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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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11 夫婦 その1

11 夫婦 その1



 関への開放後に向けて、戰と真、そして皆との間で着々と謀議が進む中。

 戰と椿姫の間に産まれた皇子・星は、すくすくと育ち、見る見る間に大きくなっていった。

 産まれた時から大きな赤ん坊であったが、戰の体格を引き継いでいるのだろう。とても生後1ヶ月に満たない赤子とは思えない、割腹の良さだ。堂々たる面持ちで椿姫に抱かれている様子は、逆に母を守って一端のつもりでいるのか、と微笑ましささえ感じさせる。

 しかも、普通男の子というものは疳の虫が強いもので夜泣きや人見知りを激しくするものあるが、この皇子は違った。誰に抱かれても誰に覗き込まれても、一向に動じる気配を見せない。

 この成長具合であれば、抜きん出た武人の才能を有する戰の皇子として、今から皆に大いに期待をさせる。そんな育ちの良さだった。

 だが当然、そんな子を抱いて乳を与えているのであるから、線の細い質の椿姫に負担が掛からぬ訳がなかった。

 椿姫は、密かに熱を繰り返し出しては、苑や蔦、女医たちを慌てさせていた。



 ★★★



 その日は、関が開け放たれる日に真が件の邑に赴き、視察すると決定した日だった。

 まだ、薔姫が全快していない為、真は余程詰めた話をする場合以外は、施薬院にいた。今日は、薔姫が珍しく一人で昼寝に入る事が出来た為、その間に戰の元で話し合いを行ったのだ。しかし勿論、一時辰じしんもすれば薔姫の目も覚めるだろうからと、早々に真は下がる旨を伝えた。


「では、送ろう」

 王城から施薬院に向けた道を共に歩きながら、戰が訊ねる。

「真、薔の具合はどうだい?」

「はい、随分良くなりました。というか、戰様」

「ん?」

「私が王城に入って直ぐにも、同じ質問をされましたよね?」

 そうだったかな? と躍けながら戰は首を捻り、そうですよ、と真はくすくすと笑う。

 実は、まだ戰と椿姫と星皇子は、共に別々に生活している。そう、椿姫と皇子はまだ産屋に居るのだ。

 実は、祭国では産褥を終えるまで、産屋から離れられないのだという。

 此れを、他火たびと云う。

 お産の穢を他所に振りまかぬよう、食事や湯浴みなどの火を別にするのである。

 他火の間は、例え父親といえども定められた僅かな刻限しか会ってはならない。

 しかも、その時に皇子が浴湯の儀と重なる場合は、会ってはならない。

 また、遊禍ゆうかといって、陰陽の定める処により加持祈祷・調伏・服薬をしてはならぬと定められたる日にも摩邪を寄せぬよう、会ってはならない。

「またか……!」

「我が祭国の、仕来りに御座いますれば」

 恭しくこうべを垂れる禰宜を、戰は危うく一刀両断しかける処だった。

 こうして、七日夜の祝いを終えさえすれば、親子共々王城で暮らせる、と大いに張り切っていた戰は、思い切り肩透かしを喰らう形となった。

 がっくりと肩を落としつつも、椿姫は苑や豊、蔦たちに任せる事にし、もう一つの心配事である義理妹いもうとの薔姫の病状に注目しきりとなったのだった。

 施薬院に戻る真を見送って、王城に戻ろうと踵を返した戰の元に、青い顔色で蔦が駆け込んできた。

「陛下、椿姫様が……!」

 蔦が状態を伝え聞く前に、戰は産屋に向かって走っていた。


「椿、どうしたというのだ!?」

 扉を打ち壊す勢い、というより文字通り、力任せに開いた拍子に扉ががたりと外れてしまったが、戰は構わない。構うのは、部屋の前で従っていためかんなぎたちだ。悲鳴をあげつつ、慌てて、倒れそうになる扉を支えにかかる。

 礼拝を捧げようとする女医たちに、いいから容態を話せ、と迫る。

 椿姫の額の汗を拭ってやっていた苑が、慌てて仲裁に入った。

「お静かになさって下さいませ、郡王陛下、ようやっと、椿も休んだ処なのです」

 言われて、野獣のように喰いかからんばかりだった戰は、何度も何度も大きく息を吸い吐きして、自らを落ち着かせるように努める。

 沸騰した熱湯のような戰の怒気が落ち着いてきた頃合を見計らって、苑が椿姫の額を、そっと優しく撫でてやりながら口を開いた。

「微熱が、なかなか下がらないのです」

「熱が? まだ、熱があったと?」

 僅かに会える、その貴重な語らいの中の椿姫は、時折、慣れぬ育児に疲れた様子を見せてはいたが、其処まで熱があるようには思えなかった。戰が首を捻ると、苑は申し訳なさそうに言い淀んだ。

「正しくは……上がったり、下がったりしていたのです」

「椿に、言うなと止められていたのですね」

 ええ、と苑は、決まりが悪そうに答える。

 戰は、深く嘆息した。

 横になっている椿姫は、目蓋を閉じている。薄く開いた唇からは、甘い熱気が不規則に吐き出されている。熱に膿んで疲れているのは明白だった。

「しかし、どう言う事なのですか、苑殿? 産褥の熱がそのような悪さをするものなすか?」

「いえ、産褥ではないのです。本当に此れは、あの、椿の持って生まれた体質……というより、才能、なのでしょうね、椿は、その……」

「何ですか、苑殿、この期に及んで。はっきりと仰って下さい」

 言い淀む苑に、戰が凄む。

 すると、苑は少々頬を赤らめた。

 緊迫感のない反応に、んん? と戰が首を捻ると、豊が両腕に、見知らぬ赤ん坊を抱えて入ってきた。


「さあさ、妃殿下、救いの赤ん坊をお連れいたしましたよ」

「と、豊? 何だ、その赤子たちは?」

「おやまあ、陛下。ふっふふ、この子らはね、妃殿下のお熱を下げてくれる、心強いお味方ですよ」

 大きな腹を揺すりながら、豊が赤子の一人を苑の腕に託す。

 預かった赤子を大切に腕に抱きながら、苑は横になっている椿姫を揺り起こした。うっすらと目を開けた椿姫の胸元に、苑は赤子を横に寝かせた。

「大丈夫ですか、椿? さあ、赤子が来てくれましたよ」

「……はい……」

 と、椿姫は大胆に胸元の襟を緩め寛げ、赤子に乳をやり始めた。

 えっ!? と目を剥き、何が何だか分からない、と呆然となる戰の目の前で、椿姫は赤子に乳を与え続ける。赤子は夢中で喉を上下させて、椿姫からの貰い乳に恍惚となっていた。


「実は、椿姫様は、実に豊かな乳の持ち主であらせられまして」

 女医の言葉に、そんな事は自分が一番よく知っている、と言いかけて、その乳ではない、と気が付いた戰は慌てて口を噤んだ。

「お乳の出が、良過ぎるのです。御子様にたっぷりお乳を差し上げてもまだ、有り余る程ですの。皇子様がお飲みきれずに余ってしまった乳を、捨てても追いつかない程だったのですわ」

「……乳の出が良いと、熱が出るのですか?」

「乳が出きらず常に張ってしまい、痛みと熱が出る、そういう質の方もいらっしゃいます。特に椿は身体の線が細い質ですし……溜まって澱んだ乳が、悪さをし易いのでしょうね」

「乳の出が悪い方の薬湯はありますがねえ、乳のでが良過ぎる方は、此れはもう、赤子に吸って貰うのが一番なんですよお、陛下。妃殿下のご身分がお姫様なんかでなくって、世が世であったら、そりゃまあ、さぞやご立派な乳母になられた事でしょうねえ」


 まるい腹を揺すって、豊が豪快に笑う。

 脱力してその場にへたり込む戰に、椿姫が、心配かけて御免なさい、とばつが悪そうに微笑んだ。



 ★★★



 月は改まり、既に9月に入って幾日かが過ぎていた。

 そんな中、遂に。

 関所の完全封鎖が解かれる日がやって来た。


「門を開け放て!」


 高らかに、そして何処か上擦った声で命令が下る。

 25日もの間、不動のままでいた為、正門は己の責務を忘れてしまったのであろうか。

 巨大な扉は、不平不満たらたらの、軋んだ音を響かせてた。

 今か今かと待ち構え、早く早くと気ばかり急く人々の気持ちを嘲笑うかのように、門は、のろのろと開け放たれる。

 だが、隙間から、閉ざされていたが故に安否が知れぬままであった懐かしい人々の顔を確かめられると、波濤のように歓声が上がる。歓び勇む人々は、関を守る守人たちの静止などに耳を貸す余裕もない。もぎ取る勢いで扉に体当たりして押し広げ、歓声をあげて反対側の土地へと次々に飛び込んでいく。

 命の無事に涙と共に抱き合い、そして商売道具を行き交わしあって安堵しあい、そうでなくとも、扉を通り過ぎる風と人が織り成す熱波を受けて、自然、其処彼処そこかしこで歌や踊りの手が上がり、輪になっていく。


 此れで本当に、長く、逼塞した苦しい時期を完全に脱したのだ。

 赤斑瘡あかもがさという、命定めとされる恐ろしい流行り病も。

 巨大台風の暴風雨、洪水さえも。

 この祭国を、無惨無情に撫で斬りには出来なかったのだ。

 歓びの輪は電波していき、近場の邑から人々が晴れ着を着て集まりだし、いつの間にか、祭りのような様相を醸し出してきた。

 そうなると、誰も止められない。

 大騒ぎとなる。

 喜びは喜びを呼び、更なる喧騒となり、土地神を楽しませんと、更に揺るがしていく。

 人々の心には、浮かれささめきと共に、新しい世の象徴として、即位したばかりの少年王と、誕生したばかりの皇子の名がしっかりと刻まれたのだった。



 ★★★



 関が開放されると同時に、早速、真は件の邑の様子を視察しに出た。

 真の腕前では、その日の内に城に戻ることは出来ない為、克が馬を出してくれる事になっている。今回はまた、かなりの突貫出張であるが、向かう先の邑には、克や琢と共に洪水と戦ったしげたちの邑も含まれている。

 克だけは、あの後も何度も城と邑とを行き来していた。

 越水決壊を起こしかけた箇所や、どかん(・・・)で切った箇所、燕国へ流れ込んでいる水量の管理など、堤防の見張りもさる事ながら、水が引いたあとの邑の更なる状況把握に、対岸の被害状況をも綿密に調べねばならなかったからだ。

 泊まるとなれば、本来ならば克の身分からすれば、最低でも邑令が用意した宿舎に入るものだ。だが克は、誘われるままに重たち仲間の家を転々とした。琢が率いる大工の一門が、重たちの邑の被害家屋の修繕を請け負ったのもあるが、二人して厄介になる事もしばしばだった。

 泊まる先々で、子供たちの手荒い歓待を受け、今やすっかり子供たちの子分として認識されている。頬に笑い笑窪の出来る青年は、女性にはもてる(・・・)気配がからきしなのだが、子供には、心底慕われるようだった。

 特に、男の子からの視線が熱い。

 郡王・戰から直々に馬を与えられた武人という事もあるし、国王となった学の馬術や剣術の師匠でもある。また前年の句国戦には、千騎を率いて戦を決定付ける武勲も上げている。

 何より、自分たちの親と共に国を救ったのが、決定打だ。

 少年たちには克は、救国の勇者、として目と心に焼き付いている。

 しかも宿とした家では、嫌な顔一つせず、逆に真剣に相撲ごっこなどにも興じて呉れる。

 克は、少年たちの身近な、手の届く英雄だった。



 ★★★



 数日離れていただけであるし、共に過ごした日数も然程ある訳でもない。

 しかし、あれ程濃密な時間を共に過ごした間柄だ。

 克は、真が重たちに直接会いたいという願いを叶えるよりも、自分が彼らと子供たちにまた会いたくなった、というのもあり、馬の脚を早めて邑に入った。


 邑令に命じて、現在の其々の田畑の様子を尋ねていると、勢いよく駆け込んでくる人影が現れた。

「お! お! おぉ!? ウチの餓鬼どもが見たっ、ていうから来てみれば! 何でぇ、本当に克の旦那じゃねえかよ!」

 数日共にいただけなのに、琢の口調がすっかり移っている。

「おお、重。相変わらずだな、子供らは? 元気にしてるか? 風邪がぶり返したりしてないか?」

「あ~、毎日毎日、飽きもしねえで、かかぁに怒られながらおっかけられてら。元気過ぎる程、元気になりゃあがったよ」

 そうか、いい事だな、と克は頬の一番高い処に笑窪をつくる。

 へっへへ、と鼻の下を擦りながら重は克の隣に躙り寄り、つんつんと肘で脇を小突いた。

「なあ、そんな事より、よぉ」

「んん? どうした?」

「今日はよ、ほれ例の、堤切りの策を考えついたとかいう、偉ぇ奴が一緒に来てんだろ? な、旦那、そいつぁ、何処に居るんだ? 早く紹介してくれよ」

 明白にわくわくと期待感を隠そうともしない重が、背伸びをして克の背後を探る。

 ……ああ、彼処に、と克が微妙な顔つきで振り返った先には、うんうん唸りながら床に転がっている真の姿があった。


 重が、本気かよ……、と渋面を作る。

 濡れた晒で目元を冷やして寝転んでいる青年は、到底想像を掻き立てて描いていた勇士とは程遠い。恐る恐る、指を差す。

「克の旦那よぉ……」

「んん?」

「まさかとは思うけどよ、なんちゅうのか、えぇと、その、……これ(・・)が、か?」

「……あ~、まあ、その、えと、うぅ、え~、なんだ……」

「此奴が、真、とかいう奴……なんだな?」

「……ああ、これ(・・)が真殿だ」

 苦笑いしながら、克は俯せに丸まって吐き気と格闘している真の背中を摩る。

「大丈夫か? 真殿、どんどん酔いが酷くなるな。邑令殿に頼んで、薬湯を入れて貰おうか?」

「は、あ、そうですね……いえ、大分良くなりましたので……」

「そ、そうか? とてもそんな風には見えんが」

「だ、大丈夫です……克殿、ご迷惑をお掛けして……申し訳……あり・ま、せ……んぉっぷ」

 遂に吐き気を堪えられなくなり、縁側の外にばたばたと這いずっていった真をみて、駄ぁ目だこりゃ、と重は肩を竦めた。



 真の酔い(・・)が治まるのを待ってから、重の案内で邑の田畑の様子を歩いて見て回る。

 真は、一つ一つ覗き込むようにして、田の様子を調べていく。

 区切りのよい田には、ぼすん、と飛び込み、実りだした稲穂を手の平に乗せて逐一吟味していく。

 真の掌には、どの田の稲穂にも、黄金色の粒は重みを感じさせてくれた。

 彼らの労に天が報いてくれた事に感謝せずにはいられず、自然、笑みが溢れる。

「克殿の当初の報告からは、想像も出来ないですね」

「全くだ。学国王陛下と皇子さまさまってもんだぜ」

 実り具合に感嘆している真の背中で、重が得意げに、へへへ、と鼻の下を擦る。これも、琢の癖が伝染ったらしい。

 心配されていた秋の実りは、重が言うように『稲妻様の御加護があった』と、皆が浮かれる程、豊かなものとなっていた。

 台風の被害で倒れるよりも、実りすぎて稲穂の先が地に着いてしまうのではと心配になる、近来まれに見る出来高となりそうだという。しかもあの台風が、夏と秋の分かれ目になったようで、あれからは秋の爽やかな気候に徐々に流れており、稲の色付きも目に美しい。

 刈り入れた稲穂は、地域によりはぜ掛けや穂仁王ほにおなどの違いはあれど、天日干しされてより後、脱穀に入る。

 克や琢たちの口から、たった一年でその威力を知らしめた脱穀櫛の発明者が、堤切りの考案者と同一人物だと知らされている重は改めて、稲穂の海を泳ぐようにして米の状態を調べている真の姿を、しげしげと眺める。

 ――この、ひょろっこい青瓢箪みたいな大将が、ねえ……?

 俄かには信じがたいが、やる事なす事、信じられないような事ばかりの御仁、とくればこの見た目も、まあ当然なのかもしれない。


「どうでしょう? この色付きと実り具合でしたら、今年はもう10日程もたてば、刈り入れに入れそうですね」

「だな、穂が出た時期から数えると順当だ。けど、どうすんだ? 実りが良けりゃ、禍国の方から税を寄越せって言ってこねえか?」

「其処は大丈夫ですよ、元々、皇子様御誕生による特赦ですしね。其れに何か言ってきたとしても、稲穂の先端部分を証拠として出すつもりですし」

「へえ?」

 稲穂というものは、どれほどこうべを垂れて実り豊かな穂であろうとも、その先端は実付きが悪いものだ。昔から、税を納める前の視察の場において、こうした手を使って軽減を図ろうしたのは、農民たちの知恵の一つだ。それを知っているだけでも興味深いというのに、利用して本国である禍国を騙くらかそう、としれっと言ってのけている。

「お役人様が、そんな小狡い事していいのかよ?」

 にやにやしながら重が真の背中に問い掛けると、真は、黄金色の稲穂の海に腰周りを浸しながら、すらっと答える。

「ああ、別に構いませんよ。私は偉いお役人様などではありませんので」

「ほ? なんだ? なに嘘ぶっこいてんだ?」

「いえ、嘘など言っておりませんよ。私は、品位も官位も職位も持っておりませんので」

「お役人じゃねえってんなら、何なんだ? 克の旦那と同じ、武人……じゃ、ねぇわな」

 王城から此処まで程度の距離を、馬に揺られるくらいで気分を膿んで吐き気を催してるのだから、武人であるわけがない。

 そもそも、こんなひょろひょろしていたのでは、子供が投げた石も避けられまい。

 果たして、まさか、と真は肩を竦めてきた。

「益々、有り得ませんよ。何だって武人なんてそんな、痛そうで怖そうな事、私に務まるわけがありません」

「だよなあ、見たとこ真の大将にゃ、武人なんざ似合わねえや」

「はい、そうなんです。ふんぞり返って偉そうに振る舞え、となんて言われたら藪を突っ切って逃げ出しますよ」

「ぶっひゃっひゃっ! そりゃいいぜ大将! 目に浮かびそうだ!」

「本気なのですけどね……。ですがまあ、だからこそこうして、好き勝手にふらふらしていられるのですが」

 言いながら、真は稲穂の先端を切り落とし、晒で丁寧に包んでいる。添えている竹簡に書かれた文字は重には読めないが、恐らくは地名と、そして不作を強調する何かしらの文言が書かれているのだろう。


 そっか、と重はにやにや笑いながら、胡麻のように散らばっている顎をボリボリ引っ掻く。

 掴み所のない、ふらふらした印象でありながら、誰よりも自分たちの生活を思っていてくれている。

 そして考える事は誰も想像もしない大胆さで、豪胆無法な策を決行させて、しかも成功させてしまう。

 そんな真が、重は大いに気に入ったらしい。

「けどよ、何の役も持ってねえのに、何でそんなあれこれ知ってて、なんやかんやに首突っ込む仕事してんだ?」

「さあ? どうしてでしょうか?」

 実は私が、一番知りたいと思っているのですよ、と真はにこやかに答えた。



 ★★★



 ある程度、田畑の様子を見て回った真は、続いて堤防の現状を確かめたい、と申し出た。

 克と重とに案内されて、堤切りを行った箇所がよく見える矢倉へと登る。

「成る程、こうして見ると壮観ですねえ。通殿の計算の確かさは恐ろしいですよ」

 ポッカリと開いた堤の周辺には、既に芒が穂を伸ばしかけている。

 まだ水枯れの時期には遠い筈であるのに、河の水位は相当に低い。切られた堤から、未だに川水が向こう側に漏れているせいだ。ふむ、と真は軽く握った拳を顎に当てた。


「ああ、それとな。ああして穴ぼっこがあいたままじゃな。正直なところ、ちょっと困ってんだよ」

「ですね、この程度の水嵩を二分してしまっては、今までのように、河を使っての運搬作業が出来なくなってしまいますからね。今はまだ良いとしても、春先、雪解け水が流れてきて田起こしの時期になった時に此れでは、流石にまずいですね」

「お? おお、そうだ、それよ、それなんだよ」

「実はですね、その弊害をなくす為にも、農繁期が過ぎた後に、この堤防の改修工事を行いたいと思っているのですが」

「あん? そりゃ、雑徭ざつようとして労役に従事しろ、って事か?」

 きらり、と重は目を怒らせた。

 いいえ、と真は何時もの調子で頭をふる。

「今の祭国では、蕎麦の栽培と、麦と米との二毛作をどうにか定着させたいと無理難題を皆さんに押し付けてばかりですので。皆さんに余裕がないのは当然、理解しております、しかし」

「しかし、何だ?」

「この2年の政策で国が豊かになってきた分、子供たちの数も増えてきました。稼ぎはどれだけあっても足りないでしょう。しかし、女性の方々は、既に秋から冬にかけて機織による収入を得る術を確率されつつありますので、まだ良いのですが……。此れから、稼ぎ頭の仕事のない男衆の方々は、さぞやご家庭内で肩身の狭い事でしょう。ですので」

「ですので?」

「勿論、郡王陛下自らが起こされる事業として賃金を支払いたいと思っております」

「なんでぇ、真の大将とやらはよ、糞お役人様なんぞより、俺らの暮らし向きに詳しいじゃねえか!」

 重が真の背中を、バン! と強く叩く。

 げっほぉっ! と真は嘔吐えづいた。

 


 夕暮れ前に王城に戻るつもりですので、この辺りで、と真が暇を伝えると、重は明白に落胆した。

 特に子供たちの失望の様は、哀れな程だった。袖に縋って泊まっていけ、と重の娘は大泣きし、宥め賺しながら、克は厩に馬を取りに行く。ぐずぐずとぐずりつつ、子供たちは克の後にわらわらとついて歩いていった。

 真はその間に、木簡に筆を走らせてはあれこれと邑令に指示を出していた。

 堤切りの際に、蔵を開放して備蓄米を放出したので、租税として納められた米から新たに取り分ける為の許可書、米の代わりに他の農産物や絹織物で賄う指示書、小麦や蕎麦の作付、養蜂を増やす計画書などだ。


「なんだなんだ、気小忙しいな? そんなんなら、無理して帰えらなくてもいいじゃねえかよ。な、俺んとこで飯食って泊まってけよ。克の旦那はいつもならそうしてるぜ? 琢の馬鹿も呼んでよ、楽しくやろうぜ」

「ええ、有難う御座います。そうしたいのは、私もやまやまなのですが」

「おう何だ、何か訳ありか?」

「実は、病に倒れていた私のさいが、臥せっていた先から、今日、帰ってくる予定なのです」

「へ?」

 重は一瞬、ぽかんとする。

「実は、禍国の使節団が持ち込んだ赤斑瘡あかもがさに感染していたのです。関を封鎖していた25日間、私の妻もずっと蟄居屏息していたのですよ」

「そりゃあ……」

 ごくり、と重は生唾を飲み込んだ。

「じゃあ、俺たちが説得に耳を貸さずに王都に突っ込んでいっていたら……」

「そうですね、もしかしたら、今頃は何方かが、発症していたかもしれませんね」


 落ち着きはらった声音だからこそ、余計に恐ろしい。

 再び、ごくり、と重は唾を飲み下す。

 話からすれば、堤切りを決行する辺は、この真とかいう青年の妻は、とうに発病して苦しい時期だったに違いない。

 そんな中であってさえ、自分たちの為に動いてくれていたのだ。

 ――もしかしたら、誰にも知られることもないまま、その功績を讃えられることすらないかもしれないのに。

 途端に、重の胸とに、熱い塊がせり上がってくる。

 誤魔化す為に、重は勢い込んで言葉をつなげた。


「ま、ま、其れは置いといて、だ。そりゃあ、災難だったなあ。禍国の使節も飛んだ疫病神だったもんだ。何も気が付かずに、いい気になって踏ん反り返って、祭国に入ってきた挙句に此れなんだからよ。頭張ってる奴の責任は、くらいじゃ生温いぜ? 役お取り上げどころか、そいつの三代は王城勤めをさせねえで、祭国に出入り禁止にして欲しいぜ」

「……ですね」

「いや、本当にそう思うぜ? そんなもんじゃ、足りねえ。一門郎党、ちっとでも血がかすってる繋がりのあつ奴ぁ、み~んな首にしちまって追い出してくれよ、って思うぜ? 陛下も、郡王陛下もよ、そんくれえして、本気で怒ってんのだって処を、見せしめにしてやってやりゃいんだ。どうせああいう、本筋のお偉い様ってのは、其処までされてやっと自分の不始末に気が付くくらいだろうしな」


 鼻息荒く、重はまくし立てる。

 誤魔化す為の言葉に、次第に気持ちが乗っかってきた格好だ。

 そもそも基本、祭国の民は愛国心が強い。

 国を愛し、国王である学を認め、郡王陛下である戰を慕うが故に突いて出る領民の本音は、手厳しい。

 曖昧な表情で頷き返す真の様子に、一気に捲し立て過ぎて呆れられた、と勘違いした重が、へへへ、と鼻の下を擦りながら近づいてきた。


「ま、ま、嫁さんがそんな大変だったんならよ、逆にこんな処で油売ってたらいけねえな。真の大将、早くけぇってやりな」

「はい、有難う御座います」

 折角誘っていただいたのに、申し訳ありません、と真が頭を下げる。

よせよ、と重が慌てた。


「ま、嬶は大事にしとくもんだ。逆らうだとか無下に扱うだとか、喧嘩なんざもっての他だな。臍曲げやがると、後までとことん恨み辛みにしやがるからよ、怖くていけねえ」

「ですね、はい」

「お、なんだ? 真の大将の嬶のそのくちか?」

「はい、まあ多分、其れは誰よりも身に染みて良く分かっていると自負しておりますが」

「何だ、真の大将はこっちでも話のわかる奴なんだな、気に入ったぜ、おい」


 嫁談義に花を咲かせ始めた真と重の横で、厩から馬を引いて戻ってきた独り身の克が、ぽつん、と所在無げに佇んでいた。


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