第4話「秘密の約束」
プロローグ:あの日の残像
七月の終わり、蝉の鳴き声が部屋の窓から入り込んでくる。
リビングでは、浴衣に着替えた光莉が、鏡の前で自分の帯を結んでいた。
「……似合ってる?」
「うん。……すごく」
背後から声がして、彼女は振り返る。そこにいたのは、彰人だった。
「ふーん……珍しく、素直な感想じゃん」
「暑くて言い返す気力ないだけだ」
「はいはい」
光莉はくすりと笑った。
その笑い声の奥には、ずっと胸の中で揺れ続けているある想いがあった。
――私、約束したんだ。
あの人と。あの夏に。
誰にも言っていない“秘密の約束”を。
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花火大会の夜
紬、彰人、光莉の3人は、浴衣を着て地元の花火大会へと出かけた。
川沿いの道は、浴衣姿の人々と屋台の光に彩られ、まるで夢のようだった。
「かき氷! 青いやつ!」
紬が無邪気に叫びながら屋台に走る。
「光莉は?」彰人が尋ねる。
「私は……じゃがバターかな」
「お前、地味な選択するな」
「うるさいな……好みでしょ」
ふたりの会話を後ろから見ていた紬は、ふと、目を伏せた。
――このふたり、やっぱり似合う。
自分だけ、少しだけ“違う空気”に感じた。
けれど、それは口に出すようなことではない。
この夏が、壊れないように――ただ、笑っていた。
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約束の記憶
花火が打ち上がり、空に大輪の光が咲く。
光莉は、ふと視線を逸らして、橋の手すりに寄りかかった。
「……ここ、昔にも来たな」
「誰と?」
彰人が何気なく問う。
「……紬と。あと、もうひとり。小学生の頃」
「へえ、彼氏?」
「ううん……幼馴染。中学の時に転校しちゃったんだけど……。
最後の夏、ここで約束したの」
「何を?」
「“いつかまた会ったら、絶対に一緒に花火を見よう”って」
光莉の瞳が、夜空を映す。
「……連絡先も、もう知らない。名前も、忘れかけてるくらい。
でも、今日ここに立ってると、不思議と思い出すの。
その人と見た花火の音、空の色、……そして、その言葉」
彰人は隣で黙って聞いていた。
やがて、彼はそっと呟いた。
「……それ、俺かもしれないな」
光莉が目を見開いた。
「……え?」
「俺さ、小4の夏だけこの街にいたんだ。両親の都合で。
で、近所の女の子と仲良くなって……橋の上で、そんな約束した記憶がある」
「……その子、ショートカットで、いつも裸足で川遊びしてて――」
「それだ。……お前だったのか」
風が吹いた。遠くでまた、花火が上がる。
光莉の目から、涙がひとすじ零れ落ちる。
「……ずっと、忘れられなかった」
「俺もだよ」
ふたりの間にあった距離が、そっと、なくなっていく。
後ろで見ていた紬が、目を伏せたまま背を向けた。
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その夜、交わされた約束
帰り道。3人はシェアハウスへと戻る。
紬は笑顔を作った。
「楽しかったね。……やっぱ、花火っていいな」
「うん。また来年も、みんなで来よう」光莉が言った。
彰人は何も言わず、うなずいた。
玄関の鍵を開けた瞬間、光莉が小さな声で囁く。
「……ねぇ、彰人」
「ん?」
「……次の夏も、一緒に花火見ようね。今度は、ちゃんと“約束”として」
彰人は、少しだけ目をそらしてから、照れくさそうに言った。
「……仕方ねえな。守るよ、その約束」
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エピローグ:ひとりきりの部屋で
深夜、紬は自室の窓を開けて、夜風に吹かれていた。
スマホのメモ帳には、こんな言葉が残されていた。
「好きになってしまった。
でも、それは口にしてはいけない感情。
だから、私は“約束”をしない。
代わりに、今日の笑顔を、心に残しておく。」
彼女の頬を、そっと涙がつたう。
その夜、静かに“もうひとつの約束”が交わされた




