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覇王の走狗(いぬ) ~皇華走狗伝 星無き少年と宿命の覇王~  作者: 喜多村やすは@KEY
六ノ戦 落花流水

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8 明ける夜 その3

8 明ける夜 その3



 施薬院から克と杢が戻ると、王城内には、何かざわざわとした落ち着きのない空気が澱んでいた。

 互いに、顔を見合わせつつ首を捻りあう。しかし、この緊急事態が幾層も折り重なった状態では仕方のない仕儀か、と互いに納得させ合うによう目配せしあった。

 一刻も早く、二人の王が向かった邑に、救いの答えを携えた早馬を出さねばならない。一にも二にも、集中せねばならないのだ。

 克の部下の一人の侍郎が、命令書を求めて駆け寄ってきた。早馬に託す書簡を、杢は杖を肘置き代わりにして、器用に立ったまましたためて手渡した。

「直ぐに行け! 祭国の命運を握っていると覚えろ!」

 克の命令に、ハッ、と小気味よく侍郎は答えて、走り去っていく。

 その背中を見送りながら、克と杢は漸く一息つき、次いで勢いよく王城内を闊歩しようして、はた、と気付く。お互いにまだ、濡れた外套を羽織ったままだった。

 やれやれ、と二人は苦笑し合った。


 外套の水気を被らないように注意しつつ脱ぎ捨てると、克は、僅かに濡れた前髪の雫を払う。

 同じように脱いだ外套を下男に渡しつつ、杢がやはり、器用に杖に肘を載せて、うむ、と顎に手を当てた。顔にかかって垂れてきた水滴を拭い取っているらしい。

 杖を身体の一部のように扱う事を、杢はかなり自分のものとし始めている。鍛錬を一時も怠らなかった為だろうが、それにしても凄まじい適応能力である事にはかわり無い。

 ――杢殿には、適わんな。

 苦笑交じりに、人間の出来の差、という物は哀しいかな存在するのだと身をもって実感する。杖を突きながらも、自分と遜色ない程の速さで動き回る杢の胆力は、自分は到底持てないだろう、と尊敬の念すら抱いてしまう。

 しかし、今はそんな身震いする感動を、彼に伝えている場合ではない。


「それで、だ。関から投石機を引っ張り出すとして、だ。杢殿はどちらを使うつもりなのだ?」

 話し合っていた時、席を外していた克の疑問は最もだった。

「矢張、置石式か?」

 面倒くさくなったのか、猫のようにぶるぶると前髪を震わせて一気に水滴を払い落としながら、克が畳み掛ける。

 投石機は二種類ある。

 一つは、水力の踏臼に転用したような、置石を落とした勢いが生む反動力を利用するもの。

 もう一つは、綱を引いて石を飛ばす人力のものだ。

 手軽さで言えば、石を使う方だ。巨大化させ、威力もより強くし易い。

「いや、実は人力式の方を使うつもりでいる。既に通殿には計算を頼んでいるし、先ほどの書簡も、関の方にも、其の様に早馬を出している」

「人力式を? しかし、それでは威力が足りんだろう?」

 額の水滴を払い終えた克が、そのままガリガリと額を擦りつつ疑問を口にすると、いや、と杢は頭を振った。

「今回の場合は破壊力よりも、より正確に目的地に飛ばす事の方が顕要けんようだ。石を使うものは確かに飛距離があり、例のどかん(・・・)を炸裂させた時の火炎や振動から身を守るのに、安全ではあるが……」

「通殿が定めた地点に寄せて、着弾させるのは難しい、か」

 杢の言わんとする言葉を引き継ぎつつ克は腕組をし、ふぬう、と呻く。


 人力の投石機は、25名一組として綱を引いて石を飛ばす。その技に抜きん出た手練のみしか担えない、いわば専任部隊だ。

 石を勢いよくのせた反動で飛ばす梃子の力を利用した置石式のものは、その取り扱いの手軽さが何といっても大きな魅力だ。防人に取られた農民でも扱える。しかし、何処に着弾するか測ることができない、云わば出たとこ勝負を伴う武器で、下手をすると自軍に落ちる場合もあった。

 しかし、引き綱を使う人力方式は違う。

 人力式は、一定の力で綱を引き続ける腕力と胆力と体力を必要とされ、関を守る守護部隊には、最も重要な部隊の一つだ。熟練の引手にかかれば、角度、飛距離、着弾点までもがほぼ狙い通りに出来る。最大の利点と魅力は、其処だ。戰が郡王に就任してより主要な関や国境には、最低でも4組百名の投石部隊が配置されている。

「関から邑の堤防にまで運んで、組立直すのに琢殿が居る邑だ。其処は助かる」

「そうだな、口や態度は、まあなんだそのえぇとまあちょっと、という奴だが、仕事は早くて確実だからな」

 克の遠慮のない物言いに、杢が吹き出す。

 投石機はその巨大さ故に、遠方に運ぶ場合はある程度崩して運ばねばならない。その崩しと組立の速さも、今回の場合は要となる。

 だが、克の言葉ではないが、普段へらへらふらふらとしていい加減な様子でいるが、こと大工仕事に関しては、琢の右に出る者はいない。偶然だが、この幸運にだけは天帝に感謝せねばならないな、と克と杢は笑いあう。


「うぉっしゃ!」

 叫ぶなり、克はパンパン! と両の手で頬を挟み込むようにして、叩いて気合を入れる。

「地図の写しの指示を確認し終えたら、通殿の計算も終わっているだろう。時のたなに行って、甕の用意をさせてくる」

「ああ、それならば、私が地図の写しの方をみていよう」

 杢が杖を持ち直すと、コツリ、と床が音を立てた。

 いいや、と克が溜息混じりに首を振る。

「後は、私に任せて杢殿は少し休んでくれ。禍国の御使の右丞殿の見張りも、部下を手配させる。安心して、今日はもう身体を横にしてくれ」

「――は? いや、しかし今は休んでいるような場合では……」

 だからだよ、と克は笑う。

 こんな時だというのに、爽快さを感じさせる笑顔だ。


「陛下もいない。真殿も普段通りに動けない。こんな時に、この上また誰か一人でも欠けられでもしたら、大変な事だ。杢殿は、まだ重い傷を負ったばかりの重篤な怪我人だ、という事を忘れてもらっては困る。必要な時に、倒れられていては、皆が困るんだ。頼むから今日はもう休んで、いざという時に備えてくれ」

「……分かった、済まぬな克殿、それでは甘えさせてもらうとしよう」


 克が、にかっと白い歯を見せて屈託なく笑う。

 そうだ、どんどん甘えてくれ、と杢の分厚い胸板を肘で小突いた。



 ★★★



 克が城の執務室に向かって回廊に消えて行くのを見送ってから、杢も踵を返した。

 こつり、こつり、と規則正しい音が床で響く。

 その度に、祭国に帰国して直ぐに那谷に処置して貰った疵が、じくじくと痛む。しかし、膿の塊をごっそりと刮げ取ったお陰でか、その後の回復は目覚ましく、こうして杖を使えば多少の自由が利くようになってきた。


 廊までも雨戸でみっちりと閉じられている為、王城内は、ほぼ蒸し風呂と化している。

 僅かな動きでも体に熱が生じ、一気に汗が噴き出してくる。杢の額からこめかみに向かって、つーっと幾筋も流れ出した。

 ――克殿にはあのように言いはしたが……。

 がたがたと吠えたくる雨戸の音に杖を止め、杢は溜息をつく。

 克にはあのように説明したが、人力の投石機を採用して、本当に良かったのか?

 ふうから聞いた破壊力からすれば、投石され着弾するまでの間に壕などに避難できるよう、置石式を採用するべきなのではないか? 

 しかし真の話から推察するに、確実にどかん(・・・)を狙った地点に当てる事を最優先しなくてはならない。

 ――とすれば、やはり人力式の方が望ましい。

 だが、現地で作業を行う者の中に、怪我などを負うものは出ないだろうか?

 威力について、全くの未知数なのだ。軽んじて逃げる事を怠れば、洪水とは別の大惨事が起こる。それはなんとしても避けねばならない。

 そして何より。

 今回は、郡王である戰だけでなく、少年の身の上ながらも国王となった学も、率先して投石の場の最前線に立つだろう。

 ――お二人の身に、もしもの事など微塵も起こってはならん。

 だが、どうすべきだ、どちらを採用すればよい。

 何が最善の策であるのか、決められない。

 こうなると、戰に対して直截に意見を述べる真が、化物のように思えてきた。一体全体、ひょろりとした印象のあの青年の何処に、あんな度胸があるのか?

 ――戦場で、言われたままに剣を振りまして馬を駆っている方が、余程、気楽だ。

 こつり、と再び杖で床を叩きながら、杢はまだ迷っていた。



 克は自分の代わりとなる部下を寄こして呉れると言っていたが、それでも鷹が気になる杢は、王城に用意された部屋で休む前に、一度、鴻臚館に向かう事にした。

 信用していない訳ではない。

 寧ろ、逆だ。

 自分が傷付いて帰国してから此方、克の指揮官としての成長は目覚しい。自分とて人の事をとやこうと偉そうに評せる程の人物ではないが、それにしても、元は百人隊長とまりであった男が、実に頼もしくなったものだと思う。

 人が良いだけに、皆に好かれて慕われてはいるが、その分、なあなあ(・・・・)というか、厳しさに欠けていたように見受けられた。が、いい意味で上官としてげんたる態度を示し始めているように思えた。

 ――共に戦えると信じられる人物が身近にいるというのは、有難い事だな。

 緊迫した事態だというのに、つい、目元が和む。


 こつりこつり、と音を立てて廊下を進んでいると、ばたばたと足元を絡ませながら走ってくる舎人とぶつかりかけた。前を見ていなかったのだろう、独特の叫び声を上げて転びかける舎人の襟首に、杢は振り上げた杖の先を差し入れて、ひょい、と持ち上げた。

「どうした、王城内をこのように走るなど、無礼であろう」

 泡を食って、声も出ない様子の舎人は、仔猫のほうに首根っこを持ち上げられる格好をとらされ、更に喉を詰まらせる。しかし、自分を母猫のように摘み上げている人物が杢であると知ると、ぱっと頬を輝かせた。

「も、杢様、良い処に!」

「どうしたというのだ? 郡王陛下と国王陛下が揃って城を空けておられるからこそ、我々城を預かる者は、どの様な低い品官の者であろうとも、節度を失ってはならぬというのに」

「お、お助け下さいませ、杢様! ど、どうか!」

 襟首を持ち上げられた姿のまま、舎人は眼前で手を合わせて擦り合せ、杢を拝みだした。

「落ち着け。話を聞かぬでは、何とも答えられぬではないか」

准后じゅこう殿下が、か、禍国の御使であらせられる、右丞様に、と、囚われて、おられるのです」

「何だと!?」

 杖を振り上げて杢が怒鳴った為、舎人は悲鳴を上げながら転がり落ちた。



 ★★★



 慌てて舎人の口を塞いだ杢は、改めて舎人に説明させた。

 鴻臚館に捕らえられた状態で逼塞している事に業を煮やした右丞様が、1人密かに部屋を脱し、王城内へと忍び入られた。

 そして、椿妃殿下のご様子を伝える為と、国王陛下の邑でのご様子を伺う為に産屋より王城へとお戻りになられた准后じゅこう殿下が、客間にて蔦様とご歓談なさっている最中に、右丞様が乱入された。

 下手に部屋の外で騒ぎたて、質になられている准后じゅこう殿下のお命に触りがあっては一大事である為、現在、周辺を殿侍とのはべりたちが静かに包囲しつつある処だ――


 と、舎人は言葉をつかえさせながらも、状況を杢に説明した。

 うぬ、と唸ると、杢は軽く握った拳で鼻の下を擦る。

「――それで当初、部屋に控えていた女童を質としていた右丞が、准后じゅこう殿下を質に望んだのは何故だ?」

 そうまでして、この祭国から逃れようとしているのか? 

 赤斑瘡あかもがさに伝染するのを恐れてか?

 それとも、他にもっと何か、其処までの危険を冒してまで遂行せねばならぬ何かがあるとうのか?

 険しい顔付きの杢に、舎人が口篭る。

「そ、それが……」

「何だ? この様な時に口篭るな。時間が惜しい。さっさと言わぬか」

 普段、寡黙で通している武辺者である杢に、声を荒らげて、ぐぃ、と胸倉を掴んで迫られた舎人は、その迫力に三度叫び声を上げかける。その口の動きを、杢はぎろり、と鋭い視線の一睨みで封じ込める。がくがくと震えながら、舎人はやっと言葉を絞り出した。

「それが……」

「それが、何だ?」

「つ、椿妃殿下に、お会いしたいと申されているようで……」

「妃殿下に、だと? 何故、准后じゅこう殿下を質としてまで妃殿下に会わねばならぬのだ?」

「此度の郡王陛下のお怒りが、右丞様におかれましては何故謂われなく貶められるのか、皆目検討がつかぬ、大変理不尽な仕儀であると奏上なされたいと」

「……何ぃ?」

「そ、その、其処でその……椿妃殿下に、その、郡王陛下のお怒りと誤解を解く為にお力添えをと、お頼み願いたいのだと……」


 嘆息嗟嘆、とはこのことだろう。

 舎人のしどろもどろの言葉に杢は、肺腑が空になるまで、全身を使って大きく溜息を吐いた。

 確かに嘗て、兵部尚書の屋敷にて、椿姫は祭国の姫君という立場ながら、真のさいである薔姫の介添えとして、3年もの間、兵部尚書宅で暮らしてきた。

 本来であれば、側妾腹である真の妻は、真の母親・好と同様に正室・妙の所有物もちものとして扱われる。

 しかし、その妻とは、当時の禍国の統治者であった皇帝・景の歴とした娘、正4品従4位下の才人の御位の王女なのだ。だからこそ、介添えとして、王女である椿姫が認められたのだ。住まいが何処で、王女・薔姫の相手の真の身分がどうであれ、彼女たちとそのように親しい者として振舞うなど、言語道断である。


「分かった。それで今、准后じゅこう殿下が居られる部屋の状況は?」

「は、はい、折からのこの台風の音に紛れて、部屋を包囲しつつあるのですが、如何せん指揮を取って下さる方がおられぬのでは、殿侍たちも手が出せず……」

「よかろう、では、私が其方に向かう」

 カッ、と一際高い音を鳴らして、杢は杖を突く。

 舎人の顔ばせが、安堵と喜びに輝いた。



 舎人の背中を追い、目指す部屋の間近にたどり着くと、周辺を包囲していた殿侍たちがわらわらと寄って来た。

「杢様、助かります」

「状況はどうなっている?」

 ちらりと視線を部屋に走らせつつ、杢は此処までを指揮していたらしい男に低い声で問う。

「は、それが、その……」

「何だ、言い淀んでおる場合か。直截に言うがいい。今は一刻を争う」

「は、その……恐れ多くも准后じゅこう殿下を縛り上げ、椿大上王様の元に向かう故、着替えを用意しろ、と女童に言いつけたようでして……」


 男の背後から、ひょこり、と泣き腫らしたをした女童が現れた。

 頬と鼻の頭と目の周りを真っ赤にして、泣き吃逆をしている。杢は、出来うる限り身体を屈めて女童と同じ目線になると、優しく問いかけた。

「お前は、部屋に居たのだな?」

「は、はい……じゅ、大宮おおいみや様は、わ、わたくしなんかの身代わりに、な、なられて……!」

 わっ、と両手で顔を覆い、再び泣きじゃくりだした女童の肩を、杢は静かに揺すった。

「落ち着きなさい。ならば、私の言う通りにしてくれるか?」

「……も、杢様の、い、言う通りに、す、すれば、お、大宮おおいみや様、は、だ、だいじょうぶ、なの?」

 ひっ、ひっ、としゃくり上げながら、女童は目元を小さな握り拳で擦り続ける。言葉使いが、宮使えのそれでなくっている事に気が付いていない可愛らしさに、その場が奇妙に和んだ。

 ああ、と頷きながら、杢は今度は涙で濡れた頬を、大きな掌で包むようにして拭いてやる。

「大丈夫だ。安心して任せるがいい」

 一瞬、息を飲んで杢を見上げた女童は、慌ててゴシゴシと袖を使って顔を拭くと、はい、と大きく返事をした。



 ★★★



 縛られながらも、表情一つ変えずに佇む苑は、凛とした美しさがある。

 流石に王太子を虜にしたものだ、と鷹は何処か心を浮き立たせていた。

「……あ、あの……」

 其処へ、おずおずとした様子で、女童が部屋に戻ってきた。

 慌てて弛緩しっぱなしだっただらしのない顔を引き締め、周囲を探る。

「誰にも、云うてはおらぬだろうな?」

「……は、はい……」


 どすの効いた声で脅すように言うと、女童は一瞬、びくり、と身体を縮み上がらせた。大きな黄土色の包みを赤子をあやす様に抱えている。

「着替えを用意できたか」

「は、はい……ですが、その、ほうり様方の御衣は……む、無理でしたので……、あの、それで……殿侍の方々の、お召し物を……」

 ふん、と鼻先でぞんざいに嘲笑いながら、鷹は顎を刳る。

「この際、それで我慢しておいてやる。早く着替えさせろ」

「は、はい……」

 女童は、びくびくと怯えながらも、じりじりと摺り足気味に鷹と苑に近付いていく。

 あと一歩で間合いに入る、という処で、待て、と鷹が女童を止めた。ひく、と身体を縮み上がらせて、女童が涙目になる。

「あ、あの……な、なにか……?」

「それ以上、近付くな」

「……え? で、でも、其れでは、お召かえが……」

「先ずは、その包みを、その机の上で開いてみろ」

 後ろ手にされた苑の手首を掴みながら、急須の注ぎ口に口を直接つけて麦湯を飲みながら、鷹が顎を刳る。女童の表情が、明白あからさまに青白くなった。

「で、でも……」

「ん~? 何だ? どうした?」

「……い、いえ、何でも……ありません……」


 女童は、おずおずと机に近付く。

 そろそろと腕を伸ばして包みを置くと、苑と蔦の顔を順に何度も見ながら結び目に小さな手を伸ばした。にやにやと下卑た笑いを唇の端に浮かべる鷹と、じりじりと焦れる蔦の目の前で、包みの結び目が解かれる。しゅるん、と滑らかなきぬが擦れる音がして、包が開いた。

 苑の腕を掴んだまま、鷹がずかずかと机に近寄る。手にしていた急須を、徐ろに床に叩きつける。

 ガシャン! と甲高い音がして朱塗の急須は粉々に砕けた。

 大きな音に、思わず女童は目を閉じ、蔦も本能的に手の平で双眸を庇う間に、鷹は包まれていた殿侍のころもに手を突っ込み、ぐしゃぐしゃと探り始めた。

 数回、衣をまさぐっていたが、直ぐにその手の動きが止まる。そして、にやり、と嘲り笑いながら、ゆっくりと手を引いた。

「おい、此れは何だ」

 鷹の手には、暗器である匕首ひしゅが握られていた。



 後ろ手に縛られた上に無理に手首を掴まれている為、前屈み状態になっている苑は、気がつかれぬように身体を捩り、肩越しに、己を虜としている男をそっと見上げた。

 手の内で匕首を弄びながら、鷹がにやにやと笑っている。

「何だと聞いておる、答えんか、ん~?」

 ぐ、と苑を更に引き寄せて鷹が語気を強めると、女童は見るも哀れに狼狽しきり、両眼からぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。女童の反応を楽しむように、鷹は匕首を手の内でぐるりと翻す。

 ヒッ、と息を飲んで、女童は堅く目を閉じ身を縮み上がらせた。

 女童の態度に満足したのか、鷹はにや、と更に口角を持ち上げて歪める。

「匕首を持ち込んで、この私を誅するつもりだったのか、あぁん? 見上げた忠誠心だが……」

 匕首の鞘の部分を、女童の顎の下に差し入れた。

「ふん、やはりそこはまだ子供の浅はかさだな。その程度の考えなど、此方はとっくにお見通しだ」

 鷹が力を込めて、ぐ、と持ち上げると、耳をつんざく叫び声が女童の喉から迸る。鷹は、可笑しくて堪らない、というように、顎を跳ねながら大声で嘲笑った。


 その嘲りを破るように、全く異質な音が、微かにだが響いた。

 ――……こつり。

 何か硬いものが、床を叩く音だ。

 慌てて、鷹は苑を廊下側に押し出すようにし、そして眼球を目紛めまぐるしく動かし、周辺に探りを入れる。再び、鷹の耳に、音が響いてくる。


 こつり、こつり、こつり。

 と韻を踏むように規則正しく響いてくるそれは、忌々しくてならない男が奏でるものだ――

 鷹が気が付く頃には、その音を奏でている本人が、扉の影から姿を現した。


「己の知識不足の罪を、他人に贖わせようとなさるのは昔からの習いのまま、お変りないようですな、右丞殿」


 ――コツン。

 音が止まり、扉に身体を一瞬預けるようにしながら部屋に入ってきたのは、杢だった。



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