第4話「それぞれの選択、それぞれの旅路」
1. 新しい道を前にして
「旅に出ようと思ってるの」
苑香のその言葉に、紬は一瞬言葉を失った。
「旅?どこへ?」
「まだ決めてないの。ただ……この町に、少し疲れてしまったのかもしれない」
苑香は静かにコーヒーを口に含む。その瞳には、不思議な透明感が宿っていた。
「この町が変わってしまったから?」
「ううん、そうじゃない。変わったのは……きっと私のほうよ」
それを聞いて、紬はうなずいた。
「わかる気がする。私もこの頃、立ち止まることが増えたわ。過去の記憶の中でばかり歩いているような気がして……」
ふたりは、かすみ草の窓際席から町を見下ろした。
季節は巡り、初夏の風が通り抜ける。
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2. 碧と未羽の“もうひとつの家族”
「俺さ、もう一度やってみようと思ってる。保育士」
碧のその言葉に、未羽は驚きながらも、すぐに笑みを浮かべた。
「向いてると思うわ。あのとき、子どもたちの前で一緒に絵本を読んでた碧くん……すごく優しかった」
「今さらって笑われるかなって思ってたけど、なんか、やっぱり人と向き合っていたいんだよ」
彼の言葉に、未羽はそっと手を重ねた。
「わたしね……子どもを預かるだけじゃなくて、もう一度“育てる”ことも考えたいって思ってるの」
「育てる……?」
「里親制度を調べてるの。もし私たちが一緒に暮らせたら、そういう道もあるかもしれないって」
碧は一瞬だけ驚き、そのあとゆっくりとうなずいた。
「……俺も、それ、やってみたい」
ふたりは肩を並べて、窓の外を見た。
そこには、かつての夢が、形を変えてまた立ち上がろうとしていた。
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3. 彰人、再婚への歩み
「父さん、本気?」
「本気だ。……いい歳して恋愛かって言われるかもしれないけどな」
彰人は息子の修斗にそう告げた。向かいには、少し困った顔の修斗が座っていた。
「でも、別に反対する理由はないよ。父さんが幸せになるなら」
彰人が再婚を考えている相手は、ボランティア仲間として知り合った女性──理子。
穏やかで、明るくて、そして何より、彰人の詩に共感してくれる数少ない存在だった。
「母さんが亡くなって、もう十年以上経つし……」
修斗はふと、かつて母親が笑っていた写真に目をやった。
「……うん。いいんじゃない?俺も、苑香とやっていけるように頑張るから」
「ありがとう。……本当に、ありがとうな」
その夜、彰人は理子に「もう一度、一緒に歩きたい」と伝えた。
返ってきたのは、涙ぐんだ笑顔と「はい」の言葉だった。
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4. 紬、娘と向き合う決意
「悠依。……お母さんさ、ずっと“立派な親”でいようとしてた気がするの。でもね、それってたぶん、逃げだった」
仕事に打ち込み、家庭を守り、娘に背中を見せ続けた年月。
でも、どこかで娘と“向き合う”ことを避けていたのかもしれない。
悠依は、母の真剣な目を見つめ返した。
「私はね、いつだってお母さんに“甘えたかった”の。だけど、あまりにも立派すぎて、手が届かなかった」
「ごめんね……」
「いいの。これから、一緒に時間を過ごせるなら。あのね、お母さん。今度、地方で小さな編集部を立ち上げるの。移住して、一緒に来ない?」
紬は驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「それ、つまり“誘ってくれてる”ってことでいいのかしら?」
「もちろん!」
それは、過去ではなく、未来へと手を伸ばす親子の約束だった。
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5. シェアハウス再結成?──それぞれの“帰る場所”
月末の夕方、かすみ草に全員がそろった。
彰人、苑香、紬、碧、未羽。
「実はね、町の西のはずれに古い一軒家があって……今度リフォームして、みんなで住めないかと思って」
碧がそう言うと、全員が驚いた顔を見せた。
「まさか、またシェアハウスを?」
「うん。もちろん全員じゃなくてもいい。けど、あの時間がどれだけ温かかったか、最近よく思い出すんだよ」
苑香が微笑む。
「旅から戻ったら、考えさせて。私、まだこの町から離れてみたい」
紬も言った。
「娘のプロジェクトで一緒に暮らす話が出てるの。私も少し外に出てみようかって思って」
彰人も笑う。
「俺は再婚だ。少し落ち着いたら、また詩の会をやろうと思う」
未羽がそっと言葉をつなぐ。
「でも、いつでも“帰れる場所”があるって、素敵ね」
「そう。みんなで住まなくてもいい。心のどこかに“あの頃の延長線”があれば」
碧のその言葉に、全員が頷いた。
再結成は未定。
だけど、“帰れる場所”としてのシェアハウスは、確かにもう一度、心に築かれた。
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6. 旅立ちの日
苑香は、バックパックを背負って家を出た。
目指すのは、特に決めていない。
ただ、知らない景色を見て、知らない人と話すことで、自分の中にある“言葉”を探す旅だ。
かつみ草の店前で、紬が手を振った。
「気をつけてね!」
「あなたも。娘さんと、いい時間を」
「……見つけたら、教えて。“あの頃の自分”が、まだどこかにいたかどうか」
「きっと見つけるわ」
苑香はそう言って歩き出した。
それは、歳を重ねたからこそ見える“第二の青春”のはじまりだった。
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エピローグ:旅路の果てに見えるもの
時は流れる。
町は変わっていく。人も関係も、変わっていく。
だけど、その“変化”を受け止め、前へ進むために必要なもの──
それは「選択する勇気」と「旅立つ覚悟」だった。
再婚を決めた彰人。
移住を選んだ紬と悠依。
保育の現場に戻ろうとする碧と未羽。
そして、自分探しの旅に出た苑香。
それぞれが、自分の道を歩き始める。
誰もが、かつてのシェアハウスで語り合ったように、
「どんな未来を選んでも、ここに戻ってこられる」と信じていた。
そして、ふと思う。
──あの頃と違って、誰かと比べる必要はない。
自分の歩幅で、自分の道を。
だからこそ、“老後”は終わりではなく、
“もうひとつの始まり”なのだと──。




