34. ダンジョンの精霊
満身創痍とはこのことか。消費アイテムはすべて使い切り、武器も槍が一本しか残っていない。それでも、ブラックドラゴンは虫の息で、槍を突き立てれば、討伐完了だ。
しかし俺は、ブラックドラゴンにとどめを刺すことができなかった。ブラックドラゴンの首元に座ったまま、倒すべきかどうかで悩んでいた。
「どうして、倒さないの?」
少女の声で幻聴が聞こえた。俺は多分、疲れているのだろう。
「ねぇ、何で倒さないの?」
……。
声がした方に目を向けると、白いワンピースを着た少女が立っていた。彼女が人間じゃないことは一目でわかった。薄い光をまとっているからだ。芸能人はキラキラしているらしいが、明らかにそれとは違う。
(戦うべきか?)
しかし彼女からは、敵意のようなものを感じなかった。
「ねぇ、何で無視するの?」
彼女は頬を膨らませる。愛らしい表情に思わず和んでしまった。とりあえず、話ができるみたいなので、様子を見ることにした。
「すみません」
「あ、ようやく喋ってくれた」と彼女は笑う。「それで、何でとどめを刺さないの?」
俺がとどめを刺さない理由。そんなものは一つしかない。
「……帰りたくないからです」
「え?」
「こいつを倒したら、俺はまた、つまらないリアルに帰らなければいけなくなる。だから、倒したくないんです」
杭打の顔が過る。勢いで蹴り飛ばしたが、帰還したら、面倒なことになるのが、容易に想像できた。そして、問題は杭打だけじゃない。あの世界で生きること自体が、俺にとっては面倒なことだった。
「俺は、この場所で生きる意味を見つけた。だから、この場所にずっといたいんです」
「ふぅん。そっか。ここを気に入ってくれたようで何より」
「……というか、あなたは誰なんですか?」
「私? 私はダンジョンの精霊だよ」
「ダンジョンの精霊」
こんな場所に少女が一人でいるのはおかしいし、彼女がまとう不思議なオーラみたいなのも、精霊特有のものだと考えれば、納得できる。
「そっかぁ」と彼女は嬉しそうに胸の前で手を組む。「この場所を気に入ってくれたか。ダンジョンの精霊冥利に尽きるな」
「それは良かったです」
「でも、倒した方がいいと思うよ。なぜなら、そのモンスターを倒すことで、あなたは一つだけ願い事ができるようになるからね」
「願い事、ですか?」
「うん。と言っても、何でも叶えてあげるわけじゃない。今回のダンジョン攻略に見合った願いを叶えてあげる。今回の場合だと、そうだなぁ、ダンジョンに関することなら、何でも叶えちゃうかも」
「何でも?」
「ダンジョンに関することならね」
少女は得意げに微笑む。彼女が嘘を言っているようには見えない。しかし、信じられなかった。
「何で、俺の願いごとを聞いてくれるんですか?」
「あなたが頑張ったから。それに、ダンジョンで願い事が叶うことがわかれば、あなたはまた、頑張れるでしょ」
馬の前にぶら下げた人参みたいな話か。確かに、ダンジョンで願い事が叶うとなれば、血眼になって、ダンジョン攻略に挑む者が増えるだろう。
そこでふと気になったことがある。
「どうして、そこまでしてダンジョンを攻略してほしいんですか? というか、そもそもダンジョンって何ですか?」
「それが、あなたの願いってことでいいかい?」
「あ、いえ、違います。ただ、疑問に思ったから聞いただけで、これが願い事ではありません」
「良かった。私ももっと有意義なことに願い事を使ってほしかったからね」
このダンジョンの存在意義とか彼女の目的とかいろいろと気になるところではあるが、わざわざ願い事のチャンスを消費してまで、聞きたい話ではない。教えてくれてもいいのにとは思うが、彼女にもいろいろな事情があるのだろう。
(せっかくなら、俺にとってプラスとなるようなことを願いたいな)
考えていると、ぐらっと揺れた。ブラックドラゴンの荒い鼻息が聞こえる。
「早く決めないとその子が元気になっちゃうよ」
「わかりました。なら、お願いがあります。――ダンジョンの出現頻度を増やしてください」




