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秘密のシェアハウス【大型長編版】  作者: AQUARIUM【RIKUYA】
【新世代より ~ 老後編 ~ 】
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第1話「再会の春、静かな幕開け」


1. プロローグ──春の風と、あの懐かしき喫茶店「かすみ草」


桜が満開を迎える頃、町のはずれにある小さな喫茶店「かすみ草」では、薄いレースのカーテン越しに柔らかな日差しが差し込んでいた。レンガ造りの外壁にツタの葉が絡まり、そこだけがまるで時間から取り残されたような静寂をたたえていた。


この店には、長い時間を共に過ごした人々の思い出が息づいている。学生時代、恋を語り、将来を語り、時には夢を失いかけて涙を流したあの頃。かすみ草は、彼らにとって心の拠り所だった。


そして今日、再びこの店に、旧友たちが集まる。



2. 紬──定年後の空白に揺れる日々


「……久しぶり、だね。」


重たい木の扉を押して入ってきたのは、元大学教授の**つむぎ**だった。小さな眼鏡の奥にある穏やかな瞳が、店内をゆっくりと見回す。腰まで伸びた髪をひとつに束ね、薄いベージュのカーディガンを羽織った姿は、まるで年月が逆行したかのように若々しく見えた。


三ヶ月前、大学を定年退職した。長年勤めた教壇から離れ、目の前に現れたのは予想外の「空白」だった。やりたいことはいくつもあったはずなのに、朝起きても動く気になれない。時間の使い方を失った自分に、戸惑いと寂しさが募っていた。


「いらっしゃいませ──って、あら、紬ちゃん!」


店の奥から声が響いた。エプロン姿の女性が、カウンター越しに笑顔を見せる。


「苑香……変わらないね」


「そっちこそ!」


店主であり旧友の**苑香そのか**が、温かなコーヒーを手にカウンター越しに現れる。苑香はこの店「かすみ草」を十年前に引き継ぎ、今もひとりで切り盛りしている。ふたりは目を合わせて笑い合った。


「座って。今日は、みんな来るわよ」


「ほんとに……? みんな、元気にしてるの?」


「ええ。それぞれいろんなことあったけど、ね。みんな、会いたがってたわ」


苑香の声には、どこか「時間の流れ」を受け入れた人の落ち着きがあった。



3. 再会──それぞれの春を連れて


数分後、扉のベルが鳴った。


「……おーい、いるか?」


現れたのは、紬の元夫でもある修斗しゅうと。白髪が混じる短髪にサングラスをかけているが、照れたように頭をかく癖は昔のままだ。


「……修斗……!」


紬の声が自然と高くなる。離婚して30年近く経つが、今でも彼に対しては複雑な感情がある。それでも──久しぶりの再会は嬉しかった。


「おい、驚かせんなよ。まだまだ元気そうじゃねぇか」


「あなたも……老けたけど、変わらないわね」


「ははっ、うまいこと言うな」


それに続いて、青いスカーフを巻いた**あおいと、キャップを目深にかぶった彰人あきひと**も入ってきた。


「まったく……春風ってやつは、気障なセリフでも言わせたくなるなあ」


碧が笑いながらカウンターの椅子に腰かける。


「何十年ぶりかの“同窓会”ってやつだね」


「そうだね。しかも、ここでなんてさ」


さらに、小柄でふんわりとした雰囲気の**未羽みう**が、息を切らしながらやってきた。


「間に合った……! ごめん、少し遅れて」


「未羽ちゃん、変わらないね」


「え、変わってるよ。おばちゃんになったし」


「それは全員同じだよ」


みんなで笑い合う。それだけで、過ぎてきた時間のひとつひとつが、今この瞬間に集まってくるようだった。



4. 想い出の詩と、語られぬ孤独


「あの頃、さ……大学の屋上で、よく詩を読んでたじゃん」


彰人がふと懐かしむように言った。


「うん……。詩っていうか、ただの落書きみたいなものだったけど」


紬は苦笑する。


「俺、あれ、密かにノートに写してたよ」


「えっ……!?」


「ばれなきゃカッコつかねぇな。ま、今さらだし」


驚きと照れの入り混じる空気の中で、苑香が奥から1冊のノートを取り出してきた。


「これ……実はまだ残ってたのよ。誰が書いたか忘れちゃったけど」


開かれたページには、青いペンで書かれた拙い言葉があった。


『きみの声で、朝が来る

 きみの涙で、空が晴れる

 僕はただ、ここにいるだけ』


「……懐かしい……」


紬が目を細める。未羽がその隣で、小さく鼻をすする。


「最近ね……時々すごく不安になるの。夫を亡くして、子どもは遠くで働いてて、ひとりになると……ね」


「わかるよ」


苑香が頷いた。


「この歳になると、みんなそれぞれ“喪失”を抱えてる。でも、こうして会えた。……それだけでも、今日は意味がある日だと思うの」


静かな時間が流れた。誰もが、自分の胸の中にある空白と向き合いながら、そっと言葉をかみしめていた。



5. 春の風が、もう一度心を開く


夕暮れ時、店の外では桜の花びらが舞っていた。


「これから……何をしようか、私」


紬がぽつりとつぶやく。


「教えること、やめたくない。誰かのためになるなら、続けたいって、そう思えるようになってきた」


「なら、やればいいさ」


修斗が、いつになく真剣な眼差しで言う。


「俺も……もう一度、地域でサッカー教えようかと思ってる。年寄りの指導者でも、何か伝えられることがあるって、最近思い直してさ」


「かすみ草もね、イベント開こうと思ってるの。“昔の青春カフェ”って題してさ。語り場、みたいな」


苑香の提案に、未羽が目を輝かせる。


「私も、絵本の読み聞かせしたいな。図書館でね、ちょっと活動してて」


「俺は……詩でもまた書くかな」


彰人が、笑いながら言った。


「老後ってのは、終わりじゃなくて、“また始める”ことなのかもな」


碧のその言葉に、全員が頷いた。



6. エピローグ──灯る光の向こうへ


別れ際、かすみ草の入り口で記念写真を撮った。


「また、来月も集まろうか。定例会ってことで」


「賛成」


「楽しみにしてるわ」


それぞれが、それぞれの時間に戻っていく。でも、今日という日は確かに“未来”への第一歩だった。


風に舞う花びらの向こうに、それぞれの小さな希望が見えた。


かすみ草の看板が、夕日を受けて静かに輝いていた。



第1話「再会の春、静かな幕開け」──完


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