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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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9 腕(かいな)に抱き その5

9 かいなに抱き その5



 いよいよ。

 戰、椿姫、そして皇子の前に、全ての占師たちが現れた。

 最礼拝を捧げる彼らの顔ばせは、皆、一様に喜びに輝きそして興奮に赤らんでいる。

 改めて鳴弦が鳴り響き出し、それを合図に占師たちは一斉に平伏した。

「吾、申す、天帝より授かりし星を見、月を読み、めし、言霊を封じて伝えし者也」

 中心にいた人物が、手の平を見せながら、そろそろと進み出る。

 口上はよいから早く、と怒鳴りたくなるのを戰は必死で堪えつつ、最もらしく、うむ、と頷いてみせる。


「吾、申す

 天宙におわす天帝より使われし国津神、天津神、諸神揃いたまいて、慶事を与えられん


 与えられしもの、日、月、星辰、龍、山、華蟲、火炎、虎猿、藻、粉米、ふつ

 此れ即ち尭天示す帝室の御宝諸々也


 此処におわします御方

 禍国帝室と祭国王室の契り深く実りとなりて現れ給う皇子様也

 即ち

 祭国郡王・戰陛下を父となし、祭国大上王・椿陛下を母となし

 天帝の御意を得て生を授かりし御方也

 吾、禍国帝室の皇子様を護りし言霊、此処に伝えたもう」


 ふと、椿姫は、戰が何やら不満げに、と言うよりも殺意に近い声音で、何やらぶつぶつと呟いているのを捉えた。不自然にならないように、そっと視線のみを彼に向けて、耳を欹てる。

 すると、彼女の良人おっとは鬼の形相で、ならないのだから耐えろ、ならないのだから耐えろ、とぶつぶつ呪禁を唱えるように呟いていた。

 危うく吹き出しそうになるのを必死で堪え、強ばった戰の形相に恐れをなしている占師たちに優しく微笑みかけて、先を促す。

 椿姫の笑みに力を得たのか、占師たちの一団の中から三方さんぼうを捧げ持つ者、それを守るように背後に二人が付き従い、静静と進み出てきた。

 折敷おしきの上には、朱の絹織に金糸で帝室の御子と認めれた証がある。日月輪、七星、火炎、山河、雲海、青龍、白虎、朱雀、玄武が縫い取られている巻物だ。

 そう。

 皇子誕生を記す似姿と星の巡りを示した、宿星図だ。

 巻物は、中心を七星と定めて刺繍は施されており、紫の組紐で閉じられていた。

 占師の一人が、宿星図と呼ばれるそれを、共に恭しく掲げ持ち、平伏している占師の手の平に渡す。

 そして、厳かに組紐が解かれる。

 す、と音もなく持ち上げられた宿星図は、その全容を顕にした。


 ――おお。

 感動感嘆の命じるままに、知らず、戰は溜息を零した。

 広げられた巻物には、占いの場に臨む、凛々しくも美しい皇子の似姿と彼が纏う宿星が、緻密、かつ荘厳にして華麗な筆致で、見事に描きぬかれていた。

 僅かな時間によくぞ此処まで、と誰もが驚愕し、そしてこの皇子に関わる栄誉の一旦を担えるのであれば、当然の事とまた誰もが羨む。

 無表情を装わねばならぬというのに、誇らしさを隠しきれぬ占師が、厳かに進奏する。


「吾、申す

 天帝が定めし皇子様の星月が告げしめい

 此れなる御方こそは日月星辰じつげつせいしん

 皇子様は天地が支えし陽日の御子となられんと認められし御方也


 皇子様が人相が伝えしそう

 此れなる御方は旭日昇天きょくじつしょうてん

 皇子様こそがこの世の民の朝日となりし御方也


 導かれしぼく

 此れなる御方こそは自然天然天涯天意の恩恵一身に受けるべき御方也

 即ち、宿星、尭風舜雨ぎょうふうしゅんう

 覇を督す戰陛下が辰宿が開きし世

 天下大道の道を引き継がれるべき御方也

 此処に、吾

 天帝に成り代わりて御言葉を与えんと欲するもの也」


「お慶び申し上げます」

 最礼拝を捧げながら、皆が声を揃える。

 途中何度も危機を迎えながらも無事に産まれ、そして苦しみながらも安産であったというだけでも、望外の悦びであるというのに。

 我が子は、何という素晴らしい宿星の元に生まれてきたのであろうか。

しかも、長じて己の歩む道を引き継いでくれるという。


 只の男、そして只の父親となった戰は、心を剥き出しにして、愛しい妃と我が子を喜びのたけびをあげながら抱き締めた。

 


 興奮の坩堝と化した産屋の熱気がようよう収まると、占師たちの一団は静かに下がっていった。続いて、豊たちも此方は笑顔と喜びの小声のさざ波をたてながら、下がって行く。

 皆が下がるのと見届けると、苑は一生の重大事を見事成し遂げた義理の妹を、改めて誇らしげに抱き締めた。

「本当に、よく頑張りました。さあ、この先はお二人と御子様と、お過ごしなさい。但し、椿は3刻後には必ず眠ること。興奮して起きていられるだけですからね、しっかりお休みなさい。直ぐにも、御子のお世話で寝る間もなくなってしまうのですから、今のうちですよ」

 苑は、自分たちも控えに下がる旨を告げつつ微笑んだ。

 しかし、椿姫は苑の言葉に大いに困惑する。

「えっ……あの、でも、義理姉様おねえさま……」

 本来であれば、このまま戰も下がるのが作法であるというのに。

 戰も戸惑う中、苑は晴れやかな笑顔で皇子の額に手を当てた。

 ちくちくと唇を動かしている皇子は、苑の手の平の優しい温もりにうっとりしているようにも見える。


「作法も伝統も大切な則です。でも、それを尊ぶあまりに、親としての心が等閑なおざりな扱いになってしまっては、意味がありませんでしょう?」

「義理姉様……」

「今日は、陛下の緊急のお呼び出しがなければ、二人と一人、初めての刻を存分に楽しみなさい」


 はい……と、泣きながら頷く椿姫の頬を、そ、と晒で優しく拭ってやってから、苑も静かに下がっていった。



 ★★★



 漸く。

 二人と一人。

 戰と椿姫、そして御子。

 親子三人のみ、となった。

 勿論、部屋の外では未だに鳴弦と読者とくしょ、蟇目の儀は続けられている。が、それでも、白調度に囲まれ守られた空間には、親子以外に誰も存在しないのだ。

 ――これで本当に、存分に語り合い、そして愛でてやれる。

 だが、あれ程椿姫と御子と、ただ家族として居たいと願っていたというのに、いざ、その場に放り出されると、戰は奇妙な緊張を強いられていた。

 赤子を抱いた女性が、よもや此処まで神々しいものだと思いもしなかった。

 しかも神に等しき輝きを纏うその人は、己の妃なのだ。


「つ、椿」

「はい?」

「と、兎も角、その、苑殿も言っていたから、か、身体を横にして、ら、楽にしてくれ」

 変に吃りながら言う戰に、くすり、と小さく笑い声をたてつつも、椿姫ははい、と素直に従った。にしきの敷物の上に皇子を寝かせ、その隣に椿姫も楽な姿勢で横になると、戰は何が『うん』なのか分からぬまま、うんうん、と何度も声に出して頷く。

「戰……」

「うん?」

 皇子の丸いお腹の上に手を宛てがいながら、椿姫が、来て? と誘う。

 益々奇妙な緊張が高まり、汗に塗れながら戰は矢張、うん、と頷いて椿姫の反対側に腕枕で横になる。皇子の腹の上にある椿姫の手の上に、自身の手も合わせた。

「戰……」

「うん?」

「どうだったの……?」

 ああ、と戰は己の不明を殴り倒したくなった。

 自分ばかりが不安を払拭されて喜ぶだけ喜んで、椿姫には不安の種を残させていた事に、今更気がついたのだ。大体、頬に傷まで作って帰ってきたのだ。椿姫の性格上、心を傷め、案じぬわけがないではないか。

 戰は慌てて、言い訳に入った。

「大丈夫だ。上手くいった。もう何も心配する事は何もない」

「そう……?」

「ああ、学も見事だった。もう、誰にも文句など言わせはしない。正に、名実一体。学は、もう立派な祭国の国王だよ」

「そう……?」


 駆け付けた先で領民を説得している最中、大雨による洪水の危機が起こった事。

 邑を田畑を領民を守る為に、真が示して呉れたのは、堤を保護するのではなく、逆転の発想だった事。

 新たなる武器である『どかん《・・・》』の威力にて堤を切り、見事、水を逃して河川を二手とし、水嵩を減らした顛末。

 あの一致団結し、高揚した場を、戰は椿姫に語って聞かせる。

 身振り手振りを交えて話すうち、更に熱気が帯びてくる。重ね合わせている手の内側が、興奮のままに汗ばんできていた。

 が、椿姫は嫌がる素振りも見せない。

 逆に、嬉しそうに微笑み、戰に丁寧に頷き返しながら、それから? と先を促しつつ聞き入っていた。


 やがて、語り終えて興奮が静まると、椿姫が皇子の頬をちょん、と啄いた。

「ねえ、貴方のお父様の武勇伝よ? ちゃんと聞いていて?」

「聞いていたさ。いや、諳んじて話せるようになるまで、此れから毎日、寝物語に語って聞かせてやろう」

 まあ、と椿姫は笑う。

 戰も笑いながら、姿勢を少し変えて皇子の手をとり、転がすように愛でる。ぎゅ、と握り締められた皇子の手は、戰の掌と比べれば棗の実ほどの愛らしさだ。

「大きな赤子だと思っていたが……こうして見ると矢張小さいのだな」

「いやね、貴方と比べたらどんな赤ちゃんでも小さいわ」

「それもそうだ」

 皇子を挟んで、二人で笑う。


「椿」

「なあに?」

 横たわった姿勢で静かな話に入ったせいか、急激に眠気をもよおしてきたらしい。椿姫はどこか、とろんとしたで見詰めてくる。それが妙に扇情的で蠱惑的で、どくり、と心の臓が跳ね上がるのを戰は感じた。

「皇子の名前、なのだが……」

「ええ」

「約束通りに、椿がつけてやってくれ」

「――え?」

 とろりとしていた椿姫の瞳が、大きく見開かれた。がば、と上体を起こしかける椿姫の肩を、ああ、と戰が押し留める。

「だって、でも、そんな……」

「約束だ」


 男の子であれば、椿姫が。

 女の子であれば、戰が。

 生まれいでた御子に名をつけようと。


「あの時、約束しただろう?」

 珍しく、悪戯小僧の顔付きになって戰が揶揄うように笑っている。

 星見と月読たちより陰陽の星を得て、産養うぶやしないに入った今、子に名をつけるのに最もよい刻である。

 しかし。

「でも……」

 椿姫は、御子と戰の顔を見比べて、理由もなく泣きそうになっていた。

 いや違う。

 本当は、泣きたい。

 一族、それも父系の長がつけるべきものである、子の将来を定めてしまう大切な名前を――自分が? 


「本当に……いいの?」

「ああ」

 笑う戰の顔が滲んでいく。

 そんな椿姫の頬と目元に、彼女の良人おっとの無骨な唇が何度も落ちた。

 背伸びをするように躙り寄り、口元を手で隠しながら、椿姫は戰の耳元で囁く姿勢をとった。



 愛する男の胸の中で。

 この日の為に。

 この日を夢見て、ずっと大切にあたため続けてきた名前を 椿姫は戰にそっと打ち明ける。


 皇子の名は――


 ――しゅん


 と名付けたいの。



 ★★★



 息子の名前と共に、耳朶を弄る甘やかな椿姫の吐息に、戰は、擽ったそうに肩を竦めた。

 目蓋を閉じていた戰は、聞き終えると肩からさいを抱き寄せる。

 何という字を書く? と重ねて問いかける戰の手を取った椿姫は、その内側に指先を走らせた。じっと動きを追っていた戰は、書き終えた椿姫が静かに見上げているのに気がついた。


「しゅん。いい名だ。これ以上のものはない」

「本当に――いいの?」

「当然だ。流石、私の椿だ。よく、こんな良い名を思いついて呉れた」

 有難う、と戰は愛しい椿姫を抱き締める。戰の腕の中で、ふふ、と何処か誇らしげに、そして照れたように、椿姫は微笑んだ。

「七日夜が楽しみだな」

 ええ、と笑い返す戰の言葉に、椿姫の小さな欠伸が重なった。

「疲れただろう? 苑殿が言っていた刻限も近い事だ。皇子、いや、しゅんは私が見ていてやるから、さあ、もう椿は休め。」

「え? 戰が?」

「ああ、私だってこの子の親だ。世話してやって何が悪い? それに椿は、次にこの子が目覚めたら、乳を含ませてやらなくてはいけないだろう? お前は少しでも寝て、疲れを取っておけ」

 ――お前(・・)、だなんて。

 良人おっとらしく命じる戰に、椿は堪えきれず、くす、と小さく笑い声を漏らす。

 すると些か、む、とした様子で戰が、こら、と椿姫の額を小突いた。くすくすと笑いながら、椿姫は、有難う、戰、と頬の傷に手を伸ばした。

「有難う、それじゃ、遠慮なく甘えさせて貰うわ。でも、戰の方こそ疲れていない?」

「大丈夫だ。椿、お前の良人おっとはそんなやわ(・・)ではないぞ? いいから私に任せて。お前は先に休むんだ」

「……そう?」

 戰と椿姫の間で万歳の格好をとって眠る皇子は、すやすやと甘い寝息をたてて寝入っている。

 もう一度、しかし今度は先に戰が皇子の腹に、手を乗せる。

 戰の手の甲の上に、椿姫の細い指が乗せられた。

「じゃあ、子守唄だけ、歌わせて?」

「ああ、分かった」

 渋々ながら、戰は頷く。

 自分が信用ならないのか、と言いたげだが、椿姫が唄う子守唄は聴きたいから堪えよう、というのが透けてみる態度だ。

 だが、鳴弦の音にのせて椿姫が柔らかな唄声で子守唄を歌い始めると、戰は目を細めた。

 元々、芸能に秀でた姫であったが、母としての愛情が込められた唄声の素晴らしさを堪能できるのは悪くない、とばかりに聴き入ってる。

 椿姫は、というと、一瞬、ちらり、とそんな戰を揶揄うように見上げたが、直ぐに皇子に集中して子守唄を唄った。

 こうして、子守唄を唄う日が、親子並んで過ごせる日が迎えられたなどと、俄かには信じがたい。


 ――でも、この子は、腕の中にいるわ。私と、戰の腕の中に。

 暫く、そうして皇子に視線を集めて歌っていた椿姫は、軽い鼾を耳にして驚き、顔をあげた。目の前には、微かに口を開けて、すっかり寝入っている良人おっとの姿がある。


 ――先に休めと言っておきながら、もう……。

 腕の中に、後生大事に息子を抱いている戰は、実に満足気だ。

 気分が良いのを隠そうともせず、仲良く寝入ってる良人おっとと皇子は、全く同じ調子で息を吸い、そして吐いて、胸を上下させていた。

 長い睫毛が揺れるところまで、同じだ。


 ――こんな変な処まで、親子を主張するの?

 悪戯心を刺激された椿姫が擽るように、ちょん、と戰の頬の傷痕を啄く。

 むぅ、と眉根をよせたが、目を覚ます様子はない。

 すると、腕に抱いて護られている皇子も、戰と同じように、むにゃ、と眉をしならせた。

 良人おっとと、彼の縮図である息子が、こうまで似ていて同じ仕草をされたのでは、堪らない。


 ――ちょっと、妬けるわね。

 あんまりにも可笑しくて、椿姫はつい、くすくすと笑い声を上げてしまう。

「お休みなさい、戰。お疲れ様、そして有難う。無事に私としゅんの処に帰ってきてくれて。お休みなさい、しゅん。貴方も、良く頑張って戰と私の子になってくれたわね」

 有難う、と言いながら椿姫は皇子の額をそっと撫でながら、子守唄の続きを唄う。だがそれも、本当に僅かの間だった。


 やがて、鳴弦の音には、夫婦二人と御子一人、親子三人の安らかな寝息がのるばかりとなった。



 ★★★



 薬湯の薬効が、効いてきたのだろう。

薔姫が、真の腕の中でうつらうつらしかけた頃。

 雨戸を固く締め切っている施薬院にまで、大太鼓の音が響いてきた。

 そう、御子誕生を知らせる大太鼓の音だ。


 ――お生まれになられた!?


 知らず、緊張と期待に、薔姫を支えられている腕に、ぎゅ、と力が入る。

 この大太鼓の音は、御子誕生を告げるものだが、しかし、御子は何方なのか?

 皇子か? それとも姫君なのか?

そして何よりも、母子共々に無事なのか?


 ――えぇい、くそ! 仕来りも大切ですが、御子様が何方なのか、お二人とも健康状態はどうであるのか、もっとこう、早く知らせられないものなのですか?

 この時ばかりは、流石の真も苛つきを隠せない。

 早く早く、と気持ちばかりが急いてしまう。

 微かな痛みで、急速に意識が浮上した薔姫の耳は、大太鼓が鳴り響いているのを捉えた。

 どぉーん! どぉーん! と腹に響く独特の太鼓の音は、魂にまで浸透するようだ。

 ぱちり、とを開けると、彼女の目の前で、真が気を張り詰めた面持ちで、雨戸の外を睨んでいた。


「……我が君……」

「ああ、姫、目が覚めてしまいましたか?」

 すいません、と笑い掛けてくる真は、しかし目が笑っていない。薔姫も、こくり、と小さく息を呑み込んだ。

「……椿姫様……大丈夫、なのかしら……赤ちゃん、も……」

「大丈夫ですよ、きっと。戰様がお戻りになっておられますからね」

「……う、うん……」

 固唾を飲んで耳を澄まし続ける真と薔姫の耳に、独特の音が届く。


 そう。

 慶事を知らしめる音。

 皇子誕生を慶ぶ韻律だ。


 一瞬、ぽかんとした間抜けた顔になって、真と薔姫は動きが鈍い絡繰人形のように軋んだ動きを見せてゆっくりと見詰め合う姿勢になっていく。

 徐々に徐々に、視界の中にお互いの顔が映り込んでくる。

 やっと、正面でお互いの顔を直視し、視線が絡まるや、否や。

「皇子様ですよ!」

「……やったぁ、我が君ぃ……!」

「やりましたよ、姫!!」

 それまでの緩慢な動きは何だったのか、と言わんばかりの勢いで、ガバッ! と抱きしめ合う。

 やった! やった! と取り合った手をぶんぶん振り回してはしゃぐ二人の部屋に、ととととと! と軽快な足音がやって来る。

 勿論、珊だ。

 溢れる涙をぐいぐい腕で拭い取りながら、駆け込んできた。


「真! 姫様! やった、やったよ! 椿姫様に赤ちゃんが産まれたよぉ!」

「ええ、銅鑼の音は此処まで聞こえてきましたよ! それで、皇子様は!? 椿姫様は!? ご安産だったのですか!?」

「……ねえ、珊、……お姉上様は、赤ちゃん……は、ご無事……なの……?」

「大丈夫だよぅ、姫様も赤ちゃんも、元気だよう!」

「……本当……に? 珊……それ、本当……!?」

「嘘言ってどうすんだよお、姫様、怒るよお!?」

「いや、兎に角! やりましたよ、姫! 素晴らしいです!」

「うん……うれしい……!」

「やったよぅ、やったよお!」


 やった、やった! やった!!

 三人は、腹の底から叫び声を上げる。

 仔猫が戯れ合うように、互いに互いを揉みくちゃにしあいながら、転げまわって喜んだ。

 


 ★★★



 産まれた御子が皇子であり、且つ安産であり、そして母子共々に息災無事。


 此れまで、懐妊中の椿姫が、何程凄まじい生活を強いられて来たのか、常に寄り添い診てきた面々を中心に、施薬院の中も爆発的な喜びの渦が巻いていた。

 鴻臚館から運び込まれてきた、赤斑瘡あかもがさに羅患した者たちも禍国帝室の慶事に、床に伏せながらも沸いた。


 禍国帝室の一員であり、祭国郡王である皇子・戰の血を引き継ぐ、正統なる継次の皇子、誕生。


 暗く辛く厳しい時間ばかりが怒涛のように、そして情け容赦なく祭国に、そして戰に、学に、椿姫に、真に、誰よりも薔姫に、襲いかかってきた。

 皆が気持ちを擦り切れさせ、地に這って倒れそうになる中、心を希望に繋いできたのは、この御子の存在だった。


 御子に、輝かしい未来を。

 御子に、美しい祭国を。


 この日、産まれた皇子が齎した『希望』という名の明星の力は計り知れない。



 王城も施薬院も、全てが、ただ、慶び一色に染まっていた。

 



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