43. 願い事
飲みかけていたホッピーを吹き出すところだった。慌てて飲み込むと、変なところに入って、せき込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫です」
口元をぬぐって平気なことをアピールする。彼女の目的が不意打ちすぎた。願い事を叶えるために、ダンジョン攻略をする人がいるとは思わなかった。しかし、ダンジョンに行けば願いが叶うなんて話、聞いたことがないぞ。
「その、ダンジョンに行けば願い事が叶うんですか?」
「あくまでも噂です」
「都市伝説的な?」
「そうですね。宿須さんは聞いたことがないんですか?」
「ないですね。ちなみに、何をすれば、願い事を叶えることができるんですか?」
「なんか、そういう宝があるとかないとか」
「……へぇ。誰が言っていたんですか? そんなこと」
「友達が言っていました」
「なるほど」
友達。そこで俺は気づく。俺にはダンジョンについて話す友達や知り合いがいないから、巷で囁かれる噂話なんて知っているわけがない。
(やれやれ、孤高すぎたことが仇になってしまったか)
と、強がってみる。でも、そういった噂があるにも関わらず、冒険者になりたい人が増えないってことは、本気にしている人はほとんどいないってことか。
「私もわかっているんです」と神楽さんは寂しそうに目を伏せた。「馬鹿げているって。でも、本当かどうか試したくて」
「……何を願うんですか?」
「それは……」と言って、彼女は口を閉ざし、顔にほの暗い影ができる。
人に言いたくない願い事の一つや二つ、誰にでもあるだろう。俺にも人に話したくない、というか話すと面倒なことになる願い事があった。
「まぁ、無理に話す必要はないですよ。俺だって、聞き出したいわけではないですし」
「ありがとうございます」
「叶うと良いですね。神楽さんの願い」
「……そうですね」
彼女はそう言って、控えめに微笑んだ。
「ちなみに、宿須さんは何か叶えたい願いとかあるんですか?」
「え、俺ですか?」
考えてみる。ダンジョンが増える願いはすでに叶った。他に願うとしたら、何があるだろうか。
(難易度高めのダンジョンが増えることとかな?)
俺の願いによって、ダンジョンは増えたものの、難易度の高いダンジョンは多くない。今のところ、最高でも難易度Aのダンジョンだ。そのダンジョンは、関西にあって、現在ランク4とランク8、さらにランク12など上位のランカーが協力しながら攻略中だ。本音を言えば、今すぐ参加したいところではあるが、トップランカーには担当する地域があって、協力要請がない限り、担当地域から離れることはできない。俺の担当は関東だから、関東に高難易度のダンジョンが増えることを願いたいところだ。
もちろん、そんなことを言えるわけがなく、俺は悩んでしまう。
「あの、すみません。変なこと、聞いちゃいましたか?」
「そんなことないですよ」と俺は答える。変なことは聞かれていない。ただ、答えにくいことではある。「そうですね。俺の願い事は……世界平和ですかね」
「へぇ」と彼女は感心したように目を細める。「やっぱり、宿須さんってすごい人なんですね」
俺は自分の嘘を誤魔化すように、グラスに残った酒を飲み干した。
☆☆☆
「今日はありがとうございました」
「どういたしまして。それじゃあ、ダンジョンが現れたら、連絡します」
「はい。よろしくお願いします」
1時間ほど飲んで、駅で彼女を見送る。
俺も帰ろうとしたが、彼女の願いが気になった。彼女には、虚構だったとしても、信じたいほどの願いがある。その願いとは何なのだろうか。
(あんまり、詮索するのは良くないんだろうけど)
俺は基本的に他人と行動したくない。だからこそ、一緒に行動するとなったら、その人が何者かちゃんと見極めたいところだ。彼女は、俺の敵になりうる存在か――。
(聞いてみますか)
俺はスマホを取り出し、あの人に連絡した。