第1話 灰色とみかん
「どうでもいいっす。」
それが私の、日向みかんの
いつもの言葉であり、
本音だった。
朝、くぐり抜ける校門は
今日もなんだか、くすんで見える。
別に校舎の色が剥げたとかじゃなくて。
ただ、世界全体が
セピア色にでもなったみたいな、
そんな感じ。
ブレザーの下のシャツは、
第一ボタンも当然外してる。
ネクタイ? 知らね。
髪は、手櫛で適当にまとめただけの
パサついたショートボブ。
茶色とも言えない、
形容しがたい地味な色。
私の外見は、まさに
「どうでもいい」を体現していた。
いつも伏せがちな目元。
クマ? 知らん。
顔色だって、青白いのか、
それとも元々そうなのか。
そんなの、
「どうでもいいっすから。」
教科書はリュックの底で眠ってる。
代わりに膨らんでいるのは、
充電器とか、
使い古したイヤホンとか、
あと、
…たまに、コンビニで買った
カットフルーツのみかんパックとか。
みかん。
日向みかん。
皮を剥く、あの指先の感触。
プチプチっと弾ける房の、
あの強烈な甘さと酸っぱさ。
口いっぱいに広がる、
あの鮮やかな「色」。
世界から色が失われていく中で、
あれだけは、
妙にクリアに感じられた。
これは後で、
ものすごく重要なことだったりする。
きっと。
放課後。
駅前の商店街は、
いつもより静かで、
人々の足音も、ざわめきも、
どこか遠い。
顔を見上げると、
みんな表情が乏しい。
笑顔がない。
怒りもない。
まるで、魂を抜き取られたみたいに。
「活力」とかいうやつが、
スポンジみたいに吸い取られちゃった、
そんな感じ?
「まあ、どうでもいいっすけどね」。
そう呟いて、私はヘッドホンを耳に押し込んだ。
世界から色が消えていくなら、
せめて耳の中くらいはカラフルに、
とでも思ったのかもしれない。
別に、深い意味とかないっすけど。
流れてきたのは、
やたら明るいポップソング。
こんな曲聴く趣味じゃないんだけど、
なぜかプレイリストに入ってた。
その時だった。
目の前のビルに、
影みたいなものがヌルっと張り付いた。
それは黒くて、
輪郭が定まらない、
粘液みたいな塊だった。
ゾワリ、と。
鳥肌が立った。
「どうでもいい」はずの感情が、
初めて、微かに揺れた。
「ダスク」だ。
ニュースで見た。
街の活力を吸い取る、
「絶望」の塊。
ダスクは、張り付いたビルから
ゆっくりと剥がれ落ち、
地面に着くと、
ドロリと形を変え始めた。
人間…?
いや、違う。
人型だけど、
表面はドロドロとしていて、
目が無数に、
ランダムに浮かんでいる。
そして、あの虚無感。
ダスクから放たれる気配は、
街全体のけだるさとは違う、
もっと深くて、
ドロリとした「絶望」そのものだった。
思わず後ずさった、その時。
ポケットに入れていた、
さっき食べたみかんの皮が
熱を持ったように感じた。
ドクン、ドクン。
心臓が、
どうでもいいはずの心臓が、
やたらうるさく脈打ち始めた。
そして、
脳裏にあの残像がよぎる。
眩しい、オレンジ色。
「…え?」
体が、勝手に、
光に包まれ始めた。
けだるい制服も、
パサついた髪も、
青白い顔色も、
全てが、
弾けるような
眩いオレンジ色に
染まっていく。
まるで、
太陽を、
そのまま体内に取り込んだかのような。
視界が、
初めて、
鮮やかに、
「色」を取り戻す。
それは、
みかん色。
立ち込めるのは、
甘く、
爽やかな、
あの香り。
私…?
鏡なんてないけど、
分かった。
私、今、
とんでもない格好に
変身したんスよ。
「…は?」
思わず、
いつもの語尾が漏れた。
体のどこもかしこも、
軽くて、
力が漲ってる。
けだるさなんて、
どこにも、ない。
スーツ?
なんだこれ。
腕には、みかんの皮みたいな
質感のプロテクター。
胸元には、
房の形をした、
キラキラ光るブローチ?
背中には、
みかんの葉っぱみたいな装飾まで
生えてるし。
なんだか…
「どうでもいい」とは、
真逆の、
やたらハジけた外見。
私は、
みかん色の変身ヒロインになっていた。
目の前には、
絶望を撒き散らすダスク。
私の体は、
戦闘態勢に入っている。
「…だるい、なんて言ってられないっすね」。
小さく呟き、
私は、
初めて、
自分自身の意思で、
前に、
一歩、踏み出した。