第71話「お膳立て」
闘技場の雷鳴が遠くで轟いていた。現実の薄暗い会議室に、その音はまるで別世界からのノイズのように微かに届く。月未と銀二が並んで座り、その正面で実村が静かにノートパソコンを閉じた。蛍光灯の白い光が、三人の顔に影を落とす。
「ゼクスのプログラムは、俺でも解析できない」
低く告げた実村の声に、銀二の眉が鋭く寄る。
「どういうことだ? お前が作ったんじゃないのか?」
銀二の問いに、実村は苦笑とも諦めともつかない笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「“種”は俺が作った。だが……“育て上げた”のはこのゲームそのものだ」
机に置かれたコーヒーの紙コップを指先で転がしながら、実村は目を細める。
「スパゲッティコードって、知ってるか?」
どこか自嘲気味な問いかけに、月未がすぐさま口を開いた。
「プログラムを増やしすぎて、何がどこにあるか分からなくなるってやつでしょ?」
少し得意げな口調だった。銀二がちらりと横目で月未を見るが、実村は疲れたように小さく頷く。
「そうだ。ゼクスの内部はもうスパゲッティになってる。要は、このゲームのコード全体をいじるようなもんだ。……簡単には触れない」
その言葉は重く、湿った空気に沈んでいった。月未はしばらく黙っていたが、やがて小さくため息を漏らす。
「つまり、できないのね?」
実村は無言のまま眼鏡を指で押し上げる。
「俺はただの下っ端だ。本社の許可がなければコア領域にはアクセスできない。本社ってのは、アメリカだ」
銀二の表情が一瞬で険しくなる。
「アメリカが、それを許すとは思えんのだが?」
「許すとしても……せいぜい“お膳立て”止まりだな」
実村がぽつりと呟いた。銀二が眉を寄せ、組んだ足を、変えた
「お膳立て、とは?」
短い沈黙の後、実村はゆっくりと顔を上げる。その瞳には、どこか懐かしさと、わずかな恐れが混ざっていた。
「ゼクスがまだゲームプログラムと完全に融合していなかった頃――奴自身が言ったんだ。“俺を倒す者が現れたら、俺を消すプログラムを入れてくれ”ってな。俺はその要求に、技術者として応えた。だから“お膳立て”は、確かに存在する」
静寂が落ちた。銀二は深く息を吸い、拳を固く握る。
「……都合のいい後手だな。だが、」
銀二は、コップのコーヒを一気に飲んだ。
「もしアメリカがゼクスのウイルスを知っているなら、最悪の手を使ってくる可能性がある。この国に、三度“あれ”を落とすわけにはいかない」
その一言に、月未の肩が震えた。雷鳴がまた遠くで響く。重く、鈍い音。まるで未来を暗示するかのように。実村はただ黙って頷いた。銀二はゆっくりと立ち上がり、机に両手を置く。
「……できることはやる。お前も、説明できる範囲で協力しろ」
実村は息を吐き、眼鏡を直した。
「分かってる。俺も力は尽くすよ」
背後のモニターには、まだゲームの映像が流れていた。そこでは、エンガが拳で道を切り開き、光と闇が激しくぶつかり合っている。
まるで、その戦いが現実の運命をも映しているかのようだった。雷鳴が再び鳴り響く。彼らは――その音の中で、“選択”と“責任”の重みを静かに噛み締めていた。




