奮に、ぷっくりと小鼻を膨らませて頬を赤くしている女童とは対照的に、杢は、青い顔で脂汗を額に浮かべながら、必死に抵抗している。

 思わず吹き出しながらも、何やら杢が哀れになってきた苑は、助け舟を出すことにした。


「どうしました?」

「ひゃぁあ!? お、大宮おおいみや様!?」

 苑の声に、杢と女童は同時に飛び上がる。

 しかし、慌てて礼拝をしめす女童を残して、杢はこそり、と身体の位置をずらしてコソコソと逃げようとしている。くす、と小さく笑い、従って来てた女官たちに赤子を託すと、苑は女童に声をかけた。

「貴女、名前は確か……」

「は、はい、でん、と申します」

「そう、でん、でしたね。どうしたのです?」

「は、はい! 大宮様、丁度良かった、どうか、杢様をお叱り下さい」

「ええ、良いですよ」

 珍しく含み笑いをする苑に、でん、と名乗った少女は一瞬、きょとんとする。

 しかし次の瞬間、はっ、となって振り返り、逃走を図ろうと目論んでいた杢の帯を背後から、むんず! と、引っ掴んだのだった。


 

 ★★★



 興奮したでんが捲し立てるままを羅列するなら、こうだ。

 ――今更だが、漸く城内も落ち着いてきたことであるし、助けて貰った礼を云う為に杢の部屋を訪れてみれば、部屋に居らっしゃらない。

 ――慌てて探し出すと、何やら偉そうな御方と、こそこそと話をされていた。

 ――お話を終えられて一人になられるのを待とう、と思ってじっとしていたら、かなり長い間待つ事になってしまった。

 ――漸く難しそうなお話が終わり、偉そうな御方が何処かに行かれたので声をかけてようとしたら、急に姿勢が崩れてその場に座り込んでしまわれた。

 ――しかも、青い顔色をなさって、呻いてばかりで、なかなか立てない。


「それで、私、驚いて飛び出していって……」

「行って、それで?」

「痛み止めの鍼を指して差し上げます、と申し出たら、あの、杢様は余計に青い顔色をなされてしまって……」

「いや、その、でん、といったか? 本当にもういいのだ。良くなった、大丈夫だ。一人で部屋に戻ることができるから、お前ももう仕事に戻るといい」

「いーえっ! いけません!」

 鼻息荒く迫る鈿は、そのままの勢いで杢の深衣を無理矢理脱がしそうだ。

 これ、と流石に苑は窘めた。

「杢殿の仰る通りです。貴女が長く持ち場を抜けたら、他の者に迷惑がかかるでしょう? そうなる前に、お戻りなさい」

「……でもぉ、大宮様ぁ」

 唇を尖らせてまだ不平不満を申し立ててくる女童に、さあ早く、と苑は笑いながら促した。

 


 鈿が仕事に戻るのを見届けてから、苑は杢を部屋にまで送っていった。

 それこそ、恐縮しきりで断る杢だったが、苑は短く笑って彼をいなす。

「大宮の言葉が聞けませんか?」

 ふぅ、と大仰に嘆息する杢が奏でる杖の音の後を、苑は笑いながらついていった。

 杢の部屋まで来ると、苑はさっそく、寝台に横になるように命じた。

「いえ、其処までお命じになられなくとも……」

「良いですから、横になっていらっしゃい」

 はあ、と言われるままに寝台に上がった杢に、苑は何やら楽しげに含み笑いをしながら袂に手を入れた。

 何だろう? と注視する杢の目に、鍼治療の簡易道具が映る。途端に、顔色を無くして寝台から飛び降りようとする杢の手から、苑は杖を奪い取った。

「お、お、お戯れを、准后じゅこう殿下。その杖をお返し下さい」

こんな杢は誰も見たことがないだろう。

 怪しげな手足の動きを見せ、挙動不審に陥っている。

「そんなに心配しなくとも、私は采女でしたから、針灸を学んでおりますよ?」

「いえ、その……」

「はい?」

「……その、わ、私は、実は……その、は、は、鍼が……に、苦手……でして」

 切羽詰まった表情で苑に、どうかご勘弁をご容赦願います、と杢は申し出る。冷汗に浸りながら寝台の上で、額を打ち付ける勢いで平伏して動かない。

 歴戦の猛者である杢の意外な弱点に、まあ? と目を丸くしつつも、苑は笑って許さなかった。


「いけませんよ。薬湯よりも効き目が早いですし、さあ」

「いいえ、その、ですね……」

「何がそんなに心配なのです? 私の腕が信じられませんか?」

「いいえ! と、とんでも御座いません!」

「ならば、さあ、早く横に」

 遂に観念したのか、この世の終わりのような顔付きで、杢は横になる。

 目を細めて白い歯を零しつつ、苑は淀みない動きで鍼治療を施し始めた。何か、手馴れた舞いの所作を見ているような、美しい動きは一点の迷いもなく経穴つぼに針をさしていく。疲れをとる地機ちき、腰周辺の関節の痛みに効く承山しょうざんや足三里、環跳かんちょう、骨や筋の痛みに効く崑崙こんろん丘墟きゅうきょなどだ。

 しかし、杢は固く目を閉じて苑の手元をみようとしない。しかも、微かに震えがきている。

「……何をそんなに恐れておいでなのですか? 上軍大将軍であられる杢様ともあろう御方が……」

 流石に呆れつつ鍼をうつ苑に、脂汗をたらたらと流しながら、杢はぽつり、と呟いた。

「実は……」

「実は?」

「……恐れながら、学陛下と同じの年の頃のこと、なのですが……」

「その頃に、何が?」

「……その……蜂の巣を啄いて遊んだ事が、ありまして……い、以来、先の尖った針のようなものが、苦手になった次第で……」

 一瞬、言葉をなくした苑だったが、次の瞬間、声を立てて笑い転げた。



 ★★★



 施薬院の縁側に肩肘をついて寝そべりながら、虚海は久々の平穏を、月を肴に愛用している瓢箪型の徳利を傾けていた。

 昨日、真が薔姫を連れて家に帰ってからというもの、施薬院は活気がないと言おうかなんというか、急速に冷え冷えとした空気に包まれていた。


 ――お姫さんや、真さんにあんじょうよう、可愛がってもろとるか?

 月向かって、徳利を掲げる。

 その、虚海の耳に、ぺたぺたという足音が聞こえてきた。

 そのまま、ぺたん、と足音は止まる。

 つい、と虚海が顎をしゃくった先にいたのは、珊だった。膝を使って、じりじりとにじり寄ると、珊は虚海の肩を肘置きのようにして、だらりと身体を預けてくる。

 は~ん、と少し重たそうにしつつも、虚海は珊にされるままになっている。

 どうしたんやな、とは聞かない。

 そのまま、珊が自分から口を開くのを、時に月に向かって徳利を掲げながら、静かに酒を呑んで待っている。ごくごくと、旨そうに酒を飲み干す喉が鳴る音が、月明かりにてらてらと照らされている。


「ねえ、お爺ちゃん」

「何やいな」

「あたいね、分かっちゃったんだ」

「何がやな」

「お爺ちゃんが言ってた、『本当ほんまもんの好き』っていうの」

「は~ん」

「あたいね、お爺ちゃん。真に、真なら、あたいを見つけてくれた真だったら。あれもこれもそれも、何でもみ~んな、あたいの欲しいもの呉れるって思ってたんだ」

 一座の中で芸を見せる者の中では一番年少で、味噌っかす扱いで誂われるしか能がないと自分で思っていた。

 でも、そうじゃない、自分にだって出来る事は沢山ある。

 立派に役に立てる一人前なんだ、と教えてくれたのは、真だ。

 好きという気持ちを呉れた真は、きっと自分にいつも素敵な、あったかくて気持ちのいい心を呉れる存在で、自分が好きでいる限り、それは当然だと思っていた。

 そうじゃない真が傍にいるのは、そうじゃない真を見るのは嫌だし、怖いからやめて、と思っていた。

 何時だったか、禍国で薔姫が言った事なんて、まるっきり理解できなかった。

 したくもなかった。

 ――だって、して欲しいんだもん。

 それが珊の、素直な気持ちだった。

「でも、違うんだね、お爺ちゃん」

「何が、どう違う言うんやな?」

「好きな人に、何かして欲しいばっかりの好きじゃ、自分だけのものにしたいばっかりの好きじゃ、駄目なんだよ、違うんだよ、足りないんだよ、お爺ちゃん」

「ほぉ?」

「好きな人の為に尽くしてあげてるのが自然なのが、それが嬉しいのが、本当ほんまもんの好きなんだよ、お爺ちゃん」

「は~ん」

「狂っちゃって壊れちゃって、他の事なんて構えない、その人しか見えてないの、考えられないんだ。好きな人が幸せになるなら、何だどうなったって、自分が悪者になったっていい、そのくらい周りが見えなくなっちゃうの」

「ほうか」

「人を好きになるのって、素敵な事じゃないんだよ。恐いことなんだよ、お爺ちゃん。覚悟がないのに、好き、なんて軽々しく言っちゃ駄目だったんだ」

「ほうか」

「お爺ちゃん、あたい、真の事、好きじゃなかったんだ。好き、なつもり(・・・)でいただけだったんだよ、お爺ちゃん」


 ほうかほうか、と虚海は徳利を傾けた。

 ぐび、と一口、中の酒を飲み下すと、ぷは! と酒気に塗れた呼気を吐き出した。口角の端から零れる酒の筋を、ぐい、と袖で拭いとりながら、ぐ・と珊に向かって徳利を差し出す。

「お爺ちゃん?」

「呑みやな、嬢ちゃん」

「え?」

「あんたさんみたいな、ええ女ふってまう、阿呆たりんの事なんざ、忘れてまいぃな。それにゃ酒が、一番やで?」

 ほれ、遠慮せんと、と虚海はにやりと笑いつつ珊の胸元に、ぽん、と徳利を放った。

 両手で受け止めた珊は、徳利を抱えつつポカンとしていたが、あはは、と声を上げて笑った。徳利に口をつけつつ傾けると、勢いよく喉を鳴らして、中の酒を飲む。息が続くまで一気飲みし、堪えきれなくなってようやく、ぷはあ! と空気を跳ねて口を離した。

「おお、ええ呑みっぷりや。流石、嬢ちゃんや」

「そう? ねえお爺ちゃん、こんな風にお酒呑むのは初めてだけど、美味しいね」

「ほうかほうか、旨いか。酒を旨い、言うて美味そうに呑む女は、ええ女と決まっとる。嬢ちゃんはええ女の代表やな」

「そ、そうかな?」

「ほうや。それにな、わしみたいないい男と、嬢ちゃんみたいなええ女が、二人して呑んどるんや。旨ないわけがないやろ」

 そうだね、と珊はからからと笑う。

 虚海も、のっほっほ、と独特の笑い声を上げた。


「今夜は二人で、月見酒と洒落こもうやないか、嬢ちゃん」

「いいね! 素敵、素敵! お爺ちゃん、呑もう呑もう!」

 珊は、もう一度、瓢箪型の徳利を傾けて酒を含んだ。強い酒気が、喉を焼きながら身体の奥に流れていくのを感じる。

 身体が酒で熱くなり、それを静めようとしてか、頬に冷たいものが流れていくのも感じる。

 そう気が付いた途端、珊は虚海の首筋に縋り付いて、大声を上げて泣いていた。


 ――真、本当の好きって気持ちがどんなのか教えてくれて、ありがとう。


 珊の生まれて初めての気持ちは、酒の苦味と旨みと共に微熱となり、涙の河にかわって散っていった。



 ★★★



 あれやこれやと山積していた仕事を片付け終えて、厩に馬の様子を見に行った克は、近いから、という理由で施薬院の庭を突っ切って家に帰ることにした。

 と言うよりも、いつものそうしている。

 克や杢のような独り身で仕えている者は、基本的に王城に合わせて建てられた寮に住まいを得ている。

 祭国にやって来た当初、最も困ったのが食事の世話だ。

 帰ってから一人分の食事の用意をするのも面倒だし、かと言って朝、夜の分まで仕込んでおける暇があるのなら寝ていたい。禍国に居た頃は、気に入りの飯屋が何軒かあり、日替わりで暖簾をくぐっては安くて美味くい食事を仲間と共に囲んで胃袋を満たしていた。

 しかし祭国ではまず、飯屋という商売がない。

 呆然としたが、そこでどうなるかといえば。

 結論から言えば、一気に大量に米を炊き、傷むまで漬物と共に、只管、米を食いまくる、という生活になっていった。

 克だけでなく、寮住まいの男たちの殆どがそんな生活だ。

 勢い、昼に王城で支給される弁当の争奪戦は、日々、激化の一途を浸走っている。しかし兎に角、胃袋を満足させる料理にありつけるのは、昼のこの弁当のみなのだ。この時ばかりは、上官も部下もない。鉄拳と蹴りと頭突きと怒号と体当たりが飛び交う、醜くくも切羽詰まった決死の戦いが真剣に行われている。

 今日は出遅れたせいで、そぼろ肉入り握飯と煮卵の弁当にしかありつけなかった。だからか、腹の空き具合がいつもよりも早い。


 ――畜生、あいつら。食い意地張って一人で二つも三つも食いやがるから、こっちに弁当がまわってこないんだ。少しは遠慮しろ。

 普段は自分も早い者勝ちだとばかりに、遠慮なく二つも三つも食べておきながら、文句だけはしっかり云うのが食物の恨み辛みだろう。

 空きっ腹を抱えながら、克はゆっくりと歩く。

 が、施薬院を通ると大抵、誰かが目に留めてくれて食事をどうだと誘ってくれる。類と豊の娘である福をはじめ、若い娘たちが手伝いに来る様になってからは、一緒に楽しく食事を囲める頻度が更に飛躍的にあがった。

 と気が付いてからは、それを宛にしてぶらぶらと態とのんびり歩いていくようになってしまった。

 勿論、部下には誰にも話してない。

 自分だけの特権だ――だが。

 ――我ながら、さもしいというか、侘しいというか……寂しすぎる生活だ。

 昼間、邑で真と重が、家族の話をしている間に割り込めなかった自分が、どうにも半端ものに思えてならない。

 勿論、弁当の争奪戦は毎日起こっている。だがその片隅で、句国の戦の折に率いた千騎の仲間たちは、祭国の娘たちと縁を結んだり、禍国から親の選んだ良縁の娘を呼び寄せたりし、新天地での新婚生活を始めている。寮も、ぼつぼつと空き部屋が増え始めているのだ。

 益々、独り身が堪える状況になりつつあった。

 ――男なら、矢張、嫁と子供を得て、養ってこそ一人前なのだろうな……。


 何やら落ち込みつつ歩いていると、陽気な歌声が聞こえてきた。

 何だなんだ、と植木を突いて声の方に寄って行ってみると、虚海が珍しく声を張って歌っていた。よく見ると、何かが背中にへばりついている。

「お、どうした、虚海殿」

「ほ、かっさんか、ええとこ来たわ」

 こっちゃ来いや、と手招きする虚海の元に、克が近づいていく。すると、虚海の背に纏わりついていたのは、珊だった。赤ら顔で、むにゃむにゃと何か寝言で歌っている。

「さ、珊? どうしたんだ?」

「月見酒と洒落込んでたんやがなあ、ええ気になって、呑ませ過ぎてしもたんや。克さん、悪いんやが、嬢ちゃん、部屋まで運んだってくれるか?」

「わ、私がか?」

「なんや、ええやろ? いつも世話になっとるんや、そんくらいしたりぃ」

「い、いやしかし、若い婦女子の部屋にだな」

 慌てふためく克に、しれ、と虚海は答える。

「そもそも、わしゃ嬢ちゃん背負えへんのやしな」

 こう言われてしまっては、人のいい克としては断りようがなかった。



 ★★★



 酔っ払って、ふにゃふにゃ鼻歌を歌う珊を背負い、施薬院に住んでいる女たち専用の寮に向かう。

 意識のない者を背負うのは、実は、結構骨が折れるものだ。自分で寄り掛かる姿勢を取れない為、気を付けていないと、背負った者がどんどんずり下がって行ってしまうからだ。そうなると少々手荒いが、身体を揺すって上に放り投げるようにして元の位置に戻すしかない。

 克も、何度も珊を揺すってずりあげていると、背中の上で、う~ん……と呻き声がした。


「起きたか?」

「ん~……かつぅ?」

「おお、俺だ、分かるか?」

「ん~……わかんない……」

「そうか」

 呆れつつ、またむにゃむにゃ言い出してずり下がっていく珊を、よいしょ、と揺すりあげる。

「……ね~……克ぅ……」

「なんだ?」

「……あたいさぁ……ふられ、……ちゃったぁ……」

「そ、そりゃ……」

 一体誰に!? と問い詰める前に、珊は三度みたびむにゃむにゃと言いつつ寝入ってしまった。


 ――さ、さ、さ、珊、が、ふ、ふ、ふられ、たっ!?

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 振られた、というからには先ず、誰かを好かねばならない。

 誰に、恋をしていたというのだろう?

 だが、珊のような娘をふる(・・)男が、この世に存在する事の方が、克には脅威だ。

 というよりも、言いようのない怒りが、ふつふつと沸き立って仕方ない。

 ――一体誰なんだ、その唐変木野郎は!?

 明るく、自分たちのような無頼漢にも分け隔てなく接してくれるうえに、いつも笑顔で元気な彼女は、仲間のうちでも好意を寄せている者が多い。王城全体を見回せば、その数は更に倍々と増えていく事だろう。

 だが、そんな彼らは、自分が選ばれたいと思うのと同等に、彼女は、彼女が選んだ男と良い縁を結べるように、と願っているのも知っている。

 そんな千騎の仲間が、この事実を知ったなら。

 草の根分けてもその男を探し出して首り殺してやる、と皆息巻くことだろう。


 ――俺だってそうだ! 珊の事は、大切に思っている!

 ごくり、と無意識に喉がなる。

 ――いや、まて……俺は、どうなんだって……?


 初めて、真面に珊の事を『女』として意識した克は、臍の下、所謂丹田に熱い血が集まるのを感じてしまった。そうなるともう止められない。

 酒を飲んだ珊の身体は熱く、いつもより身に付けている匂袋の香りが匂いたつ。

 半開きになった唇から漏れる吐息も熱波のように、背後から耳朶を嬲ってくる。

 何よりも、背中に当たる二つの丸く柔らかな存在が余りにも大きすぎる。

 一歩脚を踏み出す度に、ぎゅ、と背中で潰れる温かい双丘が悩ましすぎる。

 ……そっ、と後ろを振り返って見れば、珊の目尻には小さく輝く珠のような涙が浮かんでいた。


 ――おとこたるもの、弱っている女につけ込むような真似をするなど何事だぁ!


 途端に、自身の中で蠢くを自制し、脳天を拳でぶっ叩いてくる別の声が上がる。


「何やってんだ、俺は……」

 空腹の虫が、ぐうぐうと不満たらたらで鳴くのを聞きつつ、畜生、とぶつぶつぼやく。

 克は、珊の悩ましい熱を感じつつ空に浮かぶ月を、悲壮感一杯で見上げた。




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