波乱の幕開け2
「シルヴィア様。ここからはお一人でお願いいたします」
アービスが道を譲り、礼を取る。シルヴィアは軽く会釈すると、前に進んだ。バルコニーに出たシルヴィア。太陽の光がさんさんと照りつけている。眩しさに目を細める。
ワァァァァァーーーーーー
バルコニーから見下ろす光景にシルヴィアは眼を見開いた。そこには人人人。多くの人たちが集まっていた。それは、シェファーズの民だった。彼らは口々に姫様と叫ぶ。彼らを見たとき、シルヴィアの心は申し訳なさでいっぱいになった。
『王族は民のためにある』
アルグリアにそう言ったのに、今の今まで真の意味で彼らを労わり、彼らのために何をすべきなのか考えたこともなかった。シルヴィアはバルコニーの手すりぎりぎりまで歩むと民に向かい頭を下げた。その様子にシェファーズの国民たちは皆、口をつぐむ。頭を下げ続けるシルヴィアの肩に手が置かれる。誰の手かシルヴィアにはもう分かってしまう。シルヴィアはその手に促されるかのように上体を起こす。しかし、その顔はまだうつむいたままだ。そのシルヴィアにアスターが話しかける。
「仕事だ。シルヴィア。シェファーズ最後の王女としての責務を果たせ」
「責務……」
「そうだ。今から彼らに宣言しろ。シェファーズの統治権を正式にリリィアードに譲渡することを。そして、やつらにそのことを納得させろ」
「それは……」
突然のことにシルヴィアは驚いた。
「分かってるな。うまくやれ。民の命が惜しかったらな」
シルヴィアは勢いよくアスターの顔を見上げた。
「広場の周りをよく見てみろ」
アスターに促されるままシルヴィアはバルコニーから周りを見渡した。視界に飛び込んできたのは王城の各部屋から銃を構えて、民を狙っている狙撃手たちと広場にいる民を取り囲む兵士たち。彼らの命はアスターの手の内だった。シルヴィアの顔から汗が滴り落ち、唇が小刻みに震える。対照的にアスターは貴公子のように微笑んでいた。そんな笑みは初めて見た。だが、その笑みは嘘で塗り固められた偽りの姿だとシルヴィアには分かっていた。
彼はやると言ったらやる。シルヴィアは意を決し、民に話しかけた。
「皆さん。わたくしは、シェファーズ第二王女 シルヴィア・ソナ・シェルファーです。今日は皆さんに重大なお知らせがございます。先の戦でシェファーズ国王が死去いたしました」
その言葉に、歓喜に沸いていた民たちはすすり泣き始めた。
「わが国シェファーズはこれよりリリィアードの統治の下、生きていかねばなりません。しかし、安心してください。慈悲深いこちらの神聖リリィアード帝国第一皇子アスタリオス・ラ・ジェラルド様がある約束をしてくださいました。シェファーズの民をリリィアード本国の民と同等に遇すると。これから、国の法律、通貨などあらゆる面で変化するでしょう。ですが、その生活は皆にとって幸多いことでしょう。ですから、武器を捨て、彼らに対する憎しみを捨て、彼らと共に生きる道を選んでください」
シルヴィアの言葉に一人の男性が問いかけた。
「姫様はこれからどうなさるのですか?」
シルヴィアの答えに民たちは固唾をのんで見守る。だが、その問いにシルヴィアが答えることはなかった。なぜなら、彼女が口を開く前にアスターが肩を抱き寄せ民に向かって言い放ったからだ。
「シルヴィア王女はシェファーズ最後の王女として私の妻になる」
シルヴィアは再び驚く。そんな話は今まで一度も聞いていない。他のリリィアード人たちも同様だった。
「神聖リリィアード帝国第一皇子アスタリオス・ラ・ジェラルドはここにシルヴィア・ソナ・シェルファーとの婚約を発表する」
次の瞬間、広場に集まった民たちは歓喜に震えた。
王女が皇子に嫁げば、民たちの生活は保障される。もう怯えなくてもいい。それが、喜びとなって現れたのだ。
アスターは一瞬にしてシェファーズの民の心を掴んでしまった。そのことにシルヴィアだけが恐れていた。
そして、シルヴィアの淡い期待は裏切られる。必要とされているのは間違いなかった。だが、それはシェファーズ王女としての自分。シルヴィアという一人の人間ではないのだ。
胸が痛い。とても痛い。どうしてなのか分からない。でも、とてもとても痛かった。
『やはり私は、あの人にとって利用価値のあるただの道具なのね』
シルヴィアの心はズタズタに切り裂かれていた。どうして、アスターを憎みきれないのか。
どうして、彼に一人の人間として必要とされたいのか。どうして、期待を持ってしまったのか。その理由に気づきもせず。ただ傷ついた心だけを抱えていた。