恋なんて不要と思っていたのに殺意高い系の執事を好きになってしまった
着飾った人々でにぎわう街。
友人同士の気軽なお茶会の後、私・エレアはひさしぶりに街へ寄った。
画廊で素晴らしい風景画を眺め、鮮やかなブルーがひときわ目を引く海の絵を買う。
そして、最近オープンしたばかりの宝飾店にも何気なく足を運び、身分を明かさず髪飾りやブレスレットなどを見ていた。
そう、ここまではとても平穏な休日だった。ここまでは────。
「ひぃぃぃ……!お許しください……!」
「ほぉ?詫びるということは己が何をしたかわかっているんだな?」
「ああああ……」
割れたガラスが、私の周囲をきれいに避けて散らばっている。
さっきまで「いいカモが来た」とにこにこ顔だった店主の男は、私の執事に胸倉をつかまれて真っ青な顔に変わっていた。
「もういいわ。事を大きくしないでちょうだい、アルグレート」
ため息交じりに私がそう言うと、執事はようやくその手を離して店主を解放する。
イミテーションにもならない質の悪い宝石を売りつけようとしてきた店主は、私のことを田舎から王都へ出てきた世間知らずのお嬢様と勘違いしたらしい。
私が辺境伯の一人娘でしっかり目が肥えているとも知らずに……。
「誰か彼を運んで」
遠巻きに見ていた店のスタッフに向かって声をかける。
詐欺を働こうとしたのは店主が悪いが、ガラスを割って「これが宝石ですって?」と鼻で笑って、店主の胸倉をつかんだアルグレートの行為はやりすぎだった。
「エレア様、私が……」
ここでアルグレートが手を上げる。
本人はやりすぎたなんて思っていないはずなのに、どうした風の吹き回しだろうかと私は疑いの目でアルグレートを見る。
「あなたが運ぶの?」
「はい。拷問専用の監獄へ」
「そこは医者になさい」
こら。
なんで残念そうな顔をするの。
「店の方々、騒がせてごめんなさい。弁償が必要であれば警吏隊へ届けてください。シュヴァイガー辺境伯家がしっかりお支払いいたします」
私はそう言うと、店のスタッフに店主を任せてその場を離れた。
外に出ると、眩しい日差しに目が眩みそうになる。
すぐさま影が落ちたのは、アルグレートが日傘を差し出してきたからだった。
「もう、せっかくの寄り道が台無しだわ」
過保護な父は、私が外出するのをよしとしない。
近頃では、貴族令嬢でも街へ遊びに行くくらいはするのに。
「本当に迷惑な輩でしたね」
「あなたよ、あなた」
「あいつ、どうします?秘密裏に殺処分するか、引き摺り出した内臓をピーーーーーーにピーーーーして飾りつけしてから始末するか?」
「殺意が高い」
このアルグレートは父が私につけた護衛であり執事であり、日々の世話係である。
煌めく銀髪に赤い瞳はこの国では珍しい魔法使いの色で、二十二歳にしてほかの魔法使いたちからも一目置かれている実力者だ。
本来なら、私のそばではなくもっと活躍の場があるはずだ。
私が十歳のとき、「この子がいい」と護衛候補たちの中からうっかり選んでしまったがために、アルグレートは七年経った今もここにいる。
いや、でもあのときはアルグレートに魔法の才能があるなんて知らなかったのだ。ただ、父が連れてきた護衛候補の青年だとばかり……。
「エレア様のそばにいると自然にこうなりますよね」
「私のせい!?」
確かに、命を狙われることも1度や2度ではないけれど、この殺意バッキバキの執事が私のせいで誕生したといわれるのはちょっと納得いかない。
私がムッとしているのと対照的に、彼はふわっと優しい笑みを浮かべた。
「戻りましょう。あまり外にいるとお疲れが出ますよ」
「…………」
本当にどうしようもない。
この笑顔にときめいてしまうなんて。
こんな男を好きだなんて、私はどうかしてる。
私は無言で歩き始め、ぴったりとついてくるアルグレートのことをなるべく意識しないようにした。
◆◆◆
「お嬢様、とてもおきれいですわ」
「ありがとう」
今日は、婚約者である第五王子と食事をする日だ。
最近は誘っても誘っても「予定があるから」とかわされていたから、会うのは三カ月ぶりである。
長い金髪は流行りのアップスタイルにしてもらい、できるだけ可愛らしく見えるよう薄桃色のドレスを選んだ。
「ちゃんと……ちゃんと結婚までしないと」
執事への恋心なんて、私には不要なもの。
私は辺境伯の娘として、一番いい縁談をつかまなければいけないのだから。
「お母様、見てて」
領地もない男爵家の娘だった母は、父と身分違いの恋に落ちた。
二人の恋物語は瞬く間に社交界をにぎわし、注目を集め、そして嫉妬も向けられた。
母は努力を重ね、立派な淑女であろうとした。皆に認められる、素敵な夫人になろうとしていた。
でも、現実は厳しかった。
母は周囲に虐げられ、そのせいで体を悪くして亡くなった。
父は妻を守れなかったと後悔に苛まれ、辺境の砦でずっと戦場に身を置き続けている。
『おまえだけは幸せになってくれ』
最後に会ったのは5年前。
それ以来、私のいるこの邸は最も安全でありながら最も寂しい場所になった。
私は、両親のために幸せになる。
立派な淑女になって、素晴らしい結婚相手を見つけて、誰から見ても幸せな人生を歩むの。
「お嬢様、殿下がお見えになりました」
アルグレートの声がする。
振り返れば、扉の前に彼はいた。
「ありがとう。今行くわ」
三カ月ぶりの再会。
最高のおもてなしをして、殿下にいい気分になってもらう。
私の婚約者でよかったと思ってもらえるように……!
ところが、出迎えのために玄関まで出た私の目には予想外の光景が飛び込んできた。
「久しぶりだね。今日はもう一人客人を紹介したくて連れて来たんだ」
殿下は麗しい笑みを浮かべながら、隣にいるかわいらしい令嬢を紹介した。
「彼女は僕の────」
満面の笑みの王子様。
淑やかで控えめな、そして友好的な笑顔を向けてくるご令嬢。
「客人」だと表現されたものの、どう見ても仲睦まじい雰囲気に私は目の前が真っ暗になった。
◆◆◆
窓の外には大きな月が浮かんでいる。
黄金色のそれはいつになく輝いていて、今夜は幸福が降り注ぐと言われている大満月の日だったと気づく。
殿下がお帰りになった後、着替えもせず私室でぼんやりとしていた私の耳にアルグレートの声がした。
「エレア様」
「…………」
振り返るのが怖い。いろんな意味で。
でも、ゆっくりと振り返ってみた。
鈍色に光るサーベルを抜いたアルグレートは、無表情で言う。
「串刺しにするには少々短いですかね?」
そのシンプルな殺害方法に、彼の怒りの大きさを感じた。
でも私は突っ込む気力がない。
「短くないわよ、いけるわよ……」
明らかに元気のない声でそれだけ言うと、彼は不思議そうな顔をする。
「いや、二人まとめて串刺しだとちょっと短いですって」
「まとめるんかいっ」
「当然でしょう?どこの世界に、婿入りするのに『愛人ごと婿入りします』と宣言してくるバカがいるんですか?」
「いたじゃないの、今日。さっきまでここに」
私は、はぁ……大きなため息をつく。
殿下は連れて来たご令嬢を「この子とも一緒になるつもりなんだ」と紹介した。
罪悪感なんてこれっぽっちもない、とてもいい笑顔で。
殿下は、そういう方なのだ。
そしてあのご令嬢も、私を小ばかにするでもなく嫌味でもなく「お見知りおきを……」と言って微笑んだ。
悪気がない分、恐ろしい。
あの二人からは何の悪意も感じられなかった。まるで、おかしいのは私の方かしらと思ってしまうくらいに自然だった。
「王子様を婿にもらうのは『完璧な結婚』だと思ったのにな……」
面白くもないのに笑いが漏れた。
今の状況は悪夢としか思えない。
「エレア様」
落ち込む私に、アルグレートがゆっくりと近づいてくる。
うん、いったんサーベル仕舞おうか?普通に怖いんだけれど……?
私の目線で言いたいことを感じ取ったアルグレートは、サーベルをちゃんと鞘に納めてくれた。
手の届く距離にやってきた彼は、じっと私を見つめて問いかける。
「まだ『完璧な結婚』とやらにこだわるおつもりですか?」
私はぐっと返答に詰まる。
この婚約が破綻していることくらい、本当はずっと前からわかっていたから……。
「でもどうしろっていうの?お母様は……身分差のある大恋愛なんてするから不幸になってしまった。好きな人と結ばれても幸せになれるとは限らないのよ!だったら私は、せめて誰にも反対されない相手と……」
「私は反対です」
「っ!」
はっきりと宣言されて驚いた。
今まで、アルグレートは私に従順な執事で護衛でこんな風に反対したことはなかった。
「私はエレア様を愛しています。誰よりも……私よりあなたを愛する男はいないと断言します」
まっすぐな瞳は、その言葉が嘘偽りないと証明していた。
心臓が止まるかと思い、私は息を呑んだまま動けなくなってしまう。
アルグレートが私を?
私は愛している?
痛いくらい心臓がバクバクと鳴り始め、動揺からぎゅっと拳を握り締めた。
「私はただの執事です。エレア様がもっとも嫌がる身分差のある相手です」
「それは……」
「でも、私はあなたを幸せにします。もしもエレア様に心無い言葉を浴びせる者がいれば即座に報復します」
「ん?」
「この愛のためなら、他人の命など笑顔で踏み躙ってみせます」
「愛の言葉が一瞬で荒んだわ!」
ときめきを返せ!!
今度は呆れて言葉を失った。
婚約者が愛人を連れてやってくる。執事からいかれた告白を受ける。
…………ナニ?この一日は。
遠い目をする私に、アルグレートが一通の封筒を見せる。
くすんだ白い封筒には、懐かしい字で「エレアへ」と書かれていた。
「これは?」
「お母上からの手紙です。日記の間に挟まっていました」
「どうしてあなたが……」
母の遺品はすべて私が引き継いだ。もちろん、日記の存在も知っている。ただし中を見ることはできなくて、こんな手紙が挟まっていたことも知らなかった。
日記には、虐められてつらい日々が綴ってあると思ったのだ。
手紙を開くと、そこには確かに母の字が並んでいた。ときおり掠れ、震え、体調の悪さが窺るような文字だけれど内容はしっかりと読めた。
──あなたに苦労ばかり見せてしまった。
──でも私はあの人と結婚できて幸せだった。
──陰口も嫌がらせも、命を狙われても、それを超える幸せがあったから。
「お母様は不幸じゃなかったの……?」
病による痛みや苦しみで、美しい顔を歪ませるお母様。死に際のその様子が強烈に脳裏に焼き付いていて忘れていた。
父や私の名を呼ぶときは、心から幸せそうに笑っていたお母様の顔を。
お母様が幸せだったことを、どうして忘れていたんだろう?
涙が頬を伝い、手紙にぽたぽたと雫が落ちる。
「ううっ……」
ぐらりと体が傾いたところで、アルグレートにしっかりと支えられる。
彼の香りがして、それがさらに泣けてきた。
「エレア様の幸せがどこにあるのか、もう一度考えてみてください」
「私は……」
できることならずっとアルグレートといたい。
もう目を背けることはできなかった。
そのとき、廊下をバタバタと走る音が聞こえてくる。
静かな邸が一気に騒々しくなり、私は何事かと目を瞠った。
──バタンッ!!
「エレア!」
ノックもなく扉が開き、血濡れの鎧姿のお父様が飛び込んでくる。
毛むくじゃらで、赤い獅子と呼ばれる騎士らしい姿のお父様が……!
「野生のクマが入り込んだ?いや、人工のクマですか?」
「お父様よ!あなたの雇い主!顔を忘れないで」
アルグレートがさらりと失礼なことを言う。
何年も会っていないからって、顔を忘れないでくれる!?
お父様は私のそばに駆け寄ると、感極まった様子で強引に抱き締めてきた。
アルグレートのことは見えていないらしい。
「ああっ!エレア!すべて聞いた、婚約は取りやめだ!!」
「えっ?」
「王家から書状が届き……あのバカ王子は女連れでうちへ婿入りするつもりだと!」
王家からは「しばらくしたら飽きるだろうから大目に見てやってくれ」と言われたそうだ。
憤慨したお父様は、使者を怒鳴りつけて追い返したと言う。
「破談だ!王城へ乗り込んでやる!!」
「やめてください!お父様!」
それから数時間、ずっと父の怒りは収まらなかった。
私は必死に宥め続け、どうにか謀反だけはやめてもらった。
◆◆◆
照りつける日差しの下、青々とした葉が茂るのを見て私はにっこりと笑う。
私が育てた野菜たちは、そろそろ食べごろを迎えそうだ。
「見て見て!トマトがこんなに真っ赤になってるわ!」
王都から遠く離れた辺境伯領。
うちが持っている別荘のひとつに私はいた。
ここへ来て数ヵ月。
畑仕事をしたり、料理をしたり、とても貴族令嬢とは思えない暮らしをしている。
王子様との婚約は解消された。
こちらが何か言わずとも、「恋人と失踪してしまった」のだから婚約解消は自然な流れだった。
「まるで血のような赤ですね」
「もっとほかに例えがあるでしょう」
笑顔のアルグレートは、今日も私の隣にいる。
私がトマトを食べようとすると、彼は「せめて洗いましょう」と言って魔法で水を出してくれた。
実のところ、王子様の失踪はこの男の仕業なんじゃないかと思っている。
報告書には「王子が愛人と違法賭博場にいたところまではわかっているが、その後の足取りは不明」とされていて、「借金が膨らみ過ぎて逃げたのでは?」と王家もうちもそういう認識でいるものの、なぜ王子様がそんな風に堕落したのかはわからない。
もしかして、ずっと前からこうなるように画策していたのでは……?
ふとそんな疑問が浮かんだ。
「どうなさいました?」
「……何でもない」
私は何も考えないことにして、目の前にトマトに集中する。
つやっとした赤い表面に思いきりかぶりつき、そしてもぐもぐと頬張った。
とてもざらっとしていておいしくない。
「うわっ、皮は硬いし食感も悪いし、味は薄いわ」
煮詰めて料理に使う方がいいな。生は無理だ。
アルグレートは私を笑顔で見つめている。
「売り物は、甘くなるよう改良して栽培されているんですよ。自然のままに育てておいしい物ができるなんて都合のいいことはありません」
「そうね」
「はい……都合のいいことはそうそう起きません」
「何か意味深で怖いわ!」
怯える私を見て、アルグレートはくすくすと笑う。
本当にこれでよかったのかしら……?
お父様に頼んで、私は「療養」ということで領地へ下がった。
アルグレートは私の執事兼護衛でありながら、管財人としての仕事も増やしてここで働いている。
半年ほど経ったら、私たちは正式に婚約する予定だ。
これも私がお父様に頼んだのだ。
身分の問題はあるものの、お父様は私が愛する人を見つけたことが嬉しいと言い、あっさりと許可してくれた。
アルグレートは「クズ王子効果」だと言って笑っていた。
あんなことがあったら、たいていの男はよく見えるものらしい。
「エレア様、収穫はあとで私がやりますから邸の中に入りましょう」
「ええっ、自分でやりたいのに」
「大事なあなたに、疲れることをさせたくありません」
彼は相変わらずこの調子だった。
変わったことと言えば、歩くときに手を繋ぐくらいだ。
大きな手がそっと私の手を包み込む。
たったそれだけのことで、これからもずっと一緒にいられるんだと信じられる。
「……愛があれば、幸せになれるのかなぁ」
ぽつりと呟いた私に、アルグレートは笑顔を向けてくれる。
「愛と手を汚す覚悟ですね」
「突然の現実をありがとう!?」
怖い。
できればこの先、アルグレートが本領発揮といかないようお願いしたい。
しっかり見張っておかなければ……。
私はぎゅっと手を握り、離さないと決めた。