第4話「失われた時間」
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秋も深まり、街路樹が朱に染まる頃。
シェアハウスには、時折ノスタルジーが風のように吹き抜ける。
それは記憶の中にある「やり残したこと」「会えなかった人」「言えなかった一言」が、ふとした瞬間に胸を打つからだ。
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舞の後悔
ある午後、舞はひとりで古い段ボールを開けていた。中には数十年前の手紙や写真、そして封の切られていない小さな便箋が一通。
――差出人:「北村 涼」
「…あのときの、涼くん」
舞が27歳の頃、まだ劇団員として必死にもがいていた時代。舞台の照明スタッフだった涼と、短くも濃い恋をした。でも、舞が突然の主演抜擢を受け、地方公演へと飛び立った時、そのまま疎遠になってしまった。
彼から届いた手紙は、あまりにも怖くて開けられなかった。
――開けてしまったら、終わりが来る気がして。
それから三十年以上が経った今。舞はようやく、そっと便箋の口を破った。
舞へ
あのとき、きちんと話せなかったことを、今も悔いています。
もしこの手紙を読む頃、君が幸せであるなら、それだけでいい。
君の舞台を遠くから観ていました。
僕にとって、君は永遠のヒロインです。
北村 涼
手紙の端に記された日付は、ちょうど涼が病に倒れた年だった。舞は唇を震わせ、ゆっくりと涙をこぼした。
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傑の願い
傑もまた、心に引っかかる出来事を思い出していた。
高校時代の親友・浩一。大学に進学してから疎遠になったが、ある日突然、がんで亡くなったと風の噂で聞いた。
「傑、お前だけは呼びたかったらしいよ。最期に、一緒に観たサッカーの試合の話をしてたんだって」
共通の友人にそう言われたとき、傑は悔しさで膝をついた。
あの日、一通の連絡を無視した自分。練習が忙しくて、と自分に言い訳していたが――真実は、会うのが怖かったのだ。
弱っていく友を見たくなかった。自分の中の「ヒーロー」としての浩一を壊したくなかった。
「俺さ、逃げてたんだよな」
ぽつりと漏らした言葉に、舞がそっと手を重ねた。
「みんな、そういう瞬間あるよ。でも、そのことに気づけたなら、もう充分よ」
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葵蘭と健太の思い出の地
ある週末、4人は久しぶりに遠出をすることにした。行き先は、葵蘭と健太がかつて舞台のロケで訪れたという、鎌倉。
「この海、覚えてる? あの時、台詞飛ばして、私がブチ切れたやつ」
「…あはは、覚えてる。でもそのあと、2人で砂浜に座って、朝まで語り合ったね」
葵蘭は海を見つめながら言った。
「私、ずっと仕事が最優先で、親孝行もろくにできなかった。母が亡くなった時も、撮影が終わるまで知らせなかったの、マネージャーが」
健太は彼女の手をとった。
「それでも、あんたが走り続けた姿、誰よりも多くの人に届いたと思うよ。俺、間近で見てたから。何も残ってないわけじゃない。ちゃんと、刻まれてるよ」
夕陽が海を赤く染める。時が流れ、記憶は色あせても、心に残る人と場所は、消えずに残る。
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それでも、前を向く
その夜、シェアハウスでは焚き火が焚かれた。
庭の小さなスペースで、火を囲む4人。
それぞれが、“失われた時間”を語り、思い出の人に語りかけた。
「ごめんね」
「ありがとう」
「また、どこかで会えたらいいな」
火の揺らめきは、静かに頷くようだった。
人は、過去を消せない。けれど、許すことはできる。向き合うこともできる。
その勇気を、年齢は教えてくれたのだ。
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そして明日へ
葵蘭が立ち上がり、空を見上げた。
「…涼くん、きっと星になってるね。あんなに光るなんて、ずるいわ」
舞がふと笑い、傑がつぶやいた。
「明日もサッカー教室あるんだ。子どもたち、また俺の顔見て泣くだろうな」
健太が火に薪を足しながら言った。
「泣かれるのも才能だって。俺は明日、朗読会だよ。お年寄り向けの読み聞かせ。ちゃんと老眼鏡忘れないようにしないとな」
そして4人は、焚き火が消えるまで語り続けた。
それは、過去と未来のあいだにある、かけがえのない時間だった。




