1 商人・時(とき) その1
1 商人・時その1
「真、真、居るかい?」
今日も元気に、皇子・戰は真の居る書庫の扉を叩いた。面倒くさくて、真は返事をせぬどころか、視線を落としていた竹簡から眼球すら動かさない。だが勝手知り尽くしたる戰は、何も言わずにからりと書庫の扉を開け、するりと身体をすべり込ませる。
最近は、王都の子供達の童歌にまでなっている、戰の『真詣で』だ。
『昼行燈の皇子様は、今日も今日とて詣でなさるよ~足繁く通うのは、頭でっかちの書庫の君~』
『昼行燈』と『頭でっかち』とは上手い事を言うなあと、真は腕を組んでうんうんと感心仕切りだったのだが、彼の幼妻である薔姫は、聞きつけると小さな握り拳を振るっては、子供の輪を追い散らしている。小さななで肩の肩を上下させ、鼻息も荒々しくふ~・ふ~・と言わせている様子は、まるで愛玩用の仔猫のようであり、微笑ましい事この上ない。
しかし全くもって迫力がない幼妻の怒り方の可愛さは、実は密かに近辺の悪童たちの心を鷲掴んでおり、近頃は彼女見たさに悪童たちは囃し立てているといっても良かった。
今も、『こらぁ! 我が君を悪く言うのは誰!?』という、薔姫の甲高い声が上がっている。いつもなら、そこで更にわあ! と囃したてる声が上がるのだが、今日は上がらない。ん? とようやく真は視線を上げた。子供たちの声が歓声となっている。
ははあ、『時』がきたな、と真は再び視線を竹簡に落とした。『時』の懐には、懐紙に包まれて干し果物の菓子が沢山隠れており、子供に会えば惜しげもなく振舞うので知られているのだ。しばらく子供たちの嬉しげな声が踊り、静かになる。
やがて、からりと書庫の引き戸を開けて、小柄すぎる身体を更に小さく二つ折りにするかのように縮こめて、初老の男が入ってきた。
「お早うございました、皇子様、真様」
うんお早う、と戰は屈託なく答える。通常の場合、幾ら母親の身分が低かろうが、商人風情が皇子に対して口をきくなど、ましてや先に言葉をかけるなど有り得ない。しかし、戰は全く気にした風もなく、張本人である時も気にしていなければ、真ははなから視線も上げない。
ほうほう、と梟のように笑いながら、時が手を揉み合わせつつ、真が手にする竹簡を覗き込んできた。
――商人・時
長らく、王宮のみならず門閥貴族たちの屋敷にも出入りしている、なかなかに羽振りの良い商人だ。ただし、王室御用達の豪商とまではいかない。それ程の規模の店を構えている訳でない為、他の商人の組合の仲間からは密かに小馬鹿にされている。が、それは表面上の事であり、若い頃にとった杵柄を大いに活用して、裏社会で彼に刃向かえる者は極少数だ。しかし、それを全く感じさせない程、商人・時は一見善良ぶった萎びた老人風であった。
実は、3年前。
祭国との戦なき戦の折に、戰と真を結び合わせるきっかけ、というよりも後押しをしたのが、誰あろうこの商人・時だった。
少年・真と商人・時の出会いは、あの戦よりさらに6年ほど前に溯ることになる。
★★★
当時、兵部尚書であった父・優の元に(正確にはその正妻である奥方の元に)通いだした時は、偶然、真少年の存在を知った。
王宮に出入りを望む者の嗜みとして、情報収集には余念はない。噂として耳にはしていたが、初めて目にする真少年は、まさに噂通りの朴人と言いきってよい、掴みどころのない飄々とした少年だった。どこを見てるわけでもないように見せておきながら、しかし視線を定めようとすると、いつの間にか姿を消していて自分を曝け出す事ないように仕向けていた。
面白いと思う獲物が目の前にぶら下がれば、追いかけるのが商人魂だ。そこに儲けのきっかけが転がっているかしれない。しかし敵もさるもの、少年・真は上手く・というよりは、のらりくらりと商人・時から逃れるのだ。側妾腹の子供は、どこまで行っても、家の『財産』でしかなく、人間扱いされることはない。それが為に、出入り商人に気に入られて家を出、一攫千金を狙うものもいるというのに、実に面白げのある少年だとますます目を付けていた。
その商人・時の目の色が変わる事件が、ある時、起こった。
南方の那国の要請を受けて、河国との戦話が持ち上がった。兵部尚書である父・優が戦の為に新たなる武器を調達しようと、商人・時を密かに自宅に呼びつけた。王宮内では、貴族たちを後ろ盾とした後宮の妃たちまでもが、最近は戦に口出しをし始めていた。糞真面目に兵部省にてそんな事をしよう物なら、自分お抱えの商人を使えと命じてくるお妃様が、雨後の『ぼうふら』のように、何人沸いて出てくる事やら知れない。
真の父・優は商人・時に命じて幾つかの武器の試作品を持ち込ませた。そしてこれは良い機会であると、優は息子たちを呼び出し、どの剣を使うべきか弓を使うべきかを選んでみよと命じた。無論、その場には、呼ばれることは当然なかった真であったが、たまたま書庫から厠へと出たところを、時に目ざとく見つけられて声をかけた。
「これはこれは、息子君。如何です、貴方も此方で、選定眼をご披露なされては」
面倒くさそうに無視して立ち去ろうとする真を、父・優が面白いと豪胆に笑い、呼びつけた。露骨に兄たちは嫌な顔をする。しかし父の命令は絶対だ。真もはあ、と頭をぐちゃぐちゃとかき回しながら傍に寄ってきた。
「では、この数本の中で、これこそはと思う一本を見定めよ。兄弟同士で、選ぶ剣がかぶっても構わぬ」
父の命じる声に応じ、兄たちはあれこれと物色してはこれはと思われる剣を選び出した。うんうんと頷いている父・優の様子から、息子たちの選んだ剣はどれもそれなりの品であったらしい。そもそもが、時が持ち込んだ剣は、そのひと振りで太陽の光を集めたのかと勘違いするほどに、美しい黄金色をした逸品ばかりであった。
時もまた、内心で安堵しつつもほくそ笑む。儲けは勿論の事、手にはしたい。だがしかし、戦に勝ってもらわねば、もともとこもなくなる。このままでゆけば、兵部尚書・優様はいずれかの剣を大量発注なさるであろう。これで、戦に勝たれれば、さらに覚えは良くなるはず……。
「真、お前も選ばぬか」
声高に命じる父・優に、真は下半身をもじもじさせながら頭を振った。
「ここには、手にして良い剣はありません」
いいおいて、少年は厠に走った。粗相寸前であったらしい。ぽかんとして少年を見送った父・優と兄たちは、その背中に失笑を投げつけた。鑑識眼がなくて当然だ、だから厠を理由に無様にも逃げ出した、側妾腹の息子はやはりこの程度だ、と嘲り笑う。
しかし、時は不服だった。鯰の触覚のような髭を弄りながら、改めて剣を手にして一本一本、見聞する。自分とて、この戦に賭けている。これに上手く勝てば、この国の兵部尚書から軍部へと繋がる道が開けるのだ。手を抜かず、最高級の品ばかりを揃えたはずだ。それを、冗談でも『手にして良い剣はない』とは何事か。胃の腑あたりが、火のついたように、むらむらしてくる。これは何事か一言、言ってやらねば気がすまぬわい。
と、用が済み、商人・時は少年を探し求めて書庫の方へと足を向けた。そこに少年が常日頃篭っているのだと、彼の兄たちに聞いていたからだ。書庫の前では、なんと少年が待ち構えていた。こんな事は初めての事であり、時は面食らった。すると、少年は後ろ手にしていた両手を時の前に差し出した。
「黄金色が、全て尊いとは限りませんよ」
それは、小さな二本の竹の棒だった。何のことやら訳も分からず時は差し出されたそれを受け取る。
「お日様は尊いですけどね」
少年は、大げさなため息をつくと、くるりと背を向けて書庫の中に篭ってしまった。時の皺のよった手のひらの上には、似て非なる竹細工が残された。
それを訝しみながら凝視し、散々に吟味した時は、あっ!? となった。
出直した時は、当時は兵部尚書のみの肩書きであった彼の父・優の元へと、ある相談事を持ちかけた。
★★★
結論から言えば、那国を助けての河国との戦いは大勝に終わった。
総大将として戦地に赴いた父・優の武勲は更に広まり、宰相の地位を賜る事となるきっかけとなり、地位をより確固たるものとする、地盤を固める一石の戦となったのだ。
禍国と河国、両国間の軍事力は拮抗していた。
では、なぜ苦勝ではなく大勝となり得たのか?
戦の決めてとなったのは、両国が使う剣にあった。
河国はその土地に広大な銅と錫の産地を抱えており、剣の中の錫の含有量は桁外れに多い。錫の含有量が上がれば剣は同然、白い輝きを発し、強くなる。その場合、銅の含有量の多い剣を幾ら振り回したところで、所詮は瓜で岩を砕こうとしているようなものだ。
少年・真が「手にして良い剣はない」と言い切ったのは、時が持ち込んだ剣が、全て銅の含有量の多い黄金色の剣ばかりであり、かつ河国の白金色の剣の質を知っていたからだった。
そしてもう一つ。
その錫の含有量などよりも大切な事柄があった。
禍国が、陽国産の剣を使用したからだった。
河国の剣は、幾所かで溶接されて作られている。それに対して、陽国で作り出される剣は鋒から握り柄に入る茎までもが、一本で鋳されていた。溶接されていれば、その箇所は当然弱くなる。対して、一本造の陽国の剣は、青銅の精度の面においては一歩引いて負けはするが、その頑強さにおいて、大きく河国のものを上回る出来だったのだ。
真はそれを、竹の節に鋸を入れ米粒で繋いだ棒と、何も手を入れていない竹の棒を時に渡す事で教えたのだった。くるくると弄んだ後に、竹同士を気まぐれに数度、打ち合わせてみた時は、幾分太めの方の竹の方が、ぼろりと身をもいだ事に驚いた。そして、まじまじとその棒を見比べて、ようやく、この棒は剣の事を言っているのだと合点したのだ。
店に戻った時は、店子を総動員して短期間でそこまでの情報を掴んで、唸り声をあげたものだった。気がつかなかった。いや、気がつけなかった。正に真の言葉通りに、黄金色の剣は尊いと思い込んでいた。剣の造りによる優劣が生じるなどと、塵ほども思い浮かばなかった。それ以上の存在があるなどと、考えもしなかった。
しかし、少年・真の聡明さに舌を巻いている場合ではなかった。
河国と同じとまではいかなくとも、せめて肉薄する程度の錫の含有量を誇る剣を打つ国はないのか。
……あった。
那国と海を隔たてた東の先にある――彼の国の者曰く「太陽の日のもとの国」という意味だと胸をはる、陽国だった。
出直した商人・時は、兵部尚書・優に謁見を願い出て事の仔細を息つく間もなく申し上げ奉った。双眸を固くとじ腕組をしつつ聞き入っていた優は、カッ! と眸を開けると共に、時に陽国との交易を許す旨を伝え、一本造の剣をあるだけ根こそぎ輸入するようにと命じた。
かくして、河国との戦の大勝の影の立役者、少年・真の名と存在を、父・優と商人・時は、それぞれの思惑と共に、深く心に刻み付けたのであった。