恋の自覚
第四章恋の自覚
「ううん」
床に横たわっていたシルヴィアが目を覚ました。身を起こし、未だ焦点の合わぬ目で周りを見渡す。家の中には何もなかった。ここは粗末な小屋の中のようだ。シルヴィアは、そーっと立ち上がる。
「ここは……。どこっ!」
やっと頭が働くようになったシルヴィアは目の前の扉に飛びつき、開けようとした。だが、扉は硬く閉ざされ、外側から鍵をかけられている。
『どういうこと?』
シルヴィアは訳が分からなくなっていた。
『先ほどまで教会の庭園にいたはず。あの方に連れられて』
あのときのことをシルヴィアは思い返していた。胸がズキッと痛む。また涙が零れ落ちそうになる。
『だめ。泣いている場合じゃない』
シルヴィアはブンブンと首を振ると、無理やりアスターの顔を脳裏から追い出した。
『確か、一人でボーっと立たずんていたら……後ろから!』
シルヴィアは思い出した。アスターに置き去りにされ呆然としていたら、背後から何者かに口をふさがれ、意識をなくしたのだ。
『かどわかされた!』
恐怖で体が震える。すると、開くはずのない扉がひとりでに開いた。青ざめた顔をそちらへ向けると、数人の男たちが小屋の中へと入ってくる。かすかに笑ってはいるが彼らの瞳は怒りと憎しみの色に染まっていた。
自然と足が後退する。しかし、シルヴィアは震える体を叱咤し、彼らに問いかけた。
「あなた方は、一体?」
リーダー格らしき男が嘲りの笑みを浮かべながら、逆にシルヴィアに問うた。
「分かりませんかね?」
そして、ぽんぽんと拳で鎧を叩く。
シルヴィアは信じられないものを見たかのように驚いた。彼らが身に着けているのはシェファーズ王家の紋章が入った白い鎧。
「ま…さか。あなた方はシェファーズ近衛軍の兵士なのですか?」
「そうです」
「どうして、こんなことを」
「どうして?」
男は汚い者でも見るような眼差しをシルヴィアに向ける。
「それは、こちらが聞きたいことです。目の前で王を殺されたにも関わらず敵の皇子に抱かれ、挙句の果
てには憎むべき敵の妻となり、この地を譲るとはどういうことですか?」
彼らの瞳には軽蔑の情と共に怒りが宿っていた。何の抵抗もしないシルヴィアに対する怒りが。
「あなたは知らないでしょう。奴らに攻められ散っていた名もなき兵士たちのことを。国を守るため、鬼神に殺された近衛軍の兵士たちを」
男は静かに語る。それが、余計に彼の怒り・悲しみの強さを際立たせた。
「我々は絶望しました。あなたのあの演説を聞いたとき」
シルヴィアはハッとした。シルヴィアもあのとき、絶望した。しかし、目の前にいる彼らとは種類の違う絶望だった。シルヴィアの肌はますます白くそして青みを帯びていた。生まれて初めてだった。こんなにも自分を恥じたのは。
『わたし、自分のことしか考えてなかった』
なんて無自覚だったのだろう。自分はこの国の姫なのに。あのバルコニーでの演説のとき、多くの民を見て、彼らのために何ができるか考えようと決意した。なのに、『妻にする』とアスターが言った瞬間、自分が傷ついたことしか、頭になかった。だが、アスターの言葉を受け入れたのは民のために『ああするよりほかない』と思っていた。それが、最善だと、信じていた。今も、その判断が間違っていたとは思わない。しかし、もっと自分が強ければ。もっと賢ければ、最善は他にもあったかもしれない。後悔。後悔。後悔。シルヴィアの心はその二文字の言葉で埋め尽くされていた。
「わたくしをどうするのですか?」
痛む胸を押さえ搾り出すような声で問いかける。男は言う。
「あなたには餌になっていただく」
「餌?」
何のことか理解できなかった。
「さあ、あなたという名の餌に鬼が食いつくかどうか見ものですね」
背筋がぞっとした。冷や汗が出る。
「もしかして、あの方をおびき出すのですか?」
男がにやっと不気味な笑みを浮かべる。それは肯定したも同然。
シルヴィアは叫んだ。
「無駄です。わたくしは、あの方にとってさほど重要な存在ではありません!逆にあなた方の命が危うくなります」
助けに来るはずなどない。来たとしても、おそらく軍を率いてやってくるだろう。彼らにアスターたちを退けられるほどの兵力があるとは思えない。
「試してみる価値はあると思います。うわさでは、毎晩その腕に抱き、放さないほどのご寵愛ぶりとか。もう文はしたためて届けさせました。我らも鬼との約束の地へと参りましょう」
「文にはなんと?」
「あなたを帰してほしければ一人で来いと」
それを聞いたとたんシルヴィアの顔から笑みがこぼれた。安心したのだ。
「無駄です。あの方は来られません」
「そうでしょうか?」
男がシルヴィアに手を差し出す
「ええ。絶対に」
そして、シルヴィアはその差し出された手に自らの手を重ねる。悲しそうに微笑みながら。