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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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8 明ける夜 その4

8 明ける夜 その4



「き、きききき、き、貴様!」

「鴻臚館にお姿がないと知らせを受け、探してみれば」

 一瞬、よろけはしたが、杢は、こつりと杖を付き体制をたて直す。

「今ならば台獄への拘留のみで留めておきましょう。准后じゅこう殿下の御身より離れられよ」

 部屋に踏み込むなり、杢は苑のあられもない姿を、一瞬、目に留めた。鷹への不愉快さを隠そうともせず、と緊迫した部屋の空気をも割り裂くように、眼光の矢尻は鋭さを増した。

 ――おのれ、何という不埒な。

 溢れる義憤を全身から蒸気のように立ち上らせている杢の身体は、一回りもふた回りも大きく見えた。


 蔦の顔ばせが、杢という希望に輝いた。

 匕首を着物の中に隠す入れ知恵を女童に授けたのは、重傷を負っているとは言え杢だろう。という事は、事態収束の為に殿侍を始め、殿中の安全を司る侍御史じぎょし台が動いている筈だ。鷹に気取られぬよう、じりじりと身体の位置を変えていく。

 鷹は、といえば、思いの外早くに姿を見せた杢に明白に動転していた。

 しかし、手にした匕首に気を大きくしているのもまた、明白だった。

「く、くくく、来るな! それ以上近寄れば、この女がどうなっても知らんぞ? 国王の母親なんだろうが!? この女の身に何事かあれば、貴様は責任を取って死ぬ事になるのだぞ!」

 鷹の上擦った声に、苑が、キッ、と肩越しに睨む。

「そうです、私は王の母、国母です。その立場の女が囚人めしうどのように扱われる事をよしとすると思いますか?

「な、何ぃ?」

「その匕首を、私の首筋でも胸でも脇腹でも、何処にでも呉れるがよいでしょう、さあ、やっておみせなさい」

 身を更に捩り、鷹を睨みつける苑の気迫に、鷹が気圧される。うぐぅ、と呻いて身体を蹌踉めかせた。

 切迫した二人の間に、いいえ准后殿下、と杢が落ち着いた声で横入ってきた。


「その男は、何程の事も出来はしません」

「な、何だと、貴様!」

「相変わらずですな、鷹殿。11年前、お父上であらせられる、兵部尚書様が一度目の河国戦の為に、商人・時を呼び寄せた頃より、何一つ成長しておられん」

 顳を、ぎくり、と固めて鷹が動揺の色を見せる。

「な、何を……言うか……」

「あの戦を前にして、兵部尚書様は新たな武器の導入をと願っておられた。その時、貴方がたご兄弟は、兵部尚書様が自分たちの見識眼を確かめるつもりだと、何処から探り取られた」

 こつ、と音を立て近付く杢に、ふ、ふぐぅ、と呻きながら鷹は上体を反らす。

 鷹と杢のやり取りを見ながら、蔦はふと、疑念を抱いた。普段の杢らしくないからだ。まるで、鷹を煽っているようにしか思えない。

 ――杢殿には、何か策がおありなのか?

 しかし、幾ら鷹の剣技が、童子のごっご遊びに毛の生えた程度のものとはいえ、匕首を手にされて苑を質に取られては、益々もって身動きが叶わなくなる。

 ――えぇい、この役立たずの身が恨めしい。

 じりじりしながらも、それでも蔦は一瞬の好機を見逃すまいと身構え続けていた。


 だが蔦と女童を余所に、杢は鷹に詰め寄る。

「しかし、武具なぞに全く興味のなかった貴方がたは、どの剣が良い剣であるのか見当など付けようもない。だからあの日、私を呼び出し、どの剣を兵部尚書様に示すべきであるのか良き答えをと授けよ、と命じたれた。そうですな」

「そ、そそそ、それがどうした! 貴様、今更、10年以上も昔の話を引っ張り出してきて、しかも、的外れな話なぞ! こ、この私を動揺させようとしても、そうはいかんぞ!」

「私の与えた答えに、兵部尚書様は満足しておられた。しかしその後、弟君である真殿が商人・時に与えた謎かけから、兵部尚書様はよう国の一本造の剣にたどり着かれ、結果、戦には真殿が勧められた陽国産の一本造の剣を採用された。そして、あの時も貴方は、私にそのように詰られた。的外れな答えを授け、父の覚えを悪くする魂胆であったのか、と」

 深く嘆息しつつ、杢は首を左右に振る。

「貴方がたご兄弟はいつもそうですな」

「な、何がだ!」

 喚き散らす鷹を、杢はじろりと睨めつける。

「何かあれば己で考える事はせず人に頼る。成功して当たり前。何か少しでも思い通りにならねば、それは己を取り巻く全ての状況が、己を貶めんとしているせいだ。何もかも自分以外の奴らが悪い、自分は何も悪くないのだ、と」

 幾ら言って聞かせても悪道を改めぬ救いようのない馬鹿餓鬼だ、と言いたげに杢は嘆息する。

 鷹の顔が、赤黒く変色した。鼻腔がひくひくとひく付きながら膨らみ、顳に浮かんだ太い血管が、ぴくぴくと悶える。


「無抵抗の女童を脅し、嫋かな高貴な御方を質とし、居丈高に振舞うのがそんなに自慢ですかな、右丞殿」

「きっさまぁ!」

 無理矢理、苑を引き上げると、その顎のを掴んで杢に示しながら、鷹は喚いた。

「ならば、見せてやろう! 私の実力を! 思い知るがいい!」

 目をギラギラと血走らせつつ、刀身を抜き身として匕首を構えようとする。女童が、恐怖に引きつった叫び声を上げた。


「大宮様ぁ!」

 悲痛な叫び声に呼応するように、蔦も髪に刺した笄に手を伸ばす。

 この距離ならば、必ず仕留める自信はあるが、万が一を考えて二の足を踏んでいた。しかし、最早そんな悠長な事を言ってはいられない。

 しかし、蔦の動きを遮る動線上に杢がいる。笄を投げて鷹の動きを封じる事が出来ない。

 うっ、と顔を顰める蔦とは裏腹に、杢はいっそ涼しげにしている。

 本当にまるで、鷹が激光して掛かってくるのを待っていたようだ。

 ――大宮様が質に取られているというのに!

 蔦が杢を怨みがましく睨む目の前で、鷹が遂に、鞘から匕首の刃を顕にした。

「な、なにぃ!?」

 鷹が頓狂な声を上げ、息を止める。

 匕首は、子供用遊び道具用の竹光だったのだ。

 目玉が零れ落ちるのでは、と疑いたくなるほど鷹は目をひん剥いている。驚愕し、自分の思い通りでなかった事に思考が寸断され、動きが止まったのだ。

 その一瞬の間を杢は見逃さなかった。

 腕がしなり、杖が、ぶん、と唸りを上げた。

「――ぶぎゃ!」

 靭やかに伸びた杖の先が、誤たず鷹の胸の中央を貫く。

 ドン! と骨が打たれる音が響き渡り、鷹の身体は後方に大きく吹き飛んだ。

 廊下にまで投げ出された鷹の元に、杖を使う不自由さなのに、と目を剥く異常な速さで、杢は駆け寄る。そして、剣の鋒を突き付けるようにして、鷹の喉元に杖の先を押し付けて動きを止めた。

「ぐぶぅっ!」

 鷹が蛙が潰されたような悲鳴を上げるが、杢は容赦しない。更に骨がギチギチと唸るまで、杖をめり込ませた。



 ★★★



 勢いで投げ出された苑は、床に叩きつけられる前に走り寄った蔦により、しっかりと抱きとめられた。

「大宮様、お気を確かに。お怪我は? 何処も具合を悪くされてはおられませぬか?」

「……だ、大丈夫です……」

 心配に揺れる蔦の声に、しっかりとした声で苑が答える。

 披帛を解きつつ、おお、と蔦が安堵の声を溢すと、感極まった女童が、大声を張り上げて泣きじゃくりながら、苑に抱きついてきた。

「お、大宮様ぁ、大宮様ぁ!」

「有難う、貴女にも随分と怖い思いをさせましたね、でも、もう大丈夫ですよ」

 女童の髪をさらさらと梳るように撫でてやりながら、苑が微笑むと、彼女の胸で女童はますます大声で、おいおいと泣きじゃくる。


 苑のたちの前で、喉に杖の先を宛てがわれている鷹は、今度は青黒い顔をして咳き込んでいる。肺腑に空気を吸い込む事もままらないのだ。

「き、貴様ぁっ! ぶ、武人の癖に、た、謀りおったのか!?」

「謀る?」

 鷹の責め立てに、杢は眉根を寄せた。

「この程度、はかりごとのうちに入らん」

 グィ、と杖の先を更に押し込んでくる杢に、鷹は、ぐびゃぁ! と叫んだ。

「い、いい加減にしろ! わ、私を誰だと心得ている! う、右丞だぞ! 禍国帝室より正式に御使と定められた、右丞だぞ!」

「勿論、存じ上げております、が、それを言うのであれば、右丞・鷹よ」

「な、なに!?」

 杢に呼び捨てられ、鷹は激昂する。

「き、貴様! 右丞の地位を何と心得ておるのか! 貴様、たかが侍郎であろう! しかお父上に見限られ、今や祭国如きの無官の木っ端役人に過ぎぬ貴様に!」

「右丞、忘れておるようだから、言っておこう。私は先の河国の戦の折に、総大将、禍国皇子・戰殿下より上軍大将の任を柵受した身だ」

「ほ、ほげぇっ!?」

「承知しているものと思うが、上軍大将の地位は兵部尚書様の次位となる、正三品上正三位下である――右丞、貴様は上官に対する言葉使いも知らんようだな」

 杖の下で、ひぃぃぃぃぃ! と叫びながら、鷹は両手を組んで涙目になる。

「た、た、助けてくれ、い、嫌だ! た、た、台獄になど拘留されたら、し、死んでしまう! そ、そうだ、私が死ねば、嘗ての上官である、ち、父上が悲しむぞ!? だ、だから、おい、なあ、助けてくれ! し、知らぬ仲では、な、ないではないか!」

 喚き散らす鷹を無視し、杢が肩を少々揺すると、ばらばらと殿侍たちが手に拘束用の用具を持って現れた。


「連れて行け」

「ひぎぃ!?」

 静かな杢の命令に、殿侍たちは殴りかかるのを必死で堪えているのだろう、皆一様に、憤怒と嚇怒の面を鷹に向ける。果てのない恐怖心に、鷹は遂に恐慌をきたし、白目を向いて絶叫しまくる。

 腕を捻りあげられ、後ろ手に縄をかけられると、鷹は屠殺場に投げ込まる直前の豚のように叫び暴れまわりながら、引き摺られていった。


「愚かな御方だ。真面な武人ならば匕首を掴んだ時点で、その重みから竹光であると判別できようものを」

 足元に転げ落ちた竹光の匕首に一瞥を呉れると、杢は肩を大きく上下させて嘆息する。

 かつん、と音を立てて杖を柄に当てると、勢いよく跳ね上がった竹光の匕首は、杢の掌の中に見事に収まった。

 わあ、と小さな感嘆の声を上げて、女童が大きなをくりくりとさせる。釣られるように、ふ、口元を緩めて、杢は女童に笑いかける。


「お前まで騙してしまう事になってしまったな。済まない」

「い、いいえ!」

 ぶんぶんと激しく首を左右に振ってくしゃくしゃになった女童の前髪を、杢は、優しく手櫛でといて整えてやる。

 しかし、直ぐにらしくない、とでも思ったのか。

 肩越しに、蔦が自分の着ていた衣を脱いで苑の肩に着せかけているのを確かめると、彼らしい何処か憮然とした面持ちに戻ってしまった。


「……さて、あの馬鹿殿の為出かしたこの仕儀、どうしたものか……」

 杢の顰面は、未だに敬愛の対象である嘗ての上官、優に酷似していた。



 ★★★



 指示通りに地図の写しが進んでいる事を確かめると、克は部屋で仕事に励む部下たちを労った。

「済まんな、ここが踏ん張りどころだ、頑張ろう」

 おう、と景気よく呼応する部下たちの頼もしさに、克は頬の一段高い処に笑窪をつくりながら、嬉しそうに頷いた。


「では、私はもう一度、施薬院に戻る。皆は、このまま作業を進めていてくれ」

 言い残し、踵を返しかけた克に、途端に部屋にいた全員が、へらりにやり、と含みのある悪い笑い方をする。何だ、と克は眉を寄せて鼻の先に皺をつくった。

「どの様な御用で?」

「はぁ? こんな時に、どの様なもこの様なもあるか! 通殿の計算が終っておるのなら、それに合わせた甕を手に入れる為に、時のたなに行くんだ」

 それ以外にどんな用がある? と唇を尖らせる克に、部下たちは、くっくっく、へっへっへと互いに肘で小突き合いながら、なおも笑い続ける。

「いやいや」

「何がいやいやだ」

「ほらほら」

「だから何がほらほらだ」

「いやほら、だから、施薬院にはほら、その……なあ?」

「ほらそのなあ?」

 首を捻りつつ、言いたい事があるならはっきりと言わんか、と克は部屋を出ようとする。

「時の店には、誰と行くご予定ですか?」

 は? と下唇を突き出し気味に呆れる克の前で、部下たちがくねくねと尻と腰を捻ってみせたり、手で胸の前に弧を描いたりしてみせる。その身振り手振りで、彼らが珊の事を言っているのだと気が付いた克は、全身真っ赤にして叫んだ。

「ひとりで行くわ! 馬鹿野郎ども! さっさと仕事しろ! 仕事!」

 部下たちは、ひゅーひゅーと冷やかしの笑い声を上げながら、三三五五と散っていった。



「揃いも揃って何を考えていやがる、こんな時に」

ぶつぶつ口の中でぼやきながら、怒り肩でずんずんと回廊を進んでいくと、外套をすっぽり被った姿で、自分の名前を呼びながら走り回っている珊と出食わした。

「うぉ!? さ、珊!? どうした?」

「あ、克! あんた一体、どこ行ってたんだよう! 探してたんだよ! ちょっと来てよ!」

「ん? 何処ってそりゃお前」

「いいから来て! ほら早く!」

 言うなり、珊は克の襟首を引っ掴んで駆け出す。

「どわぁ!?」

 叫び声を上げながら、克は珊に引き摺られていった。


 再び施薬院にたどり着く頃には、当然克は、全身ずぶ濡れの濡鼠になっていた。

「あんた、ばっかだねえ。なんで外套脱いじゃってるのさ?」

「なんでって……いや普通、城の中を水浸しにする訳にもいかんし、脱ぐだろ……」

 ぷりぷり怒って唇を尖らせている珊に、克が呆れる。

 しかしこんな事になるのなら、本当に外套を脱いで渡してしまうのではなかったと苦笑しながら裾を絞っていると、ふうが声を掛けてくれた。

「克殿、こちらに。私の恐縮ですが、私の着物にお着替え下さい」

「済まん。有難く借りるよ」

「ちゃんと洗って返しなよぅ」

「ん? 当たり前だろう、其処まで非常識じゃないぞ?」

「そうじゃなくってさぁ、克ぅ、あんた最近、忙しさにかまけて、湯浴みしてないでしょ? 体、すっごく汗臭いよ」

 一度、克の身体に顔を寄せて、ふんふん、と鼻を鳴らした珊は、うぇ! と言いながら鼻を詰んだ。克はぎょっとしつつ腕を引き出し、鼻をくんくんと鳴らして体臭を確かめる。

 笑いながら、じゃ、先に行くね! と廊下に消えて行く珊の声に、芙が、冗談ですよ、と笑って教えると、やっと克は焦りを解いた。そして、用意してくれた晒で全身を拭って、着替えを手にとる。

「それでは、真殿の部屋にて」

「ああ、先に行っていてくれ、直ぐに着替えて行くから」

 背を向けて着替えている克は、芙の表情が暗いものになっているのに、気が付かなかった。

 


 ★★★



 真の部屋に赴いた克は、場の空気が重々しくなっている事に気が付いた。

「どうした?」

 腕組みをしつつ、ごろんと横になっている虚海は、克に声をかけられて、拗ねたように下唇を突き出した。

「どうもこうもあらへん。かっさん、実はちぃっとばかし、まずい事になっとるんや」

「まずい事、とは?」

 此方に、と通に促されて克が部屋の中に進むと、地図に新たに朱色で丸が打たれていた。

「この地点ですか? 通殿が定められた地点というのは?」

 明るい声で問い掛ける克に、痩せた頬を膨らませながら、通が呻く。

 首を傾げつつ、薔姫を抱き上げている真を振り返った克は、物言いたげな表情にやっと気がついた。

「どうした、真殿、何か問題が出たのか?」

 ええ、大有りです、と真は頭を振る。

「……実は、どかん(・・・)が足りないのですよ」

「ええっ!?」

「私の計算では、堤を切る箇所、つまり水を逃す方と出す方、それぞれに出来れば8貫目、出来れば10貫目欲しいのですが、出来上がるどかん(・・・)は全てで9貫目そこそこなんです」

「何だって!?」


 通の答えに、克が真に詰め寄りかけると、背後から言い訳めいた虚海の声が飛んだ。

「硝石が、足りへんのや」

 施薬院に貯蔵されていた硝石は、確かに通常で考えれば膨大な量だ。

 しかし、堤を切るという前代未聞の作業をこなすには、到底足りるものではなかった。

「で、では、どうするつもりなんだ?」

「どうしたら良いと思われますか、克殿は」

「ん?」

 通が膝の上に十露盤を引き寄せると、珠が擦れ合い、じゃらん、と鳴った。

「私のたてた計算は、この朱色の地点をこう、広く浅く削るものなのです。そうすることで、堤を無駄に刺激して崩壊させぬよう、保つように。爆発力不足を想定して幾らか威力を下げておりますし、着弾が逸れる事も加味しております」

 膝の上で、通は十露盤に指を滑らせた。じゃ、と鋭い音がして、一段分、指が通った箇所の珠が一気に弾かれる。十露盤の珠が堤防を意味し、指で弾いた箇所が削る予定の場所だと克にも理解できた。


「しかし、施薬院にある硝石を全て吐き出しても、得られるどかん(・・・)は欲する量の半分にも満たない。克殿、どうしたら良いと思われますか?」

 薔姫を抱きながら通の傍に腰を下ろした真は、パチパチパチ、と丁寧に珠を戻すと、一列だけ、バチ、と音を立てて一気に下げた。

「一点、集中――か?」

 ご明察や、と虚海が黒くなった手を上げる。

 額を肩に預けて寝入っている薔姫がずれかけたのか、それとも重くなってきたのか。真が身体を軽く揺すった。その動きで、下がった一列の隣あった珠も、呼応するように落ちる。


「そうです、克殿が言われるように、一点に集中して、確実に当てて崩すのです。そして流れる水の勢いを借りて堤を更に崩して行く」

「しかし、行き過ぎては……」

「そうです、決壊します。失敗は許されません。ですから克殿をお呼びしたのです」

「――ん?」

「私たちが契国と河国と転戦している間、この祭国の国防の全てを担っておられたのは、貴方です。ですから、貴方の意見を聞きたいのです。あの県の関に駐屯している投石機部隊の腕は――」

 真の言葉を、克の笑顔が遮った。

 頬の一番高い処に相変わらず笑い笑窪がぽこりとできる、いつもの笑顔だ。


「大丈夫だ。そりゃまあ、俺は杢殿ように特別に武勇にも優れていないし、真殿のように抜きん出て頭が良い訳じゃない。だがだからこそ、自分を助けてくれる仲間の力を信じている。大丈夫だ、信頼して任せてやってくれ。答えられるだけの訓練を、皆、積んできている。大丈夫だ」

 のほっ、のほっ、のほっ、と虚海もいつもの調子で笑う。

「何や、何や、かっさん。急に、えっらいい男になりよったやないか、は~ん?」

 ん? と目を丸くする克に、皆が笑い声を上げる。

「ともあれ、お聞きしたい答えは得られました。其れでは、作戦をお伝えします」

 おう、と克は一際頬の笑窪をへこませて、とびきりの笑顔をみせた。



 ★★★



 克が真の部屋から出てくると、廊下の角に隠れるようにして、珊が待ち構えていた。

「おぉっ、と、とっ!?」

 危うくぶつかりかけた克が、両手を上げて踏み止まる。珊は、操り人形のなような滑稽な動きを見せる克に、じっとりとした視線を向けてきた。


「……ねえ、克ぅ」

「ん?」

「……真の話、だけど、さぁ」

 聞き出したいが言い出せなくてもじもじしている珊の額に、克は、ぽん、と手を置いた。

「大丈夫だ、心配するなよ。俺と一緒に訓練してきたあいつらを、珊も見てきただろ? 俺は情けないから信じられないかもしれないが、あいつらの一生懸命さと努力は信じてやってくれよ」

 ぽんぽん、と額を軽く叩くと、克はそのまま珊の隣を通り過ぎようとする。が、呼び止めようとして口を開きかけた珊が声を出す前に、ぴたり、と脚を止めた。


「珊、お前、何か甘くていい匂いがするな?」

 先ほど、珊にやられたように、克は鼻先を突き出して、ふんふんと鳴らす。

「こりゃ、蜂蜜、の匂いか? はっはぁ、これじゃあ俺は、臭いと言われても仕方ないな」

 にかっ、と笑う克に、う、うん、と開いた口のまま、珊は頷く。

「真にね、言われたんだ。蜜蝋を作ってくれって」

「蜜蝋?」

「姫様がさ、甕の蓋をするのに目張りするより水をはじくからどうだ、って、真に言ったんだって」

 なるほど蜜蝋か、と克が目を輝かせる。

 確かに、蜜蝋は大昔から封蝋としても利用されている。

 蜜蝋は、蜂蜜を絞り終えたあとの蜂の巣などを煮詰めて採取する。採取された蜜蝋は、主に、蝋燭や高貴な婦人が手足に塗る美容用の塗薬へと、転用される。採取量は蜂蜜よりも少なく、一つの飼育箱で採れる蜂蜜の十分の一以下、蜂蜜よりも貴重なものだ。その為、当然高値で取引される。

 蕎麦畑での蜜蜂の飼育を、蜂蜜採取だけに限定するなど勿体無い、と時が進言してくれたので、祭国では、蕎麦の栽培と同時に蜂蜜の飼育にも力を入れ、特産の目玉の一つに、と励みだした処だった。

 今年は、蕎麦畑の拡大により、昨年の倍以上の飼育箱を設置するまでになった。蜂蜜だけでなく蜜蝋自体も、時の店の販路を利用していよいよ売り込みをかけようとしていたのだが、今は先ず、此方が最優先事項だ。


「で、出来たのか?」

「うん、まあね。後は、向こうで使ってもらうばっかりだよ」

「お、そうか、ご苦労さんだったな。俺は此れから、甕を取りに時の店に行ってくるよ。珊」

「うん? なにさ?」

「お前も疲れてるだろ? ちょっとは休めよ」


 今度は肩を、ぽんと叩いて克は廊下を歩いていく。

 その背中に、珊は叫んだ。


「克も! 無理して風邪ひたりなんか、しないでよ!」

「大丈夫だよ。昔から言うだろ、馬鹿となんとかは風邪ひかないって。俺みたいな身体だけが自慢の馬鹿野郎、何をどうしたって病気になんざなりゃしないさ」


 心配してくれて有難うな! と背中を向けたまま、克は挙げた手をひらひらと振った。



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