エリックの怒り
「父さん、何かあったら僕を廃嫡して下さい!」
「はあ?! エリック、ちょっと待て、何があった、ちゃんと話をしろ!」
マリーからシャーロットへの悪意ある噂話を聞いたエリックは、怒りを抱えたまま自宅へ戻った。
そしてそのまま父親の執務室へと駆け込み、冒頭の言葉を投げかけた。
前振りのない息子の暴言にジェミナイ男爵は驚くしかない。
「シャーロット様が馬鹿にされたんだ! 許せるはずがない!」
「シャーロット様って……エリック、落ち着け、とにかくちゃんと話を聞かせなさい、ほら、お茶を入れるからここに座るんだ」
「……」
鼻息荒いエリックをジェミナイ男爵はソファへと座らせる。
そしてお茶を入れ、エリックと向かい合うように座れば、エリックは何があったのかを苦々しい表情で話し出した。
「あいつらが、シャーロット様の悪い噂を流しているんだ……」
「あいつら?」
シャーロットはどこの誰が見ても美しく聡明で非の打ち所がない女性だ。
この国の未来の王妃に相応しく、シャーロット自身もそうあろうと努力し、国王を筆頭に周りの皆からも認められ、ジークハルト以外にはシャーロットの頑張りは伝わっている。
けれどそれでは、ジークハルトが望む未来は掴めない。
シャーロットが素晴らしい女性である限り婚約解消などあり得ないし、マリーとの結婚は絶対に認めてもらえない。
マリーをシャーロットの代わりに王妃にすると言って、その話に乗る者がどれ程いるか……
いや、それは無理でしょうと、笑い話になるのが目に見えている。
まだマリーに恋焦がれていた時のエリックだって、流石にそれは無いでしょうと突っ込むだろう。
国王や王妃どころか、大臣の誰もが賛成しないだろうし、貴族とまだ呼べない子息たちだって、シャーロットの代わりをあのマリーが務めることなど無理だと笑うはずだ。
マリーの今の状態ならば良くて側妃、普通に考えて妾妃が妥当。
ジークハルトの浮気を知る誰もが「ジークハルト様本人だってそんな常識は分かっているよね」とそう考えているだろう。
だが、ジークハルトはそんな常識が通用しない人間だった。
ジークハルトは本気でマリーを自分の妃にと望んでしまったのだ。
その為にやるべきことと言えばシャーロットの評価を下げること、それしかあり得ない。
多分、ジークハルトやその友人たちはマリーの成績を上げ、シャーロットに負けない令嬢だと世間に知らしめたかったはずだ。
だけど今のマリーは一学年でも一番下のクラス。
頑張って勉強しクラス内では優秀な成績を収めることが出来るようにはなったけれど、それでも学年上位に入ることは無理だった。
それに何より、シャーロットは生まれ持っている物が王子であるジークハルトよりも上だ。
だからこそ結ばれた婚約であり、ジークハルトがどうあがいても両陛下が望めばこの結婚は解消されることはない。
可能性があるとすれば、シャーロット自身が死ぬほど嫌がり、ジークハルトが国内にも知られるほどの問題を起こせば解消はされるだろうが、今の時点でそれは無理だと言える。簡単に覆せない王命だからだ。
それに、マリーを正妃にするなど、どう考えても無謀。
マリーとは遊びの範疇、だからこそ許されている。
それが常識だった。
けれどジークハルトは本気でマリーを正妃に望んだのだ。
だからこそシャーロットを貶めるような噂がマリーの友人たちから流れ始めている。
きっとジークハルトはこの先も、シャーロットに不利な噂を流し続けるだろう。
王子の流す噂だ、学園の子息の多くが信じる可能性がある。
それにシャーロットに対し憧れだけでなく、嫉妬の様な感情を寄せる者たちは面白がって噂を拡張する可能性だってあるだろう。
そうなった時、きっとジークハルトはシャーロットを責めるはずだ。
王妃に相応しくないと、そんなことを言いだすかもしれない。
ならばエリックが何をやるべきか。
答えは簡単だ。
嘘の噂に負けない真実を国中に流す。
それだけでいい。
「……つまり、お前はジークハルト殿下に睨まれるから廃嫡して欲しいと、そう言っているんだな?」
「はい、その通りです、父さん。僕はジークハルト殿下に対抗してシャーロット様が素晴らしいと、正しい皆に広めます。ですからその前に僕を廃嫡してください。いくら大きくなったとはいえ、ジェミナイ商会は王家に睨まれてはひとたまりもありません。これから行うことは僕が勝手にやること、この家には関係ない。なのでジークハルト殿下に行動を気付かれたならその瞬間に僕を切り捨てて下さい。僕ならば平民としてもやっていけます。最悪、他国に逃げることも出来ますので……」
決意を固め、エリックは父に正直に話をした。
エリックは男爵家の息子だが、商人であり、ほぼ平民とも言える。
エリックは実家の商売を幼いころから手伝っているし、家を出たとしてもどこでも働いていける、そんな自信ががあった。けれど呆れた父親の顔を見て自分のうぬぼれを知った。
「エリック、シャーロット様をお救いしたいというお前の気持ちは分かるが……お前もまだまだ世間知らずだな……」
「父さん?」
「はあ、平民としても生きていけるだと? お前がそんな甘いことを言いだすとは……幼いころから商売を見せてきたんだ、もう少し現実が見えている、私はそう思っていたよ……」
「……っ! だけど、僕は!」
「何でもできるって? そう言いたいのだろう? だがそれはお前がこの家の息子だから許されていることだ。平民として、親もなく後見人もいない状態で街へ出れば、扱いは孤児と一緒だ。そう簡単に仕事は見つからないし、望んだ仕事に付ける保証もない。運よく商店に勤めたとしても自分がやりたいことなどすぐにはやらせてもらえない……エリック、世間はそれほど甘くはないんだよ。お前はこの商会の嫡男だから始めから商売を行うことを許されているんだ……孤児院へ慰問へ行って孤児と触れ合ったことのあるお前なら分かっていると思っていたけれど、残念だね……」
「……」
がっかりしたと遠回しに言っている父の言葉に肩が下がる。
確かに孤児と同じ条件となれば、エリックが望む仕事に付ける保証はどこにもないだろう。
孤児というだけで商会ではお金を扱う仕事に付くことは難しい。
後見人がいないということは信用がないと同じだからだ。
最初は荷運び、それも盗まれても大丈夫なものを運ばせてもらえる、そんな仕事から始めることが一般的だろう。
「お前は本当にことが恋愛に絡むと一気に考えが甘くなる……マリーの時もそうだったなぁ、店のお菓子を持って行ったり、店の商品をプレゼントしたり、自分の小遣いをつぎ込んだりと、周りが見えていなくて心配したんだぞ……」
「……」
どうやら内緒で行っていたエリックの愚行は、父親に全部バレていたらしい。
それではマリーとの恋愛も良い顔をされないはずだ。
エリックがマリーに夢中になりすぎて店を傾かせるかもしれない。
父はそう思っていたようだ。
「シャーロット様はお前が廃嫡されてその原因が自分にあると分かった時、どう思われるだろうか……」
「あっ……」
あの優しいシャーロットが、友人だとそう言ってくれたエリックが廃嫡されて黙っているはずがない。
きっとジェミナイ商会も父も責められるだろうし、エリックをジークハルトから守ろうと、シャーロットにはかえって迷惑をかける可能性もある。
「……確かに……シャーロット様に心配をかけてしまうと思います」
「だろう?」
自分の考えの浅さに気付いたエリックはやっと冷静になる。
マリーの噂話に憤慨し頭に血が上っていたけれど、それではダメだ。
シャーロットを傷つけたくないというのならば、まずエリックが幸せでなければいけない。
あの優しい人は絶対にエリックの不幸を嘆く。
それが分かれば、自分のこれからの行動が見えてくる。
商人らしく人を使い動かせばいいだけだ。
自ら噂を正して回る必要などないのだ、とても簡単なことだった。
「父さん、シャーロット様の噂は街ですでに広まっているよね?」
「ああ、石鹸工場のお陰でソラリス公爵家のご令嬢は聖女のように心美しい女性だと、世間には広まりつつあるね」
「確か、貴族の間で人気だった平民姫の物語の劇はもう終わったんだよね?」
「ああ、あの陳腐な劇だと言われていた物語か……平民が王子と結婚するなど物珍しくて人気だったらしいが、それも最初だけだ。そもそも平民が王家に嫁ぐなどあり得ないからな、最後の方は観る客も減って劇場も困っていたらしいぞ」
「ハハハッ、だろうねー」
最初は物珍しさで目を引いていた平民姫の物語。
だけど平民が貴族の上に立つなどあり得ないと苦情も多く、後半は見る人も減り、いつの間にか閉演していたらしい。
「じゃあその劇団は今は暇かな?」
「ああ、次の演目を考え中だろうなー。それにジェミナイ商会お抱えの噂雀どももシャーロット様のことなら喜んで話をばらまいてくれるだろう、あの方は本当の意味で貧困層の救世主だからな」
「うん、そうだよね」
噂雀をやるものは、貧しい地区出身者が多い。
以前からずっと支援を続けるシャーロットを悪く言うものなどおらず、石鹸工場の件で尚更シャーロットへの支持は厚いものとなっている。
「父さん、シャーロット様はつまり、婚約者に悪役を押し付けられた令嬢だってことだよね?」
「ああ、そうだな、正直に正しくそのことを世間い広めようじゃないか、背後からじわじわとな……」
シャーロットのお陰で資金は十分にある。
噂を流すことは商人が一番得意とすること。
その噂に嘘が無いとなれば、なおのこと広めるのは簡単だ。
エリックは父と目が合いニヤリを笑う。
「父さん、僕は僕なりのやりかたでシャーロット様を守るよ」
「ああ、それでこそ我が息子だ。エリック、シャーロット様を守るために頑張れよ」
「はい!」
冷静になった息子を見て、ジェミナイ男爵はホッと息を吐いたのだった。
おはようございます、夢子です。
本日もお読みいただきありがとうございます。
朝から右目がチクチクします。
花粉のせい?
エリックはシャーロットが死ぬほどジークハルトとの結婚を嫌がっていることを知らない。w




