第2話 橙色の衝撃
「…は?」
体から漏れた声は、
自分のものではないみたいに響いた。
軽い。
やたら軽い。
さっきまでリュックの重さすら
鬱陶しかったのに。
みかん色のスーツは、
体に吸い付くようにフィットして、
でも不思議と動きやすい。
いや、動きやすいどころじゃない。
体が、勝手に動きたがってる。
まるで、
剥きたてのみかんの房が、
プリッ、と弾けるみたいに。
目の前のダスクは、
相変わらずドロリとしていて、
無数の目がキョロキョロと
私を見ている。
気配は、重くて、冷たい。
まるで、
暖房の消えた部屋で、
一日中何もせずにいた時の、
あの底冷えする虚無感みたいだ。
「…やらないと、っすか」。
体が、勝手に、
ダスクに向かって走り出した。
地面を蹴る感触が、
やけに鮮明だ。
ダスクが、ドロリとした腕を振り上げてきた。
逃げないと。
頭で考えるより早く、
体が横っ飛びする。
速い。
なにこれ。
いつも体育はサボってたのに。
避けた地面が、
ダスクの腕が触れた瞬間、
灰色の染みが広がっていく。
あ、これ、ヤバいやつだ。
私は、咄嗟に
右手に力を込めた。
すると、
腕のプロテクターの一部が、
パキパキと音を立てて
鋭い刃のような形に変わった。
…みかんの皮?
いや、硬い。
カチカチだ。
しかも、刃先から
微かに甘酸っぱい香りがする。
斬れるのか、これ。
「…えいっ、すか?」
ダスクの胴体目掛けて、
思い切りその刃を振り下ろした。
ブシュ!
手応えがあった。
灰色のドロドロが、
切断面からジュワリと
変な音を立てて蒸発する。
効く!
いける。
いけるかもしれない。
私の体から溢れるみかん色の力は、
ダスクの灰色とは真逆の性質を持ってる。
よし、と、
次に、腰のあたりにある
みかんの房みたいな飾りに
手を触れてみた。
すると、
それがフワリと宙に浮き、
五つに分裂する。
まるで、
房がバラバラになったみたいに。
「うわ…。」
なんか、キモいっすね。
でも、これをどう使う?
ダスクが再び腕を伸ばしてきた。
その腕に、分裂した房を
「えいっ」と投げつけてみる。
ポフン!
房はダスクに張り付き、
次の瞬間、
プチプチッと音を立てて
細い繊維のようなものが
ダスクの体を絡め取った。
まるで、
みかんの白いスジみたいに。
ダスクの動きが止まる!
いける! 今だ!
そう思った、その時。
ドロリとしたダスクの体から、
無数の、
灰色の、
薄っぺらい言葉が、
空気のように漂ってきた。
「どうせ、無駄」
「お前なんて、何もできない」
「誰もお前に期待してない」
「頑張ったって、報われない」
「疲れるだけだろ? もうやめろ」
それは、
心の隙間に
スルスルと入り込んでくる、
優しい毒みたいだった。
体が、重い。
さっきまでの軽やかさが、
あっという間に消えていく。
みかん色の輝きが、
薄れていくのが分かった。
あ、これ、
やばいパターンっすね。
あの、コンビニのみかんを
食べた時とは違う、
力が抜けていく感覚。
まるで、
皮を全部剥かれて、
白いスジも取られて、
房一つ一つがバラバラになって、
ジュースを全部絞り取られた後の、
カラッカラの、
カスになったみたいな気分。
ダスクの目が、
私を見て、増殖していく。
「絶望しろ」
「諦めろ」
「どうでもいい、だろ?」
頭の中に、
いつも自分が言ってた
あの言葉が響く。
「どうでもいいっす」。
そうだ。
全部、どうでもいいんだ。
こんなこと、
私がやったって意味ない。
力が、完全に抜けそうになる。
変身が、解けそうになる。
その時、
脳裏に、
あの、
鮮やかな、
オレンジ色が、
フラッシュバックした。
夏の強い日差しの中で見た、
たわわに実る、
あの色。
キンと冷やして、
一口齧った時の、
あの全身に染み渡る、
突き抜けるような甘さ。
あの、
「生きている」って感じ。
そして、
灰色の街で、
唯一、
私に「色」と「力」をくれた、
あのコンビニのみかん。
あれは、
「どうでもいい」ものなんかじゃ、
なかった。
ドクン!
また、心臓が強く脈打つ。
「どうでもよく、ないっす…!」
絞り出した声と共に、
薄れかけていたみかん色が、
再び強く輝き始める。
体の奥底から、
熱い何かが湧き上がる。
それは、怒り?
悔しさ?
…いや、
もっと、プリッとした、
生きる、って感覚だ。
みかんの房みたいに。
「アンタに…!」
皮みたいな刃を構え直し、
私は叫んだ。
「私のどうでもいいを、
勝手に決めないでくださいっす!」
内側から漲る力は、
さっきまでとは段違いだった。
ダスクの囁きは、
もう、響かない。
耳障りな、
酸っぱいノイズにしか聞こえない。
全身を駆け巡るみかん色の力。
それは単なる物理的な力じゃない。
これは、
「どうでもよくない」という、
私自身の、
ささやかな、
反抗のエネルギーだ。
オレンジ色の光が、
ダスクを包み込む。
今度は、蒸発じゃない。
浄化?
ダスクは、
悲鳴のような、
絶望の呟きのようなものを残して、
キラキラした灰色の粒になって
消えていった。
バトル、
終わった、っすか?
疲れた。
全身が、ダル重い。
みかん色のスーツが、
みるみるうちに
普通の制服に戻っていく。
パサついた髪。
猫背。
いつもの、私。
地面には、
灰色の粒が少し残っているだけ。
そして、
さっきダスクに灰色の染みをつけられた場所が、
微かに、
本当に微かにだけど、
元の色を取り戻している気がした。
気のせい、っすかね。
ポケットのみかんの皮は、
もう熱くない。
ただの、ゴミ。
でも、
私の心臓は、
まだ、ドクドクと
やたらうるさかった。
そして、
心臓の音に合わせて、
あの、鮮やかな
みかん色の残像が、
まぶたの裏に焼き付いている。
…どうでもよくないことが、
増えちゃった、っすね。