神の娘8
漆黒の鎧を身に着け、戦場にいたアスターはふと空を見上げた。
「どうかされましたか。アスター様」
アービスが気を遣う。
「お加減でも悪いのですか?」
心配そうにこちらを窺う。
「今、シルヴィアの声が……」
「え?」
『シルヴィアの声が聞こえた』
そう言いかけてやめた。ただの幻聴だ。
「いや、何でもない」
平静を装い、無表情に答えるアスター。それを見守るアービスの表情が曇る。
「アスター様。少しお休みになられた方がよろしいのでは?」
「いつローザリオンが動くか分からんのに、休んでなどいられるか」
ここはロンバルディア平原・リリィアード軍陣地。
昨日アスターは、シェファーズ残党兵の手により傷を負わされた。奇跡的に発見が早かったのと、わずかに急所が外れていたため、命に別状はなかった。しかし、決して軽い怪我でもなかった。本来ならば、絶対安静だ。
だが、状況がそれを許さなかった。傷の手当を終えた直後ローザリオン進軍の一報が王城にもたらされた。
ローザリオンの動きに注意をはらっていたのだが、奴らのほうが一枚上手だったと認めざるを得ない。
秘密裏に軍を集結させ、アスター負傷で弱っているところをついてきた。ただでさえ、鬼神アスターの負傷はリリィアードの兵士たちを動揺させ、さらにローザリオン進軍という追い打ちに軍の士気はかなり低下している。そのうえアスターが戦には出ないということになれば、ローザリオンに負けるだろう。アスターは戦陣に立つことを決意した。
もちろん、医師からも臣下からも諌められたが彼らも、鬼神なしで、この状況を打開するのは難しいことを理解していた。痛む体の中に痛み止めの薬草を流し込み、無理やり体を動かしている状態だった。
現在ロンバルディア平原でのにらみ合いが続いている。やつらの要求は『シェファーズからの撤退』だ。表向きは国を追われた王妃アルグリアと王女ディアナの要請で軍を動かしたことになっているが、結局我らと同じ穴のムジナ。彼らものどから手が出るほど欲しいのだ。豊かなシェファーズという領土が。
『ここで引くわけにはいかない。ここで負ければ、すべてが無駄になる。シェファーズ国王を殺したことも……』
アスターは自分の感情をもてあましていた。確かにシェファーズ進軍はリリィアードにとっても利益が大きい。だが、それを実行しようとしたきっかけは『癇に障る』からだ。それが真実。国王であるシルヴィアの父を殺したのもそれが原因。今までシェファーズ国民にもシルヴィアに対しても謝罪の気持ちなど欠片もなかった。しかし、今は……。
『あなたが好きなんです』
シルヴィアの一言がアスターを揺さぶる。あのあと彼女はマルリオーザ侯爵家の手に落ちた。マルリオーザに潜ませていたモシャスから知らせを受けた直後、生きていたという安堵と共に早く救い出さねばと気が急いたが、助けに行くことができない状況がアスターをイラつかせてもいた。
だからこそ、イオルを行かせた。イオルならばシルヴィアを救出できると。彼女のことを任せられるのは自分の半身であるあいつだけだった。
『ここで死ぬつもりはない。必ず生きて帰る。そして……』
バタバタバタ
兵士の動きが突然慌ただしくなる。しばらくすると一人の兵士がやってきてアスターの前で膝をついた。
「申し上げます。ローザリオン、進軍開始。こちらへ向かっております」
「そうか」
アスターは立ち上がると檄を飛ばした。
「リリィアード軍、出陣。ここで奴らを食い止める!」
オオオオオォォォォォーーーーーー!
開戦。
シルヴィアの願いもむなしく、ロンバルディアは戦場となった。
ローザリオン軍十万。対するリリィアード軍五万。
数の上では劣勢だった。ローザリオンの騎馬隊が戦陣をきり、こちらに鬨の声をあげ、向かってくる。