神の娘2
コツコツコツコツ
複数のローザリオン兵に連れられ、牢屋を出たシルヴィアは、まず浴室に連れて行かれた。
そこで体の汚れを落とした後、用意された衣服を身に着け、また別の場所へと連行される。
もちろん手枷もはめられたままだ。少し歩くと先導していた兵士がある部屋の前で止まった。
「失礼します。シルヴィア様をお連れしました」
扉の前で兵士が声をかけると中から女性の声が聞こえた。
「お入りなさい」
「はっ」
扉が開かれる。背筋を伸ばし、一歩、また一歩と足を動かす。そこには中央の一段高い位置に艶然と腰掛ける一人の貴婦人がいた。その手には彼女愛用の扇子が握られている。
以前は彼女を見るだけで体が震えたものだ。顔をつき合わせれば、罵声を浴びせられ、手を上げられることは分かっていたからだ。だが、今は違う。彼女と最後に会ったときから、なんと自分たちの立場は変わってしまったことだろう。あれから、一ヶ月も経っていないというのに。二人は無言で視線を交わしあう。沈黙を破り、先に口を開いたのはアルグリアだった。
「ごきげんよう。シルヴィア」
彼女のいつものあいさつだった。
「お久しぶりでございます。アルグリア様」
シルヴィアは手枷をはめられた状態ながらもドレスの裾を両手で持ち上げ、礼をする。その堂々とした様子にアルグリアは軽く目を見開いた。いつも自分の前ではオドオドしていた少女が今ではまっすぐ見てくる。シルヴィアの変化を見たアルグリアの瞳に憎悪の炎が燃え上がった。
『しばらく見ぬ間にますますあの女に似てきおった』
扇子を握る手に力がこめられる。
「シルヴィア。あの戦の最中よく生きておったのぅ」
国を捨て、シルヴィアを見殺しにしようとしたことなど、なかったかのような言動にシルヴィアの肩がピクリと動く。しかし、シルヴィアもそんなことがあったことは、おくびにも出さず穏やかな微笑をアルグリアに向けた。
「ええ。わたくしも、そう思います」
シルヴィアからは動揺など一切感じられない。想像したような反応が得られず内心アルグリアは苛立っ
た。
「しっしかし、そなたが生きていたことにも驚いたが、その後届いた知らせには驚いた」
シルヴィアは意味が分からず軽く首を傾げる。
「その身一つであの鬼神を籠絡するとは……。いやはや驚いた」
「!」
シルヴィアは何も答えることができなかった。アルグリアはさらに言葉を重ねる。
「わたくしでは考えつかぬ策だ。父の仇に体を売るとはのぅ。見返りはなんじゃ? シェファーズの王位か? それともリリィアードの次期皇妃の座か?」
アルグリアの侮辱に心が揺さぶられる。しかし、アスターの顔を思い浮かべ、必死に耐えた。アルグリアの挑発に乗ることは簡単だ。だが、冷静さを失えば、この窮地を乗り切ることなど不可能。シルヴィアは、荒立つ心を押し隠し、熱のこもらぬ言葉を吐き出した。
「それは誤解です」
「誤解?」
アルグリアも口角をあげ、こちらを見る。
「リリィアードはシェファーズの統治を確固たるものにするため、わたくしを利用しただけに過ぎません。」
「そなたの意思ではないと?」
「はい」
「では、王城での演説もか?」
「…ええ。そうです。脅されたのです」
嘘ではなかっただが、完全な真実でもなかった。脅されたのは確かだが、そんなことがなくても、恐らく自分は同じことを言っていただろう。もう誰かが傷つくところを見たくなかったから。アルグリアは椅子から立ち上がるとゆっくり近づいてきた。だが、シルヴィアの目の前に立ったとたん彼女の表情は一変する。手に持った扇子をシルヴィアのこめかみ目掛けて力いっぱい振り下ろした。
ガッ
シルヴィアの体が倒れる。
ポタ、ポタ
床に血が滴り落ちる。アルグリアは身をかがめるとシルヴィアの前髪を引っつかんだ。
自然と顔が上を向く。
「くっ」
痛みに顔が歪む。
「そんな見え透いた嘘がわたくしに通じると思っているのか!」
凄まじい形相でシルヴィアをにらみつけた。
「報告は受けておる。そなた、シェファーズの兵士に協力するどころか、鬼神をかばったそうだな! この売女!」
アルグリアは狂ったように手にした扇子でシルヴィアを叩き続けた。
「リリィアードに身も心も売り渡すとは、それでもシェファーズの王族か!」
シルヴィアの拳を握る手に力が入り始めた。
「父を目の前で殺されながら、その仇に取り入るなどと汚らわしい。やはり、お前はあの恥知らずな女の娘だ!」
我慢の限界だった。
ドンッ
「きゃーーー」
シルヴィアに両手で突き飛ばされ、アルグリアの体が倒れる。彼女が呆然と見上げると、そこには立ち上がったシルヴィアがいた。
「わたしのことは、なんと言われようともかまいません。ですが! お母様を侮辱することだけは許しません!」
初めて見るシルヴィアの姿に、アルグリアは驚く。そこには震え、怯える小動物のようなシルヴィアはもういなかった。屈辱に身を震わせるアルグリア。
「無礼者。アルグリア様に何をする!」
傍に控えていた兵士たちは、慌ててシルヴィアの体を床に押さえつけた。
『許さぬ』
怒りの炎をたぎらせ、アルグリアは決意した。
「陛下は、お前を生かして連れてこられるように命ぜられたが、その必要はないことが今、分かった」
シルヴィアは黙ってアルグリアをにらみ続ける。
「リリィアード側の人間など要らぬ。それどころか邪魔なだけじゃ。その前に処刑してくれるわ」
勝ち誇ったかのようにアルグリアは兵士に命じる。
「この者は国を裏切った売国奴。今すぐ表にて首切るがいい」
「はっ。かしこまりました」
「立て!」
シルヴィアは引っ立てられる寸前アルグリアに向かって叫んだ。
「あなたはシェファーズの真の王妃などではないわ」
その言葉だけ残して扉がパタリと閉められた。
「ふん。何とでも言うがいい。最後に勝つのはこの『わたくし』なのだから」
これが、かつての王妃と王女が完全に袂を分かった瞬間だった。