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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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8 明ける夜 その6

8 明ける夜 その6



 部屋を片付け終えると、蔦は、部屋の奥に寝床を設えさせた。

 杢の身体を気遣ったのだ。

 上官である杢の為にと殿侍たちは率先して動き、あっという間に床が仕上がった。


「さあ、杢殿、お休み下さりませ」

「いや、お気遣いは無用です。与えられております部屋に、下がりますので」

 言いつつも、杢の額には汗が滲んでいる。

 身体に負担がかかり、熱が上がってきた事は明白だった。無理を強いた動きが祟り、杖に寄り掛かる身体が奇妙に傾いで、息が乱れている。痛みを堪えて庇っている事実を、隠しおおせるものではなくなっていた。


「意地をお張りにならずに。この国で大事でない身体の方は、一人としていないのですから」

 其処へ、別室に移り身支度を整えた苑が、女童に手を引かれて姿を見せた。

 襲われた衝撃から、完全には立ち直っていないのだろう、まだ頬に血の気は戻っていない。が、毅然とした態度は見る者をハッとさせる凛とした美しさがある。

 慌てて跪こうとして体勢を崩しかけた杢に、苑の方が駆け寄って身体を支えた。

「ほら、お疲れではありませんか。さあ、奥へ」

「は、しかしながら准后じゅこう殿下、此方の部屋は本来、私のような者が……」

 まだ口の中で、もぐもぐと何か言いたげにする固い態度の杢に、苑がくすりと笑った。

「では、准后じゅこうとして命令致しましょう。此方でお休みなさいませ」

 はあ、と口をへの字に眉をハの字に曲げて恐縮しきりの杢に、蔦と女童が同時に笑い声を上げた。



 言い含められた杢が、寝台の上に身体を横たえた。一度弱みを晒してしまうと、疵口からの熱が余計に辛くなって来たのか、腹を使って、ふう、と憂んだ熱い息を漏らす。

 施薬院から医師と薬師の手配をと蔦が命じかけると、苑が手をあげて制した。

「私が診させて頂きますわ」

「い、いえ、殿下、そのような……」

 恐れ多い、と慌てて固辞する杢に、ずい、と苑が身を乗り出してみせる。

「また、命令されたいのですか?」

「……いえ」

 身分に対して深層意識に絶対的なものがある杢は、苑に准后じゅこうとしての立場を持ち出されると、何も言えなくなる。

 渋々ながらも手当を受ける事を了承し、大人しく脚を曝け出した。

 杢の弱みを突く言葉を素早く見抜いた、苑の勝ちだった。



 蔦と女童に手伝わせて、苑は手際よく両足を触診していく。

 無言ではあるが痛みが走る度、顔を顰める杢に、横に控えた女童は、はらはらとした様子で見守っている。

 熱が上がった事を考慮して、苑は、骨折した箇所を先に診ていく。

 繋ぎ合わせた骨がずれてはいないか。

 庇ったせいで筋を痛めてはいないか。

 慎重に診ていた苑の診察の手が、止まった。膿を出した痕口が開き、血が滲みはじめいるのを見つけたのだ。

 小さく微笑むと、蔦に疵の手当の道具を用意させる。持ってこられた道具を開くと、苑は手際よく巻き付けられた包帯を取り除き、疵口を清めだした。

 傷に滲みるのか、杢は身体を強ばらせ、顔を歪める。

 女童はその度に、ヒッ、ヒッ、と小さく息をのんでは身体をびくりと跳ねさせ、強ばらせた。

 反射的に呼応して、ビクビクする女童に、とうとう蔦は、笑い声を上げた。

「これ、其の様にお前様が痛がっては、杢殿が痛いと言えませぬぞ?」

「だってぇ……」

 やっと、自分のあるまじき行為に気が付いた女童は、一気に恥ずかしくなったのだろう。袖を顔の前に持ってきて赤らんだ頬を隠しつつも、じっとりとしたえ目付きで蔦を上目遣いにしてきた。

 どうやら、杢を気遣っての事だから見逃して欲しかったのに、と訴えているものらしい。

 何処か、珊を思わせる女童に、やれやれ、に御座りまするな、と蔦は笑顔で嘆息した。



 ★★★



 手当の様子を伺って、報告を如何にすべきかと躊躇していた侍御史じぎょし台に仕える面々の姿に気が付いた杢が、上体を起こした。

 背中に手を宛てがいながら動きを助ける苑に、杢が静かにを伏せて礼を述べると、殿侍たちも揃って苑に礼拝を捧げる。


「御命令通りに、右丞殿を台獄へと送りました」

「ご苦労だった。身分が高貴な方とはいえ、一度錯乱なさると手がつけられん。何より、何を仕出かすか分からん方であると、此度の事で身に染みただろう。遠慮はいらん。しっかり見張れ」

「――はっ!」

 我が意を得たりとばかりに、杢の命令を殿侍たちは喜々として受ける。

 明け透けな喜び様に少々呆れつつも、杢は邑からの連絡はないか、と重ねて問うた。

「いえ、それがまだ……」

「そうか。何れにしろ、此方からは既に早馬を出している。暫くすれば、連絡が来るだろう。気を付けていてくれ」

「はっ」

 下がろうとする殿侍たちを、待て、と杢は引き止める。

 何事か、と振り返る彼らに、杢は逡巡しつつも、苑に向かい口を開いた。


「右丞殿の処断でありますが、准后じゅこう殿下、申し訳御座いませんが、沙汰は郡王陛下がお戻りになられるまで、下すのを待っては頂けぬでしょうか?」

 包帯を丁寧に巻きながら、苑は驚いて顔を上げた。

「そのようなお気遣い……当然ではありませんか? 右丞殿は禍国の御使ですから、郡王陛下に処断を求められるのは、当たり前に御座いましょう?」

 当然ではありません、と杢は頭を振った。

「殿下、殿下は先程自ら口になされました通りに、国母たる御身。その高貴な御方にあのような事を仕出かせば、即刻、牛引きの刑に処されても当然なのです」


 牛引きの刑。

 宮刑の中でも最も重い刑罰の一つだ。

 四肢に縄を括りつけ、牛にその縄を四方向に引かせる、

 綱を引く牛の力に、身体は引き裂かれ、血が噴出する。

 やがて絶叫と共に、内蔵物を飛び散らかしながら受刑者は絶命する。

 だが、それだけでは終わらない。

 そのまま、牛が気ままに進むままに、裂かれた肉片は引き摺られる。

 市中に、無残な肉塊と化した姿を、転々と血肉を落としながら晒される。

 それが、牛引きの刑だ。


 酸鼻極まる極刑を口にされ、苑が顔を曇らせた。

「その様な……右丞殿は、その……」

「はい、真殿の腹違いの兄上にあたられます。ですから厄介なのです」

 ふう、と疲れからくる息を吐きつつ、杢は肩を揺らした。

「右丞殿に責任を問われれば、自然、真殿も連座して責任を問われても仕方ないのです」

「そんな……」

「それが政治です」

 言葉を詰まらせる苑に、嘗て、優の為に己を犠牲にした杢は断じてみせる。


「我が祭国において、真殿の責を問おうとする慮外千万な者は居りますまい。しかし、禍国においては些か事情が違ってくるのです。陛下のお立場は未だに危うく、その勢力を削ごうと虎視眈々と睨めつけている輩の巣窟、それが禍国の王宮内の姿。今、帝位後継者争いの最中にある陛下の御為に成らぬ仕儀は、極力控えねばなりません。――勝手ながら」

 苦しげに言葉を紡ぐ杢の震える拳に、苑は、そっ……、と白い指先を添わせた。

「分かりましたわ。郡王陛下に、一任致します」

 それで宜しいのですね? と杢の拳を握り締めて、苑は微笑んだ。



 殿侍たちが礼拝を捧げた後に退室すると、蔦は苑の背中をそっと揺すった。

「では、大宮おおいみや様。そろそろ、産屋にお戻りになられませぬと。椿姫様が流石に訝しがられまする故」

 蔦が苑を促すと、はい、と応じつつも苑は立ち上がる事を躊躇った。

 首を捻りかけた蔦は、苑が何故、産屋から王城に戻ったのかを思い出した。

「杢様、あの……」

「はい、まだ、何か?」

「あの、学……い、いえ、陛下の御身に……本当に、何も障りはないのでしょうか?」

 苑が、焦りを含んだで杢を見詰めてきた。

 先程の会話が、自分に聞かせる為のものであると承知している。

 何事もないのだと、事情を知らぬ者の口から言わせれば納得するだろうと心遣いしてくれたのだと分かっている。

 しかし、一度ひとたび我が子の置かれた状況を微かにでも耳にしてしまえば。

 無事でいるのか。

 立派にやり遂げられたのか。

 どの様な気持ちでいるのか。

 もっと知りたい――少しでも詳しく。

 そう願うのは、母親として自然な心の動きだ。

 まして、苑は情を交わしあった、学の父親である覺を内乱で亡くしている。

 もしも、領民の暴動に飲み込まれてでもいたのなら。

 良人おっとだけでなく我が子までも、国に奪われしまうのでは――と、考えてはならない思いを過ぎらせてしまう。

 苑は未だに、荒涼した冬の大地のような寒々とした心を、垣根で囲い隠し持っていた。


 心を凍らせていている苑の苦しい胸の内を垣間見た杢は、背筋を伸ばして声に力を込めた。

「先に、陛下たちの御元に此方の現状が如何なるものとなっておりますか、皆と協議した結果を書き記した早馬を出した処に御座います。彼方からのご返答はまだありませぬが、何れ遠からず参りましょう。そもそも、何事かあれば、既に早馬が送られて来ている筈、其れがないという事は、即ち、陛下方の赤心を推して人々の腹中に置かれる態度が、事態を収めつつあるという事に御座いましょう。ご心配なされませぬよう」

 ああ……、と涙を零しながら胸を詰まらせる苑の肩を、蔦はそっと抱きながら、さあ、と促す。

 今度は素直に頷きながら、苑は戸口に向かった。

「何事かありますれば、ほうりたちを通じてお知らせ致します。どうか、准后じゅこう殿下は妃殿下の御出産をお見守り下さい」

「……分かりましたわ」

 赤くなった目元を袖でそっと拭いながら、苑は蔦に命じられた女童と殿侍たちに周囲を守られて、部屋を後にした。

 



 残された杢と蔦が礼拝を解くと、何方からともなく溜息を吐いた。

「さて……我が国に居る間はよいが。禍国に戻りし後、右丞殿をどう黙らせておくか」

「……ほんに」


 杢の懸念と共に額から流れた汗を、蔦が晒で拭う。

 ――兄弟でありながら、こうも違うものなのか。

 杢と蔦の間では、いや、真と鷹を知った者の間では、それが共通の認識だった。

 臍を噛むような、きりきりとした胸の痛みを抱えながら、ふと気が付けば、杢がうとうとと船を漕ぎ出している。流石の杢も気が緩んだろうだろう、と上掛布団をかけてやりながら、蔦の表情も和らぐ。

「ご活躍、お疲れ様に御座いましたな、上軍大将殿」

 そして、此れまで何度も口に仕掛けて、今また突いて出かけた言葉を、杢の寝顔を前にして、この日も蔦は飲み込んでしまった。



 ――真殿の兄上様でなければ。

 いえ、なればこそ。

 私が秘密裏に、この世ならざる御方にして差し上げた方が、良いような気がしてなりませぬ。



 しかし後に。

 あの時、己の心のままに動いてしまえば良かったと、蔦は一生涯、後悔する事になるのだった。



 ★★★



 杢の眠りが深くなった事を確かめてから、密かに蔦は克の元に走った。

 既に、夕闇が近付いてきているのは、雲の色が一段と濃くなったことで分かる。

 未だ収束を見せようとしない雨の勢いに嘆息していると、厩の方角からばしゃばしゃと泥水を跳ね上げて走ってくる人影が見えた。求めていた人であると知り、蔦は柔らかく目を細めて声をかけた。


「克殿」

「おう、どうされた蔦殿」

ちょうど、時のたなから戻り甕を仕入れて戻ってきた処だったらしい。

 頬を雨に濡らせてべたべたと光らせながらも、いつもの明るい笑顔で迎える克に、すすすと身体を摺り寄せるように近付く。晒を差し出しながら、お耳を、と蔦は呟いた。

 相変わらず克は、蔦を前にすると頬を赤くする。晒を受け取りながら、何だ? と身体を傾げてきた克に、蔦は鷹が起こした顛末を伝えた。

 みるみる顔を強ばらせ、やがて憤怒の表情となった克の太腿を、蔦は、こそりと抓り上げた。

「いっ……!」

「普段とお変りのない態度を」

 飛び上がらんばかりの克の耳元に、ふぅ、と息を吹きかけながら蔦は囁く。

「特に、真殿には気取られてはなりませぬぞ?」

「分かっているさ」

 抓られた大腿を撫で摩りながら、克は半泣き状態で頷く。

「しかし何というか、何とも云い様がないというか。右丞殿には困ったものだな。真殿の責を問うて騒ぎ出す阿呆がおらんだけ、まだいいが」

「……あい、ほんに」

「まあ、其れと此れとは本来、話が別なんだがな」

 ぼりぼりと頭を引っ掻きつつ、克が呆れ果てている。


 2年前、真を祭国に運んだ縁で、鷹をはじめとした兄弟たちにと、何度か顔を合わせた事がある。

 が、たがが従七品上の殿中侍御史如きが、という態度で見向きもされなかった。無論、当時の克と彼らの品位はさほど変わりはしなかった。が、父親である優の、兵部尚書という肩書きを傘に来て、身分違いの下郎が屋敷に入り込みおって、と嘲り侮られた事は忘れられない。

 其れは此度、御使として祭国に訪れても変わらなかった。

 現在の克の地位は禍国に習えば杢の上軍大将には及ばずとも、牙門大将以上相当に当たる、従四品上従四位上の将軍職の地位を得ていておかしくない。

 つまり、克と鷹とは品位で言えば同等なのだ。

 いや、前年の句国との戦いにおいての手柄を思えば、それ以上だろう。

 なのに労もなく、ただ父親が兵部尚書であるという事実のみに寄りかかり、うまうまと右丞にまで上り詰めた鷹に対して、何の意を含む処なく見るなど、今の克には出来なかった。


「此れから私は真殿の処に寄ってから、陛下たちが居られる邑に向かうが、蔦殿、くれぐれも宜しく頼む」

「あい、くれぐれも頼まれまして御座りまする」

 袖で口元を隠しながら、艶冶な含み笑いを浮かべる蔦に、適わんなあ、と克は苦笑いした。



 ★★★



 甕を両肩に担ぎながら克は、真の部屋に向かう。

 部屋に入ると、丁度、長尺香の代用である香縄が用意されて一本一本を調べられている処だった。

 火を灯さずとも漂う高貴な香りが、部屋に細波さざなみのように流れている。気を張り詰めている空気の中でばかりいるせいか、胸をすく香りに癒される。思わず知らず、目を瞑って大きく鼻で息を吸い込んで和んでいると、気が付いた通が声をかけてきた。


「克殿、戻られましたか」

 十露盤を小脇に抱えた通が、ことことと爪先立ちの足音をたてて寄ってくる。痩せ立ちの通は、骨格だけの木製玩具が動いているような滑稽さがある。

「言われた分量を仕込める甕を貰ってきたぞ。確かめてくれ」

「ご苦労様に御座います、では失礼ついでに、此方に持ってきて願えますか?」

「おお、お安い御用だ」

 猫背気味にして、矢張、ことことと歩く通の後を甕を担いで克はついていく。

 部屋の中央には、丸薬状態にした黒い塊が、筵に大量に広げられていた。まるで零余子むかごのようだ。

「お、これがどかん(・・・)か」

「はい」

 薔姫を抱いたまま、真が寄ってきた。

 時折、こんこんと咳をしながらも、まだ、再熱が起こっていないのだろう。

多少の事では起きないほど、深い眠りについているようで、微かに口を開けて、すやすやと寝息をたてている。


「通殿の計算では、此方のどかん(・・・)を入口側で2箇所に2甕づつ、出口側で2箇所に2甕と3甕打って欲しい、との事です」

「ん? 水を流す方が先決だろう? 入口側の方を多くしなくていいのか?」

 よっこらせ、と甕を下ろしながら克が首を捻ると、いいえ、と通が頭を振る。手にした十露盤が、じゃん、と鳴った。

「切り口は宜しいのです。水が雪崩込む勢いというのは、計算がし易う御座いますので。しかし、出口側は、流れる水の勢いが勝るのか、それとも」

「それとも、何だ?」

「流木が流れ着き、更に新たにせきを作り上げてしまわぬかどうか、の心配があります」

 通の言葉を引き継いだ真の説明に、克は、あっ!? となり、次いで腕を組んで、う~んと唸った。

 確かに言われてみれば、そもそもが堤防の護岸用に植樹されている木々までをも、薙ぎ倒すのだ。

 それらが何処でどうなるかまでは、さすがに予測の範疇外だ。

 向う岸の嘗ての河底には、低木樹が茂っている箇所もあるというから、それらが水圧で流された場合、せっかく切った堤防を再び塞ぐ恐れがある。

も しそうなれば、其処で大あらぬ方向に負荷がかかって堤防が切れ、計算外の大洪水が生じる場合もある。


 ぺちっ、と頬を叩きながら克が情けない顔をする。

「成る程な、俺はやっぱり身体だけの馬鹿野郎だな。そんな事、考えつきもしなかった」

「いえ。しかし、私たちがこうして議論した処で、彼の地で実行される方々にとっては、出たとこ勝負でしかないのですよ」

「そういう事ですな」

 真の言葉に、通が最もらしく頷く。

 ん? と克は頬に手を当てながら唇を尖らせる。

「なら、何でそんな計算しまくっているんだ?」

「分かりませんかな、克殿」

 じゃり、と通が十露盤の珠を弾く音を聞きながら、真が目をきらりと輝かせる。

「安心です。安心の為ですよ」

「あん・しん?」

 間の抜けた声を出す克に、ええ、と真は笑った。


「此れだけやったのだから、大丈夫だと言い聞かせる為にです。物事に、特に此度のような事象に絶対は有り得ません。神に祈って縋っても、鬼を味方にと願っても、無駄だと分かりきっています。神通力や奇跡を望む暇があるのならば、我々の一人一人の力で何とかする方が早くて確実ですよ。しかし、どうしても心の拠り所が欲しくなるのが、また人としての性というものです。まして今回は、見も知らぬ聞いた事もないような武器に頼っての策です。自分を支える、言い含めるだけの何かが欲しくなって当然、でしょう」

「そうか、其れが、通殿の計算、という訳か」

「はい。私の十露盤は、策に外れなし、と答えを弾いております。ご安心を」

 丸まっている通の細い肩に、克はぽん、と手を置いた。

「当たり前だ。通殿の計算に間違いは今まで一度たりともなかったからな。当然だ、信じてるさ、上手くいくってな」

「ええ。私のこの突拍子もない策に信憑性を持たせるには、通殿の計算力なくしては、有り得ませんから」

 真と克に持ち上げられた通は初めて、嬉しそうに痩せこけた頬に赤みをさして薄く笑った。



「さて、それじゃあ時間もせっている事だ、早速どかん(・・・)を詰めてみるか?」

 克が明るい声をあげると、ちょっと待ってよぅ! と珊の声が飛んだ。

「その前に、これ! これ!」

 背中に背負った大きな籠いっぱいに、何やら茶色い棒状のものが突っ込んであって、わっさわっさと揺れている。珊の細腕で、ほいほいとお気楽に運んでいる様子から、重みは全くなさそうだ。

「なんだそりゃ?」

絲瓜絡しからくですよ」

絲瓜絡しからく?」

 よいしょ、と珊は背中から籠をおろした。中には、成る程、絲瓜絡しからくがぎゅうぎゅう詰めにされていた。

 絲瓜しかは、茎からとれる水、若い実、葉などを傷や火傷の痛み止めや痰などの薬に使う、蔓性の植物だ。

 成熟した実を干して、種を採る。その時果肉が落ちると、繊維質が細かな網目状に編まれたようになって残る。それが、絲瓜絡しからくだ。


「甕の内側にさ、薄く切ったこいつを詰めていくんだって」

 両手に一本ずつ絲瓜絡しからくを手にして打ち付け合い、ぼいんぼいんと乾いた音を立てながら、珊が笑う。

 打ち付け合う衝撃で、時折、落ちそこねていた黒い種が、ぽろりと落ちてくる。克も籠の中からずるりと一本抜き取って、天に掲げながら、ふんふんと頷いた。握っている掌に、かさかさと乾いた繊維質が触り、微かな痛みをさそう。

「そうか、こいつで衝撃に弱いっていうどかん(・・・)を守ろうって考えか」

「そ! なっかなかいい考えでしょ?」

「考え付いたのは、真殿だろう? 何でお前がそんな偉そうにしているんだ?」

「いいじゃない。誰の考えだって、いいもんはいいんだからさぁ」

 珊は手際よく器用に、小刀で絲瓜絡しからくを裂いて敷物状にしていく。

「ちょっと、克、なに、ぼさっとしてんの? ほら、早く詰めていきなよぅ」

「お? お、おう」

 手を止めた珊は絲瓜絡で、ぼいん、と克の脳天を叩く。

 笑い声が上がる中、克は慌てて、珊が裂いた絲瓜絡を甕に詰め始めた。


「しかし、周到もいい処だな。此処までしなくてはいけないのか、真殿?」

 絲瓜絡の切れ端を手に見上げる克に、真は、いいえ、と頭を振る。

「此処までやってもまだ、足りません」

「……え?」

「一歩間違えて投石機で打つ前に破裂すれば、その場に居る全ての人が粉々になります」

 真の低い声音に、克がゴクリ、と喉を上下させる。

「しかし、そうは言われても、だな。俺は頭が悪いから、とても想像できないよ」

「無理にでも、想像してみて下さい。この施薬院よりも巨体を誇る軍船が、炎と風圧によって引き裂かれ、藻屑となり、渦を巻きながら大河に沈んでいく様を」

「……」

 うぅむ、と克は絲瓜絡を手にしたまま呻く。

 絲瓜絡を割り裂きながら、呆れた表情で珊は克を見ていた。

「駄目だ、言われるままに想像しようとしても、矢張、想像しきれんよ」

「では、想像はしなくても良いです」

「お、おぅ……」


「けれど、例え成功したとしても、一気に上がる火焔と叩きつける風、そして猛烈な白煙、そのどれをとっても皆がこの世ならざる脅威として、恐怖と共に胸に刻み込む筈です。だからこそ、失敗は許されない。それだけを、胸に刻んで下さい。慎重に慎重を重ねてもなお、足りなくて当然なのです。かかっているのは、人々の命と未来なのですから」

「……そうか、そうだな。人の命がかかっているんだ、そうだよな」


 それなら、用意に心に思い描ける。


 真の言葉に、克は真摯に頷いた。






絲瓜しか


糸瓜とも書きますね、はい、ヘチマです

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