ソラリス公爵家
「エリック、頑張るんだぞ」
「はい、父さん、行ってきます」
エリックは父に見送られジェミナイ商会を出た。
ソラリス公爵家のご令嬢シャーロットとの出会いの件を父に話した後、ジェミナイ商会長として、そしてジェミナイ家の当主として、息子の無礼をお詫びしたいとお伺いを立てたところ、シャーロット本人から「気にしていない」と返事が返ってきた。
これはもしかして門前払いか?
謝ることも許されないのか?
そう思ったのだが、折角知り合えた縁なのでソラリス公爵家に遊びに来るようにと声をかけてもらえた。
つまりは不敬を働いたエリック一人でソラリス公爵家に顔を出せということだろう。
突然首を切られたり、牢に押し込められたりすることはないとは思うが、昨夜は最後の晩餐のように重苦しい空気がジェミナイ家に漂っていた。
今もエリックを見送る母や弟たちは、目をウルウルとさせ戦場へと見送るような様子だ。
馬車の中からどうにか笑顔を作り手を振ってみたが、それは逆効果になったのか母はハンカチで顔を覆っていた。
「エリック・ジェミナイ様ですね、お待ちしておりました。お嬢様がお待ちでございます」
お城のようなソラリス公爵家に着くと、品の良い使用人に笑顔で招き入れられた。
そして一般家庭とは到底思えない廊下を歩き、ダンスでもできそうな応接室に通された。
重厚感漂う調度品。
エリックが座るソファーには刺繍がされていてとても寛いでは座れない。
あの後、ソラリス公爵家のご令嬢シャーロットについて調べたエリック。
シャーロット嬢は前国王陛下の弟であるソラリス公爵閣下を父に、そして大国であるビリジアン王国の王女を母親に持つ、公爵令嬢という名のお姫様だった。
この国の第一王子ジークハルトが伯爵家の母親を持っていることを考えれば、シャーロットの方がある意味位は高い訳で、国王陛下が二人の婚約を結んだことも頷ける。
そんなお姫様に対し、自分は何を言っただろうか。
多分そこまで失礼なことは言っていないはずだと自分を慰める。
だけどハンカチを借りっぱなしなのは本当で……
豪華な応接内で一人ぐるぐると考え事をしていると、「お待たせいたしました」と落ち着いた声掛けと共にシャーロットがやって来た。
今日の装いは春らしい色合いの黄色のドレス。
シャーロットが着ると室内ドレスでも一級品に見えるから不思議だ。
そんな感想を抱きながら、エリックは立ち上がる。
「ほ、本日は、お目通り叶いましたこと、心より感謝し、ソラリス公爵令嬢様には御礼申し上げます!」
勢いよく立ち上がったエリックは深々と頭を下げながら、まずは今日の出会いに感謝する言葉を述べる。
流石に急に土下座して「申し訳ありませんでしたー!」と叫んでもシャーロットが困るだけだろう。
男爵家のエリックだってそれぐらいのマナーは理解している。
「まあ、うふふ、ジェミナイ様、どうぞお楽になさって、先日のことは全く気にしていないのよ」
父が手紙になんと書いて送ったかは分からないけれど、シャーロットは返事の通りエリックの不敬など全く気にもしていないようだった。
勧められるまま、エリックはちょこんとソファーへと座りなおす。
そんなエリックの前、シャーロットは優雅な笑みを浮かべているが、その後ろに立つ護衛と侍女は相変わらずの無表情のまま、ジッとエリックを見つめたままだった。
「あの、ソラリス公爵令嬢様、先日は、その、この私が、大変な失礼をして申し訳ありませんでした」
気にしていないと言われたけれど、まずはきちんとお詫びをと思いエリックは頭を下げた。
そしてカバンから包装された箱を取り出し、シャーロットの前に差し出した。
「あの、先日お借りしましたハンカチの代わりに、こ、こちらをお納めください」
洗濯したとはいえ、エリックの涙と鼻水で汚したハンカチをお姫様であるシャーロットへと返すわけにはいかない。
かといって高価なものを用意しようにも、エリックの実家の商会では限度がある。
公爵家のご令嬢が満足するような品物を用意できるとは到底思えなかった。
「まあ、お気遣いいただいてしまったようね、有難う、中を見てもよろしいかしら」
「は、はい、是非」
エリックの返事を聞き、後ろに控える侍女がプレゼントを受け取り包装を解いていく。
シャーロットはその様子を笑顔を浮かべ見守っていた。
「まあ、美しいバラの刺繍ね、とても素晴らしいわ」
シャーロットの喜びようにホッとする。
貴女の方がよっぽど美しいですとは、エリックの貴族男子テクニックでは出てこない。
これは刺繍が得意な母と祖母がエリックの首を守るため、丹精込めて縫ってくれたものだった。
気に入られたことには安堵しかなかった。
「あの、ソラリス公爵令嬢様、先日はーー」
「シャーロットでいいわ、私もエリックとお呼びしても?」
「え? ええ、勿論です……いえ、光栄です」
「うふふ、なら良かった。エリック、これで私たちもお友達、ということでよろしいかしら?」
「お友達……」
「そうお友達よ、仲良くして頂戴ね」
「は、はい!」
エリックが先日借りたハンカチのお礼を言おうと思えば、シャーロットに名呼びを許され驚いた。
その上エリックの名を呼び、もう友達だとも言ってもらえた。
エリックの心にじわじわと安堵感が広がっていく。
昨日までは、いや先ほどまでは、首を切られる覚悟もしていただけに、体から力が抜けていくようだった。
「それで、エリックは、もう失恋の痛手は消えたのかしら?」
「えっ……?」
「喫茶店の彼女との傷は、少しは癒えたのかしら?」
「あ……!」
シャーロットに言われ、エリックはそこで初めてマリーのことをすっかり忘れていたことに気が付いた。
あんなに涙を流し、その別れに胸を痛ませたはずなのに、シャーロットとのことがあってからは、一度もマリーのことなど思い出さなかった。
「あの、僕、いえ、私はーー」
何と答えていいか困るエリックの前、シャーロットは満開のバラのような笑みを浮かべ 「落ち着かれたのなら良かったわ」 と微笑んでくれた。
「シャーロット様……」
あんなにもマリーのことが大好きで、いずれ結婚しようとそんな約束までしていたのに、自分に向けられたお姫様の笑顔を見たエリックは、美しいと感動したとともに、不覚にもドキリと胸が鳴り、思わず見とれてしまったのだった。
こんにちは、夢子です。
今日も読んでいただき有難うございます。
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私の中でエリックはチワワなイメージです。