第3話 灰色のグラデーション
駅前のビル街を抜ける。
ついさっきまで、ここで、
私はみかん色の何かになって、
ドロドロの怪物と戦ってたなんて。
…嘘みたい、っすね。
体がダルい。
変身してた時の、
あの漲る力が、
全部抜けてしまったみたいだ。
ポケットに入れたままだった、
くしゃくしゃになった
みかんの皮を握りしめる。
もう、光らない。
ただの、ゴミだ。
家に帰る道すがら、
すれ違う人々の顔を見る。
みんな、やっぱり灰色だ。
表情がなくて、
目の奥に光がない。
まるで、
モノクロの映画を見ているみたい。
登場人物全員が、
棒読みのセリフを喋ってる、
そんな感じ。
私の家は、
商店街から少し入った、
昔ながらの住宅街にある。
古い家で、
夏は暑いし冬は寒いし、
隙間風ビュービューだけど、
まあ、
「どうでもいい」家、っすね。
玄関の引き戸を開ける。
「ただいまー」。
誰もいないだろうけど、
一応言っておく。
返事はない。
母さんはパートで遅いし、
父さんは…
まあ、色々あって、いないし。
リビングに入ると、
冷蔵庫の上に、
オレンジ色の物体が置いてあった。
!
みかん。
母さんが買ってきたんだろう。
山盛りのみかん。
あの鮮やかな色が、
灰色の部屋の中で、
そこだけスポットライトが当たってるみたいに
輝いて見えた。
一つ手に取って、
指で皮をギュッと押してみる。
プシュッ、と
油胞が弾ける感覚。
鼻腔をくすぐる、
あの甘酸っぱい香り。
バトルで、
ダスクを消滅させた時にも
この香りがした気がする。
気のせい、っすかね。
部屋に戻って、
ベッドにごろんと寝転がる。
今日の出来事は、
なんだったんだろう。
変身?
怪物?
バトル?
まるで、
子供向けのアニメか何かを、
うっかり覗き見ちゃった気分だ。
スマホを見ると、
ネットニュースは
「原因不明の体調不良」「集団無気力症」
「街の景観異常」とか、
もっともらしい言葉を並べているけど、
誰も「ダスク」なんて言ってない。
当たり前か。
でも、コメント欄には
「なんか、街の空気おかしくない?」
「みんな覇気がない」
「色が薄くなった気がする」
なんて書き込みが増えてる。
みんな、
うっすらと気づき始めている。
この、
灰色のグラデーションに。
翌日。
学校に行くと、
灰色のグラデーションは、
さらに濃くなっていた。
クラスメイトたちの目も、
前より光を失っている。
授業中のざわめきも、
以前より少ない。
まるで、
教室全体が、
酸素が薄くなったみたいに
息苦しい。
「みかん、おっはよー…って、あれ?」
声をかけてきたのは、
私の唯一と言っていい友人、
田中ゆず。
ゆずは、私とは正反対で、
いつも元気で明るい。
ショートヘアで、
目がキラキラしてる。
今日は、
珍しく少し元気がなさそうだったけど。
「なんか、今日、みかん、
ちょっと顔色いい?」
ゆずが、不思議そうな顔で
私の顔を覗き込む。
え、そうっすか?
自分では分からないけど。
ダスクと戦った後だから?
みかん色の力をちょっと使ったから?
…なんか、ハズいっすね。
「ていうかさ、みかん。
なんか最近、変じゃない? 街も、人も」
ゆずが、真剣な顔で私に尋ねる。
その瞳には、
灰色に染まっていない、
確かな光があった。
「…かも、っすね。」
曖昧に答える。
ゆずはダスクのことは知らない。
でも、彼女は街の変化に気づいている。
私みたいに、
「どうでもいい」って
片付けられない、
そういう子だ。
彼女の存在は、
私にとって、
街にわずかに残った、
褪せない「色」の一つだった。
そして、
その「色」が、
今、危機に瀕している。
もし、ゆずまで灰色になったら?
ゾッとした。
「どうでもよくない」って
初めて思った理由が、
一つ増えた気がした。
放課後、
図書館に寄った。
ダスクのこと、
街の異変のことを、
少しでも知りたかった。
適当に本棚を見ていたら、
古びた民俗学の本に
目が留まった。
その中の、
「古来より伝わる、太陽の恵みと闇の精霊」
みたいなタイトルの章。
そこに、
こんな記述があった。
「人の魂を喰らい、
絶望を広げる闇の存在。
それに抗えるのは、
太陽の光を宿した、
大地の実り、
特に『橙色の果実』の
聖なる力のみ…」
橙色の果実。
みかん、っすか?
そして、
その記述の隣に、
小さな挿絵があった。
まるで、
今日の私みたいな、
オレンジ色の光を纏った
人影が、
闇と戦っている絵。
偶然?
それとも…
これは、
ずっと昔から、
繰り返されてきた戦い、
なんですかね?
本を閉じ、
重くなった足取りで
図書館を出る。
外は、
もう夕暮れ時だったけれど、
太陽の色は、
なんだか、
遠くて、
薄かった。
空のグラデーションも、
灰色に近づいている。
…そろそろ、また、
ドロドロが出てくる頃、っすか。
予感がした。
嫌な、予感。
でも、同時に、
心の奥底で、
少しだけ、
ほんの少しだけ、
「どうでもよくない」と
思えることが、
嬉しかったりもした。
複雑、っすね。