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散りゆく記憶と恋桜(こいざくら)

作者: ささき花音


      【私、高校二年生、冬】


「記憶が」と私は切り出した。

『え?』とあなたは虚を突かれたように口の端をゆがめた。

「なくなっていくみたいで」

『……どんどん、忘れてくってこと?』


 私はうなずいた。「脳の細胞の、シナプスって言うんですけど。その結びつきが、すこしずつ外れていくんだそうです。症状の進行につれて、日常生活のいろいろなことができなくなっていって。最終的には、記憶だけでなく。息をするのも――忘れて。そのまま、亡くなってしまうみたいで」


 あなたは信じられないように固まっている。


「心臓が、鼓動の仕方を、忘れてしまう、みたいで。それで、まだ、治療法は、なくて」

『つまり――ビョーキは、治らない』

「はい。現状は」

『まだわからないだろ。もしかしたら、特効薬みたいなのが開発されて――』

 私は首を振って、「それでは遅すぎるかもしれません」

『え?』

「いつか。治療法はできるかもしれませんが……その頃には、私はもう」

『どういう、ことだよ』っていうあなたの声は。驚きとか、切なさとか、寂しさとか、怒りとか、そういうどうしようもなさで。震えていて。そのことが、私の心を。きゅうと。締めつけた。だから。


「あと――3か月みたいです。私が、すべてを、忘れてしまうまで」


 私は。正直に。言った。


「心臓が。鼓動を。忘れてしまうまで――それがきっと、私の、ひと足早い()()です」


 私は顔をあげることができなくて。そのあとあなたがどんな顔をしていたかは、わからない。病室の白い壁では時計がこつこつと秒針を刻んでいた。たくさんの時間が流れたあとに。あなたの息遣いが乱れた。あなたは何かを言おうとして。やめた。みたいだった。顔をあげると。きみは。やっぱり。驚きとか、切なさとか、寂しさとか、怒りとか、そういうどうしようもなさで。震えていた。


「私は」

『俺は……あ』


 私たちの声が重なった。私は視線で促した。あなたはおもむろに言った。


『俺は、きみの中から、消えたくない。きみは俺にとって――とても大切な、ひとなんだ』


 私の頬を、一筋の涙が伝った。


「はい。私も。私もです。あなたのことを、忘れたくなんかありません――とても大切な、ひとですから」


 そんなあなたとのあの時の記憶も。

 朝起きて、明日になれば。



 ――ぜんぶなくなっているのかもしれない。

 


      【私、高校二年生、初夏】


 

 図書室だけが私の居場所だった。

 長い髪とか、引っ込み思案な性格とかで。私にはこれまで友達と呼べるような子はいなかった。むしろ、『気持ち悪い』。なんて。言われてしまうくらいで。『なに考えてるんだろ』『不気味だね』『お化けみたい』だなんて。まわりからはささやかれてしまうくらいに。

 私は学校で孤立していた。

 や。べつに。それはある意味、自業自得みたいなもので。私だって、きっと、違う人生を歩んでいたら、私みたいなやつとは、あんまり近づきたくないなって、思うから。

 こうやって学校の図書室で、紙のページをめくって、物語の中に飛び込んでいれば。


 私の世界は誰にも侵略されることはない。

 


      * * *



 見慣れない男の子がいた。

 あ、や、それはこの図書室で見慣れないってだけで。もちろんその男の子のことは知っていて。陸上の大会? とかに出場して、よく全校集会の時に表彰されたりしている、私とはまったくかけ離れた――いちばん遠くの世界を生きている男の子だ。

 スポーツだけじゃなくて、見た目もすごくかっこいいし。この私の耳にすらも聞こえてくるくらいに、学校では彼のことがよく話題になる――小説の中でいえば、間違いなく主人公の男の子だった。

 そんな彼が。


「あ、わるい」


 私に。図書室の端の席に座っていた私に。


「本の借り方、教えてくれると嬉しいんだけど」


 声をかけてきた。


「……きいてる?」

「あ」私は素っ頓狂な声で聴き返した。「私、ですか?」

 彼は短めのため息をついて、「きみ以外いないじゃん」


 まわりを見渡す。放課後。窓の外からはみんなの下校風景が見おろせた。西日はずいぶんと傾いていたけれど、まだまだ灼熱の日差しをグラウンドに降り注がせている。


「は……はい」


 私は読みかけだった本を閉じると、何の脈絡もなく立ち上がって、彼に本の借り方を教えた。途中で『せっかくだから、本も選んでよ。おすすめのやつ』なんて言われたから、私のお気に入りの小説を手に取った。その一番後ろから図書カードを抜いて、彼に渡す。その一番最後に名前が刻まれた。

 

 ――鷹取(たかとり)(いつき)

 

 ああ、もう、本当に。名前まで小説の主人公みたいだ。なんてことを思ってたら。


「さんきゅ。助かった。――えっと」


 私は首をかしげる。


「名前。なんてゆうの」

「……あ、別に」

「別にって。ないの?」

「え?」

「名前」

「あ……あります」


 彼は笑った。今の時期の太陽みたいに眩しい笑顔だった。


「だったら教えてよ」


 あっけにとられていた私の顔を覗き込むようにして、彼はきいてきた。

 うっすらと制汗剤の香りが鼻に触れた。ときりと私の心臓が高鳴るのが分かった。動揺をごまかすようにして、私は答えた。


「……河野(かわの)、です」

「ふうん。下の名前は?」

「あ、えっと……」言い淀んでから、私は、「さくら、です。河野さくら」


 私の嫌いな名前を、答えた。だって。さくら、だなんて、華やかな名前。暗くてじめじめした私とは、むしろ真逆の名前だから。私には、ふさわしくない、名前だから。なのに。


「へえ。――かわいい名前じゃん」


 なんて。やっぱりどこまでもまばゆい笑顔で彼は笑ってくれたのだっだ。


「ってか、同じ」

「え?」

「俺たち。ほら、樹とさくら」

「……あ」

「毎日ここにいるの?」


 おずおずと私はうなずいた。


「そっか、よかった。返すときにも、教えてよ」


 彼は借りた本を軽く宙で揺らした。


「は、はい……そんなことで、よければ」

 彼はまた太陽みたいに微笑んだ。「んじゃ、よろしく。さくら」

「こ、こちらこそ、です」

「呼んでよ。名前」

「え、あ。……鷹取、さん」

「そっちじゃなくて。俺と同じほう。せっかくの仲間なんだから」

「……い、樹、さん」

「ん」


 彼は。――樹さんは、親指を立てて私に向けてきた。

 私も反射的に親指を立ててみると、樹さんがそのこぶしを軽くぶつけてきた。

 その瞬間。樹さんの笑顔がすこし乱れたような気がした。


「樹、さん? どうかしましたか?」

「あ、いや……なんでもない。……じゃ」

「はい――おつかれさまでした」

「なにも疲れてないよ」

「あ、えっと、……さようなら、です」

 樹さんは微笑んで「ん。また」


 樹さんの後ろ姿から目をそらして、私はふたたび端っこの席に座って本のつづきを読み始めたけれど。


 胸の鼓動がいつもと違って、その内容はぜんぜん頭の中に入ってこなかった。

 


      * * *



 鷹取樹。

 私からはいちばん遠いところにいたはずの男の子。が。

 その日、私の世界に落ちてきた。


 

      【俺、高校三年生、初夏】


 

 恋なんて今までしたことなかった。

 俺。鷹取樹。は。自分で言うのもアレだけど、周囲から(特に女子から)好意をもたれることが多くって。そのたびにまわりのやつらは『羨ましい』だとか『樹はいいよな』とかって羨望の眼差しを向けてきたけど。べつに。そんなの。どうってことなくて。好きって言われることは嫌じゃないけれど。それで。べつに。俺の気持ちが動くことは――心臓が高鳴るなんてことは、ないんだった。


 だから。『好きです』って言われても。『ありがとう』って。なるべく相手を傷つけないように伝えて。だけどみんなは泣いて。『ごめんなさい』って。謝って。『謝らなくていいよ』って。『こっちこそごめんね』って。思ってるんだかなんだか分かんない言葉を吐いて。なんで。みんな。そんなに感情を動かすことができるんだろう。胸を押さえて。苦しそうで。好きって気持ちに、右往左往されて。そんなに顔をぐちゃぐちゃにすることができるんだろう。『これからも好きでいていいですか』って。言われても。そんなの俺に決定権はないから。あいまいな笑顔でごまかして。


 ああ、そういえば、俺の笑顔はこうやってできている。



      * * *



 息抜きのつもりだった。


 高校三年生。ベストの状態で臨んだ陸上の大会で。

 俺はスタートに失敗して下位になった。三年生は受験が控えてるからそれで引退ではあるんだけど。俺はほとんどスポーツ推薦が決まってるから、みんなには悪いけど、一般的な受験生と比べるとまだまだ余裕があるんだった。そういえば。死んだじいちゃんが本が好きだったなって。思い出して。ふっと帰りに今まで一度も来たことのなかった図書室によってみた。そしたら。そこで、()()を見つけたんだった。黒くて長いきれいな髪の女の子。窓際の席に座って、静かに本のページをめくってる。不思議な雰囲気をもっていて(それはぜんぜん嫌いじゃなくって)、物静かな、女の子。きっと今までだったら、あまり関わりあうことのなかった(むしろ、俺なんかが触れられない、いちばん遠い世界にいるかのような――)女の子。ああ、ちょうどいいや。あの子に本の借り方でも教わることにしよう。なんてことを思って。


「あ、わるい」


 きみに。図書室の端の席に座っていたきみに。


「本の借り方、教えてくれると嬉しいんだけど」


 声を。かけてみた。


「……きいてる?」

「あ」きみは素っ頓狂な声で聴き返してきて。「私、ですか?」

「きみ以外いないじゃん」

「は……はい」


 読みかけだった本を閉じて、何の脈絡もなく立ち上がったきみから本の借り方を教わった。特に借りる本も決まってなかったし、『せっかくだから、本も選んでよ。おすすめのやつ』って聞いてみたら、きみは一冊の小説を手に取った。その一番後ろから図書カードを抜いて、俺に渡してくれる。その一番最後に名前を書いている様子を、きみはじいっと食い入るように見つめていた。


「さんきゅ。助かった。――えっと、名前。なんてゆうの」

「……あ、別に」

「別にって。ないの?」

「え?」

「名前」

「あ……あります」


 面白い人だなって思って。そのとき俺は笑ったけれど。

 その笑顔は――今まで自分の知らない感情だった。ような。気がする。なあ。


「河野です」

「ふうん。下の名前は?」

「あ、えっと……さくら、です。河野さくら」


 好きな名前だなって思った。そして目の前のきみも。さくらっていう名前にふさわしい、奥ゆかしくて、可愛い女の子、だった。だからそれを。やっぱり今までとは違う笑顔で、きみに伝えた。


「へえ。かわいい名前じゃん。……ってか、同じ」

「え?」

「俺たち。ほら、樹とさくら」

「……あ」

「毎日ここにいるの?」


 おずおずときみはうなずいた。


「そっか、よかった。返すときにも、教えてよ」

「は、はい……そんなことで、よければ」

「んじゃ、よろしく、さくら」

「こ、こちらこそ、です」

「呼んでよ。名前」


 せっかくだったから。きみに名前を呼んでほしかった。なんだかそういう気分だった。

 それも、ぜんぶが、初めての感情で。


「え、あ。……鷹取、さん」

「そっちじゃなくて。俺と同じほう。せっかくの仲間なんだから」

「……い、樹、さん」

「ん」


 俺は、親指を立ててきみに――さくらに。向けた。

 同じように差し出してきたきみのこぶしに軽くぶつけた瞬間。

 俺の心臓が、初めて弾けたような気がした。


「……じゃ」

「はい――おつかれさまでした」

「なにも疲れてないよ」

「あ、えっと、……さようなら、です」


 さよならって。その言葉が。さくらの口から出てくるのが、なんだか寂しく思えたから。


「ん。また」


 って。俺は言って、なるべく動揺がきみにばれないようにふるまいながら、図書室をあとにした。



      * * *



 河野さくら。

 俺からはいちばん遠いところにいたはずの女の子。が。

 その日、俺の世界に落ちてきた。



      【私、高校二年生、夏】



 それからの私たちの関係は。つまりは樹さんと私の過ごす日常は。いろんな初めての感情に満ち溢れていた。樹さんは次の日、目の下にくまをつけたまま、また図書室に来てくれた。どうやら貸した本が面白くて一晩で読み終えてくれたらしい。『どこのシーンがお好きでしたか』ってきいたら。『卒業式のとこ』って。私の一番と同じシーンを答えてくれて。それは高校の卒業式。主人公の女の子が、片思いと思っていた男の子から満開の桜の木の下で告白をされるシーン。『いいよな。こういう青春してみたかった』って。まるで自分が青春から取り残された人みたいに樹さんは言って。そんなの。青春から程遠いのは私のほうだから。樹さんみたいに、きらきらとした――青く輝く春の世界にはいないから。なんてことを言おうとして言えないでいた。


 それを境に。樹さんは毎日図書室に来てくれるようになった。私のおすすめをきいて。読んで。勉強にも励んで。なぜか。どうして。――樹さんは、私の隣の席にいてくれた。ふたり横並びになって。窓から響く学校の音を聞きながら。私が本を読んでいる隣で。ときどき。いろんなお話をして。笑いあって。微笑みあって。私とあなたは温かな時間を過ごしていった。いつしか。必然的に。

 

 ――私は樹さんのことを、好きになっていた。

 

 だけど。世界が違う恋なんて。きっと実るわけはない。


 

      【俺、高校三年生、夏】


 

 それからの俺たちの関係は。つまりはさくらと俺のふたりで過ごす日常は。いろんな初めての感情に満ち溢れていた。借りた本が面白すぎて、寝る間も惜しんで一晩のうちに最後まで読破した。目の下に大きなクマができていて、なんだかそれをさくらに見せるのは恥ずかしい気持ちがしたけれど、またきみのいる図書室に向かった。『どこのシーンがお好きでしたか』ってきいてくれたから。『卒業式のとこ』って俺は答えると、きみは驚いたように目を丸めたあと、微かに笑った。『私の一番と同じシーンです』――それは高校の卒業式。主人公の女が、片思いと思っていた男から満開の桜の木の下で告白をされるシーン。『いいよな。こういう青春してみたかった』って俺は言うと。きみは不思議そうに目を瞬かせた。俺は青春から取り残されてるから。好きって感情を知らないから。どこまでも青春からは程遠いから。さくらみたいに、素直で、まっすぐで――純粋に輝く春の世界にはいないから。なんてことを言おうとして言えないでいた。


 それを境に。俺は毎日図書室に行くようになった。きみのおすすめをきいて。読んで。勉強にも励んで。その間。――隣の席にいる俺のことを、さくらは拒否することなく受け入れてくれたみたいだった。ふたり横並びになって。窓から響く学校の音を聞きながら。俺が本を読んでいる隣で。ときどき。いろんな話をして。笑いあって。微笑みあって。俺ときみは温かな時間を過ごしていった。いつしか。必然的に。あるいは。最初から。

 

 ――俺はさくらのことを、好きになっていた。


 だけど。世界が違う恋なんて。きっと実るわけはない。



      【私、高校二年生、秋】



「……あれ?」


 異変に気付き始めたのは秋の暮れ頃だった。

 私はいつも放課後になると図書室で一冊の本を選ぶ。端っこのいつもの席に座って。読んで。閉館時刻になるころにはちょうど一冊分を読み終えることが多いのだけれど。今日はまだ途中で時間になってしまった。から。借りてお家でも読もうと思って。お気に入りのエーデルワイスの押し花のしおりを挟んで。一番最後のページ。図書カードを。見ると。


「あれ?」


 その一番最後に。あなたの名前が。樹さんの名前が。あった。


「樹さん、自分で借りたのかな」


 勧めた記憶は、なくて。だって。せっかく『さくらのおすすめを教えてよ』って。目を煌めかせながら。太陽みたいに微笑みながら言ってくれるから。私もせっかくだから。今まで自分が読んだことのある、お気に入りの本たちを勧めるようにしていた。その感想を。学校からの帰り道。すっかり夜のとばりが下りた隣駅までの道を。並んで。一緒に歩きながら。聞くのが。とても。好きだった。なあ。だから。


「……私のお勧めじゃなくても。読むんだ」


 って。ちょっぴり。ちょっぴり。おこがましいけれど。おこがましいけれど。

 寂しい気持ちになったことを覚えてる。


「…………」


 なんとなく。途中だったけど。その本は借りずに帰ろうかなって。

 思って。図書カードを戻そうとしたときのことだった。


「……え?」


 あなたの名前。小説の主人公みたいなあなたの名前の。

 すこし。上に。


「私の、名前?」


 が。刻まれていて。それは確かに私の書いた字みたいで。だけど。


「どうして――」


 借りた記憶が。読んだ記憶が。私には。まったく。なかった。


「…………」


 なんだか怖くなって。本を閉じて。

 私は何も借りずに図書室をあとにした。



      * * *



「よ」

「あ……樹、さん」

 人気の少ない裏の校門の脇に。樹さんが立っていた。

 そのまま何も言うこともなく、私たちは学校の最寄からひとつ隣の駅までの道を歩き出す。その間にいろいろな会話(主に本についての感想だ)をする。それがいつの間にかできた私たちの日課だった。日課にして。

 

 ――樹さんのことを好きになってしまった私の、大切で尊い時間だった。

 

 だけど。この日は。


「ん……どうしたの。元気ないね」って。あなたに言われてしまうくらい。


 ざわざわと黒い靄が胸の中を覆っていたんだった。


「あ、や、そんなこと」って。そんなことあるのに。空っぽの言葉を吐いていたら。あっという間に駅についた。


「あ、あの……」

「ん?」


 私は。別れ際に。


「樹さんは、読んだこと、ありますか」


 なんて。私がさっきまで読んでいた本。『私と樹さんが借りたことになっている本』のことを。思い切って。樹さんに、聞いてみた。そうしたら。


「何言ってるの」って。あなたは。不思議そうに唇の端を上げて。



「――この前、その本の話しながら帰ったじゃん」



 なんて。まったく。覚えがないようなことを。

 あなたは言うんだった。


「じゃ。またな――さくら」


 またね、なんていう。明日を約束してくれる言葉が。

 なんだかとっても儚いものに感じられた。


 

      【俺、高校三年生、秋】


 

 はじめての恋。初恋。は。

 俺にとって新しい感情の連続だった。

 さくら。河野さくら。俺の初恋の相手。

 図書室で出会った、遠い世界の女の子。まるで本の森の奥でひっそりと囚われているかのような。寓話的で不思議な気配をもつ黒髪の女の子。に。


 俺は恋をしていた。


 最初は会話をするきっかけのつもりだった。読んだ本の感想を話したいからって。『静かな図書室じゃできないでしょ』って。提案してきみと一緒に帰る約束を取り付けた。『せっかくだから隣の駅まで歩こうよ』って。わざときみと長い時間話せるように。伝えて。人気の少ない裏の校門で待ち合わせをして。そこから歩く帰り道は。とても。幸せに。溢れていた。なあ。きみと話す言葉のひとつひとつが。つむがれる文章のひとつひとつが。流れていく想いのひとつひとつが。俺の脳みそに。心に。心臓に。刻みつけられて。かけがえがなくって。

 

 ――そのぜんぶが忘れられない思い出だ。

 

 だから。


『樹さんは、読んだこと、ありますか』


 なんて。この前読んで感想を話したばっかの本のことを。

 さくらが聞いてきた時に。なんだか。寂しさ? みたいなものを覚えて。

 確かに。さくらはたくさんの本を読んでるから。きっと俺なんかより何十、何百も多くの本を読んでるから。わかってたけど。だけど。――ああ。なんだ。さくらにとっての本の話は。俺にとってはひとつひとつがかけがえのないハジメテでも。きみにとっては――たくさんのうちのひとつでしかなくって。覚えてやしないくらいの。ささいな会話の欠片に過ぎないんだった。

 そう思ったら。なんがか寂しくて。悲しくて。虚しくて――悔しくて。


「……っ」


 鞄を近くの電信柱にぶつけようとして、やめた。


「……なんなんだよ」


 胸がへんなふうに鼓動を続けている。ああ。もう。きみに出会ってから。

 俺の心臓は、知らない音ばかりたてている。


「冗談、だったのかもな」


 俺は自虐的に笑った。さくらが冗談を言わないようなやつってことは知ってる。だけど。


「……慣れない、冗談だったのかもな」


 だとしたら。

 とてもじゃないけど、笑えない。



      * * *



「さくら――好きだ!」


 って。俺はある日。校門から隣の駅までの帰り道で。きみに向かって()った。

 はっきりと。大きな声で。忘れようがない強さで。想いを、こめて。

 俺はきみに伝えた。


「……え?」


 って。きみは信じられないように瞳を震わせた。


「好きだ。俺は、さくらのことが、好きだ! だから――俺と、付き合ってほしい」


 それは感情の奔流だった。溜まったダムが決壊するみたいに。俺は内側からあふれるきみへの感情を我慢することができなくなった。心臓は相変わらず知らない激しい音を立てて、全身に熱く滾った血液を送り出している。部活で全力疾走をした時とも異なる激しい音だ。


「……あ、……ええ、と」


 視線を揺るがせて。身体を震わせて。口を何度も開閉させて。

 きみは何かを必死に伝えようとしているみたいだった。


「……、……」


 そのつづきの言葉を聞くのが。怖くなって。俺は。


「あ、……明日でいいからなっ」

「え?」

「明日。また。いつもの校門のところで」

「ですが――」

「もう一回伝えるからっ」と俺は語気を強める。「ほら、裏門の近くに、大きな桜の木があるだろ。最初に貸してくれた本。卒業式のシーン。満開の桜の木の下で、愛を伝えるシーン。……って言っても、今は花は咲いてないんだけど。せっかくなら、そのほうが、いいかなって」


 自分でも。何を言っているのか分からなくなって。頭の中がかあっと熱を持って。論理にもなっていない言葉が溢れて。どうしようもなくて。きみをつなぎとめたくて。


「あー……わるい。早まった。忘れてくれなんてことは言えないけど。答えはその時でいいから。また――明日」


 なんて。捨てセリフみたいなのを吐いて。俺は逃げるようにして駅の改札をくぐった。

 後ろの方で、さくらが俺の名前を呼んでくれた気がした。



      * * *

 


 次の日。

 きみはいつもの校門に来ることはなかった。



      【私、高校三年生、冬】



「好きだ!」って。大好きな人に言われる夢をみた。夢?

 夢じゃないかもしれない。現実かもしれない。だけど。

 それこそ小説の世界の出来事みたいに。

 私が大好きな人から告白されるなんてこと。


 そんな夢物語――あるわけ、ない。

 

 だけど。昨日。私はそんな夢を見たような気がした。


 はっきりとは。


 覚えていない。



      * * *



「どうして来なかったんだよ!」


 って。樹さんが図書室で大きな声を出した。私は慌てて読んでいた本を閉じて、お静かに、のポスターに視線をやった。あなたは気づいて、声のトーンを落として繰り返す。


「どうして……来なかったんだよ」

「ええと……」

「昨日。約束したじゃんか」


 きみは驚きとか、切なさとか、寂しさとか、怒りとか、そういうどうしようもなさで。震えていて。それで私は。ああ。

 

 ――もう、隠すことはできないなって。

 

 私にとって。大切な。大好きな人との記憶までも。

 決定的な部分までも。浸食されてしまったんだなって。思って。

 私は覚悟を決めて――ビョーキのことを。きみに伝えた。



      * * *



「記憶が」

『え?』

「なくなっていくみたいで」

『……どんどん、忘れてくってこと?』

「脳の細胞の、シナプスって言うんですけど。その結びつきが、すこしずつ外れていくんだそうです。症状の進行につれて、日常生活のいろいろなことができなくなっていって。最終的には、記憶だけでなく。息をするのも――忘れて。そのまま、亡くなってしまうみたいで」

『…………』

「心臓が、鼓動の仕方を、忘れてしまう、みたいで。それで、まだ、治療法は、なくて」

『つまり――ビョーキは、治らない』

「はい。現状は」

『まだわからないだろ。もしかしたら、特効薬みたいなのが開発されて――』

「それでは遅すぎるかもしれません」

『え?』

「いつか。治療法はできるかもしれませんが……その頃には、私はもう」

『どういう、ことだよ』

「あと――3か月みたいです。私が、すべてを、忘れてしまうまで。心臓が。鼓動を。忘れてしまうまで」

『……っ』

「――それがきっと、私の、ひと足早い卒業です」



      * * *



 ほどなくして。私は病院に入院することになった。



      【俺、高校三年生、冬】


 

 ほどなくして。きみは病院に入院することになった。

 俺は放課後になると毎日。きみに会いに行った。病室にいくと、ベッドで本を読んでいるきみの隣に座って。きみのおすすめをきいて。読んで。勉強にも励んで――ぜんぶ、これまでの日課と同じだ。

 窓から響く病院の音を聞きながら。きみが本を読んでいる隣で。ときどき。いろんな話をして。笑いあって。微笑みあって。俺たちは温かな時間を過ごしていった。だけど。


 それもいつまでもは。続かなくって。


「あ、あの――」


 きみは。ある日。とても言いにくそうにして。


「私――本を。読めなく、なってしまいました」

「……え」


 空に穴が空いたような心地だった。


「え?」って俺は聞き返す。「どういう、こと」

「文字が――分からなく、なってきていて。まるで海外の言葉みたいに、頭の中に、言葉が、その意味が――届かなくなってきていて」


 きみは視線を手元に落としたままつづける。


「ですから。すみません。もう――樹さんに、新しい本をご紹介することはできないかもしれません」

「っ! ……そんな、こと」俺はいろんな言葉を飲み込んで、「き、気にするなよ。だって、さくらには、今までの分があるし。俺、読むの遅いし? それこそ今から一生かかったって、さくらの読んできた本の量に追いつくことはできないと思う。だから、さくらが今まで読んできた本でまたおすすめを――」


 そこで俺は気づいた。彼女は俺の言葉に対して。ゆっくりと。申し訳なさそうに。首を振った。


「……っ」


 俺は唇を噛み締めた。最低だ。さくらは。どんどん。記憶がなくなってしまっている。それにはきっと、きみが今まで読んできた本の記憶も含まれている。なのに。


「……ごめん」

「謝らないでください。樹さんは、なにもわるくありません」


 なにもわるくない。ときみは言った。

 俺の中に激しい衝動が駆け巡る。けれどその熱の行き場はどこにもなくって。もどかしくって。たまらず俺は思いつきのように。言葉を発した。


「か、会話ならっ」

「え?」

「文字は読めなくても、聞くことなら、できるんだろ」


 きみはちいさくうなずいた。


「だったら、俺が読んでやるよ。文字を追うよりは時間がかかるかもしれないけど。それなら、まだきみと新しい本の話ができる」

「で、ですが……」

「まだきみと話したりないんだ。それに」


 俺は彼女の肩に手を置いて、言った。


「こうすれば、きみと同じ分だけ物語を進められる。どちらか片方が置いていかれたりはしない」

 きみは入院服の袖口で顔を覆って、震えながらうなずいた。

「ありがとう、ございます――」



      * * *



 学校が終われば。図書室で慣れた手つきで本を借りて。きみのところへと向かう。

 病室にいくと、ベッドに横たわってぼうっと天井を見つめていたきみが俺に気づいて柔らかな微笑みを浮かべてくれる。隣に座って。きみに勧めたい本を読み聞かせる。これまでの日課とはすこし違うけれど。窓から響く病院の音を聞きながら。きみに本を読んでいる隣で。ときどき。いろんな話をして。笑いあって。微笑みあって。俺たちは温かな時間を過ごしていった。だけど。ある時。

 本を最後まで読み終わったところで。きみは。

 俺に向かって。微笑を浮かべたまま。


「いつも、ご本を読んでくださって、ありがとうございます」


 なんて。言いながら。どこか他人行儀な様子で。

 


「――病院の(かた)ですか?」


 

 なんて。ことを。俺に。俺に。向かって。云ったんだった。


「病院の、方ですか?」って。きみは同じ柔らかい微笑みのまま繰り返して。


 俺は。もう。何も言葉を発することができなくて。そうしたら。きみは窓の方を向いて。


「もうすぐ卒業の季節ですね」


 なんてことを言った。病院の窓からは、敷地に並んだ桜の木が見える。

 枝の先々についた蕾からは、今か今かと開花を待ち望んでいるような生命力が感じられた。


「桜が咲くのが楽しみです」ってきみは言った。

「そうだな」って俺は震える声で言った。

「――私、好きな本があるんです」


 知ってる。


「その中でも一番のお気に入りは卒業式の場面で」


 知ってる。


「高校の卒業式。主人公の女の子が、片思いと思っていた男の子から満開の桜の木の下で告白をされるんです」


 知ってる。知ってる。知ってる。


「素敵ですよね。今はもう難しいですが。叶うことなら――そういった青春を、してみたかったです」

「……できなかったのか?」


 きみは。儚い笑顔のまま。答えた。


「はい――私は結局、一度も恋を知ることはありませんでした」

「……っ」


 俺は。結局。きみの中に。

 なにひとつ――残っていなかった。


「あ……すみません。へんなことをお話してしまいました。あの……よかったら、明日も読んでもらえますか」


 俺は。震えながら。うなずいた。「もちろん」

「ありがとうございます。本は好きだったんです。……あれ?」


 きみは不思議そうに言った。


「どうして、泣いているのですか」


 窓の外で大きく桜の枝が揺れた。


 きみに残された最後の季節になった。



      【俺、高校三年生、春】



 学校が終われば。図書室で慣れた手つきで本を借りて。きみのところへと向かう。

 病室にいくと、ベッドに横たわったまま動かないきみの隣に座って。きみに勧めたい本を読み聞かせる。窓から響く病院の音。点滴と心電図の機械的な音。きみがたてるとても静かで規則的な呼吸音を聞きながら。寝たきりのきみにむかって。本を読んで。ときどき。いろんな話をして。なるべく笑うようにして。笑顔をつくって。笑い声を響かせて。きみにむかって。たくさんの言葉を投げかける。だけど。もう。


 きみから何か反応が返ってくることはない。


 きみはただうっすらと瞼を開けて。視線はぼんやりと天井に向かっている。その瞳に何が映っているかは分からない。

 俺がどれだけの言葉をつむいでも。それがきみに届いているかも分からない。それでも。俺は。聞いてるって信じて。届いてるって信じて。きみに向かって。本を。勧めたい本を。きみから感想を聞きたい本を。何度も。読み聞かせた。反応がなくたって。なにも返ってこなくたって。


 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。


 俺はきみに向かって言葉をつむいだ。


 だけど。あるとき。耐えきれなくなって。

 驚きとか、切なさとか、寂しさとか、怒りとか、そういうどうしようもなさで。震えて。それ以上に。想いが溢れて。


 好きって気持ちが。

 はじめての気持ちが。

 溢れて。零れて。抑えきれなくなって。涙でぼろぼろになって。

 俺はベッドに静かに横たわるきみのことを。抱きしめた。


 そして。

 もう一度。

 言った。


「さくら――好きだ!」


 はっきりと。大きな声で。忘れようがない強さで。想いを、こめて。

 俺はきみに伝えた。


「好きだ。俺は、さくらのことが、好きだ! だから――俺と、付き合ってほしい」


 それはあの時。伝えたけれど伝わらなかった言葉。そのままになっていた愛の告白。


「小説の中のシーンとは違うけれど。ほら――花は咲いてる。満開の桜だ」


 俺は窓の外にさくらの顔を向けた。


「見えるか」


 さくらは答えない。


「きれいだよな」


 さくらは答えない。


「いつかきみと一緒に、あの下を歩こう」


 さくらは答えない。


「それでまた、読んだ本の話をするんだ」


 さくらは答えない。


「お気に入りのシーンはきっと――俺たちふたりとも、おなじだ」


 さくらは答えない。


「……っ。好きだ」


 俺は。何度でも。何度だって。言った。

 さくらは何も答えない。動かない。それでも。


「好きだ――さくら、好きだ……!」


 俺は。何度だって。何度だって。言うから。だから。


「たのむ。俺は、きみの中から、消えたくない――きみは俺にとって一番大切な――はじめて愛した――最初で最後の、人なんだ……っ!」


 俺は震える声で。身体で。吐息で。きみに云った。


「さくら、さくら……っ」


 胸を押さえて。苦しくて。好きって気持ちに、右往左往されて。顔をぐちゃぐちゃにさせながら。頭の中をぐちゃぐちゃにさせながら。叫んだ。


「好きだーーーーーーーっ!」


 そのとき。

 窓の外から大きく風が吹いて。

 信じられないほどの――それこそ、小説の中みたいな――桜の花吹雪が。

 部屋の中に吹き込んできた。


「……っ」


 舞い上がった桜の花びらで視界が薄紅色に染まる。

 俺はおもわずきみのことを抱きしめる。風は強く吹いてくる。桜の花びらは一面に散っている。踊るように舞っている。その花の嵐がひと段落したあと。


「……あ」


 きみは。目を開いて。俺のことを見つめてくれていた。


「……さくら?」


 その瞳の奥に。桜色の光が宿った。


「………………」


 未だ雪のように柔らかく宙を舞う桜の花びらを背景にして。

 その時、きみの口から。


 零れた言葉は――



      【私、高校二年生、最後の季節】



 私にはいつも楽しみがあった。病室のベッドに横たわって過ごしているだけの毎日だけれど。夕暮れ時になるといつもやってくる男の子がいる。私と同じくらいの年齢だろうか。顔立ちはきれいに整っている。きっと、私がビョーキでこうして入院していなかったら、絶対に出会っていなかった、私とは違う世界の男の子だ。そんなきみが、いつも私に本を読んでくれる。言葉はいつの間にか読めなくなった。それでも本は好きだったから。いつも学校の図書室で、紙のページをめくって、物語の中に飛び込んでいたから。それを代わりに、あなたが読み聞かせてくれている。私の誰にも侵略されることのなかった世界は、いつしかあなたと私のふたりのものになった。


 最近は起き上がることもできなくなってきた。身体に力が入らない――というよりは、体の動かし方が分からない、というのが正しい気がする。まるで自分の身体じゃないような感覚だ。それでも。きみの声だけは、ずっと私の耳に。頭に。心に。届いてくる。染みわたってくる。ごめんなさい。なにも答えることができなくて。なにも感想を伝えることができなくて。ありがとうもいえなくて。だけど。ちゃんと。聞こえてるよ? きみは。ずっと。物語を。言葉を。なにもできない私に届けてくれていた。


 何度も。途中で投げ出すことなく。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。


 その言葉のひとつひとつが――あなたの言葉だけが。言葉を通して伝わるあなたのぬくもりが。あなただけが。

 

 私にとっての――生きるよすがだった。


 なにもみえなくなった。終わりが近づいてる、って私は思った。()()だ。

 このまま私は、ぜんぶを忘れて。そのまま。私が私であることも忘れて。

 柔らかな泥の中へと落ちていく。

 べつに。それでもいい。惜しむ感情。生への執着も。いつか。消えてしまうだろう。だけど。


『……っ、……っ』


 どこか遠くの世界で。

 私のことを呼び続けている人がいる。


『……っ』


 真っ暗で。なにも見えない。なにも考えられない。

 なにもない世界で。ただひとつ。その音だけが。声だけが。ぬくもりだけが。

 私の薄れゆく思考の中に。記憶の中に。世界の中に。

 響いてくる。

 ああ。この音は。なんだっけ。

 とても、大切な音だった気がする。

 私にとって。世界を変えた、音だ――

 何よりも深い黒に向かって、ひとり。落ちていく中で。


『さくらっ!』


 遠い世界にいたはずの君の光が――私に向かって溢れた。


『好きだーーーーーーーっ!』


 そのとき。私の視界が、満開の桜色に染まった。


「…………」


 病室の窓の外から大きく風が吹いて。信じられないほどの桜吹雪が部屋の中に吹き込んでいる。

 ――それこそ、小説の中の世界みたいだな、って私は思った。

 そして目の前には。


「……っ」


 私の。大切な人が。世界を変えてくれた声の持ち主が。いて。

 私はあなたに抱きしめられている。風は強く吹いてくる。桜の花びらは一面に散っている。踊るように舞っている。その花の嵐がひと段落したあと。


「……あ」


 あなたは。目を開いて。私のことを。捉えた。


「……さくら?」


 未だ雪のように柔らかく宙を舞う桜の花びらを背景にして。


「樹、さん……?」


 私の口から。ずっと言いたくて言えなかった――

 最後の言葉が。答えが。零れた。


 


「はい――私も。樹さんのことが――大好きです」



 

 桜色の光は。

 いつまでも私たちのいる世界を照らしつづけていた。




















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