37. 腐ったミカン
「その質問に何の意味があるのですか?」
杭打は苛立ちを隠せない様子で言った。
「それが、杭打さんにとってのダンジョンですか?」
「……違います」と杭打は煩わしそうにするも、真面目な顔で答える。「あれは忌むべき存在です。あれがある限り、多くの国民が危険と隣り合わせで生活することになる。だから我々には、素早くあれを攻略する使命があります」
この男とはやはりわかり合えないと思った。ダンジョンが忌むべき存在? そんなわけがない。
「なるほど。宿須君はどうかな?」
「俺にとってのダンジョンは――愛すべき存在です。ダンジョンには、このくだらない世界にはないファンタジーがある。だから、この世界では失格の烙印を押された俺みたいな人間でも、何者かにはなれる。そんな夢と希望にあふれた場所を、俺は愛さずにはいられません」
「なるほどね」と渋沢さんは微笑んだ。
「ふん」と杭打が隣で鼻を鳴らす。「ダンジョンを愛するだと? 馬鹿じゃないのか。あそこはそんなキラキラしたものじゃないぞ」
相変わらずの憎まれ口。反論しようとしたが、渋沢さんが先に言った。
「ダンジョンの価値は人それぞれですよ。杭打さんの考えが全てじゃない」
杭打はバツが悪そうに口を閉ざす。渋沢さんは話がわかるようだ。
「さてさて、どうしたものかな……」
渋沢さんが思案顔になる。沈黙。皆、渋沢さんの次の言葉を待った。
そして数分後、「決めました」と彼女は言う。
「規律違反の件ですが、こちらは不問にします」
「なっ」
「そして、宿須君をランク10として、トップ会議に迎えたいと思います」
「なななっ!」と杭打の顔が赤くなる。「正気か!?」
「正気ですよ」
「なぜ、規律違反の件が不問なんだ!? それに、こいつがランク10だと!?」
「まぁまぁ、落ち着いてください。一つずつ説明します。まず、規律違反の件ですが、杭打さんは、自分が被害者みたいな言い方をされていましたが、最初に剣をちらかせ、宿須君たちを脅したとの証言もあります。だから、宿須君の行為は正当防衛かなって思います」
「お、俺が先に剣をちらつかせただと、そんな話」
「私に嘘を吐くつもりですか?」
渋沢さんが冷めた視線を向けると、杭打は言葉に詰まった。
そんな杭打を見て、渋沢さんは微笑む。
「そして、彼をランク10にする件ですが、彼は、我々が2か月くらいかけても攻略できなかったダンジョンをわずか数日で、しかも1人で攻略した。その功績は、トップ会議に参加するにふさわしいものだと思います。ただ、冒険者としての日が浅いので、ランク10から始めてもらいます」
「で、でも、ランク10は俺だ」
「はい。なので、今からあなたはランク11です。また、トップになれるよう頑張ってください」
杭打がわなわなと震える。ダンジョンであれだけ偉そうに振舞っていた男の恥辱に染まる顔を見るのは、最高に気持ちいい。
「お、お前らはそれでいいのか!?」
杭打は渋沢さん以外のトップに訴えかける。その場にいた赤髪ツンツン男が、「ランク3の意見に一票」と笑いながら手を挙げた。
「ランク6、貴様っ!?」
「ありがとう上神君。私の意見に反対の人はいますか?」
誰も発言しなかった。
「決定ですね」と渋沢さん。
「ふ、ふざけるな!?」と杭打が声を荒げる。「俺が、い、今まで、どれだけギルドに貢献してきたのかと思っているんだ! それを、こ、こんなぽっとでの『腐ったミカン』みたいなやつに!」
腐ったミカン。懐かしい響きだ。昔の上司によく言われた。あのときは、その言葉が死刑宣告のように聞こえ、自分の存在価値について問いかける日々が続いた。でも、今の俺は違う。ダンジョンを通して、学んだ。俺にも存在価値はあるし、輝ける場所は存在する。だから、自分を卑下することはない。むしろ、この『腐ったミカン』に教えてあげる必要がある。
「あの、杭打さん。1つ良いですか?」
「何だ!? 誰がお前の話など」
「あなたは俺を『腐ったミカン』と言いました。でも杭打さん、『腐ったミカン』は俺じゃない。あんただ」
杭打は鯉みたいに口をパクパクさせ、絞り出すように言った。
「お、俺が『腐ったミカン』だと」
「はい。あなたが『腐ったミカン』です。クソみたいなやり方を押し付けて、若手のやる気と才能を潰し、結果的に組織の成長を阻害する。そんな存在を『腐ったミカン』と言わずして、何といえばいいんですかね?」
ようやく言えた。上司に苦しめられていた時に、ずっと考えていたこと。この言葉は、杭打だけに向けた言葉ではない。その背後にいるであろう上司や、上司を生み出した社会に対する投げかけだ。むろん、この言葉が多くの人に届くことはないことは知っている。ただ、杭打には知っておいて欲しかった。杭打みたいな存在は害悪であることを。
「俺がいつ、やる気と才能を、つ、潰した?」
「そんなの自分で考えてくださいよ。好きですよね? 自分で考えるの。まぁ、でも、その腐った脳みそじゃ、思いつかないか」
「て、てめぇ! 好き勝手に言わせておけば!」
杭打が殴りかかってきた。が、ギルドの職員が「落ち着いてください!」と間に割って入る。哀れな男だと思う。困ったら、暴力かよ。
「そのまま追い出しちゃってください」と渋沢さん。「そろそろトップ会議を始めたいので」
「ふざけるな、放せ! お、俺が今まで、どれだけ――」
会議室の扉は閉められた。廊下でまだまだギャーギャー言っているのが聞こえる。往生際の悪い男だ。
「宿須君」と声が掛かる。
渋沢さんと目が合う。優しく微笑む彼女は女神に見えた。
「ようこそトップ会議へ。今日からあなたはランク10の冒険者です」




