51. 兄
まさか、こんなところに地雷が眠っているとはな。急に空気が重くなった気がする。とりあえず、俺は謝罪することにした。
「……なんか、すみません」
「あ、気にしないでください。私が勝手に兄のことを思い出しただけなんで」
神楽さんは遠い目でキャンプファイヤーの炎を見つめる。
「兄は私の憧れの人でした。兄は運動も勉強もできて、いつもみんなの中心にいました。私がバスケを始めたのも兄の影響なんです。兄がいつも楽しそうにバスケをしていたから、私も一緒にバスケをしたくなって。そして、私が試合で活躍すると、兄がとても喜んでくれたので、私はそれをモチベーションに頑張れました」
「へぇ、良いお兄さんですね」
「はい。でも、そんな兄は、車道に飛び出した子供を助けようとして、それで、車に轢かれてしまいました。あの日のことは今でも覚えています。ちょうど大学の合格発表の日だったから、兄に合格を伝えようとしたら、病院のベッドで寝ているんですもん。多分、あの日ほど、テンションの起伏が激しい日は、今後の人生でもないでしょうね」
神楽さんは冗談っぽく笑うが、本当は笑えない状況だったんだと思う。俺は、そういった場面に遭遇したことがないから、こんなとき、どんな言葉をかけるべきかわからない。
「兄を失ってからは、正直、何もする気が起きませんでした。兄は私の憧れで、目標でもありましたから。だから、今日、宿須さんを見て、兄のことを思い出し、懐かしくなりました」
「……俺のどの辺がお兄さんに似ているんですか?」
話を聞く限り、神楽さんのお兄さんと似ているとは思えない。彼はきっとイケメンで、俺が教室の端っこで寝たふりをしているとき、教室の中心にいるような存在だ。そんな真逆の2人にどんな共通点が――。
「良い意味で傍若無人と言いますか、デリカシーがないと言いますか。そうはならないでしょ、ってことを当たり前のように言ってくるところですかね」
――ポジティブな理由ではなかった。
「……すみません」
「いや、良い意味ですよ! 何と言うか、枠にとらわれていない感じが、私には格好よく見えるんです。それでいて、たまに思い出したように優しくなるから、そういうところも兄に似てます!」
「ありがとうございます?」
普段は人の発言を疑ってばかりの俺だが、ここは素直に受け取っておこう。
「だから、宿須さんには感謝しているんです。冒険者になりたいと思っただけではなく、兄のことも思い出せたんで」
「……でも、思い出すと辛いんですよね?」
「はい。ただ、いつもよりポジティブな感じです!」
「なら、良いですけど」
「私が剣士を選んだのも兄の影響なんです。兄だったら、絶対に『剣士』を選ぶだろうなと思って」
神楽さんは嬉々とした表情で語る。先ほどまでのほの暗さは消えていた。元気になったようで何より。
「お兄さんのこと、今でも好きなんですね」
「はい!」
神楽さんは満面の笑みで答えた。見ているこちらまで明るくなりそうな笑顔だ。
そこで俺は気づく。
(神楽さんの願いって、もしかして、兄を生き返らせることなのか?)
神楽さんのお兄さんに対する思いを聞いていたら、そんな気がしてきた。
(でも、死者の復活とかできるのかな?)
ダンジョンの精霊は、難易度Sのダンジョンをクリアしても、ダンジョン関係の願い事しか叶えてくれなかった。だから、もしもその願いを叶えたいなら、彼女は難易度がSよりも高い、超高難易度のダンジョンをクリアする必要がある。それはきっと茨の道に違いない。
(超高難易度のダンジョンか……)
どんなダンジョンなんだろう。すげぇ気になる。今となっては、軽井沢ダンジョンですら物足りなかったので、俺自身、超高難易度のダンジョンに挑戦したい。となると、神楽さんと目標は一緒だ。
「……神楽さん」
「はい?」
「お互い頑張りましょうね。そして、すげぇ剣士になった姿をお兄さんに見せてあげましょう」
「え? あ、はい! 頑張ります!」
☆☆☆
――翌朝。広場で神楽さんと合流し、ダンジョンに向かう。
草を分けて、ダンジョンに入る。今日も快晴で、緑の大地が広がっている。ダンジョンじゃなかったら、観光地になっていそうな景観だ。
歩いていると、早速モンスターが出現した。ツノウサギだ。1体しかいないから、朝の準備運動には丁度いい相手だ。
「それじゃあ、神楽さん。行ってみますか」
「はい」
神楽さんは前に進み出たが、踵を返して、戻ってきた。
「あの」と神楽さんは遠慮がちに言う。手をもじもじさせ、何か困っているように見える。
「どうかしたんですか?」
「昨日、宿須さんと『きっかけ』の話をしたじゃないですか」
「はい」
「それで、私の『きっかけ』になりそうなことについて考えてみたいんですけど、1個だけ思いつくものがありました」
「何ですか?」
神楽さんが顔を上げる。心なしか顔が赤い。そして、どこか気恥ずかしそうな表情で彼女は言った。
「もしも、私があのモンスターを倒したら、私のこと、いっぱい褒めてくれませんか?」