変革の波 嵐の一夜2
「あの女にそっくりなその顔、その声で、母などと呼ぶな」
女がシルヴィアを再び蹴りつけようとしたそのとき、横から声がした。
「お母様! そんな子など放っておいて早く逃げましょう!」
そこには大輪の薔薇のような姫が立っていた。
「ディアナお姉さま」
シルヴィアは上半身を起こし、つぶやいた。しかし、ディアナはシルヴィアに見向きもしない。
「お母様! 今、伝令が来て、リリィアード軍が王都に通じる最後の関門を突破したそうです。もうすぐ、王都になだれ込んできますわ。こんな恐ろしい所に一秒たりともいられません」
その豊かな黒髪を振り乱し、ディアナは母の懐に飛び込んだ。
「おお。可愛そうに、ディアナ。こんなに震えて、大丈夫ですよ。お母様がついていますからね」
先ほどのシルヴィアを蹴りつけていた女性と同一人物とは思えないほど、慈愛に満ちた表情で愛おしそうにディアナの髪をなでる。
「そうね。早く脱出しましょう。さぁ、お前たち荷物を運び出しなさい」
そして、そのまま侍女たちを連れ、シルヴィアの脇を通り過ぎようとした。
「おまちください。おかあ……。アルグリア様。どちらへ行かれるのですか?」
シルヴィアは脇腹にはしる痛みをこらえながら、そっと立ち上がる。
しかし、二人は歩みを止めようとしない。シルヴィアは小走りに追いかけ、前方に回りこみ、二人の進路に立ちふさがった。
シルヴィアの行動に気分を害されたアルグリアは無言でスッと目を細める。その眼光を受け、シルヴィアの体がビクッと震えた。しかし、震えながらもシルヴィアは勇気を振り絞り、再度口を開いた。
「アルグリア様。ディアナお姉さま。どちらへ行かれるのですか?」
アルグリアは冷たい眼差しでシルヴィアを見た。
「決まっておろう。逃げるのよ」
シルヴィアは、はじかれたように顔を上げる。
「お待ちください。いまだシェファーズの兵士は、民は、国を守るため、わたくしたちを守るため、リリィアードと戦っています」
「そんなこと、お前に教えてもらわなくとも分かっておる」
「それならば、どうして彼らを置いて逃げようとなさるのですか?」
すると、アルグリアは嘲りの笑みを浮かべた。
「なぜだと? では逆に問う。なぜ、逃げてはならぬのだ」
「アルグリア様は、このシェファーズの王妃様でいらっしゃいます。そして、ディアナお姉さまは第一王女。民を守り、国を守るのが王族の務めではないのですか?」
「そう。わたくしはシェファーズ王妃。ディアナは第一王女にして、未来のシェファーズ国王。この国の女王になる人間。だから、わたくしたちはここで死ぬわけにはいかぬ」
「ですが…」
「お前は一つ勘違いをしている」
「勘違い……」
「王族が民のために存在しているのではない。民が王族のために存在しているのだ。下々のものは無学で無能で野蛮な者たち。それをわたくしたち貴族が! 王族が! 統率し、下々の者に居場所や仕事や食料を分けて与えているのだ。神にも等しいわたくしたち王族を民が命がけで守るのは当たり前のこと! わたくしたちが死ねばシェファーズを再興させることはできぬ。だが、裏を返せば、わたくしたちが生き残りさえすれば、リリィアードの手からこの国を取り戻すことができる! そのためにわたくしたちは今この場を逃れねばならぬのだ」
「そんな……」
「まぁ、お前は王族とはいえ、あの穢れた女の娘。下々の者に近い故に理解できぬであろうが……」
「………」
「さぁ、そこをお退き!」
アルグリアは強引にシルヴィアを押しのけ、去っていこうとする。