5 鷹と鵟 その3
5 鷹と鵟 その3
克の馬に共に乗って城に赴くと、戰と学が、表情を固くして待ち構えていた。
そして真と同じように呼び出されたらしき那谷と虚海が、ほぼ当時に部屋に現れた。
さらには、克の配下と思しき早馬にての伝令役が、汗に濡れたまま部屋の隅に控えている。
――何かあった。
そう感じねば、おかしい人物が揃いすぎている。
「呼び出して、済まない、真」
「お師様、お待ちしておりました」
「何があったのですか、戰様、学様」
真が部屋に入ると、直ちに扉が締め切られる。
訝しむ真に、戰が書簡を差し出した。伝令が必死になって此処まで駆けさせてきた、原因となるものだろう。緊縛した空気が走る。
「……気を払わねばならぬ程の、一体、何があったのです?」
「兎も角、読んで呉れないか? その方がいい」
戰の言葉に、真は書簡の礼を広げて視線を走らせた。読み進めるうちに、視線が鋭くなる。那谷と虚海が、表情を険しくした真に、顔を見合わせた。真がこのような顔付きをする、という事は相当だ、と気を引き締める。
書簡には、各県令からの切実なる訴えが、連盟で寄せられていた。
――正体不明の疫病、即ち熱病が大流行の兆しを見せ始めている。
為、施薬院の人員補強を行いたい。
故に、国王陛下のお許しが欲しい。
出来れば、熱病対策に国が手を貸して欲しい――
という切実な知らせが滲み出てた書簡だった。
県令が治めている地名は、禍国側の使節団が宿としてとった関が設けられている地ばかりだ。禍国からの使節を受け入れ、発熱し、倒れた病人を受け入れた処、数日後に同じ症状の病が、一気爆発的に広まりだしたのだ。
病に羅患しているのは10歳以下の乳幼児に集中しているらしいが、大人でも稀に感染者を出しているという。
先ず、風邪のような症状で高熱を発っする。
咳、鼻水、目脂や目の充血、また喉の痛みが起こる。
幼児では腹の痛みに苦しむ者も多く、また症状が進むと全身症状も進む。
大人も子供も倦怠疲労感から、非常に不機嫌になる。
此等が流感の主たる病状であるのはどの県令の書状でも一致している。
また初めて症状を訴えた者が出た日付、人数などが簡単に記されているが、とても楽観観できるような数字ではない。
「訴えを奏上してきている県令の地名は、使節団の動きに合わせてこの祭国の王都に近付いてきている」
戰の言葉に、真は強く頷いた。
つまり。
使節団こそが、この病を運ぶ疫神の使い、ということだ。
書簡を読み終えた真は、那谷に差し出した。
那谷と虚海が、額を突き合わせるようにして書簡に食いついて読みふけり、何故、真が表情を強くしたのかを悟る。病に臥せっている者の数を見た虚海が、こらあかんで、と呟いた。
「郡王様、この熱病の正体は、一体なんなのでしょう?」
不安げな学を、落ち着かせようとしているのか、戰がその小さな肩に大きな手を置いた。
「特徴からすれば、夏の熱流感の一種、とみるべきなのでしょう。ですが如何せん、流行の足が速すぎます」
那谷が答えると、は~ん、と虚海が喉を鳴らした。同じ意見らしい。
「特徴は、此処に書かれている事だけ、なのですか?」
伝令に那谷が訪ねると、彼は力なく首を左右に振った。
「申し訳御座いません。私は、ただお伝えしに参っただけですので……」
「まあ、文字づらだけ眺めてあれやこれや想像した処で、どうもならへん。直に行って、診てこなあかん。対処法を考えるんは、そっからや」
虚海の言葉に、那谷が強く頷く。
「学様……いえ、国王陛下。私を、最初に熱病が流行りだしたという地に、派遣する命令を下さいますよう」
那谷の申し出に、学が戰を見上げる。不安に揺れる学の視線を、しっかりと受け止めている戰に、少年は心を強くした。
「克殿、那谷殿を連れて、県令の処に赴いて頂けますか? 一刻も早く」
「それと気になるのは、明らかに禍国の使節団がこの病を運んでいる状況である、ということです」
真の言葉に、戰が額に緊張の汗をみせた。
「其処だ。使節団は受け入れざるを得ない状況にまで差し迫ってしまっているが、報告が上がった関は即刻封鎖したいと思う。真、どう思う?」
「それが宜しいでしょう。類を呼んで、書簡の作成にあたってもらいましょう。通には、交易に損害が出た場合の試算に入ってもらいます。克殿には、伝令に走る方を選出し、此等を熟知してある程度は答えられるよう、備えてもらわねばなりません」
「そうしよう。――学」
「はい、郡王様」
呼びかけられて、思わず知らず答えた学に、戰は首を左右に振った。
「学、もう私の事を『郡王様』と呼んではいけない。君はこの国の王だ。国王は国王らしく振舞わねば、国益を損じる」
「は、はい」
「私の事は、郡王、それでいい」
「は――はい! ……ぐ、ぐんっお……う・どの!」
勢いよく返答はしたものの、緊張が勝り、少年の高い声が上擦る。緊迫した場に、和みの笑がうまれた。
「皇子さん」
「何でしょうか、お師匠」
「姫さんを、もう産屋に送っとき。その方がええ」
戰が目を眇め、那谷に視線を走らせた。虚海に同意を示して、しっかりと頷く。
「流行り始めた熱病が何か、まだ分かりません。しかし、此度此方に向かっている禍国の使節団がその流行を振りまく先端に居る、それは間違いない以上、この王都に病が持ち込まれるのは確実なのです。お師匠様の仰る通りになさって下さい。お二方の御身を、何としても守らねばなりません」
「ほうや。姫さんは、いつ陣痛がおこっても不思議やあらへん。不安のたねに大事な身体を晒す訳にゃいかん」
「……分かりました、椿を産屋に送ります」
それがええ、早よそうしい、と虚海は瓢箪型の徳利を傾ける。
固い表情で、戰は那谷と虚海の言葉を伝える為に、椿姫の部屋と向かった。
★★★
薔姫が克が連れてきた共に送られてに家に帰ると、好が不安げな顔をして様子を伺いに来た。
禍国の使者に、優の長子である鷹がたち、近日中にもこの祭国に踏み入ると知ってから、落ち着きがない。
そうれはそうだろう。正室の子が、やって来るのだ。此れまで、散々に虐げられてきたのだ。精神をすり減らして当然だった。
「薔姫様、真は……? どうしたのですか? 一緒ではないのですか? もしや何か、お城で大変な事が……?」
眠りが浅くなってきたのか、うとうとしつつむずがる娃を抱きながら、好は瞳を憂いに揺らしている。
優が、王城での政争について何一つ口にしなかったせいか、好は真がこの祭国にて何程重要な立場を担っているのか、正確に把握していない。
母親としての庶民的な不安感。
つまり、真が分不相応な大仕事に駆り出されたのでは、それにより、正室の子である鷹から息子がまた痛罵されるのでは、という危惧しか抱いていない。
その辺は、幼い頃から過酷な帝室の一員として成長してきた薔姫の方が、どんと構えている。おろおろと涙ぐみだした好に、にっこりと笑いかけた。
「安心して、お義理母上様。私のお兄上様が、ちょっと相談したい事があるからってお迎えが来ただけだから」
涙を貯めて、まだ疑いの目をしている好に、うふ、と態とらしく大きく肩を揺らしてみせる。
「お義理母上様が此方にいらっしゃる前にも、よくあったの。今、灌漑用の整備をしようってお城で取り組んでいる最中だから、きっとその事で、お兄上様は急に我が君とお話したくなったのよ」
「薔姫様……」
「大丈夫よ、お義理母上様、そんなに心配そうになさらないで。ほら、娃ちゃんにもお義理母上様の心配がうつって、ぐずぐずいいだしちゃったわ」
薔姫の言う通り、娃が珍しく、ぐずぐずとむずがりだした。
娃の額に頬をよせながら、好は涙目のまま、慌てて揺すってあやす。無言の背中は、まだ薔姫の言葉を訝しんでおり、何か言って食い下がりたげだ。
が、今日、城ではなく外に出掛けた真の用向きは、牧草地と灌漑用水の施設のためであるのを思い出したらしい。好は、薔姫の言葉を無理矢理納得しようとしてか、ようよう頷いた。
芙が一座の者に用意させた手水盥で手足の汚れを落とすと、薔姫は自室に真っ直ぐに向かった。
戸を静かに閉めると、文机から紙を一枚選り出す。
懐に仕舞った晒をそっと取り出すと、丁寧に開いた。まだ、青々とした匂いを薄れさせない生命力に溢れた馬肥草が、姿を現す。
細い茎を優しく持ち上げて、紙に移した。四枚の葉が、重ならず綺麗に四方に広がるように軽く中心を抑えて形を整えて、上から紙をそっと被せる。そして、重しとなる文鎮を乗せた。
文鎮を手の平で撫でていると、以前、禍国の兄の宮に居た時にみた、いつもの良人ではない顔付きをした真を思い出して、ぽろりと涙が零れてきた。
好に、先に泣かれてしまったので、泣けなかったのだ、と薔姫は今更的に気が付く。ぽろぽろと溢れてくる涙を、まだ、握り笑窪ができる小さな手の甲でぐいぐいと拭いながら、薔姫は呟いた。
「我が君……早く帰ってきてね」
けれどその夜、真はなかなか帰ってこなかった。
★★★
うつらうつらしていた薔姫は、馬蹄の音に飛び起きた。
周囲を見回すと、もう夜中を過ぎて日が改まっていた。とっぷりと深い闇は、蝉の鳴き声を消して音を吸い込み、静かすぎる程静まり返っていた。
克の部下に送られて、真が帰ってきたのだ、と慌てて外に飛び出す。と、丁度馬の背から降りた処だった。
どんなに遅くなっても家に帰ってこなければ、薔姫と好に心配をかけると気遣ったのだろう。
「お帰りなさい、我が君」
「只今帰りましたよ、と言いたい処ですが……姫」
「なあに?」
「もしかして……寝てないのですか?」
「ううん、ちゃんと寝てたわよ?」
――嘘じゃないもん。
うとうとしてたのだって、寝てたうちに入るもの。
慌てて首を振る薔姫の額に、真は、何も言わずにぽんぽん、と手をのせた。
お腹が空いただろうと、用意していた粥を温めて大きな土鍋に盛り付けてくると、真は、自室の机にかじりつかんばかりの格好になって、何かを調べている最中だった。
ふわりと漂う温かみのある湯気に、真が目を細めて振り返る。
「おや、姫。粥ですか?」
「うん。我が君が大好きな、鳥の羹のお出汁をつかった卵粥。何か食べないと身体がもたないわよ?」
身体ごとぐるり、と薔姫に向き直りながら、真は首筋を何度も項あたりをかきあげる。何時もの癖に、薔姫は含み笑いをしながら椀に粥をよそう。小匙をつけて差し出すと、すみません、と首筋に片手をあてたまま、真は受け取った。
ふうふうと息で湯気をはらいながら、匙で少しずつすくって食べだす。実は、真は相当猫舌な方なのだが、『熱い食べ物は熱いうちに頂くのが、一番美味しいのです』という持論のもと、意地と根性で食べているのだ。
椀によそわれた分を食べ尽くし、小匙の動きが止まった。
「おかわりは?」
差し戻された椀を受け取りながら尋ねると、真は静かに頭を振った。
「その前に、少しお話があるのですが」
「なあに?」
「実はですね……」
自分が、克の早馬によって、城に戻った理由。
そして此れから先祭国で起こるであろう事。
そして自分はその為に暫く家をあけて城に居るつもりである事。
真は薔姫にも分かりやすいよう、順序だてて簡素な言葉で説明した。
戰に仕えだしてから、真は自身が携わっている事を、薔姫が幼いから、という理由で話さなかったことは一度もない。機密に関する事柄など、話してはならない事は口を噤むが、それ以外では、戰と自分が、今どの様な立場にあるのか、彼女が理解できる範囲で彼女が理解できる言葉で、話すように心がけていたのだった。
禍国の使節が今日・明日にも入城を果たすが、その使節が大変な疫病を齎すかも知れない、と教えられ、薔姫は身体をを強ばらせた。
「姫も薄々感じているように、私の母は、男の仕事は何か、政治は何か、それがどんな恐ろしいものかを、知りません。父は、母の前でそういった事を明かす人ではありませんでしたので、当然といえば当然なのですが、如何せん、度が過ぎるむきがあります。実情を知れば、きっと恐慌をきたす事でしょう」
真の言葉に、薔姫は首を縦に振る。
好の周章狼狽ぶりは酷く、結局、寝床に入るまで気持ちを動転させたままだった。
「それで……私は、お義理母上様をお支えすればいいの?」
「いいえ」
真の言葉に自分がしっかりしなくては、と決意を固めかけた薔姫は、あっさり否定されて面食らった。
「え、ええ? ち、違う、の?」
「はい、いつのも姫でいて下さい」
「え?」
「笑っていて下さい。どんな言葉よりも態度よりも、母も、娃も、安心できると思うのです。いつもと同じ。変わらないでいて欲しいのです。この家はいつも、姫の笑顔と娃の笑い声で、あふれていて欲しいのです」
お願いします、と微笑む真に抱きつきながら、うん! と薔姫は元気よく返事をした。
夜が明けると、直ぐに真は城にとって返した。殆どとんぼかえり状態である。
家を出る時、流石に好も起き出しており、心配そうに息子を見上げていた。
「大丈夫ですよ、母上、そんなにご心配なさらずに」
「ええ……分かっておりますよ、真」
「はい、母上」
「鷹様がご失態をなさらぬよう、気を付けて差し上げて」
優の長子である鷹は使節の長として祭国を訪れるだけだ。
大役ではあるが、仕来りに則って動くだけで、大問題など起こり得よう筈がない。
しかしだからこそ好は、心を痛めているのだ。
鷹が何か不始末を犯し、それが優の家門の失態とならないのか。
その為に、禍国の王城で、優は立場を悪くするのでないか。
真が、戰より不興を買い、信頼を失いはしないか。
幾ら、政治や仕事むきに疎いといえど、此度の鷹の役目がいかなるものであるか位、好でもわかる。
だからこそ、真だけでなく、優の身をも思い、心を痛めているのだ。
愛情を傾けている人に、何か黒い影の累が及ばぬか、と。
何も知らない、事情がわからない自分に出来ることは、彼らに代わって妻として母として祈り案じるだけ、と決意してるようだ。
この好の懼れ方は、事情を深く知らない芙たちにも、禍国においての好の生活がどの様なものであったのかを示すものとなった。決して偉ぶらず、常に感謝の気持ちと謙虚さを失わず、皆に隔てなく接する好こそが、優の室として相応しいのでは――と芙は思い始めていた。
「では、行ってきます」
「行ってらっしゃい、我が君、気を付けてね」
「はい。母上、直ぐに問題を片付けて帰って参りますので、どうかそんなにご心配ならずに」
「……真」
「姫」
「はい、我が君」
「母上と娃を、宜しくお願いします」
「うん!」
薔姫から弁当を受け取りつつ、笑顔で三和土から立ち上がり、真は家をでた。
笑顔で答えながら、薔姫は真にむかって、大きく手を振る。真似て手を振る娃も、笑顔だ。
それでも好は心配そうに、真の姿が見えなくなるまで見送っていた。
★★★
城にあがると、克の手筈で、最初に病気の兆しを見せた関のある邑へと、那谷が出立する処だった。着替え等の荷物が少ないのは、直ぐにも流感を見極めるという決意と自信の表れなのだろう。
臀部に手をあてがわれて持ち上げられながら馬の背に乗った那谷を、真は見上げる。
「那谷、宜しくお願いします」
「大丈夫です、お任せ下さい」
周囲を見回し、皆が、書簡や薬草などの荷物、そして虚海の言葉に気を取られている隙を狙い、真は、つ……・と那谷に静かに忍び寄った。声も、低く忍ばせる。
「此度の病、那谷は既にある程度、目星を付けておられますね?」
真の押し殺した声に、那谷は、表情を崩さずに微かに、視線のみで『是』と返答をした。
周囲に怪しまれぬように、額を寄せ合いながら、ぼそぼそとした小声の会話が続く。
――ともかく、見極めねばなりません。私とお師匠様の予測が正しければ、とって返す事になるでしょう。
――そんなに深刻な? ……虚海様は、なんと?
――悪戯に、目測だけで話を広めては、混乱し、憶測が恐怖を呼び寄せて、恐慌状態に陥るだけだと。今暫く、お待ち下さい。
――分かりました、其処まで言われるのであれば。
那谷の言い分も最もだ。
下手に噂が先走り、情報が交錯しあってこ騒動が膨れ上がれば、暴動になりかねない。其れに、民間療法を信じて要らぬ薬を勝手に服用されていては、いざという時に正しい薬を処方できぬ場合も出てくる。
――克殿の話では本日昼には、禍国の使節が王城に入るのとのことです。この病の正体がなんであれ、予防は大切ですから、椿姫様の御為にも、お師匠様との連絡はみつに取り合って下さい。
――分かりました。
「おう、真殿、ご苦労な事です。城の方では、いよいよ妃殿下が産屋に入られるとの事ですから、お急ぎを」
「分かりました、克殿、ありがとうございます」
真を見つけた克が、人懐こい笑顔を作って寄ってきた。
頬の高い位置に出来る笑い笑窪は、この切迫した事態でも相変わらずで、皆も釣られて笑顔になる。
那谷の背後に、克の配下の男が乗った。
ずんぐりとした厳つい身体つきだが、雰囲気は克に似て何処か優しげなのは、同じ釜の飯を食う仲間として影響しあったせいなのだろうか?
では、と那谷が背後の男に会釈して頷くと、はい、男も頷き返す。
鞭を入れると、馬は嘶きを一つ残し、街道を疾風のように走り出した。
「那谷! よろしくお願いします!」
「那谷殿! 頼むぞ!」
「真殿も、克殿も! 祭国をお頼みしますよ!」
真と克の見送りを背に、那谷の乗る馬は、街道を真っ直ぐに駆け抜けて行った。




