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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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10 皇子・星(しゅん) その3

10 皇子・しゅん その3



 余り長居されては、と様子を見に来た薬師が恐縮しつつ、声を掛けてきた。

 確かに、薔姫の体調は此れからが正念場であるし、面倒を見ている真も疲れ切っていて当然だった。二人共、眠れるのであれば少しでも眠ったほうが良いに決まっている。


 思いやってやれなかった自分を恥じて、戰は巨躯をこれでもか、と小さくさせてしょんぼりとしている。

「いや、私が悪かった。真、真も自分の身体を労わってくれ。薔の為にも」

「はい、有難う御座います。戰様も、どうか今日より椿姫様と皇子様と、心行くまで存分に、ゆっくりお休み下さい」

 念願叶って親子三人、此れからは誰にも邪魔されずに過ごせるのだ。戰の事だから、惚気に惚気まくるだろうと思いきや、ますます身体をしょぼしょぼとさせている。

「うん……。いや、それが……」

「どうかなされましたか?」

「いや実は……」

「はい?」

「椿と皇子の傍に居てやりたいのだが、仕来りでならぬ、と言われて追い払われてしまってね……」

「それはそれは」

 危うく吹き出しかけるのを、必死で真は堪える。

 ――成る程、なかなか座を立たれなかったのはそういう訳ですか。

「では、どうぞ寂しくお一人寝を」

「真……冗談でもいいから、今は慰めて欲しいな」

 互いに顔を覗き込んで、声を押し殺して、くつくつと笑う。

 何方からともなく笑いが収まると、戰が、椿姫の傍に座り直した。

 薔姫が、起きる気配を見せたのだ。

 真と戰とに見守られながら、薔姫は肩を揺すりつつ、ゆっくりと目蓋を開けた。


「薔……!」 

「……お義理兄上あにうえ様……?」

「そうだよ、分かるかい?」

「……おかえり……なさい……」

 辛うじて聞き取れるか細い声まで、咳で傷められた喉はざらつかせてしまう。

 ああ、ただいま、と応えながら、戰は薔姫の小さな手を握り締めた。

「椿に皇子が産まれた。此れまで、薔が世話してくれたお陰だ。有難う」

「……うぅん……そんな……こと、ない……」

 そんな事はあるよ、と戰は笑う。そして手の内にある、温石より熱い薔姫の手を何度も撫でる。途端に、本当に大丈夫なのか、という心配の虫が頭をもたげてきたのだろう。口をへの字にして、眉根が下がる。戰の為体ていたらくに薔姫が、くすり、と笑い声を零した。

「いやだ……お義理兄上あにうえ様……げんき、だして……」

「薔、少しでも早く元気になるんだよ? 椿と皇子に、会いたいだろう?」

「うん……」

 産まれた皇子の話題で、薔姫のに輝きが増した。うん、と頷く薔姫に、その意気だ、と戰が笑う。

「皇子の名前はね、しゅん、と名付けたよ」

「なんて……字、書くの……?」

 薔姫の手を開かせると、戰はその手の平に指を走らせた。薔姫も、覗き見ていた真も、が熱くなるのを感じだ。

「……いい、名前……」

「そうだろう? 椿が付けて呉れたんだよ」

「其れはそうでしょう。戰様ではこんな素晴らしい名前を思いつかれないのは明白ですし」

「えっ……。真、それは酷いな、流石に私だって……」

「私も……わがきみと……同じに……おもう……」

 薔まで、と戰はがっくりと肩を落とす。

 暫し、三人で笑い合うと、戰が、薔姫の小さな手の平を握る手に、力を込めた。


「薔」

「……なに……お義理兄上あにうえ様……」

「うん、実はね。私と椿の皇子の七日夜の命名の儀があるのだが……」

「……うん……」

「真に、皇子の名の天宙への奏上を頼もうと思っているのだが、どう思う?」

 表情を強ばらせた真の横で、薔姫は久しぶりに瞳を輝かせて微笑んだ。

「……すてき……」

「そうだろう、私もそう思う」

「戰様!」

 青い顔色で叫ぶ真に構わず、戰は続ける。

「真、先程、私に呉れた言葉の続きを、七日夜の皆の前で、頼めるだろうか」

「戰様、しかし私は……私は」

 自分は、側妾腹の子だ。

 此処、祭国では目付という名目だけの役名から、戰の側仕えの筆頭のような立場で動いてきてはいる。

 しかし、それはそれ、これはこれだ。

 戰の御子は、禍国の帝室後を引く子なのだ。戰の継次の皇子なのだ。

 その輝かしい御子に関わる事ができる、血筋でも立場でも品格ではないのだ。


 確かに先の皇帝・景の法会の折に、戰の背後に従って王宮内に入りはした。

 しかしそれは、戰の政敵から彼を守る必要性があったからだ。

 戰のへ敵意を自分に集めねばならない必要性があったからだ。


 だが、戰と椿姫の皇子の未来は、全て、何ものにも穢される事なく、一点の曇りのないものでなくてはならないのだ。

 今まで見せたことのない、強ばった顔ばせで食ってかかりかける真を、戰は笑顔で制した。

「真、真は私の義理妹いもうとである薔の良人おっとだからね。何よりも、私と椿の仲人でもあり、一番深い縁がある」

「しかし……」

「真」

 尚も言い募りかける真の肩を、戰は、がしり、と掴んだ。


「真がいいのだ、私は」

「……戰様……」


 真、引き受けてくれるかい? という戰に言葉に、真は幼い妻に促されても、腕で涙を拭いながら、はい、と応えるのがやっとだった。



 ★★★



 皇子誕生の翌日から。

 此れまでの分厚い雲は一体何処へ、と目を疑う晴天続きとなった。


 豪雨の為に遅れていた祝いの鐘が、銅鑼、鐃鈸が連日連夜、鳴り響く。

 人々は、皇子の誕生に浮かれささめきながら、台風による被害から立ち直るべく動き出す。

 心配されていた赤斑瘡あかもがさは、それ以後国土に新たな感染者をみせる事がない。終息に向かっている、と那谷と虚海に太鼓判を押され、誰もが安堵した。

 何よりも、施薬院に運ばれて来た鴻臚館の感染者、そして何より、あれ程苦しんでいた薔姫の病状までも快癒に向かっていた。


 ――新国王陛下の御即位こそは、瑞祥。

 ――皇子様の誕生こそは、瑞象。


 雷は、矢張、お二方の威光を示さんと天帝様が放たれた神立ちであらせられたのだ、と皆は喜び誉めそやす。

 こうなると、皇子の名が何であるのかが気になるところであり、今や話題の中心となっていた。下は端女や下男から、上は殿侍、舎人、兵仗、果ては神官として世俗と離れていなくてはならない、采女やほうり、禰宜たちまでがあれやこれやと憶測をたてあっていた。

 しかし、名が伝えられるのは、七日夜の祝いの席においてである。

 気もそぞろになりながら、王城の人々はその聖なる日を、まだかまだかと指折りながら、心待ちに待ちわびる。

 だが、そんな日々の時間こそが、怒涛のような過酷な試練の連続であった数日間を乗り越えたのだ、と実感させてもいた。


 七日夜の装束は、定められた絹を定められた手順で縫わねばならない。

 しかも型までも事細かに作法により定められている。

 訪れたほうりたちから、折り目の長さから。鋏の入れ方から、使う道具の指定から、糸の縫い目の数に至るまで、事細かに定められた作法とやらの説明を聞いて、真はやれやれ、と目を丸くつつ呆れて肩を竦める。そんな真を、戰は明らかに楽しんで眺めている。

「戰様」

「何だい、真」

「今から、丁重にお断り申し上げたいのですが」

 面倒臭い事は御免ですよ、と続ける真に、相変わらずだな、と戰は吹き出す。

「駄目よ……我が君。もう、お受け……しちゃったんだもの、しゃんと、して……」

「いや、しかしですね姫、これは明らかに私に対する精神的な虐めですよ。ほら、苛々してたら姫のお世話にも触りますしね、うん、此処は矢張、丁重にお断りを……」

「……駄目、我が君……、一度、引き受けた……ことは、最後まで……ちゃんと……しなきゃ……」

「うん、そうだぞ真、薔の云う通りだ」

 げんなりしている真の背中に、うきうきと浮かれた薔姫の声と、にやにやした戰の視線が突き刺さる。

 やれやれですねえ、と真は何度も嘆息した。


 しかし、この真の装束を縫い上げたのは、豊と福、そして珊たちだった。

 まだ病の穢が残る薔姫は、装束に触れる事は許されない、と申し訳なさそうにほうりたちが伝えたからだ。

 真と皇子の為の、誉れある晴れの白装束を縫う事が出来なかったのが、薔姫には悔しくて堪らない。病気になった事をこの時ほど恨めしく思ったことはなかった。何度、密かに悔し涙を零したかしれない。

 だが、涙に暮れた後は、すっぱりと気持ちを入れ替えた。


 ――この次に、お義理兄上あにうえ様と椿姫様との間に御子が産まれたら、我が君の装束は絶対に私が全部用意するんだもん。

 新たに心に誓う事と、真の支度の采配を振るうことで、薔姫は、自分を慰める事に落ち着いたらしい。



 そして。

 皆の期待を裏切らぬ、何処までも青く澄んだ晴天の中。

 とうとう、皇子の七日夜の祝い、晴れの日を迎えた。



 ★★★



 この、戰の第一皇子の晴れの日に、真は請われての大役を担う。

 天涯の主人あるじである天帝に御勅使みだいとして言挙げ、即ち、皇子誕生とその真名を告げるのである。

 誰もが望んで、得られるものではない。

 一生どころか、一家門一族郎党、永劫の誉れある役だ。


 で、あるというのに。

 何と、真は寝坊をしたのである。

 病気中の自分は穢があるから、と久々に薔姫と布団と枕を分けて寝たのが、逆に災いしたらしい。

「もう……! ……気を使って、きのうは、一人で……寝てもらったのに……! 何をやっているの、我が君ったら……!」

 今日の主役格の一人であるというのに、真は何時までたっても起きてこない。業を煮やして部屋に突撃した、ふうと、背負われた薔姫や珊は、まだ饅頭のようにこんもりと丸くなっている布団を発見した。

 薔姫が、ぐい、と掛布団を剥いでみる。すると、布団の真ん中で、横抱きに枕を抱えて真は平和そうに眠っていた。嘆息しつつ、薔姫は襟首を引っ掴んで、真を引きずり上げ、ぺちぺち、ぱちぱち、と頬を叩き出した。

「我が君……! 我が君ったら……! ほら起きて、起きてってば……!」

「い、いた、いたた、い、痛い……? う、うわっ!? ひ、姫っ!?」

「もう……なにが、姫? よ……! ほら……我が君、はやく! はやく、起きて……!」

 そうして朝も早くから、真は薔姫の大目玉を喰らいながら、大慌てながらも、定められた作法通りに着替えてさせられた。


「もう……、信じられない、我が君ったら……!」

「はいはい、全く面目次第もありません」

「……どうせ……遅れたら、代わりに禰宜やほうりがやってくれないかな……って、思って、夜更かし、していたんでしょ……?」

「はいはい、御明察です。いやあ、流石に我がさいですね、怖いくらいに当ててきます」

「冗談、言って……いないで、早く……お仕度して」

「はいはい」

 薔姫に頭ごなしに叱られて、真はめいいっぱい身体を小さくし、項あたりをかきあげる。

「ああ、ほら、駄目よ我が君。折角、整えて貰ったのに……、髪に、手を当てちゃ……」

「はいはい」

「背筋……しゃんとして、立って。帯、固く締められなくて、緩んじゃうでしょう……?」

「はいはい」

「急がないと、ほら……我が君、ぐずぐずしないの……腕、真っ直ぐ伸ばして……」

「はいはい」

「お返事は、一回」

「はい」


 まだ喉が涸れていて、何処かいがらっぽい声音ではあるが、痛みから言葉が引っかかる事が少なくなってきていた。虚海と那谷に傍に付いていて貰いながら、薔姫は寝床から、ああしてこうして、そうじゃない、と手厳しい。

 しかし、珊や福たちは、そんな薔姫の姿が愛おしくてかなわない。

 誰よりも、真こそが、薔姫らしい台詞が口から突いて出るようになり、喜んでいた。何を言われても反駁する事なく、はいはい、と従っている。

 幼い妻に、こましゃくれた物言いで責め立てられて嬉しがっているのだから、普通、傍から見れば呆れ果てて物が言えない処だが、二人を知る者は涙を誘われてならない。


 ――何時もの、真と姫様だよう。

 目が潤みだした珊の隣で、福がぐず、と鼻を鳴らしている。

 一時期は、このまま儚くなるのでは、と危ぶまれた原因である、想像できぬ程の高熱も3日前に下がりきった。それに伴い、痛々しく直視に耐えぬ湿疹の容赦なかった赤みが、茶色がかりだしていた。此処までくれば、順調であればあと半月ほどで肌も色もすっかり元通りになる。

 ただ、まだ咳は残り、耳の痛みも完全に引いてない為、目眩から吐き気もたまにではあるが、起こしていた。が、それでもこのまま儚い身の上になるのでは、誰もが悲観していた状態からは信じられない回復ぶりだ。

 わいわいやいやいと大騒ぎながら、やっと身支度を整え終えた真の元に、随身たちが迎えにやってきた。

 礼拝を捧げつつ、真に登城を促す。

「承知致しました、栄誉を賜ります」

 礼拝を返し終えると、真は立ち上がった。

 白い礼装を纏った真は、自然、貴人の相となっていた。皆が、はっと息を呑んで刮目する中、視線に全く気が付いていない真は、笑顔で薔姫の頬に手を伸ばした。

 頬を撫でる真の手に、湿疹の残る手を重ね合わせながら、薔姫も微笑む。


「では、行ってまいりますよ、姫」

「行ってらっしゃい、我が君」


 真は、縁側から直接、ひょい、と降りる。

「し、真殿!?」

「何処からどうやって、どういう歩き方で何歩で行かねばならない(・・・・)、という定めはないのですよね?」

 呆気に取られている随身に、真は振り返り、茶目っ気たっぷりに答える。そして、薔姫に一度大きくてを振ってそのまま、施薬院の庭を横切って、城に向かってすたすたと歩き出した。

 ――真、お城へ向かう真を、ちょっとでも長く姫様が見送れるように、って思ってんの?

 もう一度、ちらりと此方を振り返った悪戯っぽい真の笑顔と、満面の笑みで受け止めている薔姫の姿に、ちくり、と珊の胸が痛む。が、きゅ、と唇を一度固くしそして緩ませると、何時もの珊に戻っていた。


「ねぇ、ちょっとお」

「――は、は?」

「真、ひとりで勝手に行かせちゃって、いいのぉ?」

 にやにやした珊の揶揄い口調に、漸く正気を取り戻した随身たちは、慌てて真の後を追う。


 薔姫や珊たちの笑い声に風鐸が揺れ、カチン、カロン、と青い空に向けて鳴いていた。



 ★★★



 産屋の前に、真っ白な毛氈が敷かれており、それに対して伸びる形でも絨毯が敷かれていた。

 白の毛氈は縁どりと刺繍に、金糸と銀糸をふんだん使用してある。

 角が各方角に正しく向くように敷かれており、それぞれの先端に四神が刺繍してあるのだ。中央に八角形が麒麟の姿で縫い描かれ、その真ん中に黄龍が真正面に向いている。

 そう、この毛氈は皇子を迎え入れる神聖なる場なのだ。


 絨毯側には、戰に従う幕僚臣下たちが、品位の序列に順じてずらりと並び、平伏している。

 だが、筆頭の位置には、右に同盟国の国王である学は兎も角として、左には臣下の代表として真が控えていた。

 しかし、誰も其れに不服を言い立てる者はいない。

 それどころか、真がその場に居る事を当然のものとして、受け入れている。


 哀れなのは、禍国側からの参列者だろう。

 何と、皇子・戰に祭国郡王を命じた本国である禍国は、正式にこの場に入る事を許されなかった。七日夜の祝いのを催す産屋の前の広間どころか、鴻臚館から出ることすら許されなかった。帝室の正統なる血筋を引く高貴な御子の七日夜の場を汚すべからず、と言外に圧力をかけてきたのだ。

 其れでも体裁を繕う事は、許された。戰自身も、祖国を蔑ろにしていると後ろ指を指される訳にも行かなかったからだ。しかし、不敬罪にも問われよう大罪により、禍国から参列を許されたのは極少数でしかなかった。鴻臚館の美しい庭園に形ばかり整えられた毛氈が敷かれ、使節団の面々は、七日夜が行われる産屋の方角にこうべを向けての虚しい参列となった。

 本来であれば、祭国国王である学の隣には、御使である右丞・鷹が筆頭に据えられ、その序列ごと禍国使節団が華々しく占めるべきであるのに、だ。

 だが、右丞・鷹が起こした大失態――その犯した罪は万死に値する。

 怒りを隠そうともしない戰の苛烈すぎる処置に、禍国側の使節団は皆、魂を縮み上がらせた。

 更に彼らを恐れ慄かせたのは、禍国筆頭者の位置に、上軍大将である杢が居る。

 この事実だった。


 河国との戦で負った怪我が快癒していないとして、杢は七日夜の場の正式な参列を辞退していた。

准后じゅこう殿下のご説明に寄れば、怪我は穢を呼び寄せるとの事。私如きが聖なる場を冒涜する訳には、参りませぬ」

 頑なに辞する杢に辟易した戰に、真が折衷案として助け舟を出したのだ。

 大罪人の右丞を筆頭に立てる訳にはいかぬが、禍国側の筆頭に品官が低いものも立てられない。

 となれば、上軍大将軍の称号を得ている杢こそが、郡王の地位にある戰の次に禍国の臣下の中では品位が高い。怪我の為に祭国の民として同列する事適わぬとなれば、禍国の臣としての責を全うせよ。

 こう、命じられては、がちがちの石頭である杢が従わぬわけがない。

「真殿に、上手くやり込められましたな」

 と苦笑いしつつも、杢は承諾した。

 禍国側の面目も立てねばならないが、牽制は充分に行わねばならない。其れには、自分以上の者はいないと、理解してもいたからだ。



 こうして、其々の思惑が交錯する中。

 警蹕けいひつが行われ、それに先導された戰が、産屋前に現れた。


「郡王陛下の御成に御座います」

 厳かに、禰宜が告げた。



 ★★★



 父親である戰が、蟇目の音に送られながら、美々しく整えられた白絹の装束に着替えて産屋に入った。この蟇目の音も今日で別れるのか、と思うと胸に感慨が迫る。

 戸が開け放たる。

 同時に、白調度も払われ、護られていた椿姫と皇子が、姿を現した。

 椿姫と皇子も、戰と揃いの白絹の装束に着替えている。

 椿姫の腕に抱かれた息子は、たった七日、顔を合わせなかっただけだというのに、ぐっと大きくなっていた。

 こうなると、もう戰には椿姫と皇子の姿以外見えていない。平伏している禰宜たちなど、存在していないかのように、戰は、我が子を抱く椿姫に駆け寄った。

「椿! さあ二人共、もっとよく顔を見せてくれ」

「戰ったら、もう……」

「いいじゃないか、ずっと会いたいのを堪えていたんぞ? しかし凄いな、たった七日見ていなかっただけで、赤ん坊とは此れほど大きくなるのか」

「ええ、そうよ」

 食いつかんばかりに、戰は椿姫の腕の中で眠る我が子に見入っている。戰の言葉通りに、皇子は産まれたての時とはまるで印象が違っていた。


 ――あの時も、自分に似ていると思ったが。

 が、今こうして眠る我が子は、赤ん坊というよりは既に『子供』のような完成された表情をしている。

 赤子らしくない、整った顔立ちをしているのだ。そして、何よりも自分に似ている。何かなら何まで、自分の血を引いていてくれている、と感じとれる。

 ――我が子が自分に似る、というのが、こんなにも感動するものなのか。

 戰は、礼のつもりで、椿姫の頬に手を当てた。

 目を細めて微笑む椿姫は、この七日間を一人で乳をあげて襁褓を変えて、一人で乗り切ったのだ、と瞳の輝きで誇らしげに伝えてくる。ますます、母親としての潤いを感じさせる椿姫に、うん、と頷き返す戰も笑みが零れる。

 だが――やはりまだ、触れている椿姫の頬には熱を感じた。

 視線を彷徨わせると、苑と目があった。優しい仕草で、軽く目蓋を伏せてくる。その仕草で、熱はあるが大丈夫だと分かり、戰はほっと安堵の吐息を零した。しかし、戰の吐息を息子の成長に感動しているのだと勘違いした椿姫は、くすくすと笑い声をたてた。


「さあ、戰、お願い。貴方が桑弧蓬矢の儀式をしてあげなくては、この子は外界に出て行かれないのよ?」

「あ、ああ」

 椿姫に促されて、戰は部屋に用意されていた桑弧に手を伸ばした。

 天地を守る四神に、男児たるもの世に立志し羽ばたいてこそ、と祈り願う。

 それが桑弧蓬矢だ。

 桑弧を手に、産屋を出る。

 真っ白な毛氈の中央、定められた地に、しっかりと足を踏みしめて立つ。

 ぎゅ、と音を立てて弦を引き絞ると、ふっ、という短い気合と共に蓬矢が放たれた。

 青空に風となり、長大な孤を描いて蓬矢は飛ぶ。

こ の蓬矢は、四方を守る神の御使いとなる吉祥獣である東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武、の順に向けて放つ。

 それを、中央の麒麟が天帝のしょうである黄龍へと告げるのだ。

 見事な腕前を示して、戰は4本全ての蓬矢を、四方神の随獣に向けて放ち終えた。

 一瞬の静寂の後、高らかに銅鑼が鳴り響く。

 銅鑼の音に誘われ、皇子を抱いた椿姫が、苑に支えられながら産屋から姿を現した。

 戰の傍らに寄り添うべく、一歩一歩、確かめながら静かに椿姫は進む。

 戰と椿姫、そして皇子を守護する為、めかんなぎたちが、手に手に、磨き上げられ一点の曇りとてない銅鏡を天宙にかざす。

 まるで、後光のように、戰と椿姫と腕に抱かれた皇子を中心に光が棚引いた。

 堂々と光の筋に護られながら椿姫は歩み、我が子を戰の腕に託した。


「皆、表を上げてくれ」

 戰の言葉に、一斉に表が上がる。

 同時に、おお、という響めきが走った。

「此処に、我が腕に抱かれし赤子こそ、我が第一子にして長子、そして禍国と祭国の血の契の証である皇子だ。見知りおくよう」

 居並ぶ戰の臣下たちも、神官たちも、息を呑み、次いで呆けた溜息をついて見惚れずにはいられない。

 

 ――何という、美しい皇子様である事か! 


 平伏したまま最礼拝を捧げると、そのままの姿勢で、学と真はするすると進み出る。

 学は巻物を手にしており、真は手に刀子を持っている。

 

 戰の眼前まで進み出た真と学は、戰が手で促すのを待ってから、静かに立ち上がった。

 そして学は、立ち上がり様に巻物を広げた。

 命名の書には、戰の手による堂々たる筆致で、皇子の名が認められていた。



 ――しゅん



 これ一文字で、天を統べる天帝の証である太陽の子を意味している。


 そして――

 星は。

 人々の魂の証だ。

 数多の人々の思いを乗せて空を彩り、一日を生き抜く。

 そして、一年をかけて、元の位置に戻ってくる。

 だが、同じ姿のようで同じではない。

 消えるものも、新たに姿を現すものもある。

 しかし、連綿と続くこの命の流れの中で、輝きは決して途絶えない。


 それが――

 星だ。


 星辰の海の只中にあって。

 綺羅の如く、自らを奮い立たせ、輝け。

 皆を輝かせる為の輝きとなり、皆と共に光りを放て。

 一日一日を精一杯。

 懸命に、生きよ――


 長く不安な懐妊中の生活からの、椿姫の切なる願いが込められている名前だった。

 が、無論、皆はそうは思っていない。

 戰が皇子の為に頭を悩ませこの素晴らしい名に辿り着いたものと思い込んでいる。感嘆に打ち震える臣下の中でも、克はとりわけ、感激屋の面目躍如を果たしていた。冗談のような、滝と見紛う涙を轟轟と流して、感激しまくっていた。

 克の形相に、皆が必死になって吹き出しかけるのを堪えて、腹の筋を痛めている中、何処までが演技で何処までが素なのか、普段通りのけろりとした表情で、真は進み出た。拝した姿勢のまま、真は、四方から禰宜たちが祓詞はらへことばが終るのを待つ。

 空気が、静かに清々しく浄められ、真上に来た太陽に向け、新たに祝詞しゅくしがあげられる。

 全てが終わると、真は宣言した。


「吾、此処に天涯の主人あるじ天帝に、吾らが神気を伝えんと欲し、言挙げする者也


 天帝の御意を運ぶ嘉祥かしょうの証

 瑞獣の長、応龍と成すもの

 瑞兆を纏いし大君おおきみ

 その御代の広がり弥栄いさかやにと願い賜う

 祭国郡王・戰陛下の儲けの君

 占われし宿星により万乗(ばんじょう)の君となられし御方

 瑞祥たる神立ちをして十善じゅうぜんの君と我ら覚えし

 此れ正しく星辰せいしん皇子みこ

 故に禍国帝室の正統なる血筋を身に宿し皇子也」


 恭しく真が三宝にて刀子を掲げ出た。

 戰が、白絹ごと受け取り皇子の懐に入れ、産まれて初めての懐刀として認める。

 名付けの言挙げを護符と、天帝が認めた刀子だ。

 此れより以後、皇子を一生涯護り抜く、聖なる刃となるのだ。


「吾、申す

 日月星辰じつげつせいしんの誉れ受け

 旭日昇天ぎょくじつしょうてんの証受け

 宿星、尭風舜雨ぎょうふうしゅんうと定めしと

 此度、生を得し御子の御名


 此処に

 しゅん――


 と定めたるもの也


 父王・戰の意を

 代りて天涯の主・天帝に伝えんと欲するもの也」


「お慶び申し上げます」

「お慶び申し上げます」


 真の皇子を認め名を授ける宣詔の後、学が追従して祝いを述べると、皆が待ち構えていたとばかりに、続いて喜びを述べる。

 銅鑼と鐃鈸が鳴り響くと、どかん(・・・)の爆発音顔負けの、克の怒号のような声が響き渡った。


「皇子・しゅん殿下、万歳!!」 

 克の怒声に、男たちは笑顔で万歳をしつつ、腕で耳を庇いながら万歳に続く。


「祭国郡王戰陛下、椿妃殿下、皇子・しゅん陛下、万歳!」

 それを契機に、一斉に両腕が天宙にあげられる。


 ――皇子・しゅん殿下、万歳!


 涙ぐみながら、椿姫がふらり、とよろめいた。

 ずっと臥せっている生活だった為、強い日差しに負けて目眩を起こしたのだろう。直様、戰が片手にがしり、と抱き締める。

 儀式の最高潮を彩る、雅楽の調べが鳴り響き出した。

 麗しい調べに負けじ、と男たちの万歳は続く。


 ――郡王陛下、妃殿下、万歳!

 ――皇子・しゅん殿下、万歳!


 ――我らが祭国、万歳!

 ――陛下と殿下の御代に光りあれ!

 ――我らが祭国に、永遠とわの栄光と繁栄あれ!


 ――祭国万歳!

 ――皇子・しゅん殿下、万歳!!

 



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