大学中退にあたって
「……何やってんすか、先輩」
僕が通っている大学のキャンパスは、その正門からタイルで舗装された道が敷地内へ伸びている。大小さまざまな石の正方形・長方形が敷き詰められた道だ。
その道のど真ん中で、その先輩は人目を憚ることも無くしゃがみこんでいた。歩いて行く他の学生や教員たちの視線を独り占めしている、というのは言うまでもない。
「あー、お前か」
僕の声を背中で受けた先輩は、しゃがみこんだまま顔をコチラに向けた。首から肩へ流れ落ちる髪が揺らめいて覗いた顔は、まるで悪戯を仕掛ける子供のような表情だった。
「気になるー?」
「いや、そんなことよりも。退学したんスよね?」
「んんぁ? まーそうだけど?」
確かに気にはなったが、その知らせを聞いてから散々キャンパスの中を探し回ったのだ。その慌ただしい疲労感に基づいて、僕が確認を取った途端、純粋な愉悦を宿していた先輩の表情が、面倒を厭う表情へ移ろってしまう。
「いやそんなことよりさー」
先輩は利き手に鋏を、片やラインテープを持っていた。
「お前も手伝えよ」
「……なにを?」
「決まってんだろ、タイルの枚数を数えんだよ」
なるほど確かに、先輩の向こうに続く道、そのタイルには、もれなくラインテープの断片が張られている。タイルすべてにラインテープを貼った後、それらを回収して数える作戦のようだ。
「なんでぇ……?」
「なんでってお前……気にならない? 毎日歩いてんだろ? ココ」
「いやそうですけど」
「嘆かわしいねー。毎日歩いてるのにココのタイルの枚数も知らねーのか」
「先輩だって知らないんじゃないですか」
「だから数えてんでしょうが」
先輩の言葉は澱み無い。
「流石にそこまで言われると、気になってきますね……」
「おっいいねー。じゃあコレ」
僕が溜息交じりに承諾を示せば、待ってましたと言わんばかりに、先輩が鞄から鋏とラインテープを差し出してくる。
「んじゃーそっち半分、頼むわ」
僕は差し出された「タイル数えセット」を受け取り、言われるがまましゃがんでタイルを数え始めてしまった。当然ながら、僕にも衆目が注がれていく。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
鋏を動かし、ラインテープを切断し、タイルに貼る。
目に映るタイルに貼り終われば、しゃがんだまま後ろに下がる。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
先輩と僕、ふたり道に並んでタイルを数えていく。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
しゃがみっぱなしでツラいので、たまに立ち上がって後ろに下がる。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ショキ、ツプ……ぺた。
ザリッザリッ。
作業に没頭するうち、自然と奇異の目線は気にならなくなった。先輩との共同作業という仲間意識か、奇行を実行しているという自棄の意識か、足腰の疲労に意識を取られてか。
「タイルの枚数気にしたことなかったー?」
「無かったですね……」
「でしょー? やっぱ誰も知ろうとしてないんだよねー」
タイルにシールを貼りながら、唐突に先輩が話を振ってきた。
「……先輩」
「なにー?」
「なんでココのタイル数えようって思ったんです?」
「あー……」
僕があらためて投げかけた質問で、先輩は呻いて手を止めた。
「……ただスゴスゴと何も知らずに居なくなるのは悔しいじゃないか」
「?」
「あー、いや違うな」
先輩が言い澱む。
「この道のタイルの枚数を知っている側の人間になりたい、からかな?」
「……そっスか」
それから作業は黙々と続いた。
そうしてタイルの枚数が判明し、先輩と僕はこの道のタイルの枚数を知っている側の人間になった。
「さて、いい時間だね。学食でも食べるかな?」
「え?」
先輩が大学の学食を食べている場面なんて、僕は想像できなかった。
「ウソウソ、冗談冗談。食べたこと無い儘大学を去るよ」
「最後だからこそ食べた方が良いんじゃないですか?」
「アホか。嫌いな場所の記憶は嫌な記憶だけであるべきだろ」
先輩は噛みつくように反駁した。
「大学での飯の記憶は、カロリーバーを齧りながら周囲を恨めしそうに睨みつける記憶。それでいーの」
僕はさびしくなった。
僕の顔を見た先輩は、なにかを言おうとして、やめて、そのまま踵を返す。
「んじゃあね」
僕は先輩の連絡先を知らない。
この小噺はだいたいフィクションです。