6 無位無官無職人・真 その3
6 無位無官無職人・真 その3
どこかうっすらと眠そうにしていた真であったが、とうとうと言うか遂にというべきか、ふあ! と、大欠伸をしてみせた。流石に剛国王・闘の真っ向正面を向いてではなく、横を向いて手で口元を隠しはしている。しかし、ぶるぶると身体を小刻みに震わせ、あ~……と吐息が漏れ、目尻に皺が寄るほど固く目を閉じていれば、何をしているのかなど、隠し果しようもない。
一気に怒りに染め上がりなおす剛国王の臣下たちを留めたのは、彼らの主人たる闘の楽しげな大笑だった。
「眠いのか、真とやら」
「はい、後ろに控えております克はともかく、私は武辺の者ではありませんので、今回の旅路は少々こたえました」
目元に欠伸による涙の粒を貯めつつ、真が身体ごと正面を向き直すと、眠気を払うためにか、項あたりの髪の毛をくしゃくしゃとかきあげた。人を喰った態度も極まれり、だろう。しかも相手は敵対中の強国の国王であるというのに。まるで近所のご機嫌伺いと、日常の対話しているかのような態度の真に、克は再び腹の中を冷や汗の滝で満たす。
「さて、真とやら。答えを聞かせて貰うとするか。分かっておるのであろう。何故、我らが騎馬兵団を動かさぬのか」
「他国を侵略なされておられるからに、御座いましょう。恐らくは、ここ祭国よりほど近い露国辺りを」
背後の臣下たちが、はっ・と顔色を無くすのにも構わずに、にやり、と剛国王・闘は口角を持ち上げた。
露国も、祭国と同じく農耕を国家基礎の主軸においた民の国だ。だが、祭国と違い、その軍事力はそれなりのものを備えている。戦い、そして互いに傷を広げぬ短期に勝利を得るは、その数倍する絶対的な兵力をもって一気に攻め入るのが定石だ。無敵と恐れられる騎馬兵団を投入するのは当然だろう。
「恐らく今頃、露国は闘陛下ご自慢の騎馬兵団に攻め立てられ、蟻一匹抜け出せぬほど強固に取り囲まれているのでしょう。遠からず、降伏か否かの帰路に立たさる事は必定な程に。そう、3年前の、ここ祭国と禍国との戦いと同じく」
「ほう?」
「闘陛下がお待ちであられるのは、椿姫様にあらず。姫君様がお持ちであられる『祭国の継治の御子』の称号をこそ、真に欲しておられるのでございましょう? その継治の御子姫様を手にして御国に帰還せしめればそれはそれでよし。真の目的は他に」
「――ふん、それは何であると申すか?」
「露国よりの和睦の使者が立てられば、このように降伏を持ちかけられるおつもりであったのでは? 降伏を申し出た祭国の民草は、未だ国王は順と思って安寧安穏に暮らしている。貴国においても同様にいたさば、国王以下の立場を考えぬでもない。猶予をやろう。祭国に赴き、内情を探ってみるが良い祭国王・順は、服従の証に継治の御子である娘、椿姫を差し出した故、許しを与え国土を安堵しておる。姫君の所在を知りたくば、我らが国王の後宮に赴き訪ねてみるが良い。まやかし、嘘偽りでなきことは、姫君が閨で流す悦びの嬌声が教えてくれよう」
ハッ、と克が冷や汗を止めて、真に注視する。
真は既に、眠そうな表情を改めていた。
★★★
剛国王・闘の豪快な笑い声が、室内にこだまする。
「それでは、まるで私が稀代の極悪凶猛な漢だな」
「申し訳ございません。流石に表現が直截に過ぎました。和睦の席にて、露国にはこのように、切り出しなされるおつもりであられるのではありませんか? ――丁度良い事に、露国王におかれては、麗しくも見目美しいお年頃の姫君が幾人かいらっしゃると聞き及んでいる。何方かを我が後宮に迎え入れ、御子を儲ける事叶えば両国の絆はより一層深まろう、とまあ、このように」
「――ほほう?」
「この祭国に対しましても、『王妃として迎える』と確約はなされておられません。いずれ面倒を起こすのは、女性による産まれ出てられし御子を擁立しての継治の御子の称号争い、即ち『太子』の御位の争奪争い。しかし、背後に国を背負し姫君たちばかりが揃えば、行き着く先はただ一つ。王太子の座を巡って、最後は姫君たちの実家国同士の闘争となりましょう。陛下は黙って、後宮となされた姫君たちの御国が国力を弱め、真の剛国の属国として隷属してゆく様を、高みの見物なされるだけで望むものを手に入れられる、という算段に御座いましょう」
「本当に、恐ろしい程頭の切れる奴だな」
「恐れ入ります」
「真、と申したな、其の方、禍国にて如何なる地位にある者か?」
興味深げに、真を覗き込む剛国王・闘の顔を、真は再び眠そうな目で横目にする。
「いえ別に、地位も何も、私にはそんなものは御座いませんが……」
「……なに?」
剛国王・闘の語尾が上がる。
「いえ、ですから。私の父は禍国にて兵部尚書であり宰相を務めておりますが、私はその父・優の側妾の腹出でして。地位もなければ冠位もなければ、職位もありません、と申し上げておるのです」
しかし、真の会話へのやる気は下がる一方のようだった。ごりごりと音を立てて、頭を引っ掻き回し始めている。
あからさまにやる気を消失させつつある真とは対照的に、剛国王・闘は、真への興味を掻き立てられて仕方がないであった。その証拠に、ずい、と肘を机の上に乗り出して真に迫る。
「面白い奴だ。地位も、冠位も、職位もないとは。ならば何故、ここにこのようにしておるのだ」
「3年前のあの戦の折、私は皇帝陛下より戰皇子様の『目付』となれと命じられました」
「ほほぅ?」
「その命を拝命して今日まで、それを解く・と申し付けられてはおりませんので」
「ほぅ? 面白い事を言う。真とやら、其の方、皇帝・景の使者として此処に来たのではないのか?」
「はい、その通りです。皇帝陛下が使者としての役を拝命せよ命じられたのは、戰皇子様に御座います。私の主人は、戰皇子様のみ。私は、主人に成り代わりてこの場に参ったまで。最初に申し上げておりますが?」
「確かにな」
闘の視線の先で、真は興味なさげに視線を彷徨かせ始めていた。
話題をそらせたいのだな、と闘は心の中で、ふふんお前もか、と鼻をならす。
よくある事だ。自分も同じだ。だから分かる。
母親の身分が低いというだけで、如何に優秀であっても栄達は望めない。頂上を望めない。力を認められるどころか、人間扱いすらされないのだ。
そんな馬鹿な事が、許されて良い筈がない。
この世は、優秀な者が統べるべきだ。
優秀なる者。そう、権力を握る者とは、その王者の血族内にて最も秀でたものでなくてはならない。
では、優秀とは何か? 如何に優秀であるべきであるのか?
その答えを、自分は知っている。
王者として優秀であるべき事。
それはただ一つ。
他者の追随を許さぬ、もしくは完膚なきまでに叩きのめしてなお飽き足らぬ程の、絶対的な『力』の持ち主であるという事だ。
自分は、臣下の長所を見抜き、彼らを引き付け、彼らに満足のゆく仕事をさせる能力に長けている。そして、自らは全てにおいて彼らの上に立ち秀で、大道を見据えて動かず拠り所として存在する。
此れぞ正しく、王者としての力量を問われる事柄であると言わずして、何というのか。
此れをこそ、王の『力』と言わずして何という。
眼前で、眠くてたまらない様子を隠そうともしない青年を、じ……と眼目を注する。
この真という青年は、その知恵に寄って、3年前に禍国と祭国の戦いを戦わぬ戦いによって事を収めた。此度もまた、その知恵一本によりこの祭国と剛国の争いを収めようとしている。
椿姫を女王に担ぎ上げ、彼女を己に認めさせる為に皇帝・景をも利用し、露国と戦線状況をすら予見してみせ、この祭国を討つ為に急遽動かせる兵力がないのを知っているのだぞと脅しをかけてくる。
この青年の掌に、血豆が無数につけれられているのを見た。それから察するに、武官ではないという言葉は正しいのであろう。そしてまた、椿姫を迎えに行く為に、祭国の使者が発ってよりの日数を数え上げれば、この真という青年は、通常の常識からは到底考えられぬ程の短日間で、祭国に到着したのだろう。
別の考え方をすれば、この青年を此処まで運びきった、このような馬術を持つ男が、禍国にも居る――背後に控える男の馬術を、刮目して見よとこの青年は暗に言っている。
最初に言ったではないか。
『禍国皇帝・景とやらは、この私に、剛国に、禍国の風下に立てと宣うか』と問い質した自分に、この青年は『何事かあるようにされるもさせぬも、全ては剛国王陛下の御一存にあられるかと』と、答えたではないか。
その通りだ。
椿姫が、恥を忍び禍国皇帝・景に軍の助援を申し出る事も最悪の事と考えて、剛国よりもより近い露国に、騎馬兵団を一石二鳥をも目論見、送り込んだ。この場合、椿姫の到着を待ってから、露国へ早馬を出しても悠々と間に合う。何しろ、禍国などよりも、余程自分たちの方がこの祭国の地理に詳しい。何処でどの様に戦を展開すればよいかなどは、此方に理がある。
だが、この青年を連れてきた男と同等の武辺馬術を有する者を抱えるのか。禍国に人有りというのであれば。もう最低3~4日もあればこの祭国をないものとしてすらりと通過し、疾風迅雷、剛国へと攻め込む事だろう。この真という青年は、そこまで見越し、手筈を整えてきているに相違ない。でなければ、この人を喰いまくった落ち着きようは、説明できない。
そしてそれに抗う為に露国へ早馬を出し、取って返して背後より突く前に、最悪、剛国は堕ちているだろう。回避できたとしても、国内での自身に反し意見を違う勢力に、力を与えてしまう愚を犯す事になる。
自分は愚か者ではない。
事態の歪曲化を最小限に抑える為には、この場は一時引くしか、今はこの祭国を諦めるしか、道はない。策を弄して上回るつもりでいたが、更に上回れていると知れているこの場においては、最早、如何様に手管を翻したところで追いつく事は叶うまい。諦めるより、道はない。
恐ろしい男だ。
これら全てを、この眠そうなやる気無さ気の男の、鳥の巣のような状態になっている頭の下の脳みそが捻り出したというのか。
恐ろしく、また同時に実に面白く、楽しい男だ。
今の、自分の臣下のうちには、まるでいない部類の男だ。
闘は、心のうちが煮え滾るようにふつふつと明るく沸き立つ思いに駆られ始めていた。それは怒りや憎しみなどではなく、純粋な、この目の前に眠そうな目をして対峙している青年への興味だった。
「真とやら」
「はい」
「私はこのまま、祭国を出る。待ちわびた我が王妃候補である姫君が、女王として即位の礼を待つ身とあらば、是非もなし。私も、剛国王の御位を捨て、祭国に入婿するわけにはまいらんからな。素直に諦め、禍国には、久々の女王誕生の祝いの品々を齎させてもらうとしようではないか」
「そうですか、それは御賢明なご判断であられます」
「だが、真とやら」
「はい」
「露国はどうするつもりだ」
「闘陛下、何度も申し上げておりますが、私は禍国の皇子・戰殿下の『目付』です。私は戰殿下に『祭国に使者として赴け』とは命じられましたが、『露国の面倒を見よ』とは命じられませんでした」
「――ほう」
「闘陛下が、露国に対してどのように出られるおつもりであるのか、其の胸の内は測りしれませんが、露国は露国の民のもの。彼ら自身が己の手で吾国の災厄を払うべきでしょう」
ふん……と、闘は真の言葉に頷いた。一見、冷たいように思えるが正論だ。禍国と露国は盟友国として手を結んでいるわけではない。禍国としては、露国を剛国の責め苦より、助ける義理はないと宣言しているのだ。
それは、とどのつまり。有り体に言ってしまえば、こういう事だ。
祭国は諦めろ。であれば、露国を代わりに呉れてやるから、我慢しろ――と、この青年、真は言っているのだ。
闘は、込み上げてくる笑いを止めることが苦しくなってきた。身を捩る若き王に、背後の臣下が戸惑ったように顔を見合わせているが、闘は構う余裕などなかった。
欲しい。部下として欲しい。
3年前には、皇帝・景の皇子・戰の勇名馳せさせるに至らしめた。
そして今は、剛国王である私に一時の負けを認めさせるにまで追い込んでいる。
この真という男の頭脳が、痛烈に猛烈に欲しい。
「真とやら」
「はい」
「お前という人物が、どうにも無性に欲しくなったぞ。どうだ、私に仕えぬか?」
「お断りいたします」
剛国王・闘の申し出に、欠伸を堪えつつ、真は面倒くさそうに答えた。
★★★
闘の背後で、いよいよ剣の柄に手をかけて刀身を剥き身せんと鼻息を荒くする臣下たちに、闘は笑いながら収めるよう手を振って促す。渋々ながら従う彼らの、野獣のような息遣いを背にしながらも、闘はそよ風に当たっているかのように柔和な物腰となっている。
「何故だ? 真とやら、お前は禍国宰相の側妾腹であると自ら申したではないか。側妾腹なぞ、いくら手柄を立てたところで、要らぬ目くじらを立てられるばかり、褒め讃えられる事などありはしない。地位も冠位も職位もなく、ただ利用されるのみの、決して人間扱いされぬ存在。それが妾腹の宿星だ。それから逃れたいとは思わぬのか? 人として、当たり前のものを手に入れたいとは思わぬのか? 私であれば、お前の望むもの全てを与えてやれる」
「それは無理でしょう」
闘の申し出に、真は間髪入れずに、無造作に答える。
「ほぅ……? 無理、とは何が如何様に無理であると申すのか?」
「そのままの意味です。私は既に、我が主である戰皇子様より、過分な程に恩賞を頂戴しております。これ以上を望むことは御座いませんし、何よりも……」
「何よりも、なんだ?」
「私が欲するものを、戰皇子様より深くご理解頂ける御方はおられません。故に、私はそれ以外の御方にお仕えする事など、考えられぬのです、剛国王陛下」
「――ほう」
闘の語尾が鋭くなる。
真正面から、眼前にいる闘よりも遥か禍国に居る己の主人の方が優れているから、無駄に勧誘するなとする真の態度を見せつけられればられる程、ますます欲しくなってくる。
「お前の仕える皇子・戰とやらは、それ程までに、優れた人物であるのか」
「はあ……まあ、私のような一部の者に限っての事とは思われますが、それなりに一応、慕われていると思います」
「ふふん……まあ良い、どうだ、真とやら。その戰皇子とやらがお前に寄越す恩賞などよりも、よりお前の望むものを、私は呉れてやれる。乗り換えんか?」
「無理ですね、陛下におかれては、私の望むものが何であるかも、ご理解しては貰えませんでしょうから」
真の背後で、克は自分が氷の塑像となってしまってはいないかと、心底肝を冷やしていた。だんだん、真の言葉使いがぞんざいになってきている。敵対する強国を熱い支持と共に従える国王を目の前にして、真という青年の『どうぞ怒りに任せて切り捨てて下さい』と言わんばかりの、この態度は……!
……死ぬ。此処で死ぬことになる。
自分だけなら、何とか逃げ延びることは叶うだろう。しかし、この真という青年を連れてはとても無理だ。だが彼は、皇帝陛下の王女であらせられる薔姫君の夫君。見捨てるわけには行かない。せめて一矢報い、禍国にも我等ありと大いに思い知らせて倒れねば……。決意を固めた克を、真はちらりと振り返り、にこりと小さく笑った。
呆気にとられる克の前で、真は既に闘の方へと振り返り、こほんと咳払いをしている。
「この私が、戰皇子よりも優れているとなれば、私の元にまいるか?」
「まあ、考えぬでもありませんが……」
「よく申した。男に二言はないな? よかろう、お前の欲するものを見事当てて見せよう。したらば、我が元に参れ」
「無理だと思われますが?」
「やってみねば、解るまい。どうだ、賭けぬか?」
眠けを払うつもりであるのか、ふらふらと身体を揺する真に、闘は豪快に笑ってみせた。そして手を挙げて、紙と硯を用意させる。
「お前の望むものを、其処に書くが良い。私は、此方側に書こう。同時に書き上げ見せ合えば、言い逃れる事は出来まい。私がお前の望むものを見事引き当てたのであれば、私に仕えよ」
「それは狡いですね。陛下ばかりが得を得られて、私は何も得るものがありません。これでは賭けは、成立致しませんよ」
「では、お前の二つ目に望むものを、取らせようではないか」
「ああ、またそこのような事を……」
「何だ?」
「いえ……私の父もそうなのですが、どうも私は、御位の高いお方にほど、後からこんな馬鹿な事が聞き入れられるかと、叱責を喰らう事柄が多いので……」
「ふん、お前の父親や、絡む上の御位の輩がどうかは知らぬが、この私はそのような度量の狭い漢ではない」
「男に二言はございませんと?」
「諄い」
「では、その賭け、お受けいたしましょう」
ああ実に面倒くさい……とでも言いたげに、深く深く溜息をつきつつ、真は答えた。
★★★
互いに同時に墨をすり終わると、袂を抑えつつ筆を手にした。
体付きや言動からは思いもよらぬ流麗な所作で、闘は文字を書き上げる。一方の真は、薄目を開けているのがやっとという体で、何とか書き上げた。その文字を背後から眺めていた克が、ぎょ! と目を見開いた。堪えていた冷や汗が、いや油汗が、だくだくと蒼白になった顔面を流れ落ちていく。
「では、同時に上げまいらせようではないか」
「はあ」
ふん、と闘が鼻で笑うのを合図に、闘と真は文鎮を外して同時に紙を掲げてみせた。
闘の紙には『誉』の一文字が書かれている。
真の紙には。
其処には、『暇』の一文字が書かれていた。
「はい、私の勝ちですね、陛下」




