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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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8 明ける夜 その7

8 明ける夜 その7



 真の指導の元に、甕の中にまずは絲瓜絡しからくが縁に沿って詰められる。

 摩擦にも弱いどかん(・・・)を守る為に、その上に袋状に縫い上げた綿布が広げられた。その中にどかん(・・・)が詰められていく。慎重に慎重を重ねて行われる為、簡単な作業だというのに、時間ばかりが刻々と過ぎ去っていく。

 細かい作業が苦手という訳ではないのに、克は、全身に奇妙な汗をかき始めている。

「ちょっとぉ、克ぅ、手汗でどかん(・・・)湿らせて使えなくしないでよ?」

「わ、分かってるさ、いやしかし、汗をかくなと言われても……」

 全身汗塗れの克を、もぅ、と呆れ果てた表情で、珊は見やる。

 そうこうしていると、地図を写し終えた克の部下が、どやどやとやってきた。彼らにも、甕にどかん(・・・)を詰める作業の手伝いをするように克が命じると、珊が腰に片手を当てつつ、踏ん反りかえって指をさしてきた。

「ちょっとぉ、みんなぁ、丁寧に扱ってよお」

「はいはい珊様、お任せ下さいって」

 部下たちが、にやにやしながら珊に手を振るのを、克は苦々しい面持ちで眺めていた。



 やっと、最後のどかん(・・・)を完成させた。

 長尺縄をとぐろを巻いた蛇のようにして、袋の綴じ口の上に乗せる。

 全ての甕にどかん(・・・)詰め終えて準備を整えるのに、実に、夜半近くまで時間を費やしていた。長く緊張を強いられる作業に没入していたその場に居た全員が、安堵感と開放感から、肩で大きく息をした。

「どうだ?」

「ええ、いい感じですね」

 薔姫を抱いたまま真が頷くと、克が表情を輝かせる。

 甕の脇を撫でながら、やったな、と思わず言葉が突いて出る。いや、克だけではない。作業を手伝った皆の正直な気持ちだった。

「後は蓋を蜜蝋で封じれば万事整いまして御座います、か」

 すると真が、余っている香縄を指しながら、いいえ、まだです、と引き締まった声を掛ける。

「流石に一発勝負と言う訳にはまいりません。この縄を燃やしている間に、全ての工程が出来るか、向こうで試して貰って下さい」

「ああ、分かっている。任せておいてくれ」

 腕を伸ばして縄を握ると、克は、頬の一番高い位置を凹ませて笑った。


 克たちが甕を荷車に運んでいる間に、散らかりまくった部屋を福と珊が掃除を買って出てくれた。粉末状にした木炭と、絲瓜絡しからくの切粉が舞ったおかげで、空気までが黒っぽく粉っぽく濁っているように思える。

 部屋を綺麗に拭き清めている最中、薔姫が、ふう、と目を覚ました。

 一旦熱が下がった為、寝るというよりも朦朧としていたいう方が正しい状態だったこの数日と違い、しっかりと『眠った』のだろう。声や仕草は兎も角、顔付きや目の輝きがすっきりとして、意思が宿っていた。

「……我が君……もう……おわった、の……?」

「ええ、つい先程。五月蝿くしてすいませんでしたね、姫。どうですか、気分は?」

「……うん……大丈夫……」

 どれどれ、と言いながら、真が薔姫の額に自分のそれを打ち付けるようにして当てた。ごつん、とやたらいい音が部屋に響く。

「うん、どうやら嘘は言っていないようですね? まだ熱が上がってきてないようですし」

「……我が君……」

「はい?」

「……そんなに……したら……やだ、いたい……」

 じわ、と涙を滲ませ、ぐすんぐすんと鼻をすすりだした薔姫に、真が、えぇ!? と慌てる。

 剛勇鉄腕で知られる優の鉄拳を受けても、ものともしない石頭に頭突きを喰らったのだ。

 痛くて当然だった。



 ★★★



 必死になって薔姫の赤くなった額を撫でている真の横で、真ってば悪いんだ、と珊たちが囃し立てつつ部屋の掃除を終えかける頃。

 支度を終えた克が、やって来た。

 いつもの深衣ではなく胡服に着替え、外套を纏った克は、大きく見える。

 衝撃から守るため馬は使えないが、身動きの取りやすい姿、となると、胡服に勝るものはなかった。


「おっ、おっ、何や何や、また男振りが上がったやないか、かっさん」

 作業の汚れを落としてきた虚海に、にやりと笑われれると、いやぁ、と克が照れる。は~ん、と嬉しげに唸りつつ、虚海は瓢箪型の徳利を傾けた。

「くぅ~! どかん(・・・)を作っとる間、控えとったからな。身体に滲みてくわ」

 旨そうに唸る虚海に、薔姫が小さく笑う。

「……虚海……さま、おさけ……おくすり、なんじゃ……なかった、の……?」

「ほうや、命のお薬や。神さんにも御神酒ゆうて捧げるやろ? 酒は万病を祓う百薬の長、神さんとおんなじもん口にして、旨なかったら、そら舌がおかしいんや」

 ぐびぐびと音をたて、唇の端から溢れた酒を喉元にまで垂らしながら酒を飲み続ける虚海に、笑い声が上がる。

「そや、かっさん、芙さんはどないしたんやな?」

「先に向こうに走って貰っている。真殿に頼れんからな、彼には気張って貰わんと」

「ほうか、芙さんもい男になりに行っとるか」

 今回の作戦には、芙も共に作業に従事する事になっている。

 戦場においてのどかんを扱い、そしてその威力を目の当たりにしているのは、真以外では芙しかいない。真が動けない以上、芙が現場に赴くのは当然と言えた。


 歪んでいた外套の結び目に気が付いた克は、丁寧に結び直すと、頬に笑窪をつくった。

「では、真殿、虚海殿。行ってくる」

「はい、宜しくお願い致します」

「頼むで、かっさん」

「……克……がんばって、ね……お兄上様……おねがい……ね……」

「克さん、宜しく頼みますよ、彼方には若先生もいらっしゃるんですから」

「薔姫様、福殿、心配めさるな、お任せあれ」

 芝居掛かって、克は拳を振り上げ、どん、と胸を叩く。

 何も言わない珊に、克は、にかっと笑いかけると、通り抜けざまにじゃあな! と手を振って部屋を出て行く。きゅ、と唇を固く結んだかと思うと、珊はくるりと身体を翻して、克の背中に向かって叫んでいた。


「馬鹿琢がいるから! 肝心な処で足引っ張られて、しくじんないでよ!」

「おう!」

「あと、あと、男上げようとか見栄張って、阿呆な事仕出かすんじゃないよ!」

「心配すんなって!」

 もう一度拳を振り上げて頭上で回しながら、克は廊下を曲がって姿を消した。



 ★★★



 克が姿を消すと、入れ替わりに珊と福が頼んでいた、下男たちがやって来た。

 湯を張ったたらいや晒、真新しい衣服を手にしている。

 熱が下がっている間に着替えを、と勧めに来たのだ。


「姫様は兎も角さ、真はひっどいよぅ! 克も顔負け!」

「……ですかね」

 熱の塊だった薔姫をずっと腕に抱いて上に身体を拭くどころか、そもそも彼女が倒れてから、真面に着替えもしてない。そう言われれば、此れはちょっと臭いますね、と流石の真も苦笑いする。

 真は薔姫を布団の上に下ろすと、では宜しくお願い致します、と珊と福に薔姫を託した。

「いいから、ほら、早く行きなよぅ」

 行け行け、と手をひらひらさせる珊の前で、虚海が下男に背負われる。

 此れから虚海は、診察に没頭せねばならないのだ。正に不眠不休の馬車馬如き働きだ。だが、今、祭国に住まう人々は皆が皆、そんな状態である上に、誰かの手を止められては忽ち、立ちゆかなくなる。

「ほなな、姫さん。あんじょうよう、綺麗にしてもらいな」

「……うん……」

「では、姫の行水の間は下がらないといけませんし、私もその間に、那谷の部屋を借りて湯を頂いて着替えてきますよ」

「……うん……」

「うん、そうしなよぅ」

「ああそれから、その後に虚海様の処に行って、鴻臚館で熱を出したという方々の様子を見てきます」

「……うん……」

 直ぐに戻りますよ、と真は笑いながら、薔姫の髪をくしゃくしゃにした。



 最後の荷物の点検が終わる。

 道中、この雨で身体を冷やさぬよう、敢えてあつものをとった。

 克たちは、蒸気をあげそうな程に身体の熱を上げている。

 いや、羹をとったからではない。

 興奮しているのだ、と克も自覚している。

「行くぞ!」

「おう!」

 椀を投げ捨てるようにして、克の号令に、部下たちも高揚した面持ちで立ち上がった。


 いよいよ、克が王城を出立とすると、駆け寄ってくる人影があった。

 真だ。

「克殿! 良かった、間に合ってくれた」

「おう、真殿」

 切羽詰まった様子で駆けてくる真に、克は朗らかに笑いかける。

「如何された?」

「……一つ、どうしても気になっておりまして」

 乱れる息を整えようと、真が大きく息を吸い込んだ。

「此度の策ですが。彼方で、戰様と学様の処では、通殿の名を出さないで下さい。いえ、誰が関わったのか、私以外の名を誰も出さないで下さい」

「……」

 真が何を言わんとしようとしているのか、流石の克にも分かった。

 

 言霊の縛りが、祭事国家であるこの祭国では特に強い。

 皆、策が脆くも崩れ去る事が現実となった場合を敢えて口にしなかったのは、悪鬼悪霊を招き寄せ、とり憑かせぬ為だ。

 成功すれば良い。

 一揆の一歩手前まで行っていたからこそ、領民はみな、諸手を挙げて偉業を讃えるだろう。

 だが。

 万がいつの事あらば。

 責を負えを迫る暴徒の渦に、戰たちは晒される。

 それを少しでも食い止めるには、策を発案し実行せしめた実質の責任者を、彼らが知っていなくてはならない。

 怒りの矛先が、分散してはならない。

 憤怒の渦は、策を立案した自分に向くようになっていなくてはならない――

 と真は言っているのだ。

 

「宜しくお願い致します」

 こうべを垂れる真に、よしてくれ、と克は呻くように言う。

「最初から失敗するなんて思って動くとは、真殿らしくない。いつものように、心配して、はらはらしている此方が馬鹿なんじゃないか、糞小憎らしい奴だな、と思えるくらい、白々とした態度でいてくれ」

「……克殿」

「ん?」

「私は克殿に、そんな風に見られていたんですね?」

「う? い、いや違う」

「怪しいですねえ、ぽろりと溢れる言葉こそ、人の本音というものなのですが」

「一般論だ、一般論! あくまでも一般論だ!」

「一般的、と言う事は、その一般に克殿も含まれますよね?」

「まて、まて、まて、ほ、本当に違う違う、違う、か、勘弁してくれ……」

 逆に意地悪く聞いてくる真に、克が慌ててふためく。

 暫く、珍妙な舌戦を繰り広げていた真と克だったが、何方からともなく言葉が絞み、やがて、同時に……ぷっ、と吹き出す。


「では、行ってくる――真殿」

「はい」

「皆、真殿の策を信じてる。だから、真殿も信じてくれよ、その策を、必ず俺たちはやり遂げる」

「……はい」


 戰様を、どうか宜しくお願いします、と改めて真はこうべを垂れる。

「行ってくる! 信じて、待っていてくれ!」

 克は、殊更に明るい声を挙げて去っていった。



 ★★★



 男連中がいなくなると、薔姫は、珊に手伝って貰いながら行水をとった。

 汗で汚れた身体を丁寧に拭い、下着から何から全て清められたものに取り替える。

 生き返る、とはこの事かもしれない、と薔姫は深く息を吸い込む。

 熱の影響で喉がおかしくて声は出しにくいし、咳をし過ぎて下腹や背中が、きしきしと嫌な痛み方をする。が、それでも久しぶりに気持ちが晴れやかになった。

「……ありがと……珊……」

「ん~ん、いいよぅ、そんな事」

 言いながら、珊は薔姫の豊かな髪に櫛を通していく。

「どう? 気持ちいいでしょ?」

「……うん、……髪……くし、入れるの……ひさし……ぶり……」

「姫様の髪はたっぷりしてて、綺麗だよね、梳かし甲斐があるよ」

「……でも……ずっと……あらって、なかったから……傷んで……ない……?」

「大丈夫だよ、綺麗だよ。寝っぱなしだとそりゃ痛むかもしれないけど、真が抱いてたから、擦れて切れたりとかしてないし」

「……そう……?」

 うんうん、と明るく頷きながら、珊は楽しげに髪を梳かし続ける。

 思わず目を閉じて、梳られるままになっていると、すたすたと静かな足音が近付いてきた。

 今、この部屋に近づこうとする人物は、一人しかいない。

「もう入ってもよいですか?」

「あたいが、もうずっと入ってきたら駄目~! とか言ったら、真、どうすんの?」

「……それは困りますねえ。折角用意して来たのに、無駄になってしまうじゃないですか」

 何が? と顔を見合わせ合う薔姫と珊の前に、ぽりぽりとうなじあたりを掻きながら、真が顔を出す。

 片手にした盆の上には、蕎麦粉の薄皮で胡桃の胡麻味噌和えを包んだお菓子を乗せた皿があった。


 何もかもが、久しぶりの時間だった。

 こうして、ゆっくりとお菓子を食べるのも、笑い合うのも。

 しかし、あと数刻もすれば、薔姫の身体からは再び熱があがり始める。

 ――もしも。

 もしも、その時の高熱に、薔姫の身体が耐え切れなかったら。

 誰も彼もが、その可能性に心を痛めつつも、見ないふりと考えないふりをし続けている。

 珊も、そうだった。

 ――このまま、元気になってくれる……よね? ねえ、姫様ぁ……。

 じわり、と涙が浮き上がりかけるのを必死で堪えつつ、珊はお菓子を口に運ぶ。

 真が笑っている以上、薔姫が笑っている以上。

 自分が泣いてはいけない、と戒めながら、琢顔負けの道化を演じて場を和ませ続けた。

 三人で笑いながら蕎麦粉のお菓子を食べ終えると、下女が麦湯と、就寝前の手水の用意をして現れた。



 ★★★



 ――あらん限りの力で馬を飛ばす方が、いっそ気楽だな。

 内心でぼやきながらも、克は部下たちと慎重かつ用心深く、荷車を押して行く。

 一刻を争う事態ではあるというのに、こんな調子では、邑にたどり着く前に洪水が起きてしまう。

「えぇい、糞! こんな調子ではやっとられん! 皆、甕を担げ!」

 叫ぶ早いか、克は外套を脱ぐと、荷車から甕を一つ奪うように担ぎ上げた。

 そして、滑らぬようにしっかりと括りつけて固定し、そのまま走りだした。

 一瞬、度肝を抜かれてきょとんとなった部下たちも、ハッとなり、次々に克に習う。

「三人一組! 担ぎ手は半里ごとに交代! 行くぞ!」

「はっ!」

 怒号のような克の命令に、部下たちも怒鳴り声で返した。



 邑令の厨から届けられた握飯の山を、親の敵かと見紛う勢いで男たちは食べ崩していた。

 もう直ぐ、王城から連絡が届く事だろう。

 そうなれば強大な堤を相手に、絶対勝利をもぎ取らねばならない戦を、自然相手に仕掛けねばならないのだ。

 策の実行に移れば、食事どころか、いつ、休めるかしれたものではない、正に不眠不休で勝利まで動き続けねばならない。充分な腹拵えは必須だった。

 邑令も、心得ているのだろう。

 備蓄米の放出に躊躇を見せない気風の良さだった。


 重たちの恐ろしいまでの食の勢いに乗せられたのか、普段食が細い学も、いつも以上に食べていた。

「お、陛下、そうだぜ、もっと食わねえと。そんなひょろひょろしたなまっちろなりじゃ、倒れるんじゃねえかって心配になっていけねえぜ。俺んとこの子供ガキらなんぞ、下の娘でももっと食うぜ?」

「は、はい」

 目を白黒させながら、必死になって巨大な握飯に食らいついている少年王の姿に、自然と場の空気が和む。戰は、握飯を片手にしながら目を細めた。

「琢たちの元にも、食事は届けられたのか?」

「は、ははっ」

 両手に握飯を持った部下が、喉の奥に米粒を詰まらせつつも、頬を膨らませたまま答える。

 麦入り米の握飯には、葱味噌と蕪の塩漬けが添えられており、部下は再び遠慮会釈なく握飯に葱味噌を付けて大口を開けて頬張った。満足そうに咀嚼しつつ、水を求めて手をひらひらさせている。

 その顔ばせが真を彷彿とさせ、戰は、ふ、と短く微笑んだ。

 ――そう言えば、真も握飯が好きだったな。

 胡麻塩入りや魚醤を垂らした焼き握飯といった、味付けがしてあるものを特に好んでいた。

 面倒くさいので、と書簡の山に埋もれて仕事をしつつ手にする弁当箱には、飽きが来ないようにと味付けを工夫された、とりどりの握飯が並んでいたのを思い出す。仕事に夢中で見ていないだろう、と小さな握飯を失敬しようとそろりと手を伸ばすと、まだ文字の書かれていない木礼で、ぴしゃりと手の甲を叩かれたものだ。

 ――正確には、薔が握った握飯、かな。

 蕪の塩漬けを摘み上げながら施薬院に居る、真と薔を、戰は思った。



 その場に居た男たちの胃袋全てが、満ち足りる頃。

 待ちわびていた、王城からの早馬が来た。

 同時に、芙の配下の草たちからも、連絡が入る。

 色めき立つ男たちを、しげが腕を振り上げて制した。

 戰が書簡を受け取り、文字に素早く目を走らせる。徐々に力を得ていくに、重たちが、期待を込めて、ごくり、と喉を鳴らした。


「こ、今度は何だって?」

「芙からの連絡には、琢たちが、投石機の組立を終えたとある。王城からは、堤を切る為の策を実行させる為のどかん(・・・)が、此方に向かっていると記されている」

 一瞬、屋外で暴れまわる暴風雨の音のみの世界となり、続いて、それらを吹き飛ばす歓声が上がる。

「郡王殿」

 学も、頬を輝かせながら戰の手元を覗き込んでいる。

 胸の中程程度しかない背の学を引き寄せると、戰がぐ、と息を吸い込んだ。


「皆、今、聞いた通りだ。王城で練り上げられた策を実行すべく、全てが動き始めた。此れより投石機が設置されている地点を教える。先に頼んだ通り二手に分かれてくれ」


 おう! と、皿や茶碗を放り投げながら、男たちが呼応した。



 ★★★



 日付を超えた事が、微かに耳に届く刻告鐘の音で分かった。

 自然と、脚の動きが一段早くなる。

 声を出さずに、人山はひた走りに走る。泥川と化した路を靴裏が叩く度に、茶色い泥が跳ね上がる。

 息が上がりながらも、皆、必死だった。


 示された地点に戰と学が重たちを率いて到着すると、琢と克が部下たちと、天幕を張り終えたところだった。

「陛下」

 跪きかけた克を、戰が制する。

 今は礼儀作法などに時間を割いている悠長さなど、ないのだ。

「どうだ?」

「どうぞ、お確かめを」

 纏っていた外套の帽子部分を背後に飛ばしながら、戰が投石機に駆け寄って細部の組みあがりを確かめる。松明の炎も消えてしまう程の豪雨の中、しかも宵闇が訪れてからの作業でありながら、此処までの速さで組立が終わるとは、流石の戰も思ってもいなかった。

「有難う、琢。いい仕事だ」

「へへっ、そりゃどうも」

 鼻の下を擦る琢とその仕事仲間たちは、全員、特鼻褌という下着一丁の出で立ちだった。

 濡れた衣服は重い。

 肌を露出するのは危険を伴うが、身の危険を顧みずに作業速度を優先させてくれた克の手を、戰は固く握り締めた。

「陛下、此方へ」

 克が誘導した天幕の中には、長尺香代わりの香縄が用意してあった。

「思ったよりも、短いな」

 戰は眉を寄せつつ、その内の一本を取る。

「はい、しかし、余り時間をかけても……」

「そうか、振動にも弱いのだったな」

 はい、と克が答える。

 縄の長さから、通常、投石部隊に配属される精鋭たちをもってしても、石の準備から着弾点へ向けての設置、そして発射までの流れはぎりぎりだろう、と戰は瞬時に計算する。

 時間との戦いは、目の前に迫る濁流だけではなかった。

 この濁流に打ち勝つ為の策すら、時間を制してこそ成り立つのだ。

「よし、では、投擲を開始する前に、一度全員、集合してくれないか? 最後の確認に入る」

 戰の命令に、ずぶ濡れになりながらも、それを吹き飛ばす熱さで、男たちが応じた。

 


 ★★★



 地図を広げ、通が示した着弾点を改めて確認し、周知徹底を図る。

 重が最もらしく腕を組んで頷きながら、雫で濡れないように気を付けつつ地図を覗き込んでいる。

「この部分に甕をぶち当てれりゃ、いいんだな?」

「簡単に言ってくれるな」

 石当て遊びをするかのような気楽さの重に、克が苦笑いする。

 すると、ぎろりと重が睨みをきかせてきた。

「出来ねえとでも?」

「まさか。私たちは武人だ。事あらば命を懸けて命を遂行する」

 此処にやってきて直ぐに打ち解けたとはいえ、克も、余りに武人である自分たちを見縊った態度の重に、むっとした様子で睨み返した。

 重とても此れだけの人を集め、そして頭として担ぎ上げられている。だが、武人として万に近い荒れくれたちを纏め上げる力をつけてきた克には及ばない。凄味のある眼光に、おぅっ……、と重たちは後退る。


 そこへ、学が割り込んだ。

「遂行するだけでは、駄目です」

「――は?」

「成功しなくては。いいえ、させなくてはいけないのです」


 決意を感じさせる、きりきりとした表情の少年王の姿に、皆が一様に言葉を無くす。

 誰からともなく、こうべを垂れて、少年王にいつく心を示さんと礼拝を捧げていた。


 その様を見守っていた戰が、ぽん、と学の肩を叩いて促した。

 一瞬、戰を見上げた学は、礼を捧げている皆に、声を張る。


「此れより、策を実行に移します!」

 

 ――おお! という、怒声のような大声が、湧き上がった。



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