第3話「変わりゆく町、変わらない絆」
1. 工事の音に目覚めて
「……また工事?」
紬は、朝のコーヒーを淹れながらふと眉をひそめた。
窓の外、かつて落ち着いた住宅街だった場所は、いつの間にかクレーンと鉄骨に囲まれていた。
「ショッピングモールと、再開発のビル群になるんだってさ」
苑香がかすみ草で新聞を広げながら言った。
「駅前一帯、昔の面影はなくなるね。ほら、“文陽書店”も閉まるって」
「あそこ……私、教員採用試験の参考書、買ったところよ」
「私たちの時代を支えてくれた場所が、少しずつ、消えていくのね」
ふたりは、静かに新聞に目を落とした。
再開発──それは“未来”への変化であると同時に、“過去”を上書きしていくものでもあった。
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2. 「この町が、わたしの居場所だった」
その週末、碧は久しぶりに町を歩いていた。
かつて通った公園。夜遅くまでボールを蹴っていた空き地。
どれも今はフェンスに囲まれ、立ち入り禁止になっている。
「変わっちまったな……」
彼の後ろから、小さな声が聞こえた。
「でも、ここが……わたしの居場所だった」
未羽だった。彼女は昔と変わらぬ優しい眼差しで、取り壊しの始まった旧市民センターを見つめていた。
「子どもたちと、絵本を読んだり、遊んだり……。あの頃が、私の人生の宝物だった」
「俺もだよ。練習サボってここでラーメン食ってたしな」
「ふふ、碧くんらしい」
ふたりは少しだけ笑ったあと、黙って立ち尽くした。
やがて、未羽がぽつりとつぶやく。
「町が変わっても、私たちは……ここで過ごした時間を、忘れないわ」
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3. 彰人の決断と「詩の保管庫」
彰人は、空き店舗となった文陽書店の跡地を訪れていた。
店主の娘が、整理をしているところだった。
「もう古い詩集なんて、売れませんしね。処分しようかと」
「それ……ちょっと待った」
彰人は思わず声を上げた。
「こういう“言葉の遺産”は、まだ誰かの支えになる」
そう言って、彼は持ち帰った詩集の山を自宅に並べ始めた。
「“詩の保管庫”……か。うん、悪くないな」
彰人はSNSで発信を始めた。
古い詩集、絶版の名詩、個人の手紙──
捨てるには惜しい「ことば」を、ここに集めています。
数日後、思いがけず全国から「寄贈したい」という声が届き始める。
「捨てられそうになってた“ことば”が、こんなにも生きようとしてる」
町は変わっていく。でも、守れるものも、きっとある。
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4. シェアハウス“あの場所”の再訪
苑香、紬、彰人、碧、未羽。
それぞれがかつての“シェアハウス”を再訪することになった。
場所は変わらず、駅から少し離れた小さな丘の上。
築50年以上の古家。取り壊し目前だった。
「……まさか、残ってたとはね」
「もう崩れそうだけどな」
中に入ると、畳の匂い。少し湿った空気。
でも、懐かしさが身体中を包み込む。
「ここで、夜中まで将来の話をしたっけ」
「恋愛相談、してたよなあ……」
「誰が最初に泣いたっけ?」
「たぶん……私だわ」
それぞれが思い出を語るたび、空気が若返っていくようだった。
「この家、壊されちゃうの?」
未羽の問いに、碧が頷いた。
「取り壊し予定。あと数ヶ月」
「ねえ、みんな。最後にここで、一晩過ごさない?」
「……賛成」
決まった。
一晩だけ、“もう一度だけ”、あの青春を取り戻す。
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5. 一夜限りの、灯り
その夜、古びたシェアハウスに灯りがともった。
持ち寄った鍋と酒、アルバムや、古い手紙。
笑いと涙が交錯する時間。
「お互い、よくここまで生きたよね」
紬の言葉に、誰もが頷いた。
「変わらなかったものなんて、ほとんどない。でも──」
苑香がそっと続けた。
「でも、“一緒にいた記憶”は変わらないのよ」
「それに、今も“こうしてる”じゃないか」
彰人が笑う。
「この瞬間が、きっと未来を支えてくれるんだよ」
夜は更けていく。
語り尽くしたあと、誰からともなく口ずさんだ歌。
昔、みんなで聴いたフォークソングだった。
♪ きみがいたこの町が
今も僕の心に灯る
変わってもいい
でも、忘れない
それは、変わる町と、変わらない絆への、静かな誓いだった。
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6. 町の記憶を、記録にする
数日後。
紬は娘・悠依の出版社に向けて、ある企画を送った。
「再開発される町の記憶を、本に残したいのです」
かつての風景、商店、暮らし。そこに生きた人の“声”を集めたい。
悠依は編集会議で提案し、企画は通った。
書名は──**『町を照らした灯りたち』**
執筆は紬、苑香、彰人を中心に行われる。
町は変わる。それでも、記憶は本の中に残る。
それが、未来への贈り物になると信じて。
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7. 残されたものの中に
シェアハウスがついに解体された日。
現場に立ち会ったのは、苑香と碧だった。
「こんなに……あっけないのね」
「でも、壊されたって思うなよ」
碧はポケットから、一枚の写真を取り出した。
5人で、シェアハウスの縁側に座って撮った一枚。
「これが、俺の“心の中の家”だ」
苑香は微笑んだ。
「そうね。あの家は、もう無いけど──私たちの中には、ある」
風が吹いた。春の香りが舞い込む。
未来は変わる。でも、過去は消えない。
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エピローグ
町は新しく生まれ変わる。
でも、そのどこかに、彼らが愛した場所の記憶が残っている。
人々がすれ違う駅前。新しいカフェ。高層ビル。
その片隅に、あの日の笑い声が、今もそっと響いているようだった。
「変わっていく風景の中で、変わらない絆がある」
それを、私たちは確かに見つけた。
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第3話「変わりゆく町、変わらない絆」──完




