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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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9 腕(かいな)に抱き その2

9 かいなに抱き その2



 着替えている最中、雷鳴が幾度か耳に入った。

 ――台風に、雷鳴が重なるのは珍しいですね。


 古来より、雷は『神鳴り』と呼ばれ天竜の従者として尊ばれている存在である。

 が、また同時に、悪鬼悪霊を呼び寄せる存在とも国津罪として信じられている。

 ――椿姫様が産屋に入っておられるというのに。

 この兆候は果たして、吉と捉えらるべきなのか。

 それとも、凶と慄くべきなのか。

 恐らく、産屋に詰める禰宜ねぎほうりたちは、気が気ではないだろう。彼らの働き如何により、椿姫の出産は慶次にも凶事まがごとにも何方にも転ぶのだ。


 ――いいえ、けれど椿姫様は大丈夫です。

 必ず、戰様はお戻りになる。

 そして椿姫様も、御子様も、共々に守りきられる。

 ふと上げた視界の端に、風鐸の姿が入った。


 ――それに引きかえ、私は。

 急に、胃の腑がむかむかとしてくる。

 まだ帯を締めている途中だというのに、手伝ってくれている下男の手を振り払い、ずんずんと風鐸に歩みよる。

「糞ぉ!」

 叫ぶなり、真は下げられた風鐸を引きちぎって投げ捨てた。

 悲鳴を上げるように、哀れな程に囂しい音をたてて、風鐸は廊下を転がっていく。

 その音が、止まった。何かが、行く手を遮ったのだ。



 ★★★



「真」

「……戰様」


 風鐸の行く手を遮ったのは、戰だった。

 ふぅー……ふぅー……、と荒馬のように息を荒げて戰は仁王立ちをしている。戰の上下する肩に合わせてまた、雷鳴が轟いた。

 続く稲妻の駆ける音の中、暫く二人の間で睨み合いは続いた。が、不意に戰は荒い息のまま腰を屈めて、無残な姿を晒していた風鐸を拾い上げた。

 外套を着ていたにも関わらず、戰は酷く濡れそぼっている。千段が、あらん限りに脚を強めて駆けに駆けたのだろう。そう、外套が捲れ上がり、用を足さなくなる程に。

 戰が静かに外套を留める紐を解きかけると、下男は少しでも真から離れたかったのだろう、明白にホッとした面持ちで背後にまわり、脱がせにかかった。


 身軽になった戰は静かに真に歩み寄り、風鐸を差し出した。

「真」

「どうなされたのですか。何故、此方にいらしているのです? お戻りになられたのであれば、一刻も早く、椿姫様の元へ」

「真、駄目だろう、大切な風鐸を」

 こんなもの、と真は唇を噛みながらそっぽを向く。

 棘のある言葉には答えず、戰は真の胸に押し付けるようにして、風鐸を手渡そうとする。

 だが真は、その手を乱暴に打ち払った。哀れにも、風鐸は再び床に叩きつけられる。結び付けられていた糸が切れたたのか、今度は間の抜けた音がして、舌が転がりでた。かちかち、かちかち、と身を震わせている舌が床を叩く。

「こんなもの! どうだって良いのです!」

「真、落ち着け!」

 再び、戰は腰を屈めて壊れた風鐸を拾い上げ、真の肩を些か乱暴に掴んで揺さぶった。そうでもしないと、此方の言葉に耳を貸しそうにない、と思えたからだ。

 動転して毛を逆立てている猫のような真の勢いに恐れをなしたのか、いつの間にか下男は姿を消していた。

 興奮に胸を上下させつつもやっと呼吸を整えだした真を、戰はゆっくりと宥めだした。


「真、堤の事だが」

「……はい」

「上手くいったよ。堤は通の計算通りに切ることが出来た。越水決壊を起こす前に、河を二分して河川の水嵩を減らす事が出来た」

「成功……」

「そうだ、成功だ、真」

 肩の上に腕を回して、戰は真を抱き締めた。

「成功したんだよ、真。助かったんだ。皆、真のお陰だと褒め称えているよ」

「私の……?」

 喜んでくれると思っていた。

 この艱難辛苦を乗り越えられたのは、真の策があればこそだというのは、皆が認めている。

 洪水を起こさず自然を制した事も。

 それを認められた事も。

 真は喜んでくれると思っていた、今までのように、戰様喜んでばかりいてはいけません、と何処か紗に構えて、其の癖、照れを隠しきれずに答えてくれると思っていた。

 しかし、真の声は、冷たい癖にヒリヒリとした熱さを感じる真冬の風雪のように、冷たかった。



 ★★★



「策が成功した。それが、それがどうしたと言うのですか」

「……真?」

 語尾を上げた戰に、真は、ふっ……と口角を歪める。

「成功した! 皆が助かった! それで!? それがどうだと云うのですか!?」

「真?」

「ええ、成功した事は喜ばしいです! 洪水を起こす水を制した! 国が、皆の命が救われた! これ以上の慶事はないでしょう! けれど、私にはそんな事はどうだっていいのです、戰様!」

「たったひとり! 大切な人がたった一人で苦しんでいるのを助けられないというのに!」

「真……」

 食いしばった歯の奥から堪えようもない嗚咽を漏らし、両眼から溢れた涙で頬をべっとりと濡らし、真は叫ぶ。

「本当に助けたいと思っている、たった一人の人を助ける事が出来ない! こんな無様で情けない私が! どうして! 褒め称えられると云うのですか!?」

「真、それは違うよ」

「違いません! 私は、私は何もしていない、何も出来ない! いつだって見ている事しか! 馬鹿で愚かで情けない、どうしようもない人間なのです!」

「いい加減にしろ、真、でないと怒るぞ!」

「いいえ、やめません!」

 怒鳴りながら、真は戰の腕から逃れ、今度は逆に二の腕を掴んできた。

 戰の腕を捩じ切らんばかりに、真は締め上げてくる。戰ですら、思わず顔を顰めねばならない程、強く掴まれる。ぎりぎりと指がめり込んで、肉が刮げ落とされそうだ。

 ――真の一体何処に、こんな力が隠されていたのだ?

 戰は顔を顰めつつ、慄きを持って刮目した。


「何もしてない? 何も出来ない? 見ているだけだ? そんな事はない。真、真は確かに救っている」

「違うのです……戰様、私は気が付けなったのです」

「……真?」

「気が付けなかったのです、私は! あの夜、姫が熱を出した夜! 咳が出始めていたというのに、気が付く事が出来なかった! 私は、私が、あの時に気が付いていれば! もっと早く気が付いて那谷を呼べていれば! 姫は此処まで酷い症状にならなかった! こんなに苦しむ事はなかった!」

「真、それは結果論だ。ならなかった、かもしれないし、今よりも酷くなっていたかもしれない」

 鴻臚館から集団感染者が出た日の朝、薔姫も熱を発した。

 あの時の真の取り乱しようは、忘れられるものではない。

「ですが私は、自分で自分が許せないのです。助けられたかもしれないのに、みすみす見逃していた自分が! 姫をむざむざと苦しめる道に追いやった自分が!」

「真……」

「そんな私が、この祭国を守ったなどと、どうして姫に言えるのですか!?」

「真……」

 殆ど頭突きをするような勢いで、真は戰の胸に額を打ち付けてきた。

 無様に泣いている顔を見られなくなったのか。

 それとも何んでも良いから縋らずにいられなかったのか。

 恐らくその両方であろうが、真の哀哭は戰の胸を打つ。


「真、聞いてくれ」

「……」

「いつだったか、そう、祭国に帰ってきたばかりの頃かな。薔がね、こっそり私に話して呉れたよ」

「何を、ですか?」

「春になったら、真と二人で花見をしに行くのだとね。嬉しそうだった」

「……え?」

「お弁当は何が良いだろうか、真の好物は沢山あるから大変だ、とまだ数ヶ月も先の話なのに、張り切っていたよ。頬を赤く染めてね、あんまり楽しそうにしているから、いい時期だから、私と椿、生まれてきた御子も一緒に連れて行ってくれ、と頼んだら、駄目だと思い切り鼻に皺を寄せて舌を出されたよ。二人きりで行くと真と約束した、大切な約束だから駄目だ、とね」

 ぴくり、と真は、腕の力を緩めた。

 雨戸の外で荒れ狂う台風に対抗しているかのようだった真が、大人しくなった。

「……姫、が……」

「薔はね、私の義理妹いもうとは、この国を大切に思っている。愛しているよ。薔が目を覚ました時、大好きなこの国が悲しみに沈んでしまっているのだとしたら、どうなるだろう?」

「……」

「真、薔は真と居る、真が居る、この祭国を愛している。その国を救ったのは、真の力だ。薔が元気になった時、誇ればいい、胸を張ればいい、薔の為にこの国を守ったと」 


 戰が静かに、真の身体を引き離す。

 まだ真の嗚咽は止まず頬も流れる涙で濡らしていた。が、度を超した異常な興奮は、徐々に収まってきたようだった。

 ずるずると力が抜けいった真は、頽れるままに膝を付く。そしてそのまま突っ伏しざまに、再び声を張り上げて泣き出した。

 膝をついて、戰は、背を丸めて泣いている肩にかけている手に力を込めた。


「笑おう、真。戦に出る時、薔に笑っていてくれとの願いに薔は、義理妹いもうとは、真を信じ続けて応えてくれていた。どんな時も笑顔で居てくれた。ならば今、どんなに苦しくとも、私たちも耐えて笑おう」

「戰様……私は、私は……」

「真、真も信じてくれ。薔を救うのは真だ。助かった薔が目覚めた時、一番最初に真の笑顔を見せてやってくれ」

 戰はうずくまる真を、かき抱いた。

 戰に抱かれたまま、一刻近くもの間、真は喉も裂けよと泣きじゃくる。

 波打つ背中に、戰はただ静かに手を充てがうと、待ち焦がれていたように、真は自分から戰に縋り付いてきた。



 何程の間、泣いていたのか。

 しかし、泣きに泣いていた真の慟哭が、ぴたり、と止んだ。

 と、思うと真は顔中を濡らす涙を、ぐ、と袖を使って拭い取り、姿勢を正した。

「戰様」

「何だい、真」

「有難う御座います。落ち着きました」

 うん、と戰は頷く。

 まだ、も赤く鼻の頭もてかてかと赤みを指して涙の跡を残しているが、真の顔ばせは引き締まっていた。

 何時もの、真に戻っている。

 泣きに泣きまくったお陰で、自分をいじけの虫にさせていた何かを、涙と共に落とす事が出来たらしい。

 ――それとも。

 何かを心に刻んで決意でもしたのだろうか?

 何を。

 などと、愚かにも聞くまでもない事である。

 が、もしも自分の考えている通りであるならば、きっと真はこの先決して取り乱さないだろう、そして薔姫を救ってくれる、と戰は思った。



 ★★★



 らしくなく取り乱した真も、此れもまたらしくなく長演説の説教をぶった戰も、互いに照れ笑いし合う。

 その時。

 台風の豪雨とは違う大きな音が、雨戸を揺らした。

 大太鼓の音だ。

 つまり、椿姫の元に白装束に身を固めた禰宜ねぎほうりたちが、此れもまた、魔除けの祓いを済ませた白調度類を運び込む知らせだった。

 椿姫の陣痛が、また一段先へと進んだのだ。


「戰様、お早く椿姫様の元へ」

「分かった、真も、早く薔の処に戻ってやってくれないか」

「はい、勿論です」

 下男を呼び寄せて着替えを始めた真はもう、何時もの真に戻っていた。

「真」

「はい、戰様」

「いや……いいんだ、薔を頼むよ」

「はい、戰様。どうか、お早く」

 まだ、笑顔とは言い難いが、声音が明るくなった。

 うん、と戰は頷くと、踵を返して産屋へと向かう。


 途中、僅かに脚を止めて振り返ると真はいつの間に、という速さで着替えを終え、風鐸を手に施薬院の奥へと姿を消す処だった。


「真」

 とその背中に声を掛けようとして、戰は思い止まり、心の中でのみ、呟いた。


 ――真。

 気が付いているかい?

 真が泣くのは、薔の為だけなのだと。



 ★★★



 真が部屋に向かう途中、子供特有の甲高い叫び声が聞こえた。

 錯乱して暴れている、というべきなのか。

 惑乱して喚いている、というべきなのか。

 とにかく、絶叫。

 それに尽きる叫びだった。


 ――姫!?

 慌てて廊下を走る。

 施薬院の奥の部屋近くまで来ると、薔姫だ、とはっきり分かる女の子の声で泣き叫んでいるのが聞こえてきた。だが、何を言っているのかまでは聞き取れない。しかし、深く嘆いているのだという事だけは、伝わってくる。

 廊下を走り、虚海の部屋の戸口が見えると、中から手桶が飛んできた。

 まるで披帛ひはくのように帯状に広がるのだな、と妙に感心しながら飛び散る水の流れを真は眺めていた。

「……やだぁ! こんなの、いやぁ……!」

 叫び声が、聞こえてきた。 

 今度は、はっきりと薔姫の声だ。

 震えている。そして悲しみと驚きと、絶望が混ざり合っている。

 真は、一旦脚を止めると、大きく息を吸い込んだ。


 ――真、笑おう。

 ――はい、戰様。

 戰の言葉を思い出しつつ、真は、爪先を動かした。



 ★★★



「姫、どうしましたか?」

 声を掛けながら、垂れ下がっている簾を払い部屋に入ろうとすると、薔姫の鋭い声が飛んだ。

「……来ちゃ、だめ……! 我が君、は……おへやに、……入って……来ない、で……!」

「姫様ぁ、そんな事言っちゃ駄目だよぅ」

「……珊、は……だまって、て……!」

 ぜいぜいと喉を鳴らし、わんわんと泣きじゃくる薔姫の泣き声に、真が現れてくれて明白にほっとした珊の声音が重なる。真は、無体に簾を払って部屋に押し入ることはせず、影から手招いて珊を呼ぶ。

「どうしました? 姫は何を騒いでいるのですか?」

「……うん、それがさぁ真……」

「……珊……! い、いっちゃ……、だめ、だめぇ……!」

 コンコンと身を揉む咳の合間に、薔姫の叱責が飛ぶ。

 同時に、空になった小さな椀が飛んできた。おっと、と言いつつ真は簾から腕を伸ばして椀を手に取る。そして、椀で口元を隠しながら、真は珊に耳打ちするように促した。

 真に責められる、と覚悟していたのだろうか。

 普段の珊からは想像もできないしおらしさで、おずおずと切り出してきた。

 ――あのね、真、姫様……その、見ちゃったんだよ。

 ――何を、ですか?

 ――赤斑瘡あかもがさの、湿疹を、さぁ。その、姫様の、酷いから気が付かれないようにあたいも福も、気をつけてたんだけど……。

 ああ、と真は目蓋を閉じた。

 唇を尖らせて、珊はばつが悪そうにもじもじしている。

 詳しく話すように、そっと真が促すと、うん……と躊躇しつつも幾らかほっとした様子で、珊は続けた。


 真は下がっている間に、虚海が用意させた薬湯のおかげで、眩暈と吐き気はかなり収まってきたらしい。勿論、咳と熱はまだまだだが、気持ちにゆとりが生じて、身体を起こして話せるようにもなってきた。

 そこへ、鴻臚館の方の感染者で熱が高いままの者が苦しんでいる、と下男が虚海に助けを求めて呼びに来たので、その間に着替えを、と思ったという。

 しかし、赤斑瘡あかもがさという病の名前の元となった赤い湿疹は、薔姫に限って言えば他の感染者より酷い状態だった。広まり方も、症状が出ている部位も、色の濃さも、どれをとっても、余程気を張っていないと、分かっていても目を反らしたくなる程、哀れな姿だった。此れまでが、快活で明るく、綺麗な素肌をしていただけに、病気で弱りきった身体で全身に赤い湿疹をくまなく蔓延らせているなど、親しくしてきた者でなくとも、正視に耐えられるものではない。

 だから何をするにも、そう、吐いて汚れた身体を拭っている時も、細心の注意を払ってきた。けれど、喉が渇いたから何かを飲みたい、と薔姫がねだった時に、それは起こった。

 手伝っていた端女が不用意に手渡した為、薔姫は椀に腕を伸ばさねばならず、捲れ上がった袖から伸びた自身の腕に、赤い発疹がびっちりとまとわりついている様に気が付いてしまったのだ。

 後は、止めようと間に入った珊と福を蹴り飛ばす勢いで大暴れした。

 手水用の手桶を引っつかんだ薔姫は、水に映った自分の顔ばせにまで、赤い滲みが広がっているのを見てしまった。


 ――わたしの、かお……!

 そして薔姫は、あの時、真が指で擦った意味を理解して絶叫したのだ。



 ★★★



 珊に、静かに手で示してどくように頼むと、真は簾を掲げてゆっくりと声をかけた。

「姫、入りますよ」

「……いや! ……出て行って……!」

 布団を頭の上まで被って丸く俯せになった薔姫は、団子のようだ。

 丸い塊の傍に腰を下ろすと、やれやれ、と言いながらポンポンと叩く。

 そして、どうしたらよいのか、とおろおろと腰を落ち着かなくしている珊や福たちに、大丈夫ですから任せて、薬湯の用意をしてきて下さい、と目配せと小声で伝える。福や下女たちは、正直手に余る状態であったから、ほっと胸を撫で下ろし、直ぐにお薬湯をお持ちしますわね、と下がっていく。しかし珊は、気になって下がるふり(・・)をして簾の影からこっそりと様子を伺った。


 珊が残っていることに気がついていない真は、どれどれ、困ったお方ですね、我がさいは、と笑った。

「これではまるで、姫蓑虫様ですねえ。ほら、珊たちも困っていますから。姫、出てきて下さいよ」

 話しかけても、こふこふ、とくぐもった咳が出て、丸い塊が不規則に揺れるばかり、返事はない。やれやれ、と笑いながら、真は薔姫の塊に寄り添って寝そべり、ゆっくりと布団の上から摩りだした。

「姫」

「……いやっ! あっちに、行って……いて……!」

 ふるふると震える蓑虫となった薔姫を、やれやれ、と言いつつ真は覆い被さるようにして、布団ごと抱き竦めた。

「姫、私も随分幼い頃に赤斑瘡あかもがさに感染していますが、湿疹の跡なんか何処にも残っていないですよ?」

「……」

「大丈夫ですよ、ちゃんと綺麗になりますから、ほら、何なら私の腕を見てみませんか?」

「……見なくても、知ってる……もん……」

「ですね」


 私のことを一番よく知っていて呉れているのは、姫ですからね、と笑い声をたてながら、真は腕の中の布団蓑虫をゆさゆさと揺すった。

 揺すった拍子に、少し布団がずれ、薔姫の細い腕が見えた。

 まだ、熱が残っている手は赤く、そして独特の赤い湿疹が広がっている。慌てて布団を閉じようとした薔姫に勝った真は、隙間から幼い妻の手を取った。

 取り上げた小さなて手は、やはり何時もの何倍もの熱を内側に篭らせていた。

「……はなして、わがきみ、はなして……」

 此れまでの勢いがすっかり萎み、真の手の内にある薔姫の手は引っ込めようとする素振りすら見せない。湿疹で斑に染め上がった腕を見られて傷嘆、銷魂しょうこんしているのは明白めいはくだった。

「……いや、はなして、ってば……」

「離しませんよ。姫はおかしな事を言いますね。私には、もう赤斑瘡あかもがさは感染しないのですよ? それなのに、どうして離さないといけないのですか?」

「……だって……」

「はい。だって、何ですか?」

「……だって……きたない、もの……」

 布団の奥で咳き込んでいる薔姫の鼻が、ぐず、と鳴る。

 古来より、深い病はけがれた気が呼び寄せる、と信じられている。

 所謂、『気枯れ』の状態であるから、と考えられているからだ。

 特に薔姫は、祭国に住まいを移してから、日常の一つ一つに天涯を統べる天帝の意を見出そうとする独特の考えに触れてきた。そしてそれを心身に馴染ませる素直さ故に、薔姫は勝手に自分で自分を追い込んでいたのだった。



 ★★★



 目を細めて短く微笑んだ真は、握った薔姫の手の甲に、唇を寄せた。

「……わ、わがきみ……!?」

 心に受けた衝撃で、声音で目が丸くなっているのがありありと伝わるくらい、薔姫の声は驚愕しきっていた。


「汚くなんてないですよ」

 唇から頬にあて、そしてもう一度、両の手の平の中に、小さな手を包み込む。

「姫は、汚くなんてありません」

 布団が、えっく、えっく、と嗚咽と一緒に揺れる。


「姫は、綺麗です」

「……わがきみぃ……」

 わっ、と声を上げて、薔姫が布団から飛び出してきた。

 まだ引かない高熱の為、何よりも興奮したせいもあるだろう。真っ赤な熱の人型となった薔姫が真に縋り付いてきた。


「……我が君……」

「はい、何ですか?」

「……き、きらいに、ならない……? わ、わたし、こんな……でも、我が君は、わたしのこと、きらいに……ならない……?」

 袖から伸びた腕にも、襟から零れ覗く首筋にも、裾からはみ出した脚にも。

 そして頬にも額にも。

 赤い斑文様となった湿疹が、蛇の呪いのようにぐねぐねと浮かんでいる。

 その頬を両手で包み、真は自分の額に薔姫の額を、こつ、とあてた。

「嫌いになんて、なりませんよ。私は、いつも、どんな時も、姫が大好きですよ」

「……ほんと……?」

「はい。おや、知っていてくれているのでは、なかったですか?」

「……え……?」

「私は普段、相当にいい加減で適当な態度の人間ですけど、姫には嘘をついた事がないのですよ?」

「……」

「おやおや、そこは喜んで欲しかったですねえ」



 言葉に詰まる薔姫を、真は笑いながら抱き竦める。

 腕の中に、ぎゅ、と仕舞い込むように大切に抱き締め、熱い幼い頬に自身の頬をすり合わせる。

 

 薬湯が出来ましたよ、と遠慮がちに声がかけられるまで、二人はそのままだった。




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