目覚めの朝5
アスターが執務室に戻ると、そこには副司令官のアービスの姿があった。入ってきたアスターの常ならぬ雰囲気に心配そうに尋ねた。
「アスター様。何かあったのですか?」
アービスの言葉にハッとするが、瞬時に動揺を消し、冷静に対処する。
「いや。なんでもない。ところで、シェファーズ国民の様子はどうだ?」
「特に問題は起きてはいないようです。大半の民が素直に我々に従っておりますが……」
アービスが言いよどむ。
「なんだ? はっきり言え」
「特に気にすることはないと思うのですが、シェファーズ近衛軍の将校数名が姿をくらまし、行方がわかりません」
「そいつらの扇動で反乱が起こる可能性があると?」
「ないとは言い切れません」
アスターは、少し思案すると、アービスに指示を出す。
「確かにな。一応、警戒しておけ」
「分かりました。引き続き、行方を追います」
「それから、あれを実行する。今すぐふれを出せ。明日、王都に住む民は王宮前に集合しろと」
「はい。ただシルヴィア様が承諾なされるかどうか……」
「問題ない。それに関しては手を打っておく。ところで、ローザリオンはどうだ?」
アービスは困ったように眉を下げる。
「それが、これといった情報があがってこないんです」
その言葉にアスターは眉をひそめる。
「何もなければ、それにこしたことはないが……。不気味だな」
「ええ。アルグリア王妃とディアナ王女を擁するローザリオンがこのまま引き下がるとは思えません。必ず占領して間もない今を狙うはずなのですが……」
アスターも同感だった。ローザリオンが動かないはずがない。
「あいつに連絡はとれたか?」
「はい。マルリオーザ侯爵家を探るそうです」
「そうか。なら、あいつの報告を待つしかないな」
「そのようですね」
「明日の準備は任せたぞ」
「はい。わかりました」
アービスは敬礼すると、退室していった。アスターは、はあと一息つくと拳を振り上げ、ドンッと机を殴りつける。
脳裏には先ほど別れたシルヴィアの顔が浮かぶ。シルヴィアの名を大声で叫んだとき、アスターは自分自身に驚愕した。あのときの胸の痛みは、恐れから来る痛みだった。シルヴィアがどこかへ行ってしまう。そう思ったら、とっさに名を呼んでいたのだ。
イオルが贈ったなずなの花束を見た瞬間から、わけのわからない感情がアスターを振り回していた。許せなかった。なずなの花を贈ったイオルではなく、その花を見つめ続けるシルヴィアが……。
シルヴィアの心に自分以外の者が入り込むなど、到底許せるものではない。そう思った。
シルヴィアの心からイオルを消す。そのためにシルヴィアを抱き、シェファーズ国王の墓に連れて行ったのだ。こんなことは初めてだ。女のために何かするなど。鬼神ともあろうものが女の顔色をうかがうようなことをするなど。
そして、鬼神が何かに恐れを感じるなど。
このときアスターは必死に自分を取り戻そうとしていた。
「俺は鬼神だ。人じゃない。鬼なんだ。愛だの、恋だのという感情はない。恐れなどもない。それにあの女は俺のもの。あいつの顔色をうかがう必要などない。利用できる者はとことん利用する。利用価値があるからそばに置く。ただそれだけだ」
そう自分に言い聞かせ、ある計画を実行することに決めた。
『たとえ泣き叫んでも、抗おうとも、どんな手を使ってでも従わせる』
その決意を胸にアスターは動き出すのであった。