99.8%亡き妻と一致する異世界少女を保護したが、彼女は人間ではないらしい
「私はあなたの妻ではありません」
雪の中で倒れていた女は、目を開けるなりそう言った。
「ですが、99.8%一致しています」
ーーーーー
その女は、雪の中に倒れていた。
辺境伯レオンハルトは、馬を止める。
白い息が、静かに揺れた。
冬の森は、死に近い。
だからこそ――生きているものは目立つ。
「……誰だ」
女は薄く目を開けた。
そして、彼を見て。
「……確認。対象一致」
意味の分からない言葉を呟いた。
「私は――あなたの妻ではありません」
レオンハルトの心臓が、わずかに跳ねる。
「ですが」
女はゆっくりと起き上がり。
真っ直ぐに彼を見た。
「外見および声紋、記録データとの一致率は99.8%です」
雪が、静かに降り続けていた。
「……何を、言っている」
「理解不能な場合、再説明を行います」
女は首をかしげる。
「私はあなたの妻ではありません。しかし、極めて高い確率で同一個体と誤認されます」
――亡き妻。
その言葉が、頭の奥で反響した。
「……名前は」
「不明です」
即答だった。
「自己識別情報に欠損があります」
レオンハルトは、しばらく黙ってから。
「……立てるか」
「はい」
女はすぐに立ち上がった。
まるで痛みを感じていないように。
その不自然さに、違和感が残る。
だが――
(……似ている)
あまりにも。
忘れたくても忘れられない、あの顔に。
「……来い」
そう言ってしまったのは。
半分は義務で。
半分は――
未練だった。
⸻
屋敷に連れ帰ってからも、違和感は消えなかった。
「この料理は、塩分が0.8%不足しています」
「……そうか」
「味覚的満足度は62点です」
「誰に採点している」
「あなたです」
真顔だった。
彼女は、奇妙だった。
笑うことはある。
だがどこかぎこちない。
怒ることはある。
だが理由が論理的すぎる。
そして何より――
「……なぜ俺のそばにいる」
「最適だからです」
「何がだ」
「あなたの近くにいることが、現時点で最も合理的です」
ある日、彼女は庭にいた。
雪が溶けはじめた頃だった。
「何をしている」
「観察です」
しゃがみ込んだまま、彼女は土を見つめている。
「この植物は、なぜここで生きているのでしょうか」
「……雑草だな」
「不要という意味ですか」
「いや、勝手に生えているだけだ」
彼女は、少しだけ考えて。
「では、目的はないのですか」
「……ないだろうな」
「ですが、生きています」
顔を上げて、彼を見る。
「理由がなくても、生きていいのでしょうか」
レオンハルトは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……ああ」
それでも、答える。
「生きているなら、それでいい」
彼女は、わずかに目を細めた。
「理解しました」
その言い方が。
どこか、嬉しそうに聞こえた。
感情が、ないわけではない。
だが――
どこか、噛み合わない。
(……妻ではない)
分かっている。
顔が似ているだけだ。
声が似ているだけだ。
それなのに。
「……レオンハルト様」
名前を呼ばれるたび。
胸の奥が、軋んだ。
⸻
「私は、何なのでしょうか」
ある日、彼女がそう言った。
「記憶がありません。ですが、感情はあります」
「……そうか」
「ですが、その感情が正しいのか判断できません」
彼女は、困ったように眉を寄せる。
「あなたといると、安定します」
その言葉に。
レオンハルトは、目を逸らした。
「……それは、依存だ」
「依存と感情の違いを説明してください」
「……俺に聞くな」
彼は、逃げるように席を立った。
(違う)
分かっている。
(これは、違う)
妻ではない。
代わりにしてはいけない。
それなのに――
「本日は、少し顔色が悪いです」
彼女は気づく。
「睡眠時間が不足しています。休息を推奨します」
誰よりも正確に。
(……なぜだ)
なぜ、こんなにも。
心が、揺れる。
食事の席。
「今日は味の評価をしないのか」
レオンハルトがそう言うと。
彼女は少し考えてから答えた。
「評価は可能です」
「なら言え」
「……ですが」
一瞬、間があく。
「本日は、評価よりも優先される感情があります」
「何だ」
彼女は、スプーンを置いて。
まっすぐに彼を見る。
「美味しい、です」
数秒、沈黙が落ちた。
「……それは評価ではないのか」
「違います」
彼女は首を振る。
「これは、数値化できません」
レオンハルトは、思わず視線を逸らした。
(……変わってきている)
確実に。
夜。
暖炉の火が、静かに揺れている。
「……一つ、質問があります」
彼女が言った。
「何だ」
「私は、あなたの妻の代替ですか」
その問いに。
レオンハルトは、即答できなかった。
「……違う」
絞り出すように、言う。
「本当に、そうですか」
彼女の声は、わずかに揺れていた。
「あなたは、私を見るとき」
一瞬、言葉を探して。
「別の誰かを、見ていませんか」
沈黙。
長い、沈黙。
そして。
「……最初は、そうだった」
正直に言う。
「だが、今は違う」
彼女の目が、わずかに開かれる。
「お前は、お前だ」
それだけを、はっきりと。
伝えた。
だからこそ、失いたくないと――初めて思った。
そのとき、初めて。
彼女は、はっきりと笑った。
「……理解しました」
その笑顔は。
これまでで、一番“人間らしかった”。
彼女が倒れたのは、突然だった。
音もなく、崩れ落ちた。
「――っ!」
駆け寄る。
「おい、しっかりしろ!」
反応がない。
呼吸は――ある。
だが、何かがおかしい。
胸元に触れたとき。
違和感に気づいた。
「……これは」
硬い。
人間の感触ではない。
衣服を開く。
そこにあったのは――
金属だった。
⸻
「……信じがたい話ですが」
呼び寄せた技術者は、困惑していた。
「これは、生体ではありません」
「……何だと」
「極めて精巧な人工物です。おそらく古代文明か、それに類する技術」
彼女は、ベッドに横たわっている。
静かに。
まるで、ただ眠っているように。
「記録装置の一部が残っています」
「読めるのか」
「……断片的ですが」
技術者は、震える声で言った。
「“未来”という単語が確認されました」
⸻
目を覚ました彼女は。
「……理解しました」
そう言った。
「私は、人間ではありません」
あまりにも、あっさりと。
「未来から来た人工個体。記憶障害により自己認識を喪失していました」
「……そうか」
レオンハルトは、短く答える。
「あなたの妻のデータが、一部参照されています」
胸が、わずかに痛む。
「だから、似ていたのか」
「はい」
彼女は頷く。
「ですが、私はあなたの妻ではありません」
分かっている。
「私は、私です」
その言葉に。
レオンハルトは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ああ」
そして。
初めて。
彼女を“彼女”として見た。
⸻
「修復方法があります」
技術者が言った。
「ただし、選択が必要です」
静かな部屋。
誰も言葉を発さない。
「完全修復を行えば、機能は安定します」
「代償は」
「記憶の初期化です」
沈黙。
「……もう一つは」
「現状維持です」
「どうなる」
「数ヶ月で停止します」
つまり。
死ぬ。
「なぜ、そんな顔をしているのですか」
修復の説明を受けたあと。
彼女が、静かに尋ねた。
「……どんな顔だ」
「損失を恐れている表情です」
言い当てられて、言葉が詰まる。
「私は停止しても問題ありません」
「問題ある」
即答だった。
「ですが、あなたは再び同じ経験をします」
亡き妻。
そして、彼女。
「非効率です」
「……効率の話じゃない」
彼女は、少しだけ首をかしげる。
「では、何ですか」
レオンハルトは、答えに迷って。
それでも、口を開いた。
「……それでも、失いたくないものがある」
彼女は、じっと彼を見る。
まるで、その言葉を解析するように。
「理解に時間を要します」
「ゆっくりでいい」
そう言ったとき。
彼女は、小さく頷いた。
「私は、後者を選びます」
彼女は、迷わなかった。
「記憶を保持したい」
「……なぜだ」
「理由は不明です」
だが。
「あなたと過ごした時間を、失いたくないと判断しました」
その言葉に。
レオンハルトは、目を閉じた。
⸻
夜。
一人で、考える。
(また、失うのか)
あの日と同じように。
手の中から、消えていくのを。
見送ることしかできないのか。
違う。
(違う)
今回は、違う。
選べる。
守れる。
――たとえ。
忘れられるとしても。
⸻
「……決めた」
翌朝。
レオンハルトは言った。
「初期化を行う」
彼女は、静かに彼を見る。
「それは、私の意思に反します」
「分かっている」
「私は、あなたとの記憶を保持したい」
「それでもだ」
彼は、目を逸らさない。
「生きろ」
「……お前が、誰であってもいい」
ただ一言。
「……命令ですか」
「違う」
少しだけ、間を置いて。
「願いだ」
⸻
彼女は、しばらく沈黙して。
「……了解しました」
そう答えた。
⸻
光が、消える。
静寂。
そして。
再起動。
⸻
「……起動確認」
彼女は、目を開ける。
レオンハルトを見て。
わずかに首をかしげた。
「初対面と認識します」
当然だ。
「あなたは、誰ですか」
当然の、質問だ。
レオンハルトは。
一瞬だけ、目を閉じて。
そして。
笑った。
「……ただの保護者だ」
⸻
それからの日々は。
穏やかだった。
彼女は何も覚えていない。
だが――
「なぜか、あなたのそばは落ち着きます」
同じことを言う。
同じように笑う。
同じように、彼を気遣う。
違うはずなのに。
同じだった。
ある日。
彼女は、ふと手を止めた。
「どうした」
「不明なノイズを検知しました」
彼女は、自分の胸に手を当てる。
「ノイズ?」
「はい。記録に存在しない感情です」
ゆっくりと。
彼を見る。
「あなたといると、発生頻度が上昇します」
そして。
少しだけ、迷うように。
「……これは、何ですか」
レオンハルトは。
ほんの一瞬だけ、考えて。
「……たぶん、それで合ってる」
答えになっていない答えを返した。
彼女は、納得していない顔をしながらも。
「了解しました」
そう言って。
また、彼の隣に座った。
再起動後。
彼女は、以前と同じように振る舞う。
だが、違う。
確実に、違う。
それでも。
「本日も、あなたの隣にいてもよろしいですか」
そう聞いてくる。
理由もなく。
ただ、そうしたいというように。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうに返すと。
「了解しました」
彼女は、少しだけ嬉しそうに座る。
その仕草が。
あまりにも、同じで。
(……本当に、消えたのか)
疑いたくなるほどに。
ある日。
彼女は、ぽつりと呟いた。
「不思議です」
「何がだ」
「理由は不明ですが」
彼を見る。
真っ直ぐに。
「あなたのことを、好ましいと感じます」
レオンハルトは。
少しだけ、笑った。
「……そうか」
⸻
それで、いい。
もう一度でも。
何度でも。
最初からでいい。
彼女が、彼を選ぶなら。
それだけで。
十分だった。
⸻
――ログ記録。
深層領域。
削除失敗ファイル。
『対象:レオンハルト』
『感情データ:削除済み』
『例外エラー:検出』
『再定義を試行』
『名称:――好き』
⸻
(終)




