消えた初恋と赤薔薇
ここは王都で人気の喫茶店。
一組の若いカップルが対峙し、喫茶店の賑わいと和やかさとは反対に、悲し気な表情を浮かべ向き合っていた。
「えっく、えっく、ひっく、エリック、ごめんなさい。あたし、あなたとは、結婚できないの……」
まだ少女と呼べる容姿の女の子が、向かいに座る恋人に向け別れを告げる。
「マリー、一体なにがあったの? 泣いてないで僕にちゃんと話をして」
その別れの言葉より恋人が泣いていることが気になるのか、青年はハンカチを差し出し恋人へ渡す。
「ううう……あのね、お父様が、結婚はあたしが勝手に決めるものじゃないって……だからエリックとの結婚は認められないって……」
「そんな……マリー……」
「ふぅぅ……エリック、ごめんなさい……」
今恋人に別れを告げられたのは、エリックことエリック・ジェミナイ。
彼はジェミナイ男爵家の長男坊だ。
実家がジェミナイ商会を営んでいる為、経済的には少し恵まれた男爵家で有り、いずれは自分がジェミナイ商会を受け継ぐと自負している十五歳の青年だ。
そんなエリックには孤児院に住んでいて、幼馴染でもあり、恋仲でもある、マリーという結婚を約束した少女がいた。
今目の前で泣いている少女こそがそのマリーなのだが、笑顔が似合う彼女が泣いている姿を見れば、エリックの胸は酷く痛んだ。
エリックとマリーとの出会いは数年前。
ジェミナイ商会の慈善活動の一つとして、孤児院に通うようになった事が出会いだった。
そこで花の精のように可愛らしい少女マリーと出会い、エリックは一目で恋に落ちた。
彼女が可愛いリボンが欲しいと言えば、自分のお小遣いの中から準備し。
甘いお菓子が食べてみたいと言えば、商会に届いたお菓子を内緒で持っていき、マリーにプレゼントをした。
「エリックは私のお願いを叶えてくれる優しい王子様みたいね、大好きよ」
喜ぶマリーを見るとエリックは嬉しかった。
マリーが幸せならエリックも幸せだった。
そして段々と年頃になり婚約者を作ってもおかしくない年頃になると、エリックはマリーを妻にと望んだし、マリーも「エリックと結婚できるなら嬉しい」と答えてくれた。
だけどエリックは男爵位といっても貴族令息。
平民云々の前に、親の居ないマリーと結婚するのは難しい。
幾ら温和な両親だって、何の後見も無いマリーとの結婚は認めないだろう。
もしどうしてもマリーと結婚したいのならば、マリーに貴族家に養子に入って貰うか、エリックが平民になるしかない。
その事を伝えればマリーは涙目になり首を横に振った。
「エリックが平民になるだなんてダメよ。だったらあたし、エリックのこと諦める……だって貴方には幸せになって欲しいから……」
「マリー……」
純粋で清らかなマリーは、エリックのことを想い身を引くことも考えていた。
(僕のマリーはなんていい子なんだろう!)
感動したエリックはマリーと結婚するため、彼女を絶対に貴族にしてみせると決意を固めた。
そんな矢先 「実はね、あたし、本当は男爵家の娘らしいの」 とマリーに母の形見だというペンダントを見せられた。
マリーの瞳のような若葉色の宝石には消えかかった家紋が入っていて、それが彼女の父親の手がかりだと教えて貰った。
「マリー、僕が必ず君の家族を見つけるよ!」
「エリック……有難う」
彼女の言葉を頼りに、ジェミナイ商会の人脈を使ってマリーの父親を探した。
ペンダントに家紋が入っていたこともあり、マリーの父親は思った以上にあっさりと見つかった。
マリーの父親はアレース男爵。
妻が亡くなり一人身となったアレース男爵にマリーの話を伝えれば、メイドが生んだ自分の娘だとすんなり認めてくれた。
そして順調に養子縁組を済ますと、マリーは名を改めマリアンヌ・アレースという正式な名を持つことになった。
これでマリーと結婚できる。
僕たちはきっと幸せになれる。
そう思い待ち合わせの場所に来てみれば、出会ってすぐにマリーに泣かれてしまった今である。
エリックの理解が追い付かないのも当然だった。
「エリック、本当にごめんなさい」
マリーとエリックは結婚できない。
その言葉の意味が分からないとともに、自分が描いた幸せな未来がガラガラと崩れ落ち胸が張り裂けそうだった。
「マリー、まって、だったら、僕が、僕がアレース男爵と話をしてーー」
「やめて!」
「えっ、マリー? なんで?」
アレース男爵を説得して見せる、そう意気込むエリックの前、マリーが怒ったような表情を見せる。
「あたしは、やっと会えたお父様に嫌われたくないの!」
「マリー……」
孤児だったマリーは家族と言うものに憧れていて、エリックに兄弟がいると聞けば会ってみたいとせがむほど、家族に思い入れがあるようだった。
そんなマリーがエリックとの恋よりも父親の願いを叶えたいと思うのは当然で、涙を流しながら「これからはエリックとの想い出を大切にして生きて行く」と言い切る彼女に、強く出ることは出来なかった。
「エリック、学園へ入学したら、友達として仲良くしてくれる?」
「……友達……?」
「ダメかな……?」
エリックが渡した、パンジーの花が刺繡されたハンカチで涙を拭い、期待のこもった瞳でエリックを見つめるマリー。
貴族となったマリーはエリックと同じく貴族学園への入学が決まっているが、孤児院育ちで幼いころから貴族との交流が無かったマリーには、当然友人はいない。
そのことが不安なのだろう、綺麗な若葉色の瞳はエリックを頼りにしていると言っているようだった。
「うん……分かったよ、これからは僕達は友達だ……それに僕の君への想いは永遠に変わらない……マリー、僕は君のことが大好きだよ……」
「エリック、有難う。あたしも貴方の事が大好きよ」
エリックの言葉を聞き、マリーは安心したように笑顔を見せ喫茶店から出て行った。
それとは反対に残されたエリックは涙を流す。
「ふぐぅ……ううう……マリー」
ずっと大好きだった初恋の女の子。
彼女のために努力し、協力もしてきたエリック。
そんな相手に結婚できないと言われたのだ、悲しくないはずがなかった。
流れる涙を袖で拭い「マリー」とその名を何度も呟く。
大事な話があるとマリーから言われ、てっきり婚約の話だとそう思っていたエリックは、今日は衝立のある人目を気にしなくていい席を選んでいたため、男だろうと涙が気にならなかった。
これからは父親想いのマリーを友達として応援していこう。
学園で友人がいない彼女はきっとエリックを頼り、一緒にいることも多くなる。
それにエリックがジェミナイ商会を大きくすれば、アレース男爵の気持ちも変わり、違う未来が待っているかもしれない。
「マリー、僕は絶対に君を忘れないよ……必ず迎えに行くからね……」
思わず一人そんな言葉を呟けば、衝立の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「あら、貴方は良い踏み台にされたのだもの、彼女の事はさっさと忘れた方が良いと私は思いますわよ」
「えっ……?」
突然の声掛けに驚くエリックの目の前に、衝立を越え現れたのは、見たことも無い程の美女だった。
黒髪に燃えるような真っ赤な瞳、ふっくらと厚みのある唇には瞳と同じ色の口紅が塗ってあり、それが彼女の妖艶な雰囲気ととても合っていた。
「初めましてお隣の方、私はシャーロット・ソラリスと申しますわ。どうぞこちらで涙を拭いて下さいまし」
白く細い、手入れの行き届いた美しいシャーロットの手から、無意識にエリックは薔薇の刺繡の入ったハンカチを受け取る。
どう見ても高級品のそれで涙を拭く事など出来ないと思ったけれど、ハンカチを持って固まるエリックの涙は、シャーロットがその美しい指を使って拭ってくれた。
「あ、あの、僕……」
「あら良かった、うふふ、涙も落ち着いたようね」
女神のような女性に頬を触られ心配されたエリックは、一瞬で涙が引っ込み、頭の中は真っ白になった。
「私、思うのですけど、貴方、あの女性とは別れて正解だったと思いますわよ」
「えっ……?」
マリーが座っていた席に当然顔で座り、シャーロットは物思いにふける。
その一挙手一投足が全て美しく、目を奪われたエリックは何を言われているか理解できない。
「あの方、貴方を好きだと言いながらも結局貴方を選ばなかったのですもの……でしたらここで一線を引いて忘れた方が良いと思うのですよ」
そう言って微笑んだシャーロットは、好奇心に満ちた深紅の瞳をエリックに向けたのだった。
皆様初めまして夢子です。
新連載始めました。
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