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百年後の君へ、最後の一パーセント

掲載日:2026/03/27

断線した黒電話と、残り1%のスマートフォン。


一〇〇年の時を超えて響くのは、電波ではなく、あなたを想う祈りでした。

物理法則が壊れていく世界の果てで、二人が交わした最後の約束とは。

【第一章:深夜二時のノイズ】

[令和八年二月十日 02:03 Battery: 15%]


莉子りこのスマートフォンが、暗闇の中で異様な震え方をした。


画面に表示された番号は「00-0000-0000」。


寝ぼけまなこで通話アイコンをスワイプした瞬間、

耳を刺したのは、現代のクリアな通信音ではなく、

重い砂嵐のようなノイズだった。


『……もしもし。もしもし。……どなたか、いらっしゃいませんか?』


受話器の向こうから聞こえてきたのは、ひどく上品だが、

喉の奥が震えているような青年の声だった。


「は? 郵便局? こんな時間に? 勧誘なら結構ですけど」


『カンユウ……? いえ、こちらは上野の郵便局前の

自働電話じどうでんわです。

失礼ですが、貴女はどこの令嬢ですか?』


青年は戸惑ったように言葉を継いだ。


『こんな夜更けに、交換手こうかんしゅも介さず繋がるとは。

……もしや、先頃ようやく一部で始まったという

   『自動式』の電話機をお使いで?』


莉子は鼻で笑った。


「交換手? 自動式? 何それ、レトロな役作り?

今どきダイヤルを回す人なんていないよ。みんなスマホ。

板切れ一枚で宇宙の裏側まで繋がる時代」


『ス……マホ。宇宙。……はは、貴女はひどく冗談がお好きなようだ。

ですが、その明るいお声に救われました』


青年の声が、少しだけ和らいだ。


『元号が変わってまだ二年。あの大震災で家族を失い、

この焼けた街角にぽつんと残された電話機だけが、

深夜二時を回ると鳴り響くのです。……ここには、もう

私しかいないような気がして』


昭和二年。一九二七年。

莉子は、相手がよほど凝った設定の「なりきりチャット」の主か、

あるいは寂しい狂人なのだと思った。


「あー、タイムスリップね。オッケー、ノってあげる。

私は一〇〇年後の未来人。今はね、夜でも太陽みたいに明るい街があって、

みんなが小さな光る板を持って、世界中の人と一瞬で話せる世界だよ」


それが、すべての始まりだった。


――――――――――――――――――――


【第二章:浸食される現在】

[令和八年二月二十日 02:15 Battery: 12%]


正一しょういちさん、明日は傘を持って出たほうがいいよ。

上野は午後から土砂降りになるから」


莉子はネットの気象アーカイブをなぞりながら、予言者のように告げた。


『土砂降り、ですか。今は星が見えていますが……分かりました。

莉子さんの言葉を信じましょう』


交流が始まって数週間。

莉子は正一に『ミライ』の御伽話おとぎばなしを語り、正一は莉子に、

震災から立ち上がろうとする人々の熱気を語った。


莉子が「白い流星のような列車」や「鉄の鳥」の話をするたび、

正一は少年のように声を弾ませた。


だが、莉子は正一の言葉に、ハッとさせられることも多かった。


『莉子さん。君の住む世界は、便利すぎて少し寂しいですね。

誰かを想って待つ時間が、消えてしまった』


「……寂しい?」


『不便だからこそ、想いが募ることもあるのですよ。

私は、この受話器を握る深夜二時を待つ間に、

君のことばかり考えている』


その言葉が、莉子の胸にチクリと刺さった。

現代の自分は、既読がつかない数分に苛立ち、

誰かを想う「余白」を失っていたのではないか。


だが、そんな感傷を吹き飛ばすような異変が起き始めた。


充電器を繋いでいるのに、バッテリーが『12%』から一向に増えなくなっている。


[昭和二年二月二十一日 午後一時三十分]


正一が郵便局の軒先で空を見上げると、莉子が言った通り、

空が割れたような豪雨が降り始めた。


彼は持参した番傘を広げ、周囲の驚く人々に微笑んだ。


「莉子さん。君の予言通り、雨が降りました。

おかげで、大切な製図の図面を濡らさずに済みました。

君は、本当にお天道様の使いのようだ」


正一が街の人々に「未来」の知恵を分け与えるたび、

歴史という巨大な歯車が、音を立てて狂い始めた。


[令和八年二月二十二日 08:00 Battery: 10%]


翌朝、莉子が目を覚ますと、部屋の空気が変わっていた。


壁に掛けていた液晶テレビが消え、

そこには重厚な木製の箱――ラジオが鎮座していた。


震える手でスマホの連絡先を開く。

百人いたはずの友人の名前が、たった五十人に減っている。


代わりに、見覚えのないセピア色の写真が壁にびっしりと貼り付いていた。

そこに写っているのは、莉子によく似た、着物姿の女性だった。


(……私が彼を救うたび、私の『現在』が、一〇〇年前へ吸い込まれている)


莉子は鏡を見た。

自分の髪の毛が、一瞬だけ、椿油の匂いがする日本髪に見えた。


――――――――――――――――――――


【第三章:断線した愛】

[令和八年三月九日 22:00 Battery: 5%]


莉子の部屋は、もはや令和の面影を失いつつあった。


カーテンは古びた布に変わり、床には畳が敷かれ始めている。

スマホの画面には、真っ赤な警告色が灯っていた。


ネットの歴史アーカイブが、血の色に染まっている。


一九四五年、三月十日。東京大空襲。


「正一さん。……あした、三月十日。深夜。絶対に寝ないで。

家から出て、上野の山へ走って。いい? 私の言うことを聞いて!」


[昭和二十年三月九日 午後十時五分]


正一は、受話器を握りしめた。


『莉子さん……。火が、空が赤い。あなたが言った通りだ。

これは、もう人間の仕業とは思えない』


「走って! 蔵前通りはもう火の海になる。

言問橋ことといばしには絶対に行かないで!」


莉子の叫びは、戦火の轟音に掻き消されそうだった。

正一は、自宅の壁から電話機を力任せに引きちぎり、

外へ飛び出した。


周囲の建物が次々と爆撃を受け、火柱が上がる。

電柱がなぎ倒され、電話線はぶっつりと切れて地面を這っている。


だが、受話器からは莉子の泣きそうな声が、脈打つ鼓動のように響き続けていた。


「正一さん! 諦めないで! 走って!」


『莉子さん……おかしいんだ。

この電話、線が切れているのに、君の声が止まらない』


正一の声が、熱を帯びて震える。


『受話器が、見たこともない青白い光を放っているんだ。熱い!

まるで、君の命そのものを握っているみたいだ!』


――――――――――――――――――――


【第四章:一パーセントの消失】

[令和八年三月十日 02:00 Battery: 1%]


莉子の部屋の壁が、砂のように崩れ落ちていく。


ワンルームの天井が消え、降り注ぐのは雪ではなく、

黒いすすと焼けた紙の破片だった。


スマホの画面には、見たこともない文字列が高速で走っていた。

『Data Transfer: 99.1%... Physical Overwrite starting.』


「正一さん、お願い。その電話機を離さないで」


莉子は、消えゆく意識の中で叫んだ。


「線が切れているのは、もう電話として繋がっているんじゃないから。

私とあなたが、直接繋がっているからなの!」


[昭和二十年三月十日 午前二時二分]


正一は炎の海の中、断線した電話機を胸に抱いて走り続けていた。


『莉子さん! 私の腕の中で、この機械が脈を打っている。

君の心臓の音が聞こえる!』


「正一さん、最後に……。私がそっちに行ったら、私を見つけて。

  現代の服を着た、変な女が倒れていたら、それが私だから……!」


『莉子さん? 何を言っているんだ! 待ってくれ、まだ君に――』


「大好きよ、正一さん。……一〇〇年前の、あなたに」


[令和八年三月十日 02:05 Battery: 0%]


スマホの画面が漆黒に沈んだ瞬間、莉子の世界は爆発的な光に包まれた。


彼女の存在が、二〇二六年の時間軸から完全に消失した。


――――――――――――――――――――


【第五章:再会、あるいは確定した過去】

[昭和二十年三月十日 午前二時十分]


炎に包まれた上野の街角。


断線した自働電話を抱きしめていた正一の目の前で、

  空間がガラスのように割れた。


光の粒子が渦を巻き、泥だらけの地面に、

  見たこともない素材の服を着た一人の少女が、零れ落ちた。


正一は受話器を放り出し、彼女に駆け寄る。

少女の手には、文鎮のように動かなくなった、漆黒の薄い板が握られていた。


『……莉子、さん?』


少女がゆっくりと目を開ける。


空一面を覆う黒煙と、それを赤く染める地獄のような炎。

そして、目の前には、受話器の形にてのひらを火傷した、

 泥まみれの青年。


「……見つけた」


莉子は微笑み、力尽きたように彼の腕の中で意識を失った。

その瞬間、二人の周りだけ、熱風が止んだような気がした。


――――――――――――――――――――


【エピローグ:一〇〇年後の定点】

[令和八年三月十日 08:00 快晴]


莉子が住んでいたはずのアパートは、この世界のどこにも存在しない。


そこには、戦火を奇跡的に逃れ、

  一〇〇年の時を刻んできたレンガ造りの老舗喫茶店が建っていた。


店名は、『喫茶・一パーセント』。


店主の老人は、毎朝、レジ横に置かれた一台の

 「動かないスマートフォン」を丁寧に磨く。


「おじいちゃん、またそれ磨いてるの?」


孫娘が尋ねる。


「ああ。これはおじいちゃんの代からの家宝だからね。

  空から降ってきた女神様が持っていた、未来の鏡なんだそうだ」


店主は、遠い目をして微笑んだ。


「曾おじいちゃんはね、最期までこの鏡を握りしめて笑っていたよ。

  『彼女のくれた一パーセントのおかげで、

       僕たちの人生は始まったんだ』ってね」


店主がスマホを磨き終え、棚に戻した、その時。


一〇〇年間、一度も電気が通ったことのないはずのその機械が、ピカッと一瞬だけ、青白く光った。


画面には、一枚の古い写真が表示されている。


一〇〇年前の焼け跡で、泥だらけの服を着た青年と、

現代のパーカーを着た少女が、寄り添って笑っている自撮り《セルフィー》。


その写真の下には、一〇〇年前には存在しなかったはずの、

保存完了の通知が静かに浮かんでいた。




『送信完了:一〇〇年後の君へ』


(完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


100年前の「断線した黒電話」と、現代の「残り1%のスマホ」。

物理的な繋がりが消えたとき、そこに残るのは何だろうと考えながら筆を走らせました。


便利になりすぎた現代で、私たちが失ってしまった「誰かを想って待つ時間」の尊さを、

正一と莉子の二人を通して感じていただけたなら幸いです。


もし、皆様のスマートフォンに「00-0000-0000」という不思議な番号から着信があったら……

どうか、切らずに出てみてください。


感想や評価などいただけるとありがたいですが、たぶん埋もれるでしょうね

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